2015/05/31
地獄のオルフェウス
Bunkamura シアターコクーンで『地獄のオルフェウス』を観てきました。
暴力、人種差別、因襲、閉鎖的な土地…。テネシー・ウィリアムズのキーワードがこれでもかというぐらいに散りばめられています。イギリスの若き新進気鋭の演出家が演出したとのことですが、演出は割と忠実に原作(一部改変してるところもある)の重苦しい世界を再現しています。変にエキセントリックになり過ぎず、それでいて気違いじみたおぞましい土地の空気と暴力に踏みにじられていく若者の姿がしっかり描き出されていたと思います。ただ原作の南部の根深い因襲やドロドロした人間関係が、映画版(『蛇皮の服を着た男』)ほど感じられなかった気もします。もっと生々しくても良かったんじゃないかと。
癌に侵された夫に代わって雑貨店を切り盛りするレイディは、“買われた”ように結婚した年の離れた夫と愛のない生活を送り、人生に疲れきっています。そこに突然現れた一人の若い男。閉塞的な生活で常にイライラしていた彼女に色気が戻ってくる、その様を大竹しのぶが実に的確に演じていたなと感じました。自由の魂の象徴である若者ヴァル役の三浦春馬は頑張っているし悪くはないんですが、“蛇皮の服を着た男”を演じるには線が細すぎ。色男としては通っても、南部の男というイメージがせず、テネシー・ウィリアムズ劇の匂いがしません。
精神がイカれた色情狂のキャロルを演じる水川あさみが怪演。現実離れした絵を描く保安官の妻ヴィー役の三田和代もさすがに上手いのですが、ヴィーとヴァルの関係がまるで母と子のようで、原作の不貞に近い関係が見えません。
この日は東京公演の千秋楽だったので、カーテンコールでは主役2人の挨拶も。演出のフィリップ・ブリーンはすでにイギリスにいて、この場にはいませんでしたが、Skypeで舞台を見ているのだとか。そういう時代なんですね。
テネシー・ウィリアムズ〈2〉地獄のオルフェウス (ハヤカワ演劇文庫)
2015/05/30
海の夫人
新国立劇場でイプセンの『海の夫人』を観てきました。
演出は、2010年新国立劇場で観た同じくイプセンの『ヘッダ・ガーブレル』と同じ宮田慶子。現代の口語調に近い新訳による上演で、演出的な意図でもあるんでしょうが、イプセン劇にしては軽い感じがあります。若手の役者の台詞もアクセントやイントネーションがイマドキの若者の語感で、最初はちょっと違和感がありました。
医師ヴァンゲルと後妻のエリーダの関係と、エリーダと義娘たちとの関係、娘たちと若者2人との関係、そしてエリーダとかつての恋人との関係、そうした関係の中で感情の昂りや気持ちの波が寄せては返し寄せては返しを繰り返します。
エリーダとヴァンゲルのやり取りの合間々々に挿入される若者たちの戯れは、夫婦の深刻で重い空気を振り払うかのような喜劇性があり、まるで北欧の短い夏を謳歌する様にも似て、どこかベルイマンの『夏の夜は三たび微笑む』を思い起こさせもします。最初は戸惑った現代的な言葉のやり取りは、若者たちやこの家族の日常を生き生きとしたものにし、結果それが芝居のいいアクセントになっています。この軽さが逆にイプセンの世界をリアルで身近なものにしていて、これはこれで清新でいいかなと思うようになりました。
幼子を失ってから精神的にも不安定なエリーダを演じる麻実れいはイプセンらしい女主人公を体現していて圧倒的です。死んだと思っていたかつての恋人が生きていることを知り動揺するその姿、そして自分のアイデンティティに気づき自分を見つめ直す姿。その世界にどんどん引き込まれてしまいます。まわりの役者も巧くコントロールされた演技でバランスがとれています。みんなよく役のキャラクターを掴んでいて、とても好ましい演技だと思いました。
自由とはなんなのか。最後のエリーダの台詞に涙ぐむ女性がちらほら。ラストシーンは自分もちょっとぐっときました。
イプセン戯曲選集―現代劇全作品
2015/05/18
ボッティチェリとルネサンス
Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の『ボッティチェリとルネサンス - フィレンツェの富と美』に行ってまいりました(ってもう1ヶ月も前ですが・・・)。
ルネサンス期に活躍した15世紀フィレンツェ派を代表するボッティチェリの作品を中心として展覧会です。美術書などに載ってるようなボッティチェリの代表作というものはないのですが、それでもルネサンスの巨匠の第一級の傑作の数々を観られるというまたとないチャンス。
出品作約80点の内、絵画が約50点。17点のボッティチェリの作品(工房含む)を中心に同時代のフィレンツェで活躍したルネサンス期の作品が揃っています。
展示は、メディチ家とボッティチェリの関係と時代背景を絡めつつ絵画を見せる構成でちょっとした歴史の勉強。メディチ家の繁栄とボッティチェリの活躍は切っても切れない関係にあって、これはボッティチェリに限らず当時のフィレンツェの芸術家には多少なりとも共通するところがありますが、そのあたりが丁寧に説明されています。
会場の構成は以下のとおりです。
序章 富の源泉 フィオリーノ金貨
第1章 ボッティチェリの時代のフィレンツ - 繁栄する金融業と商業
第2章 旅と交易 拡大する世界
第3章 富めるフィレンツェ
第4章 フィレンツェにおける愛と結婚
第5章 銀行家と芸術家
第6章 メディチ家の凋落とボッティチェリの変容
当時の高利貸しや両替商を描いた作品があって、これがまた不正でも働いているんじゃないだろうかという典型的な金に貪欲そうな顔。今も昔もこの手の人たちのイメージというのは変わらないんだなというのが可笑しいですね。実際には中世のキリスト教の世界ではお金を貸す際に利子を取ることは禁じられていて、メディチ家は抜け道を使って巨万の富を得たともいいます。
当時の歴史を振り返る史料に交じって、初期ルネサンスの絵画も展示されています。中でもフラ・アンジェリコの「聖母マリアの結婚」と「聖母マリアの埋葬」の二幅のテンペラ画。状態も良く、淡くカラフルな色合いや微妙な陰影など大変美しく、見惚れてしまいました。
他にも洗練された細工が施された美しい鏡や櫛、 色鮮やかで細密な絵が素晴らしいカッソーネ(婚礼用の長持ち)など、当時の貴重な工芸品も展示されています。
ボッティチェリで最初に登場するのが初期の頃の作品という「ケルビムを伴う聖母子」。師のフィリッポ・リッピの影響が残っているといいます。額縁の金色の丸は金貨の模様なのだとか。
会場のちょうど真ん中にある広いスペースはすべてボッティチェリ。正面に大きな「受胎告知」があり、それを取り囲むようにボッティチェリの作品が展示されています。ウフィツィの「受胎告知」は横5.5mもある大作で、施療院への奉納画と考えられているそうです。医学が発達していない中世の、病院という場での神への祈りがあったのかもしれません。
ボッティチェリは聖母子像が多く、やはりその美しさと完成度の高さに驚きます。宗教画の場合、描かれるイメージも構図もある程度決まりごとがあったりしますが、この卓越した表現力と天性のセンス。とりわけ「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」の美しさといったらなんでしょう。マリアの優美な表情や、バラを効果的に使った画面構成と鮮やかな色彩の配置の巧みさ。そして得も言われぬ気品。素晴らしい。
「キリストの降誕」も興味の尽きない一枚。幼子イエスを、ヨセフ、マリア、幼いヨハネが礼拝している図で、横には羊飼いがいたり、遠くには天使や東方三博士も描かれています。ほかにも、ボッティチェリの傑作「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスだけを描いた作品など。その美しさにただただため息。
ボッティチェリ以外の作品では、構図が「モナリザ」を彷彿とさせるロレンツォ・ディ・クレディの「ジャスミンの貴婦人」や、ボッティチェリの「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」と同じ柄の丸い額物を使っていたフランチェスコ・ボッティチーニの「幼子イエスを礼拝する聖母」、華やかな色彩と豊かな表情の工房作の「聖母子と6人の天使」が印象に残りました。
