2010/08/22

円朝・幽霊画コレクション

もうかれこれ10日も前のことですが、谷中の全生庵で公開中の円朝遺愛の幽霊画コレクションを観てきました。

全生庵は、山岡鉄舟が幕末・明治維新で国事に殉じた人々の菩提を弔うために、明治16年に建立したお寺です。歴史としては比較的新しいお寺ですが、山岡鉄舟のお墓のほか、落語家の初代・三遊亭円朝のお墓などがあります。

三遊亭円朝といえば、『怪談牡丹燈籠』や『真景累ヶ淵』など、怪談噺で有名な噺家ですが、幽霊画のコレクターとしても知られ、そのコレクションがここ全生庵に寄贈され、円朝の亡くなった8月に毎年公開されています。

さすが、今も語り継がれる怪談噺で名を残す人だけあり、そのコレクションも、円山応挙作と伝わる掛け軸から、歌川広重や河鍋暁斎、柴田是真など錚々たる日本画家ばかりで、お寺の狭い一室は、幽霊画の掛け軸で埋め尽くされ、一種、異様な空間となっていました。

伝・円山応挙「幽霊図」

応挙とされる幽霊画には、応挙の名も落款もなく、真筆の程は定かではありません。“足のない幽霊”は応挙が初めて描いたともされ、また「応挙の幽霊」という落語があるぐらいですから、日本画に詳しくない人にも応挙の幽霊画は有名で、そのため偽物も多く出回っていたと言われています。実際、全生庵の応挙の幽霊画のコメントにもその真贋については明言を避けており、本当に応挙なのだろうかと思わなくもありませんが、その絵は儚げで美しく、真夏の夜の夢の如く、ふーっと掛け軸から抜け出てきそうな不思議な存在感がありました。

谷文一「燭台と幽霊」

そのほか、 個人的には展示作品の中で、谷文晁の弟子にして、その腕を見込まれ後に養子となった谷文一と、谷文晁の孫にあたる谷文中の幽霊画が白眉だと思いました。ともに同じ画題で描いていますが、その丁寧さ、完成度の高さ、そして幽霊画としての恐ろしさは他を抜きん出ていたと思います。

鰭崎英朋「蚊帳の前の幽霊」

訪れた日は、奇しくも円朝の命日でしたが、幸い混むこともなく、ひっそりとしてお寺で、静かに幽霊画を堪能させていただきました。全生庵前の坂をくだったところは千駄木の駅ですが、その手前の“へび道”という路地は昔、藍染川という川で、そこから上野の不忍池までの低地一帯を清水谷といい、『怪談牡丹燈籠』の舞台となったところです。 まだまだ暑い日がつづきますが、円朝所縁のお寺で、幽霊画を観て一涼みというのはいかがでしょうか。


谷中・全生庵にて
8月31日まで

0 件のコメント:

コメントを投稿