2015/02/23
死の舞踏
銀座・博品館劇場で仲代達矢×白石加代子×益岡徹という濃い〜い3人の舞台『死の舞踏』を観てきました。
仲代達矢と白石加代子の対談で、仲代が白石とやるなら『死の舞踏』をやりたいと語っていたことがあり、それが実現したというわけです。(対談のあとにとんとんと決まったのかも)
『死の舞踏』は『令嬢ジュリー』で有名なストリンドベリの戯曲。ストリンドベリは同じスウェーデンのイングマール・ベルイマンも好んで取り上げた作家で、事実この『死の舞踏』も何度か取り上げようとしていました(途中で中止に追い込まれ結局実現しなかった)。
海外でもローレンス・オリヴィエやイアン・マッケラン、ヘレン・ミレンやジェラルディン・マクイーワンといった名優が舞台で演じた作品。そんな芝居を仲代達矢と白石加代子が組むといった観に行かないわけがありません。幸いに千秋楽の前から4列目という絶好の席を確保できました。
舞台はドラマ・リーディングというスタイルで、脚本を持っての言わば朗読劇のような感じ。舞台上には折りたたみ椅子がいくつも並んで置かれていて、3人の役者たちがあっちに座ってこっちに座ってと動きながら芝居をしていきます。
25年の愛なき夫婦の悲劇。戯曲を読む限り、重苦しい芝居なのかと思っていたのですが、ところがどっこい、結構笑わせてもらいました。『百物語』ばりの白石加代子の怪演と飄々とした表情の裏に狂気を孕んだ仲代達也の熟達した演技。凄かったです。
カーテンコールの演出も楽しかった!
2015/02/22
新印象派展
東京都美術館で開催中の『新印象派展』を観てまいりました。
印象派の流れを受けて、1880年代後半に新しい潮流として生まれた“新印象派”。本展は、スーラ、シニヤックに始まる新印象派の初期作品から、多様に展開していく1890年代、そしてマティスの登場までを追っています。
国内外の美術館や個人蔵など、24の画家の作品約100点が紹介されています。新印象派の作品だけでこれだけ揃うとなかなか壮観です。
休日に行ったのですが、結構な人が美術館に吸い込まれていて、「えっ、そんなに混んでるの?」と思ったら、別の展示室で開催していた盆栽展と公立学校の美術展でした。『新印象派展』は開館前は少し並んでいましたが、館内ではゆっくり観られました。会期末は混雑しそうですが。
プロローグ 1880年代の印象派
まずは新印象派の前段としての印象派から。ルノワールでもセザンヌでもマネでもなくモネが展示されているのは、シニャックが1880年のモネの個展をきっかけに画家を志したというエピソードがあるからみたい。「税関吏の小屋・荒れた海」はブリヂストン美術館にある「雨のベリール」のように荒れた海が印象的。でもこちらは晴天。筆のタッチも細かく色面を構成していて、点描の出現を予感させます。
ほかに8回の印象派展すべてに参加した唯一の画家というピサロや、シニャックが若いころ最も尊敬していたというギヨマンの作品、またスーラの初期の作品も。スーラはクールベやミレーあたりを意識しているような感じで少し意外でした。
第1章 1886年:新印象派の誕生
最後の印象派展は1886年。印象派の誕生から僅か十数年で、印象派の画家たちと入れ替わるようにスーラとシニャックが作品を発表したというのが象徴的です。ここではスーラやシニャックの作品を始め、この時期の印象派を代表するピサロやモリゾも紹介されています。
スーラと言えば、「グランド・ジャット島の日曜日の午後」。さすがに来日はしてませんが、その習作が4点ほど展示されています。習作は色彩分割は徹底されてなかったりして、実際の作品(写真でしか見たことありませんが)への過程が見えて興味深いです。
第2章 科学との出会い-色彩理論と点描技法
新印象派の点描が印象派の“筆触分割”をさらに押し進めた末に生み出されたことはよく知られていますが、ここでは新印象派の画家たちに大きな影響を与えた当時の最新の光学理論や色彩理論の書籍、またその理論に則った作品を紹介。視覚混合の原則や補色の法則を実践したルイ・アイエの作品が興味深い。緻密でロジカルで、だけど軽やか。よく考えられているなと思います。
会場にはスーラとシニャックのパレットが展示されていて、絵具がまるでカラーチャートのように並んでいるのが印象的でした。
第3章 1887-1891年:新印象派の広がり
新印象派というと、スーラ、シニャック、ピサロぐらいしか知らなかったのですが、ほかにも魅力的な画家(軍人にして画家という異色の経歴を持つデュボワ=ピエや北方系新印象派を代表するフィンチ、オランダに新印象派を広めたトーロップ、ピサロの息子リュシアン・ピサロなど)が多くいることを知ることができたのも新しい発見。色彩の変奏が心地いい。
「髪を結う女、作品227」は絵具の劣化を懸念したシニャックがエンコースティック(蝋画)で描いた点描画。あくまでも実験の域を出なかったのか、しっくりいかなかったのか、エンコースティックは以後制作しなかったそうです。
個人的には北方系と紹介されていた新印象派の作品群がとても好きでした。繊細な光の捉え方とその柔らかなトーン。フィンチの作品は点描がまるでモザイクのようで、独特の明るさを生み出していて素晴らしい。トーロップの「マロニエのある風景」の夕暮れやリュスの「ルーヴルとカルーゼル橋、夜の効果」の夜の灯りは最早自然な光でなくなっているのが興味深く思います。
第4章 1892-1894年:地中海との出会い-新たな展開
スーラの死後の新印象派。南仏に拠点を移したシニャックやクロスにつづき、北方系の新印象派画家だったリュスやレイセルベルヘも南仏で絵画制作に励んだのだとか。
ここでは南仏のムード満点のリュスの「サン=トロペの港」や、より様式化され、どこかアールヌーヴォーの影響も感じさせるクロスの作品が目を惹きます。特に印象的だったのが肖像画が得意だったというロジェの作品で、服や体のラインは単純化され、点描も控え目(でも細かい)。静かな存在感を放っていました。
第5章 1895-1905年:色彩の解放
この頃になると新印象派の画風にも変化が現れます。より感覚的な色彩や表現、装飾性も目立ち、光や色彩の描写もどこか観念的というか、過剰さすら感じます。後期の新印象派を代表するクロスはルネサンス以降の絵画にある古代ギリシャの理想郷を描いた作品を思い起こさせ、どこか象徴主義絵画のよう。
エピローグ フォーヴィスムの誕生へ
クロスからマティスへ、そしてフォーヴィスムへ。最後は色彩がどこまでも自由になり、それがフォーヴィスムへ繋がっていく過程が、僅か十数点の作品ではありますが、説得力を持って感じられます。
ピサロは、過去の印象派の画家を「ロマン主義的印象派主義者」、スーラやシニャックといった新印象派の画家を「科学的印象主義者」と語ったといいます。点描が一見テキトーに見えて実はとても研究された色彩配置だということがこの展覧会を観ているとよく分かりました。新印象派の作品を通し、印象派からフォーヴィスムへの繋がりも見え、オススメの展覧会です。
【新印象派―光と色のドラマ】
2015年3月29日まで
東京都美術館にて
ピサロ: 永遠の印象派 (「知の再発見」双書)
