今年も早いもので最後の一日となりました。先月あたりから今年一番良かった展覧会は何だった?と聞かれたり、『あなたが選ぶ展覧会2016』のプレ投票でベスト5を考えたりということもあって、<展覧会ベスト10>は頭の中で少しずつ整理してたんですけど、そう簡単にはまとまりません。いいものに優劣を付けるのはなかなか難しい…。
ところで、拙ブログでは今年は71の展覧会を紹介することができました。今年は特に夏あたりから仕事が忙しく、思うように展覧会も回れず、結構見逃した展覧会があったり、観てもブログに書けずじまいのものもあったり、去年や一昨年に比べてペースが落ちてしまったのが残念でした。
そんな今年もたくさんの素晴らしい展覧会に巡りあうことができました。日本美術では今年は(個人的に)新発見的な絵師・画家の展覧会が少なく、割と名の知れた絵師・画家の展覧会が多かったように思います。西洋美術は自分の好みのものしか観なかったので、もう少し足を運べばよかったなと少々後悔してるところもあります。都内の大きなハコではブロックバスター的な展覧会も多く、それはそれで楽しいのですが、混雑するのが難点。その分、小さな美術館や地方の美術館・博物館に好企画が目立ち、そちらの方が惹かれることが多くありました。今年は地方にも少し足を運びましたが、さすがにそうは回れず臍を噛む思いもたびたびでした。
で、2016年のベスト10はこんな感じになりました。
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1位 『我が名は鶴亭』(神戸市立博物館)
今年のベスト5はどれを1位にしてもいいぐらいなのですが、一つだけまたもう一度観られるのなら、これを選ぶと思います。江戸絵画の大きなムーブメントとなる南蘋派のキーとなる重要な絵師であり、当時の美術界のトレンドリーダーだったにも関わらず、なかなか取り上げられることのなかった鶴亭にスポットを当てたという点でまず高評価。そして何より、作品の良さもあるのですが、展覧会の構成や見せ方、作品解説などから学芸員さんや運営サイドがいい展覧会を作ろうとする強い思いや深い愛情、そして努力がビシバシ伝わってきて、ほんと素晴らしい展覧会でした。
2位 『岩佐又兵衛展』(福井県立美術館)
10年ぶりの岩佐又兵衛展ということで待ちに待った展覧会。そしてその高い期待に十分応える素晴らしい展覧会でした。旧金谷屏風の現存全作が出品されるなど作品が非常に充実していて、ある意味いま考えられる岩佐又兵衛展の理想的なラインナップだったと思います。京都・福井時代に作品を絞った企画なのでしょうがないのですが、欲をいえば江戸以降の作品も観たかったので、いつの日か大回顧展が開かれることを願って、今回は2位としました。
3位 『鈴木其一展』(サントリー美術館)
これまでこつこつと観てきた其一の作品が一堂に観られるという贅沢さ。代表作という代表作が勢揃いし、琳派にとどまらず、さまざまな方向から其一を多角的に捉えるなど展覧会の構成も良かったと思います。其一が琳派の枠に囚われず江戸絵画の総括的な要素が強いこともよく分かりました。其一の評価を決定づける重要な展覧会になったんじゃないでしょうか。今年もサントリー美術館は素晴らしかった。
4位 『初期浮世絵展 -版の力・筆の力-』(千葉市美術館)
わたしはそもそも浮世絵はそんなに好きじゃなかったのですが、この展覧会でその考えは180度変わりました。なかなか見ることのない江戸初期の風俗画や人気浮世絵師の影に隠れてあまりスポットの当たらない絵師の作品も充実していてとても面白かったし、なにより初期の浮世絵がこんなにも魅力的だと思ってもいませんでした。浮世絵の爛熟期に向けて少しずつ完成されていく過程が見えて、非常に興味深いものがありました。
5位 『浦上玉堂と春琴・秋琴』(千葉市美術館)