来年は東京都美術館で『ボッティチェリ展』があると聞きます。今度はどんな作品が観られるのでしょうか。来年も楽しみです。
【ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美】
平成27年6月28日(日)まで
Bunkamura ザ・ミュージアムにて
ボッティチェリとリッピ (イラストで読む「芸術家列伝」)
ルネサンス期に活躍した15世紀フィレンツェ派を代表するボッティチェリの作品を中心として展覧会です。美術書などに載ってるようなボッティチェリの代表作というものはないのですが、それでもルネサンスの巨匠の第一級の傑作の数々を観られるというまたとないチャンス。
出品作約80点の内、絵画が約50点。17点のボッティチェリの作品(工房含む)を中心に同時代のフィレンツェで活躍したルネサンス期の作品が揃っています。
展示は、メディチ家とボッティチェリの関係と時代背景を絡めつつ絵画を見せる構成でちょっとした歴史の勉強。メディチ家の繁栄とボッティチェリの活躍は切っても切れない関係にあって、これはボッティチェリに限らず当時のフィレンツェの芸術家には多少なりとも共通するところがありますが、そのあたりが丁寧に説明されています。
会場の構成は以下のとおりです。
序章 富の源泉 フィオリーノ金貨
第1章 ボッティチェリの時代のフィレンツ - 繁栄する金融業と商業
第2章 旅と交易 拡大する世界
第3章 富めるフィレンツェ
第4章 フィレンツェにおける愛と結婚
第5章 銀行家と芸術家
第6章 メディチ家の凋落とボッティチェリの変容
マリヌス・ファン・レイメルスヴァーレに基づく模写 「高利貸し」
1540年頃 スティッベルト博物館蔵
1540年頃 スティッベルト博物館蔵
当時の高利貸しや両替商を描いた作品があって、これがまた不正でも働いているんじゃないだろうかという典型的な金に貪欲そうな顔。今も昔もこの手の人たちのイメージというのは変わらないんだなというのが可笑しいですね。実際には中世のキリスト教の世界ではお金を貸す際に利子を取ることは禁じられていて、メディチ家は抜け道を使って巨万の富を得たともいいます。
フラ・アンジェリコ 「聖母マリアの結婚」
1432-1435年 サン・マルコ博物館蔵
1432-1435年 サン・マルコ博物館蔵
当時の歴史を振り返る史料に交じって、初期ルネサンスの絵画も展示されています。中でもフラ・アンジェリコの「聖母マリアの結婚」と「聖母マリアの埋葬」の二幅のテンペラ画。状態も良く、淡くカラフルな色合いや微妙な陰影など大変美しく、見惚れてしまいました。
他にも洗練された細工が施された美しい鏡や櫛、 色鮮やかで細密な絵が素晴らしいカッソーネ(婚礼用の長持ち)など、当時の貴重な工芸品も展示されています。
サンドロ・ボッティチェリ 「ケルビムを伴う聖母子」
1470年頃 ウフィツィ美術館蔵
1470年頃 ウフィツィ美術館蔵
ボッティチェリで最初に登場するのが初期の頃の作品という「ケルビムを伴う聖母子」。師のフィリッポ・リッピの影響が残っているといいます。額縁の金色の丸は金貨の模様なのだとか。
サンドロ・ボッティチェリ 「受胎告知」
1481年 ウフィツィ美術館蔵
1481年 ウフィツィ美術館蔵
会場のちょうど真ん中にある広いスペースはすべてボッティチェリ。正面に大きな「受胎告知」があり、それを取り囲むようにボッティチェリの作品が展示されています。ウフィツィの「受胎告知」は横5.5mもある大作で、施療院への奉納画と考えられているそうです。医学が発達していない中世の、病院という場での神への祈りがあったのかもしれません。
サンドロ・ボッティチェリ 「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」
1477-1480年頃 ピアチェンツァ市立博物館蔵 (展示は5/6まで)
1477-1480年頃 ピアチェンツァ市立博物館蔵 (展示は5/6まで)
ボッティチェリは聖母子像が多く、やはりその美しさと完成度の高さに驚きます。宗教画の場合、描かれるイメージも構図もある程度決まりごとがあったりしますが、この卓越した表現力と天性のセンス。とりわけ「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」の美しさといったらなんでしょう。マリアの優美な表情や、バラを効果的に使った画面構成と鮮やかな色彩の配置の巧みさ。そして得も言われぬ気品。素晴らしい。
サンドロ・ボッティチェリ 「キリストの降誕」
1473-1475年頃 コロンビア美術館蔵
1473-1475年頃 コロンビア美術館蔵
「キリストの降誕」も興味の尽きない一枚。幼子イエスを、ヨセフ、マリア、幼いヨハネが礼拝している図で、横には羊飼いがいたり、遠くには天使や東方三博士も描かれています。ほかにも、ボッティチェリの傑作「ヴィーナスの誕生」のヴィーナスだけを描いた作品など。その美しさにただただため息。
サンドロ・ボッティチェリ(工房) 「ヴィーナス」
1482年頃 サバウダ美術館蔵
1482年頃 サバウダ美術館蔵
ボッティチェリ以外の作品では、構図が「モナリザ」を彷彿とさせるロレンツォ・ディ・クレディの「ジャスミンの貴婦人」や、ボッティチェリの「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」と同じ柄の丸い額物を使っていたフランチェスコ・ボッティチーニの「幼子イエスを礼拝する聖母」、華やかな色彩と豊かな表情の工房作の「聖母子と6人の天使」が印象に残りました。
ボッティチェリと工房 「聖母子と6人の天使」
1500年頃 コルシシーニ美術館蔵
1500年頃 コルシシーニ美術館蔵
来年は東京都美術館で『ボッティチェリ展』があると聞きます。今度はどんな作品が観られるのでしょうか。来年も楽しみです。
【ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美】
平成27年6月28日(日)まで
Bunkamura ザ・ミュージアムにて
ボッティチェリとリッピ (イラストで読む「芸術家列伝」)
2015/05/17
小林清親展
練馬区立美術館で開催の『没後100年 小林清親展 文明開化の光と影をみつめて』に行ってきました。
もう少し早めに行きたかったのですが、ゴールデンウィークにも行けずじまい。結局最終日になってしまいましたが、ようやく駆け込みで拝見してまいりました。
小林清親というと“最後の浮世絵師”とよくいわれ、自分もその程度の認識でしかなかったのですが、同じ明治に活躍した月岡芳年や豊原国周、楊洲周延といった浮世絵師とはかなり趣が違うので、ずっと気になる存在ではありました。
第一章 光線画
小林清親の浮世絵(木版画)といえば“光線画”。文明開化で変わる都市景観や風俗を、光や影を効果的に用いた表現方法で描きだした(当時としては)新感覚の木版画です。
清親の木版画は新版画の展覧会などでもよく見かけますし、光線画自体もどんなものなのかは知ってはいましたが、やはりこれだけ作品が揃うと、さまざまな表現や技術も見られ、また比較もできて非常に興味深いものがあります。
会場は≪橋≫や≪街≫、≪夜≫、≪水≫などのテーマに分け、それぞれに近代化の象徴である蒸気機関車や電線、また橋のある風景や街の明かりなどを描いた作品を展示しています。光の調子や影の付け方で、季節や時間、また天候といった微妙な加減が表現されていたり、それまでの浮世絵では描かれてこなかった夜や水の表情が豊かだったり、清親の鋭い観察眼と、それを絵にする繊細で巧みな表現力に感嘆します。
花火が上がって一瞬昼間のように明るくなる様子を描いた「両国花火之図」や、ガス燈や提灯、建物の窓から漏れる灯りだけを描き、通りを行き交う人々をシルエットで描いた「日本橋夜」など、アイディアですね。
