八月花形歌舞伎に行ってきました。今月は三部の通し狂言『東海道四谷怪談』のみを鑑賞。
今月の歌舞伎は市川海老蔵の結婚披露宴の直後ということもあり、また海老蔵のロンドン=パリ興行の凱旋公演もあり、話題が海老蔵一色の感があります。松竹もずいぶん巧い商売をやったものだなと思いますが、これだけ宣伝をしているにもかかわらず、チケットは完売とはなっていないようで、やはり“さよなら歌舞伎座公演”が終わり、世間の歌舞伎熱が冷めてしまったということなのでしょうか。自分が観た日も、一階席後方には空席がチラホラありました。
さて、今月は“花形歌舞伎”なので、海老蔵のほか、中村勘太郎、中村七之助、中村獅童をはじめとした若手歌舞伎役者が出演しているとあって、また『四谷怪談』という初心者にも入りやすい出し物ということもあるでしょう、先月と打って変わって客席には若いお客さんが大勢詰め掛けていました。今回は、海老蔵が民谷伊右衛門を、勘太郎がお岩・小仏小平・佐藤与茂七の三役をそれぞれ初役で務めるというのが見どころです。
お岩といえば、中村勘三郎の当たり役ですが、勘太郎は勘三郎のお岩さんを幼いときから当然見慣れているでしょうし、今回も初役ということで父・勘三郎から徹底して手ほどきを受けていたようで、台詞回しや声に勘三郎を彷彿とさせるものがあるのは言うまでもありませんが、初役とは思えない完成度の高いお岩さんを見せてくれました。特筆すべきはやはり二幕目で、お岩の切々とした台詞に客席の誰もが見入り聴き入りしていました。顔が醜く変貌し、憎悪を剥きだしにして人を呪う怖さより、夫に裏切られ、しかも父の仇をとるという約束を反故にされ、子どもまで蔑ろにされたその無念さ、憐れさが滲み出ていて素晴らしかったと思います。誰がお岩さんに感情移入し、涙すると思ったでしょうか。お岩さんの恐ろしい顔に驚く宅悦のリアクションに一々笑う観客が一部いましたが、そういうKYというか、人の心情を読み取れない観客は極々一部で、大半の観客はお岩さんの真に迫った心理描写に、笑うどころではなかったと思います。あの誰もが息を呑む空気はなかなか味わえないし、あれこそ生の舞台の醍醐味でしょう。幕間までの1時間半があっという間に感じました。それだけ密度が濃かったのだと思います。
海老蔵はこういう色悪はニンで、正に適役。伊右衛門が妻帯者なのを分かっていても結婚したいと隣家のお梅に思わせる十分な色気と魅力がありました。お岩さんから着物や蚊帳までも奪い取り、縋るお岩さんを引きずる場面では、その冷酷さがリアルなまでに出ていて、こうした残虐非道な役でありながらも美しさを感じさせる役者は、なんだかんだ言っても、やはり海老蔵をおいて他にいないと思います。
花形歌舞伎の若手の多い中、ベテラン役者はその格の違いを見せ付けてくれて、歌舞伎らしさと芸の確かさに安心と心地良さを感じました。市蔵の宅悦は人のよさが出ていて、お岩とのやり取りも秀逸でした。前日が90歳の誕生日だった女房おいろ役の小山三さんも元気な姿を見せてくれて、ある意味この日一番の眼目でした。昨日は一階15 列で見ていたのですが、役者によっては声が出てる割に明瞭に聞き取れない人もいる中、小山三さんの声はよく通り、よく分かり、年齢のことを考えると凄いと思います。次に『四谷怪談』がかかるのはいつか分かりませんが、また素晴らしい女房を演じて欲しいと思います。
今回の『東海道四谷怪談』は登場人物たちと設定年齢の近い若手役者陣によるものということもあり、生々しさやリアリズムがあって、幹部勢による歌舞伎とは趣がまた違いますが、芝居の出来といい、大変満足のいく舞台だったと思います。大詰めではちょっとしたサプライズ演出があり、納涼の怪談らしさを存分に楽しめます。
【八月花形大歌舞伎】
新橋演舞場にて
8月28日まで
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