ジョルジュ・スーラ―点描のモデルニテ
印象派の流れを受けて、1880年代後半に新しい潮流として生まれた“新印象派”。本展は、スーラ、シニヤックに始まる新印象派の初期作品から、多様に展開していく1890年代、そしてマティスの登場までを追っています。
国内外の美術館や個人蔵など、24の画家の作品約100点が紹介されています。新印象派の作品だけでこれだけ揃うとなかなか壮観です。
休日に行ったのですが、結構な人が美術館に吸い込まれていて、「えっ、そんなに混んでるの?」と思ったら、別の展示室で開催していた盆栽展と公立学校の美術展でした。『新印象派展』は開館前は少し並んでいましたが、館内ではゆっくり観られました。会期末は混雑しそうですが。
プロローグ 1880年代の印象派
まずは新印象派の前段としての印象派から。ルノワールでもセザンヌでもマネでもなくモネが展示されているのは、シニャックが1880年のモネの個展をきっかけに画家を志したというエピソードがあるからみたい。「税関吏の小屋・荒れた海」はブリヂストン美術館にある「雨のベリール」のように荒れた海が印象的。でもこちらは晴天。筆のタッチも細かく色面を構成していて、点描の出現を予感させます。
クロード・モネ 「税関吏の小屋・荒れた海」
1882年 日本テレビ放送網株式会社蔵
1882年 日本テレビ放送網株式会社蔵
ほかに8回の印象派展すべてに参加した唯一の画家というピサロや、シニャックが若いころ最も尊敬していたというギヨマンの作品、またスーラの初期の作品も。スーラはクールベやミレーあたりを意識しているような感じで少し意外でした。
第1章 1886年:新印象派の誕生
最後の印象派展は1886年。印象派の誕生から僅か十数年で、印象派の画家たちと入れ替わるようにスーラとシニャックが作品を発表したというのが象徴的です。ここではスーラやシニャックの作品を始め、この時期の印象派を代表するピサロやモリゾも紹介されています。
ジョルジュ・スーラ 「セーヌ川、クールブヴォワにて」
1885年 個人蔵
1885年 個人蔵
スーラと言えば、「グランド・ジャット島の日曜日の午後」。さすがに来日はしてませんが、その習作が4点ほど展示されています。習作は色彩分割は徹底されてなかったりして、実際の作品(写真でしか見たことありませんが)への過程が見えて興味深いです。
ジョルジュ・スーラ 「《グランド・ジャット島の日曜日の午後》の習作」
1884年 オルセー美術館蔵
1884年 オルセー美術館蔵
第2章 科学との出会い-色彩理論と点描技法
新印象派の点描が印象派の“筆触分割”をさらに押し進めた末に生み出されたことはよく知られていますが、ここでは新印象派の画家たちに大きな影響を与えた当時の最新の光学理論や色彩理論の書籍、またその理論に則った作品を紹介。視覚混合の原則や補色の法則を実践したルイ・アイエの作品が興味深い。緻密でロジカルで、だけど軽やか。よく考えられているなと思います。
会場にはスーラとシニャックのパレットが展示されていて、絵具がまるでカラーチャートのように並んでいるのが印象的でした。
第3章 1887-1891年:新印象派の広がり
新印象派というと、スーラ、シニャック、ピサロぐらいしか知らなかったのですが、ほかにも魅力的な画家(軍人にして画家という異色の経歴を持つデュボワ=ピエや北方系新印象派を代表するフィンチ、オランダに新印象派を広めたトーロップ、ピサロの息子リュシアン・ピサロなど)が多くいることを知ることができたのも新しい発見。色彩の変奏が心地いい。
ポール・シニャック 「髪を結う女、作品227」
1892年 個人蔵
1892年 個人蔵
「髪を結う女、作品227」は絵具の劣化を懸念したシニャックがエンコースティック(蝋画)で描いた点描画。あくまでも実験の域を出なかったのか、しっくりいかなかったのか、エンコースティックは以後制作しなかったそうです。
ヤン・トーロップ 「マロニエのある風景」
1889年 ドルドレヒト美術館蔵
1889年 ドルドレヒト美術館蔵
アルフレッド・ウィリアム・フィンチ 「ラ・ルヴィエールの果実園」
1890年 アテネウム美術館蔵
1890年 アテネウム美術館蔵
個人的には北方系と紹介されていた新印象派の作品群がとても好きでした。繊細な光の捉え方とその柔らかなトーン。フィンチの作品は点描がまるでモザイクのようで、独特の明るさを生み出していて素晴らしい。トーロップの「マロニエのある風景」の夕暮れやリュスの「ルーヴルとカルーゼル橋、夜の効果」の夜の灯りは最早自然な光でなくなっているのが興味深く思います。
第4章 1892-1894年:地中海との出会い-新たな展開
スーラの死後の新印象派。南仏に拠点を移したシニャックやクロスにつづき、北方系の新印象派画家だったリュスやレイセルベルヘも南仏で絵画制作に励んだのだとか。
ポール・シニャック 「サン=トロペの松林」
1892年 宮崎県立美術館蔵
1892年 宮崎県立美術館蔵
ここでは南仏のムード満点のリュスの「サン=トロペの港」や、より様式化され、どこかアールヌーヴォーの影響も感じさせるクロスの作品が目を惹きます。特に印象的だったのが肖像画が得意だったというロジェの作品で、服や体のラインは単純化され、点描も控え目(でも細かい)。静かな存在感を放っていました。
アシール・ロジェ 「アストル夫人の肖像」
1892年 カルカッソンヌ美術館蔵
1892年 カルカッソンヌ美術館蔵
第5章 1895-1905年:色彩の解放
この頃になると新印象派の画風にも変化が現れます。より感覚的な色彩や表現、装飾性も目立ち、光や色彩の描写もどこか観念的というか、過剰さすら感じます。後期の新印象派を代表するクロスはルネサンス以降の絵画にある古代ギリシャの理想郷を描いた作品を思い起こさせ、どこか象徴主義絵画のよう。
アンリ=エドモン・クロス 「地中海のほとり」
1895年 個人蔵
1895年 個人蔵
エピローグ フォーヴィスムの誕生へ
クロスからマティスへ、そしてフォーヴィスムへ。最後は色彩がどこまでも自由になり、それがフォーヴィスムへ繋がっていく過程が、僅か十数点の作品ではありますが、説得力を持って感じられます。
アンドレ・ドラン 「コリウール港の小舟」
1905年 大阪新美術館建設準備室蔵
1905年 大阪新美術館建設準備室蔵
ピサロは、過去の印象派の画家を「ロマン主義的印象派主義者」、スーラやシニャックといった新印象派の画家を「科学的印象主義者」と語ったといいます。点描が一見テキトーに見えて実はとても研究された色彩配置だということがこの展覧会を観ているとよく分かりました。新印象派の作品を通し、印象派からフォーヴィスムへの繋がりも見え、オススメの展覧会です。
【新印象派―光と色のドラマ】
2015年3月29日まで
東京都美術館にて
ピサロ: 永遠の印象派 (「知の再発見」双書)
ジョルジュ・スーラ―点描のモデルニテ
2015/02/14
THE 琳派
畠山記念館で開催中の『THE 琳派 -極めつきの畠山コレクション-』を観てまいりました。