技術的にもレベル高い作品が多く、特に「梅若神社」は背景を薄墨の線で色版を白抜きの線で表現していて、太さや位置がずれないよう慎重に摺り重ねる必要があるのだとか。よく見るとどれだけ手の込んだ作品なのかが分かります。
ほかにも、画面をコーティングしテラテラした光沢をつける“ニス引き”や、西洋の銅版画の手法を真似て川面に反射する夕陽を横線で描いた作品など、とても研究熱心な方だったんでしょうね。
江戸の面影を残す名所を描いた「武蔵百景」のシリーズもいくつかあって、近代化していく景色を描いたそれまでの画風とも異なり、時代が求めていなかったのか、不評で途中で版行中止になったとありました。個人的には好きな絵だったんですけどね。
清親の有名なエピソードに、近くで火事が起きたのでスケッチ帖を片手に飛び出し、翌朝家に戻ったら家が灰になっていたというのがありますが、そのときの火事(両国の大火)を描いた作品も出ています。
清親の代表作「猫と提灯」ももちろん出品されていました。初めてこの絵を見たときは木版画だと気づかなかったくらい、猫の毛の質感や提灯の色の感じがとても繊細なのですが、35度摺りという驚異的な数の版でできているのだそうです。会場には版木や順序摺りの見本が展示されていました。
第二章 風刺画・戦争画
清親はあるときパタリと光線画をやめ、当時の風刺雑誌に“清親ぽんち”と呼ばれる風刺画を描くようになります。これもまた評判を呼び、清親が漫画を描きだしてから誌面が楽しいと言われたのだとか。その絵はかなりデフォルメされ、時に滑稽に時にグロテスクに、恐らく皮肉を利かせて描かれていて、西洋の風刺雑誌の絵をかなり参考にしたんだろうなと思わせます。
ほかにも国芳ばりの戯画や、日清、日露戦争を題材にした戦争画などもあり。戦争画は大判三枚続など大画面を活かしてドラマティックに描いたといいます。
第三章 肉筆画・スケッチ
肉筆画は2階と1階に。清親の肉筆画を観た記憶はないので、たぶん初めてなんじゃないかと思うのですが、また別の魅力が見られてとても興味深いです。清親の木版画は淡彩の柔らかい色調と繊細な表現でまるで水彩画を思わせるようなところがありますが、彼の水彩画はそのイメージのままで、共通するものを感じます。
日本で水彩絵具が発売されたのが明治12年頃だそうで、清親は早い時期から水彩の技術を習得。水彩画家としても先駆的な存在だったんですね。会場には清親のスケッチ帖もあって、水彩絵具で着色されたものもあったりします。
ほかにも大胆なな筆さばきの「象図」や日本の神話を描いた「神代の国」、滑稽な味わいの「左甚五郎図」、軽妙な筆致の軸物など、非常に幅の広い作品が観られます。極めつけは六曲一双の「川中島合戦図屏風」。人物の表情や動きが絶妙でとても面白い。どこか野口哲哉や山口晃の作品を思わすような妙な魅力がありました。今回公開はされていませんが、屏風の裏は水墨の龍虎図になってるそうで、これがまたいい。これも観てみたかった。
小林清親という人は絵は上手いし、ユーモアも抜群だし、何でもこなしてしまう器用さがあったんだろうなと思います。前期を観に行けなかったのがつくづく残念。とても充実した展覧会でした。
【没後100年 小林清親展 文明開化の光と影をみつめて】
2015年5月17日(日)まで
練馬区立美術館にて
小林清親 文明開化の光と影
もう少し早めに行きたかったのですが、ゴールデンウィークにも行けずじまい。結局最終日になってしまいましたが、ようやく駆け込みで拝見してまいりました。
小林清親というと“最後の浮世絵師”とよくいわれ、自分もその程度の認識でしかなかったのですが、同じ明治に活躍した月岡芳年や豊原国周、楊洲周延といった浮世絵師とはかなり趣が違うので、ずっと気になる存在ではありました。
第一章 光線画
小林清親の浮世絵(木版画)といえば“光線画”。文明開化で変わる都市景観や風俗を、光や影を効果的に用いた表現方法で描きだした(当時としては)新感覚の木版画です。
清親の木版画は新版画の展覧会などでもよく見かけますし、光線画自体もどんなものなのかは知ってはいましたが、やはりこれだけ作品が揃うと、さまざまな表現や技術も見られ、また比較もできて非常に興味深いものがあります。
小林清親 「高輪牛町朧月景」 明治12年(1879)
小林清親 「駿河町雪」 明治12年(1879)頃
会場は≪橋≫や≪街≫、≪夜≫、≪水≫などのテーマに分け、それぞれに近代化の象徴である蒸気機関車や電線、また橋のある風景や街の明かりなどを描いた作品を展示しています。光の調子や影の付け方で、季節や時間、また天候といった微妙な加減が表現されていたり、それまでの浮世絵では描かれてこなかった夜や水の表情が豊かだったり、清親の鋭い観察眼と、それを絵にする繊細で巧みな表現力に感嘆します。
小林清親 「両国花火之図」 明治13年(1880)
小林清親 「日本橋夜」 明治14年(1881)頃
花火が上がって一瞬昼間のように明るくなる様子を描いた「両国花火之図」や、ガス燈や提灯、建物の窓から漏れる灯りだけを描き、通りを行き交う人々をシルエットで描いた「日本橋夜」など、アイディアですね。
技術的にもレベル高い作品が多く、特に「梅若神社」は背景を薄墨の線で色版を白抜きの線で表現していて、太さや位置がずれないよう慎重に摺り重ねる必要があるのだとか。よく見るとどれだけ手の込んだ作品なのかが分かります。
ほかにも、画面をコーティングしテラテラした光沢をつける“ニス引き”や、西洋の銅版画の手法を真似て川面に反射する夕陽を横線で描いた作品など、とても研究熱心な方だったんでしょうね。
小林清親 「梅若神社」 明治12-14年(1879-81)頃
江戸の面影を残す名所を描いた「武蔵百景」のシリーズもいくつかあって、近代化していく景色を描いたそれまでの画風とも異なり、時代が求めていなかったのか、不評で途中で版行中止になったとありました。個人的には好きな絵だったんですけどね。
清親の有名なエピソードに、近くで火事が起きたのでスケッチ帖を片手に飛び出し、翌朝家に戻ったら家が灰になっていたというのがありますが、そのときの火事(両国の大火)を描いた作品も出ています。
小林清親 「猫と提灯」 明治10年(1877)
清親の代表作「猫と提灯」ももちろん出品されていました。初めてこの絵を見たときは木版画だと気づかなかったくらい、猫の毛の質感や提灯の色の感じがとても繊細なのですが、35度摺りという驚異的な数の版でできているのだそうです。会場には版木や順序摺りの見本が展示されていました。
第二章 風刺画・戦争画
清親はあるときパタリと光線画をやめ、当時の風刺雑誌に“清親ぽんち”と呼ばれる風刺画を描くようになります。これもまた評判を呼び、清親が漫画を描きだしてから誌面が楽しいと言われたのだとか。その絵はかなりデフォルメされ、時に滑稽に時にグロテスクに、恐らく皮肉を利かせて描かれていて、西洋の風刺雑誌の絵をかなり参考にしたんだろうなと思わせます。
ほかにも国芳ばりの戯画や、日清、日露戦争を題材にした戦争画などもあり。戦争画は大判三枚続など大画面を活かしてドラマティックに描いたといいます。
小林清親 「壱人六面相 可笑くも何ともないハ」 明治17年(1884)
第三章 肉筆画・スケッチ
肉筆画は2階と1階に。清親の肉筆画を観た記憶はないので、たぶん初めてなんじゃないかと思うのですが、また別の魅力が見られてとても興味深いです。清親の木版画は淡彩の柔らかい色調と繊細な表現でまるで水彩画を思わせるようなところがありますが、彼の水彩画はそのイメージのままで、共通するものを感じます。
日本で水彩絵具が発売されたのが明治12年頃だそうで、清親は早い時期から水彩の技術を習得。水彩画家としても先駆的な存在だったんですね。会場には清親のスケッチ帖もあって、水彩絵具で着色されたものもあったりします。
小林清親 「川中島合戦図屏風」
明治43年(1910) 静岡県立美術館蔵
明治43年(1910) 静岡県立美術館蔵
ほかにも大胆なな筆さばきの「象図」や日本の神話を描いた「神代の国」、滑稽な味わいの「左甚五郎図」、軽妙な筆致の軸物など、非常に幅の広い作品が観られます。極めつけは六曲一双の「川中島合戦図屏風」。人物の表情や動きが絶妙でとても面白い。どこか野口哲哉や山口晃の作品を思わすような妙な魅力がありました。今回公開はされていませんが、屏風の裏は水墨の龍虎図になってるそうで、これがまたいい。これも観てみたかった。
