エコール・ド・パリを代表する画家、ジュール・パスキン。繊細な輪郭線や、淡く真珠のように柔らかな色合いで描かれた女性や子どもの絵で人気を博し、時代の寵児として持て囃されたものの、その絶頂期に自ら命を絶ちます。
本展はパスキンの生誕130年を記念しての回顧展。日本では16年ぶりの展覧会だそうです。ポンピドゥー・センターやパリ市立近代美術館をはじめ、国内外の美術館から選りすぐりの作品が集められていて、またなかなか観られない個人蔵の作品も多く出品されていました。油彩画や素描など絵画作品約90点、挿絵本や書簡、写真などの資料が33点と充実した展示になっています。
当日は担当学芸員の宮内真理子さんとアートブロガーの『弐代目・青い日記帳』のTakさんのトークを伺いながら、作品を拝見しました。
1:ミュンヘンからパリへ<1903–1905>
エコール・ド・パリというと、祖国を離れ、貧しい生活を送る画家というイメージがありますが、パスキンはブルガリアの裕福な商人の家に生まれ、また早くから成功し、恵まれた生活を送っていたといいます。美術学校在学中の19歳で風刺雑誌と挿絵画家として専属契約を結ぶなど、パスキンには下積み生活がなかったというからスゴイ。
[写真左から] ジュール・パスキン 「室内」 1903年 個人蔵
ジュール・パスキン 「女の肖像」 1903年 個人蔵
ジュール・パスキン 「ミュンヘンの少女」 1903年 パリ市立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「女の肖像」 1903年 個人蔵
ジュール・パスキン 「ミュンヘンの少女」 1903年 パリ市立近代美術館蔵
初期の展示作品はいずれも鉛筆や木炭によるデッサンですが、後年にも通じる細やかで的確な描線や繊細な表現力が見て取れます。パスキンは根っからの絵が好きな青年で、友だちと会話しながらもマンガを描くように絵を描いていたとか。そうした即興的な腕前は風刺画家として打ってつけだったのかもしれません。
2:パリ、モンパルナスとモンマルトル<1905–1914>
パスキンは油彩画家としての成功を夢見てパリに向かいます。パスキンは交友関係も広く、パリに着くや否や大勢の仲間に迎え入れられ、一躍人気者になったんだそうです。お金に困らず、女性に困らず、気前が良くて、イケメンで、友だちも多く、コネクションもある。そして絵の才能だってある。ちょっと嫉妬してしまいます。
ちなみにパリに出てくるまでは紆余曲折があり、結局は父に勘当される形で絵の道に進むのですが、本名を語ることも許されなかったそうです。パスキン(Pascin)という名前は本名の“ピンカス(Pincas)”のアナグラムなんですね。
[写真右から] ジュール・パスキン 「座るイタリア娘」 1912年 パリ市立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「女学生」 1908年 北海道立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「エミーヌ・ダヴィッドの肖像」 1908年 グルノーブル美術館蔵
ジュール・パスキン 「女学生」 1908年 北海道立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「エミーヌ・ダヴィッドの肖像」 1908年 グルノーブル美術館蔵
ここでは第一次世界大戦前のパリ時代の作品を展示。油彩の研鑽を積んでいる時期ということもあるのか、後年の作品に比べて、オーソドックスというか、まだぎこちなさの残るところもあります。油絵はほぼ独学で、1920年代まで実際には作品を発表しなかったそうです。作風的にはフォーヴィスムやドイツ表現主義など時代の影響を感じさせます。
3:アメリカ<1914/15–1920>
第一次世界大戦が勃発すると、祖国ブルガリアからの徴兵と、ユダヤ人という出自もあり、逃れるように渡米。冬は寒さ厳しいニューヨークから離れ、アメリカ南部やカリブ海の島で制作活動に励んだといいます。
[写真左] ジュール・パスキン 「キューバでの集い」
1915/17年 個人蔵
1915/17年 個人蔵
まだどこか迷いを感じさせるパリ時代の作品に比べ、温暖な気候がそうさせるのか、アメリカ時代の作品は柔らかな線描や温かで豊かな色彩に溢れています。「キューバでの集い」にもパスキンらしい色彩が現れていて、キューバののんびりとした空気と明るい音楽が聴こえてきそうです。
4:狂騒の時代<1920–1930>
6年ぶりに戻ったパリは終戦の開放感から人々の気分が高揚し、自由で享楽的な空気に満ちていました。パスキンが描く対象は女性や少女、また裸体に限られ、色彩のトーンも落ち着いた淡い茶系から、いわゆる真珠母色に統一されていきます。そこはかとなく漂う狂乱の時代のパリの香り。どれもみな享楽的で女性への愛に満ちています。
[写真左から] ジュール・パスキン 「ジャネット」
1923/25年 カンブレ―美術館蔵(ルーベ市立美術館に寄託)