久しぶりに行ったので、間違えて白金高輪駅で降りてしまったり(正解は白金台駅、もしくは高輪台駅)、道に迷って大回りしてしまったり、散々でしたが、なんとか辿り着けました。
琳派400年ということで、琳派関連の展覧会が続いていますが、こちらは畠山記念館所蔵の琳派コレクションを展観。畠山記念館の開館50周年記念展の締めくくりでもあります。
畠山記念館といえば、茶道具など古美術品のコレクションで知られていますが、琳派の作品も充実。期間中展示替えなどがありますが、わたしが観に行った日(2/11)は書画が11点、工芸品が20点、出品されていました。
階段を上がって、左側の畳敷きの展示コーナーには抱一の「風神雷神図」や宗達の「騎牛老子図」、『源氏物語』や『伊勢物語』に材を取った尾形光琳の作品が並びます。
先日拝見した日本橋三越の『岡田美術館所蔵琳派名品展』でも抱一の「風神図」が出品されていましたが、抱一は代表作の「風神雷神図屏風」だけでなく、風神・雷神を描いた作品を複数残しているようですね。この「風神雷神図」は体の動きこそ違えど、「風神雷神図屏風」の色味や風貌と近いものがあり興味深く思いました。宗達の「騎牛老子図」は牛の黒と老子の白のコントラストが面白く、宗達の水墨の技量の高さにつくづく感心します。
工芸では光悦の赤楽「雪峯」にやはり目が留まります。大きく火割れした痕に金粉漆で繕ったもので、口縁から胴の白釉を山の白雪に見立て光悦が命銘したそうです。光悦では、宗達の下絵の上に光悦が謡曲のさわりの部分を書写した「小謡本」や、同じく古今和歌集の雑歌をしたためた「金銀泥四季草花下絵 古今集和歌巻」も素晴らしい。
ほかに尾形乾山の皿は鉢が充実。琳派ならではの美しい草花やかわいい文様など逸品が多くて、観ていて楽しくなります。
奥の壁面には抱一の「月波草花図」。「野花蟷螂図」「波上名月図」「水草蜻蛉図」の三幅対で、背景の薄墨にところどころ濃淡があり、まるで夜の霞のよう。風や波の音、虫の声だけが聴こえてきそうな風情があります。三越で観た其一の「名月に秋草図」は恐らく本作を下敷きにしてるのでしょうね。
その其一は“らしさ”が光る「向日葵図」。抱一も向日葵を描いていたりしますが、其一の向日葵は真っ直ぐに伸び、大輪の花が正面を向いているという大胆さが異彩を放っています。葉はたらし込みで描かれていますが、その斬新な画面構成はどこか近代的な感覚を感じさせます。
本展は作品数こそ多くありませんが、有数の古美術コレクションで知られる畠山記念館だけあり、質の高い作品が並び、満足度がありました。
ところで、むかし来たときにはまだ般若苑があったところに、いろいろとウワサになった白亜の大豪邸が建っていて、畠山記念館の庭園やまわりの景観を損ねる趣味の悪さに残念な思いがしました。
【開館50周年 THE 琳派 -極めつきの畠山コレクション-】
2015年3月15日(日)まで
畠山記念館にて
鈴木其一―琳派を超えた異才 (ToBi selection)
久しぶりに行ったので、間違えて白金高輪駅で降りてしまったり(正解は白金台駅、もしくは高輪台駅)、道に迷って大回りしてしまったり、散々でしたが、なんとか辿り着けました。
琳派400年ということで、琳派関連の展覧会が続いていますが、こちらは畠山記念館所蔵の琳派コレクションを展観。畠山記念館の開館50周年記念展の締めくくりでもあります。
畠山記念館といえば、茶道具など古美術品のコレクションで知られていますが、琳派の作品も充実。期間中展示替えなどがありますが、わたしが観に行った日(2/11)は書画が11点、工芸品が20点、出品されていました。
階段を上がって、左側の畳敷きの展示コーナーには抱一の「風神雷神図」や宗達の「騎牛老子図」、『源氏物語』や『伊勢物語』に材を取った尾形光琳の作品が並びます。
酒井抱一 「風神雷神図」
江戸時代・18~19世紀 (展示は2/12まで)
江戸時代・18~19世紀 (展示は2/12まで)
俵屋宗達 「騎牛老子図」
江戸時代・17世紀 (展示は2/12まで)
江戸時代・17世紀 (展示は2/12まで)
先日拝見した日本橋三越の『岡田美術館所蔵琳派名品展』でも抱一の「風神図」が出品されていましたが、抱一は代表作の「風神雷神図屏風」だけでなく、風神・雷神を描いた作品を複数残しているようですね。この「風神雷神図」は体の動きこそ違えど、「風神雷神図屏風」の色味や風貌と近いものがあり興味深く思いました。宗達の「騎牛老子図」は牛の黒と老子の白のコントラストが面白く、宗達の水墨の技量の高さにつくづく感心します。
本阿弥光悦 「赤楽茶碗 銘 雪峯」(重要文化財)
江戸時代・17世紀
江戸時代・17世紀
工芸では光悦の赤楽「雪峯」にやはり目が留まります。大きく火割れした痕に金粉漆で繕ったもので、口縁から胴の白釉を山の白雪に見立て光悦が命銘したそうです。光悦では、宗達の下絵の上に光悦が謡曲のさわりの部分を書写した「小謡本」や、同じく古今和歌集の雑歌をしたためた「金銀泥四季草花下絵 古今集和歌巻」も素晴らしい。
ほかに尾形乾山の皿は鉢が充実。琳派ならではの美しい草花やかわいい文様など逸品が多くて、観ていて楽しくなります。
酒井抱一 「月波草花図」
江戸時代・18~19世紀 (展示は2/22まで)
江戸時代・18~19世紀 (展示は2/22まで)
奥の壁面には抱一の「月波草花図」。「野花蟷螂図」「波上名月図」「水草蜻蛉図」の三幅対で、背景の薄墨にところどころ濃淡があり、まるで夜の霞のよう。風や波の音、虫の声だけが聴こえてきそうな風情があります。三越で観た其一の「名月に秋草図」は恐らく本作を下敷きにしてるのでしょうね。
その其一は“らしさ”が光る「向日葵図」。抱一も向日葵を描いていたりしますが、其一の向日葵は真っ直ぐに伸び、大輪の花が正面を向いているという大胆さが異彩を放っています。葉はたらし込みで描かれていますが、その斬新な画面構成はどこか近代的な感覚を感じさせます。
鈴木其一 「向日葵図」
江戸時代・19世紀 (展示は2/22まで)
江戸時代・19世紀 (展示は2/22まで)
本展は作品数こそ多くありませんが、有数の古美術コレクションで知られる畠山記念館だけあり、質の高い作品が並び、満足度がありました。
ところで、むかし来たときにはまだ般若苑があったところに、いろいろとウワサになった白亜の大豪邸が建っていて、畠山記念館の庭園やまわりの景観を損ねる趣味の悪さに残念な思いがしました。
【開館50周年 THE 琳派 -極めつきの畠山コレクション-】
2015年3月15日(日)まで
畠山記念館にて
鈴木其一―琳派を超えた異才 (ToBi selection)
2015/02/08
みちのくの仏像
東京国立博物館で開催中の『みちのくの仏像』を観てまいりました。
東博本館1階の特別5室が会場なので、スペースのこともあって、展示作品数こそ多くはありませんが、東北を代表する仏像が出品されています。
地域の信仰の対象として、代々大切に受け継がれ、また東日本大震災で未曾有の被害を受けた人々の心の拠りどころとなったみちのくの仏像。これだけ大切な仏像がここまで一堂に介することができたのは、その収益の一部を東日本大震災で被害を受けた東北の文化財の修復に役立てたいという思いからだといいいます。