小林清親という人は絵は上手いし、ユーモアも抜群だし、何でもこなしてしまう器用さがあったんだろうなと思います。前期を観に行けなかったのがつくづく残念。とても充実した展覧会でした。
【没後100年 小林清親展 文明開化の光と影をみつめて】
2015年5月17日(日)まで
練馬区立美術館にて
小林清親 文明開化の光と影
2015/05/12
加山又造 アトリエの記憶
八王子市夢美術館で開催中の『加山又造 アトリエの記憶』を観てきました。
本展は、家族から寄贈された素描や制作資料などを含む、多摩美術大学の所蔵作品を中心に、2005年から2008年にかけて3回にわたり同大学美術館で開催された展覧会のダイジェスト的な企画展。多摩美といえば加山又造が長年教鞭をとった大学。版画作品を中心とした同大の研究成果を踏まえて作品が紹介されています。
加山又造 アトリエの記憶
20~30代の頃の作品を紹介。加山又造の初期の作品には動物が描かれたものをよく見掛けますが、銅版画の作品も動物など生き物をモティーフにすることが多かったようです。エッチングの「鹿」や「狼」は線のみで構成されていて、一本一本丁寧に確かめるように線を彫り進めている感じがあります。
銅版画ではありませんが個人的には、雪原にカラスの群れを描いた「鉄塔ノ風景」や網目のように描いた満月が印象的な「闇夜」に惹かれます。
版画家としての加山又造
加山又造の銅版画は80点ほどあって、その内エッチングが40点、メゾチントが40点あるのだそうです。エッチングは防蝕膜を塗った銅版を鉄筆でひっかいて線を描きますが、メゾチントはあらかじめ銅版にロッカーという道具を用いて無数の“まくれ”を作り、それを削ることで描画するという技法。ビロードのような黒の表現に特色があり、“マニエール・ノワール(黒の技法)”と呼ばれるといいます。
メゾチントによる作品は、その黒を背景に玉虫や熱帯魚など鮮やかな色彩の生物や植物を描いているものが多く、この独特の黒のトーンや発色が生み出す世界に熱中していたんだろうなということが伝わってきます。
作品のイメージによって、メゾチント(あるいはビュランやドライポイント)やエッチング(あるいはアクアチント)、またはその組み合わせなどさまざまな技法を用いて版画を制作していたようです。時にそれはとても実験的なもので、その手法や制作過程がパネルで事細かに解説されています。 たとえばエッチングやメゾチントなどを駆使した「蜘蛛と蝶」は蜘蛛の巣の描線に洋裁用のチャコを使っているとか。加山又造の奥さんが洋裁の仕事をしていたので、そこから思いついたようです。
初めて制作したというリトグラフの作品も展示されていました。モノクロ1版のリトグラフで、昆虫を描いたもの。リトクレヨンと溶き墨で描き、アラビアゴムで白抜きして効果を出したといいます。
雪月花をテーマにした3点の銅版画の連作。いかにも加山又造らしい装飾性豊かなデザインで素敵です。
加山の制作活動を代表する裸婦画(リトグラフ)も多くあります。多摩美の学生をモデルにしたとかで、こんな美しい裸婦画に仕立て上げられたら、モデルさんもさぞ本望でしょう。なんとも官能的。
銀地に刷られた作品は光線の角度で表情が変わるそうで、絵を下の方から見ると人物が浮き上がってくる感じがします。MO紙やアルシュ紙、光沢紙、さまざまな紙に刷られたものがありますが、それぞれに感じが違っていて、なるほどなと思います。
加山又造の装丁画
ここでは『棋苑』や『新潮』の表紙の原画11点を展示。いずれも加山が繰り返し描いてきたモティーフや琳派的な画題など、手仕事感が良く分かります。
加山又造の素描
女性や裸婦を描いたものが中心。素描であっても手を抜かない一つの表現として完成されているのは素晴らしい。着彩の水彩画があって、水浅葱地の着物姿の女性が美しい。解説によるとモデルは又造の義娘とかで、義娘の語るエピソードが秀逸。
倣北宋水墨山水雪景
加山は後半生で水墨画の作品を手掛けますが、その代表作の一つ「倣北宋水墨山水雪景」が本展の目玉の一つ。北宋初期の画家・季成の「茂林遠岫図」に倣った作品で、漆黒の闇に浮かび上がる屹立した峰々の渾然と重なりあう姿はただただ圧巻です。近くでよく見ると、枯木の白には胡粉を塗り、またマスキングやコンプレッサーで墨を吹付けたりと、さまざまな手法を用いているのが分かります。水墨画の下絵もあって興味深い。
作品数は決して多くありませんが、加山又造の技巧や実験精神の一端に触れられます。これがたったの500円だなんて。会場となる美術館のすぐそばには、加山の多摩美時代の教え子でもあるユーミンの実家もあります。
【日本画家 加山又造 アトリエの記憶 -水墨画 素描 版画 装丁画-】
2015年6月3日(水)まで
八王子市夢美術館にて
版画芸術 (128) 加山又造の版画魂
本展は、家族から寄贈された素描や制作資料などを含む、多摩美術大学の所蔵作品を中心に、2005年から2008年にかけて3回にわたり同大学美術館で開催された展覧会のダイジェスト的な企画展。多摩美といえば加山又造が長年教鞭をとった大学。版画作品を中心とした同大の研究成果を踏まえて作品が紹介されています。
加山又造 アトリエの記憶
20~30代の頃の作品を紹介。加山又造の初期の作品には動物が描かれたものをよく見掛けますが、銅版画の作品も動物など生き物をモティーフにすることが多かったようです。エッチングの「鹿」や「狼」は線のみで構成されていて、一本一本丁寧に確かめるように線を彫り進めている感じがあります。
銅版画ではありませんが個人的には、雪原にカラスの群れを描いた「鉄塔ノ風景」や網目のように描いた満月が印象的な「闇夜」に惹かれます。
加山又造 「鹿」 1955/1970年
版画家としての加山又造
加山又造の銅版画は80点ほどあって、その内エッチングが40点、メゾチントが40点あるのだそうです。エッチングは防蝕膜を塗った銅版を鉄筆でひっかいて線を描きますが、メゾチントはあらかじめ銅版にロッカーという道具を用いて無数の“まくれ”を作り、それを削ることで描画するという技法。ビロードのような黒の表現に特色があり、“マニエール・ノワール(黒の技法)”と呼ばれるといいます。
メゾチントによる作品は、その黒を背景に玉虫や熱帯魚など鮮やかな色彩の生物や植物を描いているものが多く、この独特の黒のトーンや発色が生み出す世界に熱中していたんだろうなということが伝わってきます。
加山又造 「ほね貝と千鳥」 1972年
作品のイメージによって、メゾチント(あるいはビュランやドライポイント)やエッチング(あるいはアクアチント)、またはその組み合わせなどさまざまな技法を用いて版画を制作していたようです。時にそれはとても実験的なもので、その手法や制作過程がパネルで事細かに解説されています。 たとえばエッチングやメゾチントなどを駆使した「蜘蛛と蝶」は蜘蛛の巣の描線に洋裁用のチャコを使っているとか。加山又造の奥さんが洋裁の仕事をしていたので、そこから思いついたようです。
初めて制作したというリトグラフの作品も展示されていました。モノクロ1版のリトグラフで、昆虫を描いたもの。リトクレヨンと溶き墨で描き、アラビアゴムで白抜きして効果を出したといいます。
加山又造 「花」 1983年
雪月花をテーマにした3点の銅版画の連作。いかにも加山又造らしい装飾性豊かなデザインで素敵です。
加山の制作活動を代表する裸婦画(リトグラフ)も多くあります。多摩美の学生をモデルにしたとかで、こんな美しい裸婦画に仕立て上げられたら、モデルさんもさぞ本望でしょう。なんとも官能的。
銀地に刷られた作品は光線の角度で表情が変わるそうで、絵を下の方から見ると人物が浮き上がってくる感じがします。MO紙やアルシュ紙、光沢紙、さまざまな紙に刷られたものがありますが、それぞれに感じが違っていて、なるほどなと思います。
加山又造 「レースの裸婦」 1978年
加山又造の装丁画
ここでは『棋苑』や『新潮』の表紙の原画11点を展示。いずれも加山が繰り返し描いてきたモティーフや琳派的な画題など、手仕事感が良く分かります。