先月、今月と2度観に行ったこともあり、まだ印象も鮮明な展覧会。玉堂の老いてなお気力漲る画面、その溌剌とした筆の運び、そして前衛的ともいえるブッ飛び方にはただただ圧倒されました。国宝の「東雲篩雪図」も感動的でした。玉堂の何にも縛られない自由闊達な水墨を観てると不思議と気持ちまで軽くなります。そして息子・春琴がまた良かった。その楚々とした色彩、筆致も柔らかく、端正で上品。非常に満足度の高い展覧会でした。
6位 『国宝 信貴山縁起絵巻』(奈良国立博物館)
ここ数年で相次いで観た四大絵巻の展覧会の中では断トツに面白かった。全巻全て一度に観られたことはもちろん、縁起の成り立ちや聖徳太子信仰、「辟邪絵」などを取り上げた構成も興味深く、とても好奇心をくすぐりました。ちょうど伺った日は幸いにも空いていて、絵巻をほぼ独占状態で観られたのも良かった。
7位 『カラヴァッジョ展』(国立西洋美術館)
西洋画からひとつだけ。個人的にも大好きなカラヴァッジョ。展覧会の開催前に真筆と判定された「法悦のマグダラのマリア」が話題となったり、カラヴァッジョの人となりを示す証言資料も紹介されていたり、カラヴァジェスキを交えた構成も良く、10数年前のカラヴァッジョ展に比べても充実した内容になっていました。カラヴァッジョに期待するものを十分堪能でき非常に満足度の高い展覧会でした。
8位 『黒田清輝展』(東京国立博物館)
今年の展覧会のひとつのキーワードは近代洋画だと思うのですが、いろんな意味で話題になったのが黒田清輝で、なんだかんだ言って日本の近代洋画の中心にいた人なので、彼のことを知らずして何も語れません。今年いくつか観た明治の近代洋画の展覧会も黒田と比較することで面白みが増したというのもあると思います(千葉市美の『吉田博展』を見逃したのが返す返すも残念)。割と観る機会の多い黒田ですが、その画業を整理して見せてくれたという点でこの展覧会はとても良かったと思います。
9位 『勝川春章と肉筆美人画』(出光美術館)/『勝川春章-北斎誕生の系譜』(太田記念美術館)
歌川派ばかりがやたらと取り上げられる昨今、敢えて勝川春章を大きく取り上げ、しかも2館で内容を上手く分担して同時期に開催をしたということで、非常に面白い企画になったと思います。同時代の人気絵師の影に隠れがちな春章ですが、役者絵や相撲絵の面白さ、肉筆画の素晴らしさに気付くことができましたし、ちょうど『初期浮世絵展』を観た後ということもあり、大変関心を持ってみることができました。
10位 『動き出す!絵画 ペール北山の夢』(東京ステーションギャラリー)
今年の大穴とおっしゃてた方がいましたが、正しくダークホース的な展覧会でした。ペール北山って誰?から始まったのですが、蓋を開けてみるとこれがとても面白く、作品のセレクションも良くて、明治・大正の美術運動に情熱を燃やした芸術家たちの熱い想いが伝わってくる大変素晴らしい展示内容でした。あまり話題にならなかったのが残念でした。
どこかに入れたいと思いつつ、残念ながら圏外となってしまった展覧会としては、日本美術・洋画では『恩地孝四郎展』、『安田靫彦展』、『原田直次郎展』、『髙島野十郎展』、『いま、被災地から』、『大仙厓展』、『円山応挙 - 「写生」を超えて』、『禅 - 心をかたちに』、『色の博物誌』、『小田野直武と秋田蘭画』、西洋美術では『ボッティチェリ展』、『ジョルジョ・モランディ展』、『ルノワール展』、『ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち』、『クラーナハ展』(以上観た順)が強く印象に残っています。
そして今年最大の話題といえば、伊藤若冲。今年の展覧会を語る上で『若冲展』は外せなく、当サイトでも断トツのアクセス数がありました。これ以上ないぐらいに素晴らしい作品が揃って大変見応えのある展覧会でしたが、逆に言えばあれだけ傑作が揃えば悪いわけがないわけで、ただ作品を並べただけというような企画内容と、最早イベント化して展覧会とは何だろうと考えさせられることもあり、個人的にはあまり評価してません。若冲の近年の展覧会では『若冲アナザワールド』や『若冲と蕪村』の方が見るべきものがあったと思います。
ちなみに今年アップした展覧会の記事で拙サイトへのアクセス数は以下の通りです。