東北に仏教が本格的に広まるのは8世紀末の坂上田村麻呂による蝦夷征討のあと。都風の影響を感じさせる仏像もあれば、土着的な信仰と融合したような仏像や民衆と寄り添ったのであろう素朴な仏像もあったりして、東北の仏像の深さと魅力を堪能できます。
会場に入ってすぐのところにあるのが、岩手と青森の県境に近い天台寺の「聖観音菩薩立像」。カツラ材の一木造で、顔と腕を除く全身に残るノミ目が特徴的。荒いノミ目が手造り感の素朴さを感じさせる一方で、均一に刻まれた線はまるで模様のようにとても美しい。鉈彫りの仏像の傑作と言われているそうです。
宮城・栗原にある双林寺の「薬理如来坐像」(杉薬師)も襞の均一な線が美しい仏像。同じく双林寺の持国天と増長天とともにケヤキの大木の一材から造られているとか。
福島・勝常寺の「薬師如来坐像」は東北で初めて国宝に指定された仏像。どっしりとした量感たっぷりの体躯、肉厚の手、深く刻まれた衣門、大きめの螺髪ととても印象的。薬師如来様の両脇には同じく国宝の日光菩薩立像と月光菩薩立像が控えます。東北の仏像といえば、というその名の高さと、存在感に圧倒されます。
黒石寺といえば蘇民祭で有名な岩手・奥州市の古刹。ちょうど『みちのくの仏像』の期間中に蘇民祭があるのに、ご本尊をお寺の外に出してしまっていいのでしょうか…。とはいえ、そんな大事なときにも関わらず、ご本尊と両脇侍像を貸し出してくれたことに感謝せねばなりません。
この「薬師如来坐像」は本邦最古の墨書銘をもつ仏像だそうです。結構な大きさなのですが、カツラの一木造というからすごい。相当な巨木だったのでしょう。表情は厳しく、一説には蝦夷討伐後の東北の人々を威圧する意味が込められていたともいわれています。貞観地震と東日本大震災という1000年に一度といわれる大地震を二度も体験しているといい、ずっと東北の人々を見守ってきたんだなと思うと感慨深いものがあります。
地方色豊かな、土地の風土を感じさせる仏像が多い中、いきなり洗練されたカッコ良さに目を奪われるのが山形・寒河江の慈恩寺の「十二神将立像」。慈恩寺は藤原家との関係が深く、中央の最新文化が入って来ていたそうで、この仏像も当時流行の慶派仏師によるものだといいます。
宮城の牝鹿半島の海の高台にあるという給分浜観音堂には東日本大震災で津波の被害を受けた人々が避難をし、身を寄せていたといいます。「十一面観音菩薩立像」はその本堂に祀られていた3m近い大きな仏様。顔や体躯、襞の模様は鎌倉後期の仏像の特徴が表れているとか。震災で傷ついた人々の心をどれだけ救ったのかと思うと涙が出る思いがします。
そのほかにも青森に残された円空の初期の仏像や近年発見されたという女神坐像、腕や手が欠損していたり傷みの激しい仏像もあったりします。こうした東北の仏像を観ていると、厳しい自然や災害の中で人々とともにあったんだなという、都の仏像には感じられないものが見えてきます。ひとつひとつにその土地との深いつながりがあり、人々の思いが込められており、信仰心の篤さを強く感じずにはいられません。
【特別展 みちのくの仏像】
2015年4月5日(日)まで
東京国立博物館本館特別5室にて
みちのくの仏像 (別冊太陽 日本のこころ)
すぐわかる日本の神像―あらわれた神々のすがたを読み解く
東博本館1階の特別5室が会場なので、スペースのこともあって、展示作品数こそ多くはありませんが、東北を代表する仏像が出品されています。
地域の信仰の対象として、代々大切に受け継がれ、また東日本大震災で未曾有の被害を受けた人々の心の拠りどころとなったみちのくの仏像。これだけ大切な仏像がここまで一堂に介することができたのは、その収益の一部を東日本大震災で被害を受けた東北の文化財の修復に役立てたいという思いからだといいいます。
東北に仏教が本格的に広まるのは8世紀末の坂上田村麻呂による蝦夷征討のあと。都風の影響を感じさせる仏像もあれば、土着的な信仰と融合したような仏像や民衆と寄り添ったのであろう素朴な仏像もあったりして、東北の仏像の深さと魅力を堪能できます。
「聖観音菩薩立像」(重要文化財)
平安時代・11世紀 天台寺蔵
平安時代・11世紀 天台寺蔵
会場に入ってすぐのところにあるのが、岩手と青森の県境に近い天台寺の「聖観音菩薩立像」。カツラ材の一木造で、顔と腕を除く全身に残るノミ目が特徴的。荒いノミ目が手造り感の素朴さを感じさせる一方で、均一に刻まれた線はまるで模様のようにとても美しい。鉈彫りの仏像の傑作と言われているそうです。
「薬師如来坐像」(重要文化財)
平安時代・9世紀 双林寺蔵
平安時代・9世紀 双林寺蔵
宮城・栗原にある双林寺の「薬理如来坐像」(杉薬師)も襞の均一な線が美しい仏像。同じく双林寺の持国天と増長天とともにケヤキの大木の一材から造られているとか。
「薬師如来坐像」(国宝)
平安時代・9世紀 勝常寺蔵
平安時代・9世紀 勝常寺蔵
福島・勝常寺の「薬師如来坐像」は東北で初めて国宝に指定された仏像。どっしりとした量感たっぷりの体躯、肉厚の手、深く刻まれた衣門、大きめの螺髪ととても印象的。薬師如来様の両脇には同じく国宝の日光菩薩立像と月光菩薩立像が控えます。東北の仏像といえば、というその名の高さと、存在感に圧倒されます。
「薬師如来坐像」(重要文化財)
平安時代・貞観4年(862) 黒石寺蔵
平安時代・貞観4年(862) 黒石寺蔵
黒石寺といえば蘇民祭で有名な岩手・奥州市の古刹。ちょうど『みちのくの仏像』の期間中に蘇民祭があるのに、ご本尊をお寺の外に出してしまっていいのでしょうか…。とはいえ、そんな大事なときにも関わらず、ご本尊と両脇侍像を貸し出してくれたことに感謝せねばなりません。
この「薬師如来坐像」は本邦最古の墨書銘をもつ仏像だそうです。結構な大きさなのですが、カツラの一木造というからすごい。相当な巨木だったのでしょう。表情は厳しく、一説には蝦夷討伐後の東北の人々を威圧する意味が込められていたともいわれています。貞観地震と東日本大震災という1000年に一度といわれる大地震を二度も体験しているといい、ずっと東北の人々を見守ってきたんだなと思うと感慨深いものがあります。
「十二神将立像(丑神・寅神・卯神・酉神)」(重要文化財)
鎌倉時代・13世紀 本山慈恩寺蔵
鎌倉時代・13世紀 本山慈恩寺蔵
地方色豊かな、土地の風土を感じさせる仏像が多い中、いきなり洗練されたカッコ良さに目を奪われるのが山形・寒河江の慈恩寺の「十二神将立像」。慈恩寺は藤原家との関係が深く、中央の最新文化が入って来ていたそうで、この仏像も当時流行の慶派仏師によるものだといいます。
「十一面観音菩薩立像」(重要文化財)
鎌倉時代・14世紀 給分浜観音堂蔵
鎌倉時代・14世紀 給分浜観音堂蔵
宮城の牝鹿半島の海の高台にあるという給分浜観音堂には東日本大震災で津波の被害を受けた人々が避難をし、身を寄せていたといいます。「十一面観音菩薩立像」はその本堂に祀られていた3m近い大きな仏様。顔や体躯、襞の模様は鎌倉後期の仏像の特徴が表れているとか。震災で傷ついた人々の心をどれだけ救ったのかと思うと涙が出る思いがします。