加山又造 「『新潮』表紙原画 昭和46年3月号表紙原画」
加山又造の素描
女性や裸婦を描いたものが中心。素描であっても手を抜かない一つの表現として完成されているのは素晴らしい。着彩の水彩画があって、水浅葱地の着物姿の女性が美しい。解説によるとモデルは又造の義娘とかで、義娘の語るエピソードが秀逸。
倣北宋水墨山水雪景
加山は後半生で水墨画の作品を手掛けますが、その代表作の一つ「倣北宋水墨山水雪景」が本展の目玉の一つ。北宋初期の画家・季成の「茂林遠岫図」に倣った作品で、漆黒の闇に浮かび上がる屹立した峰々の渾然と重なりあう姿はただただ圧巻です。近くでよく見ると、枯木の白には胡粉を塗り、またマスキングやコンプレッサーで墨を吹付けたりと、さまざまな手法を用いているのが分かります。水墨画の下絵もあって興味深い。
加山又造 「倣北宋水墨山水雪景」1989年
作品数は決して多くありませんが、加山又造の技巧や実験精神の一端に触れられます。これがたったの500円だなんて。会場となる美術館のすぐそばには、加山の多摩美時代の教え子でもあるユーミンの実家もあります。
【日本画家 加山又造 アトリエの記憶 -水墨画 素描 版画 装丁画-】
2015年6月3日(水)まで
八王子市夢美術館にて
版画芸術 (128) 加山又造の版画魂
2015/05/10
細見美術館 琳派のきらめき
日本橋高島屋で開催中の『細見美術館 琳派のきらめき -宗達・光琳・抱一・雪佳-』を観てきました。
琳派400年を記念しての展覧会。琳派の充実したコレクションで定評のある京都の細見美術館の所蔵作品で構成されています。京都、大阪、横浜と主要都市を巡回してきて、東京が最後。
2週間弱という短い会期で、東京ではゴールデンウィークと重なったので、並んでるかなぁ~と思いながら伺いましたが、それほどの混雑でもなく快適に鑑賞できました。宗達、光悦から光琳、抱一、其一、そして雪佳まで網羅されていて、宗達と光琳の間、光琳と抱一の間といった飛ばされがちな時代や門人の作品なども幅広く紹介されています。
琳派誕生-光悦・宗達の美意識-
会場の最初に展示されていたのが「伊年」印の「四季草花図屏風」。撫子や女郎花、菊、牡丹など草花が60種類も描かれているそうで、まるで植物図鑑。草花に交じり野菜が描かれているのも面白い。本展にはさまざまな絵師の草花図があるので、絵師それぞれの個性の違いや琳派の伝統の継承を観ていくという楽しみもあります。
宗達の金銀泥で藤や忍草を描いた下絵に光悦が新古今和歌集の和歌を揮毫した「忍草下絵和歌巻断簡」、大胆な構図と美しい色彩の「伊勢物語図色紙 大淀」、筆さばきが見事な「墨梅図」、じゃれあう白と黒の仔犬が可愛い「双犬図」などどれも素晴らしい。光悦・宗達以外では、落ち着いた風情のある喜多川相説の「秋草花図屏風」が印象的。
花咲く琳派-光琳・乾山と上方の絵師-
光琳は小品ですが3点ほど。「柳図香包」は似た香包が根津美術館の『燕子花と紅白梅』にも展示されていましたね。
ほかに、乾山の皿や筆筒、光琳に師事したという渡辺始興や深江芦舟の作品も。始興の「簾に秋月図」は簾越しに秋草を描いた風情ある作品。芦舟の「立葵図」も水彩画のような淡彩が美しい。
芳中は結構あって、まるっこくて、ゆるくて、かわいいその図様がたまらないですね。昨年の『中村芳中展』のメインヴィジュアルにも使われていた「白梅小禽図屏風」をはじめ、「月に秋鹿図」や「花卉図画帖」など重なるものもいくつか。
新たなる展開-抱一と江戸琳派-
作品点数としてはこのコーナーが一番充実。抱一は琳派作品はもちろん、初期の肉筆浮世絵や水墨画、仏画なども含めなかなかのもの。なかでも光琳の写しとされる「槇に秋草図屏風」は光琳を通り越し宗達を思わせる華麗さと情緒があって素晴らしい。
琳派の展覧会で細美美術館所蔵作品を観ることはままあるので、過去に拝見している作品も多く、「白蓮図」も見覚えがあるなと思って調べたら、出光美術館の『琳派芸術』で観てますね。凛とした佇まいが何とも言えません。
其一の作品は、正に今が季節の「藤花図」や大胆なたらしこみがユニークな「朴に尾長鳥図」、大胆に弧を描いた水辺に写実的な家鴨を配した「水辺家鴨図屏風」、其一らしい意匠性と濃彩の花が美しい「春秋草木図屏風」、双幅の「雪中竹梅小禽図」などどれも其一の個性やセンスを感じます。抱一が賛を寄せた其一の若描きという「文読む遊女図」も風情があっていいですね。
抱一門下やその弟子筋にあたる絵師の作品も多く、特に抱一の弟子・田中抱二の「垣に秋草図屏風」の竹垣を巧く使った構図と丁寧な筆致が素晴らしい。裏面が銀箔地の屏風になっているとのことでこちらも観てみたいものです。其一の息子・守一の作品もいくつかあって、其一ほどの巧みさはないものの「業平東下り図」の描表装などは父譲りの感性を感じます。
京琳派ルネサンス-神坂雪佳-
最後に近代琳派の雪佳。代表作「金魚玉図」や「蓬莱山図」といった大胆な構図やモティーフのデフォルメの面白さで見せる作品もあれば、「楓紅葉図」のように琳派の伝統を強く感じる作品もあって、どれも興味深い。扇子や工芸品も多く、光悦・宗達や光琳に通じるデザインセンスの高さを感じます。
デパートの展覧会と甘くみていましたが、とても充実していました。さすが細美美術館。眼福でした。琳派好きにはオススメの展覧会です。
【琳派400年記念 京都・細見美術館 琳派のきらめき -宗達・光琳・抱一・雪佳-】
2015年5月11日(月)まで
日本橋高島屋8階ホールにて
「琳派」最速入門: 永遠に新しい、日本のデザイン (和樂ムック)
京都 琳派をめぐる旅 (京都を愉しむ)
琳派400年を記念しての展覧会。琳派の充実したコレクションで定評のある京都の細見美術館の所蔵作品で構成されています。京都、大阪、横浜と主要都市を巡回してきて、東京が最後。
2週間弱という短い会期で、東京ではゴールデンウィークと重なったので、並んでるかなぁ~と思いながら伺いましたが、それほどの混雑でもなく快適に鑑賞できました。宗達、光悦から光琳、抱一、其一、そして雪佳まで網羅されていて、宗達と光琳の間、光琳と抱一の間といった飛ばされがちな時代や門人の作品なども幅広く紹介されています。
琳派誕生-光悦・宗達の美意識-
会場の最初に展示されていたのが「伊年」印の「四季草花図屏風」。撫子や女郎花、菊、牡丹など草花が60種類も描かれているそうで、まるで植物図鑑。草花に交じり野菜が描かれているのも面白い。本展にはさまざまな絵師の草花図があるので、絵師それぞれの個性の違いや琳派の伝統の継承を観ていくという楽しみもあります。
伊年 「四季草花図屏風」(左隻)
江戸前期 細見美術館蔵
江戸前期 細見美術館蔵
宗達の金銀泥で藤や忍草を描いた下絵に光悦が新古今和歌集の和歌を揮毫した「忍草下絵和歌巻断簡」、大胆な構図と美しい色彩の「伊勢物語図色紙 大淀」、筆さばきが見事な「墨梅図」、じゃれあう白と黒の仔犬が可愛い「双犬図」などどれも素晴らしい。光悦・宗達以外では、落ち着いた風情のある喜多川相説の「秋草花図屏風」が印象的。
俵屋宗達 「双犬図」
江戸前期 細見美術館蔵
江戸前期 細見美術館蔵
花咲く琳派-光琳・乾山と上方の絵師-
光琳は小品ですが3点ほど。「柳図香包」は似た香包が根津美術館の『燕子花と紅白梅』にも展示されていましたね。
尾形光琳 「柳図香包」
江戸中期 細見美術館蔵
江戸中期 細見美術館蔵
ほかに、乾山の皿や筆筒、光琳に師事したという渡辺始興や深江芦舟の作品も。始興の「簾に秋月図」は簾越しに秋草を描いた風情ある作品。芦舟の「立葵図」も水彩画のような淡彩が美しい。
深江芦舟 「立葵図
江戸中期 細見美術館蔵
江戸中期 細見美術館蔵
芳中は結構あって、まるっこくて、ゆるくて、かわいいその図様がたまらないですね。昨年の『中村芳中展』のメインヴィジュアルにも使われていた「白梅小禽図屏風」をはじめ、「月に秋鹿図」や「花卉図画帖」など重なるものもいくつか。
中村芳中 「月に秋草図」
江戸後期 細見美術館蔵
江戸後期 細見美術館蔵
新たなる展開-抱一と江戸琳派-