ジュール・パスキン 「二人のモデル」 1924年 北海道立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「バラ色の下着姿の座るマルセル」 1923年 パリ市立近代美術館蔵
1923/25年 カンブレ―美術館蔵(ルーベ市立美術館に寄託)
ジュール・パスキン 「二人のモデル」 1924年 北海道立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「バラ色の下着姿の座るマルセル」 1923年 パリ市立近代美術館蔵
[写真左から] ジュール・パスキン 「マンドリンを持つ女」 1926年 ゲレ美術・考古学博物館蔵
ジュール・パスキン 「幼い女優」 1927年 個人蔵
ジュール・パスキン 「少女-幼い踊り子」 1924年 パリ市立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「幼い女優」 1927年 個人蔵
ジュール・パスキン 「少女-幼い踊り子」 1924年 パリ市立近代美術館蔵
パスキンは幼い頃から大人の女性にちやほやされて育ち、まだ少年の頃から娼館に出入りしていたという話も。パスキンの描く大人の女性と少女では印象が異なるのも面白い。大人の女性はどちらかというと、モデルと画家の関係というより、もっと近しい存在というか、あけすけにすら見えるのに対し、少女は少し距離があるというか、あくまでも子どもを見る目。バルテュスとは全然違いますね。
会場にはこの時代に描かれた素描や版画なども多く、その題材は『シンデレラ』や『眠れる森の美女』といった童話や、新約聖書や『サロメ』などの物語から取ったものも多く、また街の人々の風景を描いたものなど実に多彩。画風も油彩画とは異なりパスキンの別の一面を覗かせます。パスキンというと、淡い色彩のアンニュイな女性や少女の絵とばかり思いきや、素描に魅力的な作品が多いのも初めて知りました。
[写真左から] ジュール・パスキン 「テーブルのリュシーの肖像」 1928年 個人蔵
ジュール・パスキン 「黒い髪のエリアーヌ」 1927/29年 ポンピドゥー・センター蔵
ジュール・パスキン 「ジナとルネ」 1928年 北海道立近代美術館蔵
ジュール・パスキン 「黒い髪のエリアーヌ」 1927/29年 ポンピドゥー・センター蔵
ジュール・パスキン 「ジナとルネ」 1928年 北海道立近代美術館蔵
最後の部屋は1927年以降の“真珠母色の絵画”を紹介しています。色彩はより淡く柔らかく、輪郭線はあいまいになり、身体や衣装は背景に溶け込み、女性たちの表情はどれもどこか物憂げです。パスキンの愛人リュシーを描いた「テーブルのリュシーの肖像」はその色彩の混ざり合いというか、筆触のにじみ具合が絶妙。夢の中のような、甘く、どこか儚げな空気感を創り上げていて秀逸です。
[写真左] ジュール・パスキン 「踊る三人の女」 1925年 個人蔵
[写真右] ジュール・パスキン 「ダンス」 1925年 アクティス・ギャラリー(ロンドン)蔵
[写真右] ジュール・パスキン 「ダンス」 1925年 アクティス・ギャラリー(ロンドン)蔵
その中で「ダンス」と「踊る三人の女」は少し異質というか、こういう装飾的な作品も描いていたんですね。マティスの「ダンス」の影響も感じさせ、興味深いものがあります。
最後の部屋はパスキンの部屋をイメージしたそうで、天井には1920年代のパリを思わせるシャンデリアもつけられています。ここではライトも肌の色をキレイに見せる“美光色”というLEDを使っているのだとか。
会場にはパスキン作品のレゾネ(総目録)も置いてあり、自由に見ることができます。
[写真右] ジュール・パスキン 「三人の裸婦」
1930年 北海道立近代美術館蔵
1930年 北海道立近代美術館蔵
パスキンが亡くなる年の作品もいくつかありました。朦朧としたタッチ、退廃的な雰囲気。うたた寝をしているモデルを描いた「ミレイユ」もどことなく淋しい雰囲気が漂います。パスキンは自分の最期を知っていたのでしょうか。
[写真左] ジュール・パスキン 「ミレイユ」
1930年 ポンピドゥー・センター蔵
1930年 ポンピドゥー・センター蔵
今までパスキンの代名詞的な色彩や表面的な部分しか知らなかったのですが、本展はいくつかの時代の特徴や油彩以外の作品にもスポットを当て、パスキンの全貌に触れることができます。そして何より、1920年代の絶頂期の作品が充実しているのが嬉しい。オススメの展覧会です。
※展示会場内の画像は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。
【生誕130年 エコール・ド・パリの貴公子 パスキン展】
会場: パナソニック 汐留ミュージアム
会期: 2015年1月17日(土)~3月29日(日)
開館時間: 10時~18時 ※入館は17時30分まで
休館日: 水曜日(但し2月11日は開館)
モンパルナスのエコール・ド・パリ
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