そのほかにも青森に残された円空の初期の仏像や近年発見されたという女神坐像、腕や手が欠損していたり傷みの激しい仏像もあったりします。こうした東北の仏像を観ていると、厳しい自然や災害の中で人々とともにあったんだなという、都の仏像には感じられないものが見えてきます。ひとつひとつにその土地との深いつながりがあり、人々の思いが込められており、信仰心の篤さを強く感じずにはいられません。
【特別展 みちのくの仏像】
2015年4月5日(日)まで
東京国立博物館本館特別5室にて
みちのくの仏像 (別冊太陽 日本のこころ)
すぐわかる日本の神像―あらわれた神々のすがたを読み解く
2015/02/02
RIMPA 岡田美術館所蔵 琳派名品展
会期が終了してしまいましたが、日本橋三越本店の『RIMPA 岡田美術館所蔵 琳派名品展』に行ってきました。
今年は琳派400年を記念しての琳派イヤー。琳派に関する美術展の開催や関連書籍の出版が相次いで予定されています。
その初っ端を飾るのが本展。2013年に箱根・小涌谷にオープンした岡田美術館から、琳派の所蔵名品が貸し出されています。
私はまだ箱根の岡田美術館には伺っていないのですが、岡田美術館といえば近世・近代の日本画や工芸品の充実したコレクションで知られる美術館。実業家の所蔵品を展示した私設美術館としては異例の規模と所蔵品の質の高さで、驚きをもって迎えられたのは記憶に新しいところです。
たぶん箱根の岡田美術館への宣伝を兼ねた展覧会だろう、会場もデパートの中だから貴重なものは出てこないだろう、と高をくくっていたら、それが大間違い。予想を超えるクオリティの高さに目がクラクラしてしまいました。
琳派以前 -町衆の台頭による美意識の変革-
まず琳派誕生前夜の絵画の潮流から入るのが面白い。ここでは長谷川派の作品を紹介していて、長谷川派が得意とした「浮草図屏風」や「柳橋水車図屏風」はその大胆な構図が琳派に通じるとしています。展示されている「柳橋水車図屏風」 は長谷川派の典型的な構図に基づいているものの、長谷川派の手によるものではないということですが、デザイン化された構図や金泥など贅沢な金の使い方が琳派との関連を強く感じさせます。
琳派の誕生 -日本美の系譜の礎-
次に登場するのが俵屋宗達、またその工房である伊年印の作品。『源氏物語』や『伊勢物語』に材を取った作品を通して本歌取りと琳派の関係に触れています。ただ本歌取りは琳派に限ったことでなく、やまと絵や狩野派など日本画ではフツーに観られますけどね。
光悦と宗達の作品もいくつか展示されていて、中でも白眉は完本の「花卉に蝶摺絵新古今集和歌巻」。今に残る光悦の書の巻物はほとんどが断簡で、巻物として完全な形で残っているのは4本しかないそうです。宗達がデザインした色変わりの綺麗な料紙の上に流麗で美しい光悦の書。うっとりするほどの逸品です。
宗達では押絵貼屏風を掛軸にしたものとされる水墨の「烏図」と「白鷺図」が状態も良く、まるで双幅の掛軸のように黒と白の対比で面白かったです。
琳派の興隆 -天才画工による黄金時代-
琳派黄金時代の天才画工といえば、もちろん光琳・乾山兄弟。ここでは光琳・乾山それぞれの絵画や、乾山の色絵皿や茶碗、光琳の蒔絵螺鈿箱などが充実しています。
その中でチラシのメインヴィジュアルにもなっている「雪松群禽図屏風」は会場の解説でも、光琳の最も得意とする買いが世界であり、完成度の度の高い傑作とベタ褒め。岡田美術館の名誉館長岡田氏も相当思い入れのある作品のようです。
個人的にはその並びにあった6曲1双の「菊図屏風」に釘づけ。花びら一枚一枚を白の胡粉で丹念に盛り上げ、葉は緑と黒で描き分け、その色彩の単純化と洗練された構図による装飾美と金屏風という豪奢な感覚のバランスが素晴らしい。
江戸琳派 -粋と諧謔の精神-
江戸琳派は抱一と其一。抱一得意の「十二ヶ月花鳥図」を思わせる「檜に啄木鳥・紅梅に鴛鴦図」や草花の生命力を感じさせる「芙蓉秋草図屏風」、淡い色彩と丁寧な描写が美しい「桜図」 などどれも素敵なのですが、 ここではやはり風雅な「月に秋草図屏風」がいい。銀による半月は変色していますが、その景色といい、すーっと立つススキや草花の細い線といい、洒脱な趣が抱一らしい。
其一は「名月に秋草図」と「木蓮小禽図」。「名月に秋草図」は左右幅に秋草を配し、中幅に名月という三幅対で、同種の三幅対は抱一やほかの絵師にもありますが、其一のはやはり青や緑といったはっきりとした色の使い方が巧い。ただ、三幅が少し離れて展示されていて、最初は別々の掛軸かと思ってしまいました。もう少しそれぞれを近づけて掛けた方が引き立つ気がします。
「木蓮小禽図」も絶品。どこか西洋画にすら見えてくる写実的かつ濃厚で艶やかな色合いの木蓮が素晴らしい。木蓮の芳醇な香りが漂ってくるようです。どこに鳥が?と思うのですが、下から1/3ぐらいのところにかわいい鳥が。葉に同化していてほとんど分かりません(笑)
近代の琳派 -さらなる価値づけと発展-
最後に近代。ここでは神坂雪佳、前田青邨、速水御舟、梥本一洋、加山又造の作品を紹介。近代琳派として取り上げられることが多い雪佳、又造は別として、ほかの3人はあまり琳派と繋がらない画家ですが、琳派と関連した画題の作品ということで面白く拝見しました。
どの作品も、それぞれの絵師の作品として代表作に数え上げていいのではないかと思えるほどクオリティが高く、また保存状態も非常に良いのに驚かされました。またいずれ箱根の岡田美術館で拝見できると思いますが、こうして東京の中心で観られたことに感謝したいですね。
【琳派400年記念 RIMPA 岡田美術館所蔵 琳派名品展 ~知られざる名作初公開~】
2015年2月2日(月)まで
日本橋三越本店新館7階ギャラリーにて
「琳派」最速入門: 永遠に新しい、日本のデザイン (和樂ムック)
今年は琳派400年を記念しての琳派イヤー。琳派に関する美術展の開催や関連書籍の出版が相次いで予定されています。
その初っ端を飾るのが本展。2013年に箱根・小涌谷にオープンした岡田美術館から、琳派の所蔵名品が貸し出されています。
私はまだ箱根の岡田美術館には伺っていないのですが、岡田美術館といえば近世・近代の日本画や工芸品の充実したコレクションで知られる美術館。実業家の所蔵品を展示した私設美術館としては異例の規模と所蔵品の質の高さで、驚きをもって迎えられたのは記憶に新しいところです。
たぶん箱根の岡田美術館への宣伝を兼ねた展覧会だろう、会場もデパートの中だから貴重なものは出てこないだろう、と高をくくっていたら、それが大間違い。予想を超えるクオリティの高さに目がクラクラしてしまいました。
琳派以前 -町衆の台頭による美意識の変革-
まず琳派誕生前夜の絵画の潮流から入るのが面白い。ここでは長谷川派の作品を紹介していて、長谷川派が得意とした「浮草図屏風」や「柳橋水車図屏風」はその大胆な構図が琳派に通じるとしています。展示されている「柳橋水車図屏風」 は長谷川派の典型的な構図に基づいているものの、長谷川派の手によるものではないということですが、デザイン化された構図や金泥など贅沢な金の使い方が琳派との関連を強く感じさせます。