作品点数としてはこのコーナーが一番充実。抱一は琳派作品はもちろん、初期の肉筆浮世絵や水墨画、仏画なども含めなかなかのもの。なかでも光琳の写しとされる「槇に秋草図屏風」は光琳を通り越し宗達を思わせる華麗さと情緒があって素晴らしい。
酒井抱一 「槇に秋草図屏風」
江戸後期 細見美術館蔵
江戸後期 細見美術館蔵
琳派の展覧会で細美美術館所蔵作品を観ることはままあるので、過去に拝見している作品も多く、「白蓮図」も見覚えがあるなと思って調べたら、出光美術館の『琳派芸術』で観てますね。凛とした佇まいが何とも言えません。
酒井抱一 「白蓮図」
江戸後期 細見美術館蔵
江戸後期 細見美術館蔵
其一の作品は、正に今が季節の「藤花図」や大胆なたらしこみがユニークな「朴に尾長鳥図」、大胆に弧を描いた水辺に写実的な家鴨を配した「水辺家鴨図屏風」、其一らしい意匠性と濃彩の花が美しい「春秋草木図屏風」、双幅の「雪中竹梅小禽図」などどれも其一の個性やセンスを感じます。抱一が賛を寄せた其一の若描きという「文読む遊女図」も風情があっていいですね。
鈴木其一 「朴に尾長鳥図」
江戸後期 細見美術館蔵
江戸後期 細見美術館蔵
抱一門下やその弟子筋にあたる絵師の作品も多く、特に抱一の弟子・田中抱二の「垣に秋草図屏風」の竹垣を巧く使った構図と丁寧な筆致が素晴らしい。裏面が銀箔地の屏風になっているとのことでこちらも観てみたいものです。其一の息子・守一の作品もいくつかあって、其一ほどの巧みさはないものの「業平東下り図」の描表装などは父譲りの感性を感じます。
鈴木守一 「業平東下り図」
江戸後期~明治期 細見美術館蔵
江戸後期~明治期 細見美術館蔵
京琳派ルネサンス-神坂雪佳-
最後に近代琳派の雪佳。代表作「金魚玉図」や「蓬莱山図」といった大胆な構図やモティーフのデフォルメの面白さで見せる作品もあれば、「楓紅葉図」のように琳派の伝統を強く感じる作品もあって、どれも興味深い。扇子や工芸品も多く、光悦・宗達や光琳に通じるデザインセンスの高さを感じます。
神坂雪佳 「金魚玉図」
明治末期 細見美術館蔵
明治末期 細見美術館蔵
デパートの展覧会と甘くみていましたが、とても充実していました。さすが細美美術館。眼福でした。琳派好きにはオススメの展覧会です。
【琳派400年記念 京都・細見美術館 琳派のきらめき -宗達・光琳・抱一・雪佳-】
2015年5月11日(月)まで
日本橋高島屋8階ホールにて
「琳派」最速入門: 永遠に新しい、日本のデザイン (和樂ムック)
京都 琳派をめぐる旅 (京都を愉しむ)
2015/05/07
團菊祭五月大歌舞伎
團菊祭五月大歌舞伎の昼の部に行ってきました。
前の記事を見ると、去年の12月から何も書いてないのですね。一応時折り歌舞伎座には行ってるのですが…。
今月の昼の部は、菊之助が読売演劇大賞を受賞するなど高い評価を受けた『摂州合邦辻』の玉手御前を約4年半ぶりに演じるというのが話題です。
今回は「合邦庵室の場」のみの上演。継子・俊徳丸に恋をした玉手御前が俊徳丸の後を追いかけ、父・合邦の庵室に辿りつくというお話です。
菊之助は玉手御前も3度目なので、とても演技がこなれているというか、動きも全て計算され尽くしてるんだろうなと思わせます。日生の時は汗か涙か化粧が落ちるぐらい力が入っていましたが、今回はそのようなこともなく、十分に激しい感情を出しているとはいえ前回ほどの激情は感じませんでした。激しい役なのに冷静に演じているという印象を受けました。
自分でも気になって、家に帰って日生劇場の公演の録画を見直したのですが、やはり前回の菊之助の玉手には何かが取り憑いたような凄まじさがあります。情念というか、情欲というか。あんたほんとは俊徳丸を好き好きでたまらないでしょみたいな。それが今回は薄かったのかなという気がします。
奇しくも演劇評論家の渡辺保さんが今回の玉手御前を「空虚」「色っぽくない」と言っていましたが、そういうことかもとも感じます。「最近立役ばかり手がけて地の芝居の色気が薄くなったためか」という言葉は、先だってテレビで玉三郎が案に菊之助を批判したことに通じているかもしれません。
ただ、それでも十分素晴らしかったし、この役は菊之助の当たり役としてこれからも磨かれていくんだろうなと思います。
今月はもうひとつ、通し狂言で『天一坊大岡政談』。こちらも主役は菊之助。菊之助や器用だし、何を演じさせても上手くこなしてしまうので、十分観ていられますが、物語としていま一つというか、これは演出の問題もあるのかもしれませんが、少々冗長な感じがします。黙阿弥らしい流れやキレもあまり感じられませんでした。まあ、観に行ったのがまだ幕が開いて数日だったので、これから改善されていくのでしょう。
今月は菊之助が大活躍。ただ今月は團菊祭なので、昼の部に限っていえば、成田屋の存在が薄く、菊五郎劇団に海老蔵が客演したという感じ。しかもその海老蔵もいまひとつ。ちょっともったいない気がします。
前の記事を見ると、去年の12月から何も書いてないのですね。一応時折り歌舞伎座には行ってるのですが…。
今月の昼の部は、菊之助が読売演劇大賞を受賞するなど高い評価を受けた『摂州合邦辻』の玉手御前を約4年半ぶりに演じるというのが話題です。
今回は「合邦庵室の場」のみの上演。継子・俊徳丸に恋をした玉手御前が俊徳丸の後を追いかけ、父・合邦の庵室に辿りつくというお話です。
菊之助は玉手御前も3度目なので、とても演技がこなれているというか、動きも全て計算され尽くしてるんだろうなと思わせます。日生の時は汗か涙か化粧が落ちるぐらい力が入っていましたが、今回はそのようなこともなく、十分に激しい感情を出しているとはいえ前回ほどの激情は感じませんでした。激しい役なのに冷静に演じているという印象を受けました。
自分でも気になって、家に帰って日生劇場の公演の録画を見直したのですが、やはり前回の菊之助の玉手には何かが取り憑いたような凄まじさがあります。情念というか、情欲というか。あんたほんとは俊徳丸を好き好きでたまらないでしょみたいな。それが今回は薄かったのかなという気がします。
奇しくも演劇評論家の渡辺保さんが今回の玉手御前を「空虚」「色っぽくない」と言っていましたが、そういうことかもとも感じます。「最近立役ばかり手がけて地の芝居の色気が薄くなったためか」という言葉は、先だってテレビで玉三郎が案に菊之助を批判したことに通じているかもしれません。
ただ、それでも十分素晴らしかったし、この役は菊之助の当たり役としてこれからも磨かれていくんだろうなと思います。
今月はもうひとつ、通し狂言で『天一坊大岡政談』。こちらも主役は菊之助。菊之助や器用だし、何を演じさせても上手くこなしてしまうので、十分観ていられますが、物語としていま一つというか、これは演出の問題もあるのかもしれませんが、少々冗長な感じがします。黙阿弥らしい流れやキレもあまり感じられませんでした。まあ、観に行ったのがまだ幕が開いて数日だったので、これから改善されていくのでしょう。
今月は菊之助が大活躍。ただ今月は團菊祭なので、昼の部に限っていえば、成田屋の存在が薄く、菊五郎劇団に海老蔵が客演したという感じ。しかもその海老蔵もいまひとつ。ちょっともったいない気がします。
2015/05/06
鳥獣戯画-京都 高山寺の至宝-
東京国立博物館で開催中の『鳥獣戯画-京都 高山寺の至宝-』に行ってきました。
昨年、京都国立博物館で開催されたときは連日2~3時間、最大4時間待ちという大行列。東京に来たらどうなんてしまうんだろうと思っていましたが、案の定、東京でも大変なことになっているようです。
今までどんなに混むと予想される展覧会でも、開館の1時間より前に来たことはないのですが、今回ばかりは早めに行こうと急いだものの、時既に遅し。開催2日目祝日(4/29)の朝8時の段階で100人近い行列ができてました。いやはやなんとも。
本展は、「鳥獣戯画」の伝来した京都・高山寺ゆかりの寺宝や、高山寺を開山した明恵上人にまつわる美術作品を展観するというもの。京都国立博物館と同じく「鳥獣戯画」と高山寺をテーマにしていますが、内容は京博のものとは異なります。
第1章 高山寺伝来の至宝