琳派の誕生 -日本美の系譜の礎-
次に登場するのが俵屋宗達、またその工房である伊年印の作品。『源氏物語』や『伊勢物語』に材を取った作品を通して本歌取りと琳派の関係に触れています。ただ本歌取りは琳派に限ったことでなく、やまと絵や狩野派など日本画ではフツーに観られますけどね。
俵屋宗達 「明石図 (源氏物語図屏風断簡)」
江戸時代初期・17世紀前半 岡田美術館蔵
江戸時代初期・17世紀前半 岡田美術館蔵
光悦と宗達の作品もいくつか展示されていて、中でも白眉は完本の「花卉に蝶摺絵新古今集和歌巻」。今に残る光悦の書の巻物はほとんどが断簡で、巻物として完全な形で残っているのは4本しかないそうです。宗達がデザインした色変わりの綺麗な料紙の上に流麗で美しい光悦の書。うっとりするほどの逸品です。
下絵・俵屋宗達、書・本阿弥光悦 「花卉に蝶摺絵新古今集和歌巻」(一部)
桃山時代末期~江戸時代初期・17世紀初頭 岡田美術館蔵
桃山時代末期~江戸時代初期・17世紀初頭 岡田美術館蔵
宗達では押絵貼屏風を掛軸にしたものとされる水墨の「烏図」と「白鷺図」が状態も良く、まるで双幅の掛軸のように黒と白の対比で面白かったです。
琳派の興隆 -天才画工による黄金時代-
琳派黄金時代の天才画工といえば、もちろん光琳・乾山兄弟。ここでは光琳・乾山それぞれの絵画や、乾山の色絵皿や茶碗、光琳の蒔絵螺鈿箱などが充実しています。
尾形光琳 「菊図屏風」(右隻)
江戸時代前期・18世紀初頭 岡田美術館蔵
江戸時代前期・18世紀初頭 岡田美術館蔵
その中でチラシのメインヴィジュアルにもなっている「雪松群禽図屏風」は会場の解説でも、光琳の最も得意とする買いが世界であり、完成度の度の高い傑作とベタ褒め。岡田美術館の名誉館長岡田氏も相当思い入れのある作品のようです。
個人的にはその並びにあった6曲1双の「菊図屏風」に釘づけ。花びら一枚一枚を白の胡粉で丹念に盛り上げ、葉は緑と黒で描き分け、その色彩の単純化と洗練された構図による装飾美と金屏風という豪奢な感覚のバランスが素晴らしい。
江戸琳派 -粋と諧謔の精神-
江戸琳派は抱一と其一。抱一得意の「十二ヶ月花鳥図」を思わせる「檜に啄木鳥・紅梅に鴛鴦図」や草花の生命力を感じさせる「芙蓉秋草図屏風」、淡い色彩と丁寧な描写が美しい「桜図」 などどれも素敵なのですが、 ここではやはり風雅な「月に秋草図屏風」がいい。銀による半月は変色していますが、その景色といい、すーっと立つススキや草花の細い線といい、洒脱な趣が抱一らしい。
酒井抱一 「月に秋草図屏風」
江戸時代 文政8年(1825) 岡田美術館蔵
江戸時代 文政8年(1825) 岡田美術館蔵
其一は「名月に秋草図」と「木蓮小禽図」。「名月に秋草図」は左右幅に秋草を配し、中幅に名月という三幅対で、同種の三幅対は抱一やほかの絵師にもありますが、其一のはやはり青や緑といったはっきりとした色の使い方が巧い。ただ、三幅が少し離れて展示されていて、最初は別々の掛軸かと思ってしまいました。もう少しそれぞれを近づけて掛けた方が引き立つ気がします。
「木蓮小禽図」も絶品。どこか西洋画にすら見えてくる写実的かつ濃厚で艶やかな色合いの木蓮が素晴らしい。木蓮の芳醇な香りが漂ってくるようです。どこに鳥が?と思うのですが、下から1/3ぐらいのところにかわいい鳥が。葉に同化していてほとんど分かりません(笑)
鈴木其一 「木蓮小禽図」
江戸時代後期・19世紀中頃 岡田美術館蔵
江戸時代後期・19世紀中頃 岡田美術館蔵
近代の琳派 -さらなる価値づけと発展-
最後に近代。ここでは神坂雪佳、前田青邨、速水御舟、梥本一洋、加山又造の作品を紹介。近代琳派として取り上げられることが多い雪佳、又造は別として、ほかの3人はあまり琳派と繋がらない画家ですが、琳派と関連した画題の作品ということで面白く拝見しました。
どの作品も、それぞれの絵師の作品として代表作に数え上げていいのではないかと思えるほどクオリティが高く、また保存状態も非常に良いのに驚かされました。またいずれ箱根の岡田美術館で拝見できると思いますが、こうして東京の中心で観られたことに感謝したいですね。
【琳派400年記念 RIMPA 岡田美術館所蔵 琳派名品展 ~知られざる名作初公開~】
2015年2月2日(月)まで
日本橋三越本店新館7階ギャラリーにて
「琳派」最速入門: 永遠に新しい、日本のデザイン (和樂ムック)
2015/02/01
パスキン展
パナソニック汐留ミュージアムで開催中の『生誕130年 パスキン展』のWEB内覧会に行ってきました。
エコール・ド・パリを代表する画家、ジュール・パスキン。繊細な輪郭線や、淡く真珠のように柔らかな色合いで描かれた女性や子どもの絵で人気を博し、時代の寵児として持て囃されたものの、その絶頂期に自ら命を絶ちます。
本展はパスキンの生誕130年を記念しての回顧展。日本では16年ぶりの展覧会だそうです。ポンピドゥー・センターやパリ市立近代美術館をはじめ、国内外の美術館から選りすぐりの作品が集められていて、またなかなか観られない個人蔵の作品も多く出品されていました。油彩画や素描など絵画作品約90点、挿絵本や書簡、写真などの資料が33点と充実した展示になっています。
当日は担当学芸員の宮内真理子さんとアートブロガーの『弐代目・青い日記帳』のTakさんのトークを伺いながら、作品を拝見しました。
1:ミュンヘンからパリへ<1903–1905>
エコール・ド・パリというと、祖国を離れ、貧しい生活を送る画家というイメージがありますが、パスキンはブルガリアの裕福な商人の家に生まれ、また早くから成功し、恵まれた生活を送っていたといいます。美術学校在学中の19歳で風刺雑誌と挿絵画家として専属契約を結ぶなど、パスキンには下積み生活がなかったというからスゴイ。
初期の展示作品はいずれも鉛筆や木炭によるデッサンですが、後年にも通じる細やかで的確な描線や繊細な表現力が見て取れます。パスキンは根っからの絵が好きな青年で、友だちと会話しながらもマンガを描くように絵を描いていたとか。そうした即興的な腕前は風刺画家として打ってつけだったのかもしれません。
2:パリ、モンパルナスとモンマルトル<1905–1914>
パスキンは油彩画家としての成功を夢見てパリに向かいます。パスキンは交友関係も広く、パリに着くや否や大勢の仲間に迎え入れられ、一躍人気者になったんだそうです。お金に困らず、女性に困らず、気前が良くて、イケメンで、友だちも多く、コネクションもある。そして絵の才能だってある。ちょっと嫉妬してしまいます。
ちなみにパリに出てくるまでは紆余曲折があり、結局は父に勘当される形で絵の道に進むのですが、本名を語ることも許されなかったそうです。パスキン(Pascin)という名前は本名の“ピンカス(Pincas)”のアナグラムなんですね。
ここでは第一次世界大戦前のパリ時代の作品を展示。油彩の研鑽を積んでいる時期ということもあるのか、後年の作品に比べて、オーソドックスというか、まだぎこちなさの残るところもあります。油絵はほぼ独学で、1920年代まで実際には作品を発表しなかったそうです。作風的にはフォーヴィスムやドイツ表現主義など時代の影響を感じさせます。
3:アメリカ<1914/15–1920>
第一次世界大戦が勃発すると、祖国ブルガリアからの徴兵と、ユダヤ人という出自もあり、逃れるように渡米。冬は寒さ厳しいニューヨークから離れ、アメリカ南部やカリブ海の島で制作活動に励んだといいます。
まだどこか迷いを感じさせるパリ時代の作品に比べ、温暖な気候がそうさせるのか、アメリカ時代の作品は柔らかな線描や温かで豊かな色彩に溢れています。「キューバでの集い」にもパスキンらしい色彩が現れていて、キューバののんびりとした空気と明るい音楽が聴こえてきそうです。
4:狂騒の時代<1920–1930>
6年ぶりに戻ったパリは終戦の開放感から人々の気分が高揚し、自由で享楽的な空気に満ちていました。パスキンが描く対象は女性や少女、また裸体に限られ、色彩のトーンも落ち着いた淡い茶系から、いわゆる真珠母色に統一されていきます。そこはかとなく漂う狂乱の時代のパリの香り。どれもみな享楽的で女性への愛に満ちています。
パスキンは幼い頃から大人の女性にちやほやされて育ち、まだ少年の頃から娼館に出入りしていたという話も。パスキンの描く大人の女性と少女では印象が異なるのも面白い。大人の女性はどちらかというと、モデルと画家の関係というより、もっと近しい存在というか、あけすけにすら見えるのに対し、少女は少し距離があるというか、あくまでも子どもを見る目。バルテュスとは全然違いますね。
会場にはこの時代に描かれた素描や版画なども多く、その題材は『シンデレラ』や『眠れる森の美女』といった童話や、新約聖書や『サロメ』などの物語から取ったものも多く、また街の人々の風景を描いたものなど実に多彩。画風も油彩画とは異なりパスキンの別の一面を覗かせます。パスキンというと、淡い色彩のアンニュイな女性や少女の絵とばかり思いきや、素描に魅力的な作品が多いのも初めて知りました。
最後の部屋は1927年以降の“真珠母色の絵画”を紹介しています。色彩はより淡く柔らかく、輪郭線はあいまいになり、身体や衣装は背景に溶け込み、女性たちの表情はどれもどこか物憂げです。パスキンの愛人リュシーを描いた「テーブルのリュシーの肖像」はその色彩の混ざり合いというか、筆触のにじみ具合が絶妙。夢の中のような、甘く、どこか儚げな空気感を創り上げていて秀逸です。
その中で「ダンス」と「踊る三人の女」は少し異質というか、こういう装飾的な作品も描いていたんですね。マティスの「ダンス」の影響も感じさせ、興味深いものがあります。
最後の部屋はパスキンの部屋をイメージしたそうで、天井には1920年代のパリを思わせるシャンデリアもつけられています。ここではライトも肌の色をキレイに見せる“美光色”というLEDを使っているのだとか。
会場にはパスキン作品のレゾネ(総目録)も置いてあり、自由に見ることができます。
パスキンが亡くなる年の作品もいくつかありました。朦朧としたタッチ、退廃的な雰囲気。うたた寝をしているモデルを描いた「ミレイユ」もどことなく淋しい雰囲気が漂います。パスキンは自分の最期を知っていたのでしょうか。
今までパスキンの代名詞的な色彩や表面的な部分しか知らなかったのですが、本展はいくつかの時代の特徴や油彩以外の作品にもスポットを当て、パスキンの全貌に触れることができます。そして何より、1920年代の絶頂期の作品が充実しているのが嬉しい。オススメの展覧会です。
※展示会場内の画像は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。
【生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子 パスキン展】
会場: パナソニック 汐留ミュージアム
会期: 2015年1月17日(土)~3月29日(日)
開館時間: 10時~18時 ※入館は17時30分まで
休館日: 水曜日(但し2月11日は開館)
モンパルナスのエコール・ド・パリ
エコール・ド・パリを代表する画家、ジュール・パスキン。繊細な輪郭線や、淡く真珠のように柔らかな色合いで描かれた女性や子どもの絵で人気を博し、時代の寵児として持て囃されたものの、その絶頂期に自ら命を絶ちます。
本展はパスキンの生誕130年を記念しての回顧展。日本では16年ぶりの展覧会だそうです。ポンピドゥー・センターやパリ市立近代美術館をはじめ、国内外の美術館から選りすぐりの作品が集められていて、またなかなか観られない個人蔵の作品も多く出品されていました。油彩画や素描など絵画作品約90点、挿絵本や書簡、写真などの資料が33点と充実した展示になっています。
当日は担当学芸員の宮内真理子さんとアートブロガーの『弐代目・青い日記帳』のTakさんのトークを伺いながら、作品を拝見しました。
1:ミュンヘンからパリへ<1903–1905>
エコール・ド・パリというと、祖国を離れ、貧しい生活を送る画家というイメージがありますが、パスキンはブルガリアの裕福な商人の家に生まれ、また早くから成功し、恵まれた生活を送っていたといいます。美術学校在学中の19歳で風刺雑誌と挿絵画家として専属契約を結ぶなど、パスキンには下積み生活がなかったというからスゴイ。
[写真左から] ジュール・パスキン 「室内」 1903年 個人蔵
ジュール・パスキン 「女の肖像」 1903年 個人蔵
ジュール・パスキン 「ミュンヘンの少女」 1903年 パリ市立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「女の肖像」 1903年 個人蔵
ジュール・パスキン 「ミュンヘンの少女」 1903年 パリ市立近代美術館蔵
初期の展示作品はいずれも鉛筆や木炭によるデッサンですが、後年にも通じる細やかで的確な描線や繊細な表現力が見て取れます。パスキンは根っからの絵が好きな青年で、友だちと会話しながらもマンガを描くように絵を描いていたとか。そうした即興的な腕前は風刺画家として打ってつけだったのかもしれません。
2:パリ、モンパルナスとモンマルトル<1905–1914>
パスキンは油彩画家としての成功を夢見てパリに向かいます。パスキンは交友関係も広く、パリに着くや否や大勢の仲間に迎え入れられ、一躍人気者になったんだそうです。お金に困らず、女性に困らず、気前が良くて、イケメンで、友だちも多く、コネクションもある。そして絵の才能だってある。ちょっと嫉妬してしまいます。
ちなみにパリに出てくるまでは紆余曲折があり、結局は父に勘当される形で絵の道に進むのですが、本名を語ることも許されなかったそうです。パスキン(Pascin)という名前は本名の“ピンカス(Pincas)”のアナグラムなんですね。
[写真右から] ジュール・パスキン 「座るイタリア娘」 1912年 パリ市立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「女学生」 1908年 北海道立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「エミーヌ・ダヴィッドの肖像」 1908年 グルノーブル美術館蔵