最初のコーナーは高山寺伝来の白描図像(密教図像)から。幼児を害する鬼神と幼児を描いた「十五鬼神図像」や、阿弥陀如来がお坊さんの首を引っ張るというユニークな「阿弥陀鉤召図」が印象的。つづいては高山寺の国宝・石水院にゆかりの品々。石水院には高山寺の鎮守である春日・住吉明神が祀られているそうで、「春日大明神像・住吉大明神像」や「春日宮曼荼羅」が展示されています。
高山寺には多くの動物彫刻があるとか。春日・住吉明神に献げられたものや、明恵上人が動物好きだったということに由来するものなどあるようです。こうした動物彫刻や白描図という伝統が「鳥獣戯画」に繋がっているのだろうなと感じさせます。
春日信仰の象徴の雌雄の「神鹿」や、明恵上人が愛玩したと伝わる「子犬」、奉納神馬とされる「馬」など、なかなかのかわいさ。「神鹿」の雄鹿にはちゃんと金〇があったりします。「神鹿」と「子犬」は運慶の子・湛慶の作と考えられているとそうです。
第2章 高山寺中興の祖 明恵上人
明恵上人を描いた作品が複数ある中で、イチ押しは国宝「明恵上人像(樹上坐禅像)」。高山寺の山中で修行をしたという話に基づくもので、樹の上で座禅を組む明恵上人を上の方からリスが見つめています。「十六羅漢図」にはリスが描かれているものがあるそうで、同じように樹の上から羅漢をリスが見つめている作品が他にも3点あります。みなさんリスを探すのに必死(笑)
今回の展覧会は仏画の優品が多く、白眉は明恵上人が仏道を極めるため絵の前で右耳を切ったという「仏眼仏母像」。神々しく美しいそのお姿には圧倒されます。煩悩と菩提心が本来は一体であるという真理を擬人化したという「五秘密像」、観音・勢至両菩薩と毘沙門天・持国天を従えた毘盧遮那如来と61の諸聖衆を描いた「華厳海会諸聖衆曼荼羅」などもとても興味深い。善財童子の関連のものが充実していて、善財童子が善知識を訪ねる物語を描いた「善財童子歴参図」や絵巻の断簡などがあり、特に東大寺伝来という「善財童子歴参図」は見入ってしまう素晴らしさ。ちょっと素朴絵みたいな画もあって面白い。
ほかにも、新羅華厳宗の祖師・義湘が渡海し修行する中で出会った善妙が龍に変じて守護するという物語を描いた「華厳宗祖師絵伝 義湘絵」や、その善妙の神像「「善妙神立像」、またヒマラヤの神(天竺雪山神)という「白光神立像」が見どころでしょうか。特に「白光神立像」は湛慶の作ともいわれ、白を基調とした優美な佇まいは格別です。
第3章 国宝・鳥獣戯画
今回の『鳥獣戯画展』は毎日数時間の行列という混雑ぶりなので、まず最初に「鳥獣戯画」から観ることになると思います。本来の会場の構成とは異なるというか、この構成が意味を成さないのですが…。
最初に「鳥獣戯画」の生まれた背景を知る上で貴重な白描画が展示されています。「鳥獣戯画」(正確には「鳥獣人物戯画」)の作者は鳥羽僧正覚猷と昔は本に書かれていましたが、現在は白描図や仏画を描く寺の絵仏師か、主に世俗画を描いた宮廷絵所絵師ではないかと考えられています。
「鳥獣戯画」はもう説明不要ですね。私個人は「鳥獣戯画」を観るのは初めてではないのですが、やはり日本美術ファンなら一度は観ておきたいもの。有名な場面は写真や図様でたびたび目にしますが、やはり本物を観るのとでは全然違います。問題はこの行列ですが…。
甲乙丙丁の各巻の前半部を前期、後半部を後期に展示されますが、展示されない部分もパネルで観られるようになっています。絵巻は傾けてあって、またケースの照明を有機EL照明に変えたということで、ガラスへの映り込みもなく大変見やすいです。
ほかにも「鳥獣戯画」の失われた部分ともいわれる断簡も展示されていて、特に以前サントリー美術館での『鳥獣戯画がやってきた!』にも出なかった「高松家旧蔵本」が公開されているのは貴重です。
ただ不満はいくつかあって、折角修復しての公開なのに、その修復の過程の説明やそこで判明した事実、どこがどう修復されたかなどの説明が少ないこと。ちょっと不親切だと感じました。それと「鳥獣戯画」の甲乙丙丁巻がなぜか丁丙乙甲の順番で並んでいること。何も説明もなく、意味が不明です。
全体的に「鳥獣戯画」をただ並べましたというだけで、超一級の絵巻だというのにその魅力が今ひとつ伝わってきません。たとえば断簡の展示も、サントリー美術館の『鳥獣戯画がやってきた!』では古い時代の模本を例に挙げ、どこにどう入るものなのかなど丁寧に解説していましたが、東博では具体的な解説もなく工夫もありません。そうそう貸し出してもらえるものでもないのだから、とてももったいないと思います。
何より問題は待ち時間で、自分は朝早く並んだので待つことなく観られましたが、昼間は待ち時間の合計が4時間を超えた日もあります。長時間の行列を見越して、東博側もいろいろ対策をとっているようですが、京博でのデータがあったのに、あまり活かされていないと感じます。
2~3時間並ぶ体力のある人はいいのですが、会場にはお年寄りも多く、杖をついた方や身障者の姿も見かけました。彼らに長時間の行列は酷すぎますし、観られずに帰るとしたらあまりに気の毒です。東博側は導入に否定的なようですが、他の美術館が行っているように、整理券なり時間制チケットなりを考えることはできなかったのかと思います。出品作は充実しているのに、そういう意味では非常に残念な展覧会でした。
本館2階の<鳥獣戯画と高山寺の近代-明治時代の宝物調査と文化財の記録->には鳥獣戯画の模本があります。急かされて落ち着いて観られなかった、並んで観るのは嫌という人は気分だけでも味わえます。「明恵上人像(樹上座禅像)」の模本もありますので、ゆっくりリス探してください。
【鳥獣戯画-京都 高山寺の至宝-】
平成27年6月7日(日)まで
東京国立博物館にて
鳥獣戯画の謎 (別冊宝島 2302)
昨年、京都国立博物館で開催されたときは連日2~3時間、最大4時間待ちという大行列。東京に来たらどうなんてしまうんだろうと思っていましたが、案の定、東京でも大変なことになっているようです。
今までどんなに混むと予想される展覧会でも、開館の1時間より前に来たことはないのですが、今回ばかりは早めに行こうと急いだものの、時既に遅し。開催2日目祝日(4/29)の朝8時の段階で100人近い行列ができてました。いやはやなんとも。
本展は、「鳥獣戯画」の伝来した京都・高山寺ゆかりの寺宝や、高山寺を開山した明恵上人にまつわる美術作品を展観するというもの。京都国立博物館と同じく「鳥獣戯画」と高山寺をテーマにしていますが、内容は京博のものとは異なります。
第1章 高山寺伝来の至宝
最初のコーナーは高山寺伝来の白描図像(密教図像)から。幼児を害する鬼神と幼児を描いた「十五鬼神図像」や、阿弥陀如来がお坊さんの首を引っ張るというユニークな「阿弥陀鉤召図」が印象的。つづいては高山寺の国宝・石水院にゆかりの品々。石水院には高山寺の鎮守である春日・住吉明神が祀られているそうで、「春日大明神像・住吉大明神像」や「春日宮曼荼羅」が展示されています。
「神鹿」(重要文化財)
鎌倉時代・13世紀 高山寺蔵
鎌倉時代・13世紀 高山寺蔵
高山寺には多くの動物彫刻があるとか。春日・住吉明神に献げられたものや、明恵上人が動物好きだったということに由来するものなどあるようです。こうした動物彫刻や白描図という伝統が「鳥獣戯画」に繋がっているのだろうなと感じさせます。
春日信仰の象徴の雌雄の「神鹿」や、明恵上人が愛玩したと伝わる「子犬」、奉納神馬とされる「馬」など、なかなかのかわいさ。「神鹿」の雄鹿にはちゃんと金〇があったりします。「神鹿」と「子犬」は運慶の子・湛慶の作と考えられているとそうです。
第2章 高山寺中興の祖 明恵上人
明恵上人を描いた作品が複数ある中で、イチ押しは国宝「明恵上人像(樹上坐禅像)」。高山寺の山中で修行をしたという話に基づくもので、樹の上で座禅を組む明恵上人を上の方からリスが見つめています。「十六羅漢図」にはリスが描かれているものがあるそうで、同じように樹の上から羅漢をリスが見つめている作品が他にも3点あります。みなさんリスを探すのに必死(笑)
「明恵上人像(樹上坐禅像)」(国宝)
鎌倉時代・13世紀 高山寺蔵 (展示は5/17まで)
鎌倉時代・13世紀 高山寺蔵 (展示は5/17まで)
ここにリスがいますよ!
今回の展覧会は仏画の優品が多く、白眉は明恵上人が仏道を極めるため絵の前で右耳を切ったという「仏眼仏母像」。神々しく美しいそのお姿には圧倒されます。煩悩と菩提心が本来は一体であるという真理を擬人化したという「五秘密像」、観音・勢至両菩薩と毘沙門天・持国天を従えた毘盧遮那如来と61の諸聖衆を描いた「華厳海会諸聖衆曼荼羅」などもとても興味深い。善財童子の関連のものが充実していて、善財童子が善知識を訪ねる物語を描いた「善財童子歴参図」や絵巻の断簡などがあり、特に東大寺伝来という「善財童子歴参図」は見入ってしまう素晴らしさ。ちょっと素朴絵みたいな画もあって面白い。
「仏眼仏母像」(国宝)
平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 高山寺蔵 (展示は5/17まで)
平安〜鎌倉時代・12〜13世紀 高山寺蔵 (展示は5/17まで)
「華厳海会諸聖衆曼荼羅」(重要文化財)
鎌倉時代・13世紀 高山寺蔵 (展示は5/17まで)
鎌倉時代・13世紀 高山寺蔵 (展示は5/17まで)
ほかにも、新羅華厳宗の祖師・義湘が渡海し修行する中で出会った善妙が龍に変じて守護するという物語を描いた「華厳宗祖師絵伝 義湘絵」や、その善妙の神像「「善妙神立像」、またヒマラヤの神(天竺雪山神)という「白光神立像」が見どころでしょうか。特に「白光神立像」は湛慶の作ともいわれ、白を基調とした優美な佇まいは格別です。
「華厳宗祖師絵伝 義湘絵 巻第三」(国宝)※写真は部分
鎌倉時代・13世紀 高山寺蔵(展示は5/17まで)
鎌倉時代・13世紀 高山寺蔵(展示は5/17まで)
第3章 国宝・鳥獣戯画
今回の『鳥獣戯画展』は毎日数時間の行列という混雑ぶりなので、まず最初に「鳥獣戯画」から観ることになると思います。本来の会場の構成とは異なるというか、この構成が意味を成さないのですが…。
最初に「鳥獣戯画」の生まれた背景を知る上で貴重な白描画が展示されています。「鳥獣戯画」(正確には「鳥獣人物戯画」)の作者は鳥羽僧正覚猷と昔は本に書かれていましたが、現在は白描図や仏画を描く寺の絵仏師か、主に世俗画を描いた宮廷絵所絵師ではないかと考えられています。
「鳥獣戯画 甲巻」(国宝)
平安時代・12世紀 高山寺蔵
(写真上:5/17まで展示、写真下:5/19から展示)
「鳥獣戯画」はもう説明不要ですね。私個人は「鳥獣戯画」を観るのは初めてではないのですが、やはり日本美術ファンなら一度は観ておきたいもの。有名な場面は写真や図様でたびたび目にしますが、やはり本物を観るのとでは全然違います。問題はこの行列ですが…。
甲乙丙丁の各巻の前半部を前期、後半部を後期に展示されますが、展示されない部分もパネルで観られるようになっています。絵巻は傾けてあって、またケースの照明を有機EL照明に変えたということで、ガラスへの映り込みもなく大変見やすいです。
ほかにも「鳥獣戯画」の失われた部分ともいわれる断簡も展示されていて、特に以前サントリー美術館での『鳥獣戯画がやってきた!』にも出なかった「高松家旧蔵本」が公開されているのは貴重です。
「鳥獣人物戯画 甲巻 断簡」
平安時代・12世紀 東京国立博物館蔵
平安時代・12世紀 東京国立博物館蔵
ただ不満はいくつかあって、折角修復しての公開なのに、その修復の過程の説明やそこで判明した事実、どこがどう修復されたかなどの説明が少ないこと。ちょっと不親切だと感じました。それと「鳥獣戯画」の甲乙丙丁巻がなぜか丁丙乙甲の順番で並んでいること。何も説明もなく、意味が不明です。
全体的に「鳥獣戯画」をただ並べましたというだけで、超一級の絵巻だというのにその魅力が今ひとつ伝わってきません。たとえば断簡の展示も、サントリー美術館の『鳥獣戯画がやってきた!』では古い時代の模本を例に挙げ、どこにどう入るものなのかなど丁寧に解説していましたが、東博では具体的な解説もなく工夫もありません。そうそう貸し出してもらえるものでもないのだから、とてももったいないと思います。
何より問題は待ち時間で、自分は朝早く並んだので待つことなく観られましたが、昼間は待ち時間の合計が4時間を超えた日もあります。長時間の行列を見越して、東博側もいろいろ対策をとっているようですが、京博でのデータがあったのに、あまり活かされていないと感じます。
2~3時間並ぶ体力のある人はいいのですが、会場にはお年寄りも多く、杖をついた方や身障者の姿も見かけました。彼らに長時間の行列は酷すぎますし、観られずに帰るとしたらあまりに気の毒です。東博側は導入に否定的なようですが、他の美術館が行っているように、整理券なり時間制チケットなりを考えることはできなかったのかと思います。出品作は充実しているのに、そういう意味では非常に残念な展覧会でした。
「鳥獣戯画 甲巻(模本)」 山崎董詮模写 明治時代・19世紀
※本館 特別1室で6/7まで展示
※本館 特別1室で6/7まで展示
本館2階の<鳥獣戯画と高山寺の近代-明治時代の宝物調査と文化財の記録->には鳥獣戯画の模本があります。急かされて落ち着いて観られなかった、並んで観るのは嫌という人は気分だけでも味わえます。「明恵上人像(樹上座禅像)」の模本もありますので、ゆっくりリス探してください。
【鳥獣戯画-京都 高山寺の至宝-】
平成27年6月7日(日)まで
東京国立博物館にて
鳥獣戯画の謎 (別冊宝島 2302)