ジュール・パスキン 「女学生」 1908年 北海道立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「エミーヌ・ダヴィッドの肖像」 1908年 グルノーブル美術館蔵
ここでは第一次世界大戦前のパリ時代の作品を展示。油彩の研鑽を積んでいる時期ということもあるのか、後年の作品に比べて、オーソドックスというか、まだぎこちなさの残るところもあります。油絵はほぼ独学で、1920年代まで実際には作品を発表しなかったそうです。作風的にはフォーヴィスムやドイツ表現主義など時代の影響を感じさせます。
3:アメリカ<1914/15–1920>
第一次世界大戦が勃発すると、祖国ブルガリアからの徴兵と、ユダヤ人という出自もあり、逃れるように渡米。冬は寒さ厳しいニューヨークから離れ、アメリカ南部やカリブ海の島で制作活動に励んだといいます。
[写真左] ジュール・パスキン 「キューバでの集い」
1915/17年 個人蔵
1915/17年 個人蔵
まだどこか迷いを感じさせるパリ時代の作品に比べ、温暖な気候がそうさせるのか、アメリカ時代の作品は柔らかな線描や温かで豊かな色彩に溢れています。「キューバでの集い」にもパスキンらしい色彩が現れていて、キューバののんびりとした空気と明るい音楽が聴こえてきそうです。
4:狂騒の時代<1920–1930>
6年ぶりに戻ったパリは終戦の開放感から人々の気分が高揚し、自由で享楽的な空気に満ちていました。パスキンが描く対象は女性や少女、また裸体に限られ、色彩のトーンも落ち着いた淡い茶系から、いわゆる真珠母色に統一されていきます。そこはかとなく漂う狂乱の時代のパリの香り。どれもみな享楽的で女性への愛に満ちています。
[写真左から] ジュール・パスキン 「ジャネット」
1923/25年 カンブレ―美術館蔵(ルーベ市立美術館に寄託)
ジュール・パスキン 「二人のモデル」 1924年 北海道立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「バラ色の下着姿の座るマルセル」 1923年 パリ市立近代美術館蔵
1923/25年 カンブレ―美術館蔵(ルーベ市立美術館に寄託)
ジュール・パスキン 「二人のモデル」 1924年 北海道立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「バラ色の下着姿の座るマルセル」 1923年 パリ市立近代美術館蔵
[写真左から] ジュール・パスキン 「マンドリンを持つ女」 1926年 ゲレ美術・考古学博物館蔵
ジュール・パスキン 「幼い女優」 1927年 個人蔵
ジュール・パスキン 「少女-幼い踊り子」 1924年 パリ市立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「幼い女優」 1927年 個人蔵
ジュール・パスキン 「少女-幼い踊り子」 1924年 パリ市立近代美術館蔵
パスキンは幼い頃から大人の女性にちやほやされて育ち、まだ少年の頃から娼館に出入りしていたという話も。パスキンの描く大人の女性と少女では印象が異なるのも面白い。大人の女性はどちらかというと、モデルと画家の関係というより、もっと近しい存在というか、あけすけにすら見えるのに対し、少女は少し距離があるというか、あくまでも子どもを見る目。バルテュスとは全然違いますね。
会場にはこの時代に描かれた素描や版画なども多く、その題材は『シンデレラ』や『眠れる森の美女』といった童話や、新約聖書や『サロメ』などの物語から取ったものも多く、また街の人々の風景を描いたものなど実に多彩。画風も油彩画とは異なりパスキンの別の一面を覗かせます。パスキンというと、淡い色彩のアンニュイな女性や少女の絵とばかり思いきや、素描に魅力的な作品が多いのも初めて知りました。
[写真左から] ジュール・パスキン 「テーブルのリュシーの肖像」 1928年 個人蔵
ジュール・パスキン 「黒い髪のエリアーヌ」 1927/29年 ポンピドゥー・センター蔵
ジュール・パスキン 「ジナとルネ」 1928年 北海道立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「黒い髪のエリアーヌ」 1927/29年 ポンピドゥー・センター蔵
ジュール・パスキン 「ジナとルネ」 1928年 北海道立近代美術館蔵
最後の部屋は1927年以降の“真珠母色の絵画”を紹介しています。色彩はより淡く柔らかく、輪郭線はあいまいになり、身体や衣装は背景に溶け込み、女性たちの表情はどれもどこか物憂げです。パスキンの愛人リュシーを描いた「テーブルのリュシーの肖像」はその色彩の混ざり合いというか、筆触のにじみ具合が絶妙。夢の中のような、甘く、どこか儚げな空気感を創り上げていて秀逸です。
[写真左] ジュール・パスキン 「踊る三人の女」 1925年 個人蔵
[写真右] ジュール・パスキン 「ダンス」 1925年 アクティス・ギャラリー(ロンドン)蔵
[写真右] ジュール・パスキン 「ダンス」 1925年 アクティス・ギャラリー(ロンドン)蔵
その中で「ダンス」と「踊る三人の女」は少し異質というか、こういう装飾的な作品も描いていたんですね。マティスの「ダンス」の影響も感じさせ、興味深いものがあります。
最後の部屋はパスキンの部屋をイメージしたそうで、天井には1920年代のパリを思わせるシャンデリアもつけられています。ここではライトも肌の色をキレイに見せる“美光色”というLEDを使っているのだとか。
会場にはパスキン作品のレゾネ(総目録)も置いてあり、自由に見ることができます。
[写真右] ジュール・パスキン 「三人の裸婦」
1930年 北海道立近代美術館蔵
1930年 北海道立近代美術館蔵
パスキンが亡くなる年の作品もいくつかありました。朦朧としたタッチ、退廃的な雰囲気。うたた寝をしているモデルを描いた「ミレイユ」もどことなく淋しい雰囲気が漂います。パスキンは自分の最期を知っていたのでしょうか。
[写真左] ジュール・パスキン 「ミレイユ」
1930年 ポンピドゥー・センター蔵
1930年 ポンピドゥー・センター蔵
今までパスキンの代名詞的な色彩や表面的な部分しか知らなかったのですが、本展はいくつかの時代の特徴や油彩以外の作品にもスポットを当て、パスキンの全貌に触れることができます。そして何より、1920年代の絶頂期の作品が充実しているのが嬉しい。オススメの展覧会です。
※展示会場内の画像は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。
【生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子 パスキン展】
会場: パナソニック 汐留ミュージアム
会期: 2015年1月17日(土)~3月29日(日)
開館時間: 10時~18時 ※入館は17時30分まで
休館日: 水曜日(但し2月11日は開館)
モンパルナスのエコール・ド・パリ