1位 『若冲展』
2位 『カラヴァッジョ展』
3位 『ルノワール展』
4位 『岩佐又兵衛展』
5位 『勝川春章と肉筆美人画』
6位 『鈴木其一展』
7位 『初期浮世絵展 -版の力・筆の力-』
8位 『黒田清輝展』
9位 『我が名は鶴亭』
10位 『ほほえみの御仏』
来年もすでに楽しみにしている展覧会がいくつかあって、今から待ち遠しいのですが、どれだけ時間が工面できるか、それだけが悩ましいところです。
今年も一年間、こんな拙いサイトにも関わらず、足をお運びいただきありがとうございました。来年はどこまで展覧会に回れるか分かりませんが、いろいろと素晴らしい展覧会をご紹介できればと思います。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
【参考】
2015年 展覧会ベスト10
2014年 展覧会ベスト10
2013年 展覧会ベスト10
2012年 展覧会ベスト10
美術展ぴあ2017 (ぴあMOOK)
2016/12/31
2016/12/24
京都で2つの伊藤若冲展
今年の日本美術の一番の話題といえば、伊藤若冲。東京都美術館で開催された『若冲展』をはじめ、若冲の生誕300年を記念した展覧会が各地でいくつも開かれたり、関連書籍も相次いで刊行されたり、どれも予想以上の盛り上がりを見せました。
この1年で一気にメジャー級の絵師として世間に浸透し人気者になった若冲。そんな若冲イヤーの最後を飾る2つの展覧会が京都で開かれていたので観に行ってきました。
まずは京都国立博物館で開催中の『生誕300年 特集陳列 伊藤若冲』。こちらは特別展ではなく平常展の“特集陳列”という括り。だから料金も平常展の入館料だけとお得です。
京博2階の平成知新館の2F-3~2F-5を使っての展示で、28点のみと数としては小規模。どちらかというと水墨中心ですが、「果蔬涅槃図」や「石峰寺図」、「乗興舟」、「石燈籠図屏風」、「蝦蟇河豚相撲図」、「百犬図」など代表作や人気作もあって、少ない出品数ながらも意外と充実していました。40歳前後の早い時期の作品から最晩年の作品まで、若冲の画風の変遷なども分かりやすく解説されていて、かなり丁寧な展示になっていたのも良かったと思います。
初公開の作品も数点あり、中でも「六歌仙図押絵貼屏風」は小野小町が最高です(観てのお楽しみ)。こんな描き方をするのはやはり若冲ぐらいしかいないよなと思わず笑ってしましました。大根の上に乗って葉をついばむ「大根に鶏図」も若冲らしくて面白い。また、個人的に初めて観る作品も多く、とりわけ彩色画の「鶏頭蟷螂図」は独特のエグ味が秀逸。鶏頭の奇妙な造形とその色味は数ある若冲作品の中でもかなり奇想の部類に入るのではないでしょうか。
ちなみに京博では、同時開催で『新春特集陳列 とりづくし-干支を愛でる-』(1/15まで)のほか、『特集陳列 皇室の御寺 泉涌寺』(2/5まで)や『大航海時代と日本の蒔絵』(1/22まで)などもあって、それぞれに見どころがいっぱいです。
『皇室の御寺 泉涌寺』では、江戸狩野から分派した鶴澤派の鶴澤探索の「孔雀図屏風」が傑作。狩野派らしい樹木や岩の描写に応挙を思わす孔雀、何より青や白を多用した大胆な色使いが面白い。新春特集陳列の『新春特集陳列 とりづくし』では京狩野の狩野永敬の屏風や雪舟の花鳥図屏風で唯一真筆とされる「四季花鳥図屏風」が出ていて、なかなか良かったと思います。
『大航海時代と日本の蒔絵』もオススメ。南蛮漆器と呼ばれる安土桃山時代に南蛮人からのオーダーで制作された蒔絵工芸の特集展示で、南蛮文化の展覧会などでは時折見かけたことがありますが、ここまでの数を一堂に観たのは初めて。どれもクオリティが高く、そして状態がいい。日本的な蒔絵というより櫃や箪笥、酒器などいかにも南蛮人の生活をイメージできるものばかりで、聖書を載せる書見台など当時のキリスト教文化に触れられるものもあり興味深かったです。鎖国やキリシタン禁制もあったのに、よくこういうものが残っていたと驚きます。螺鈿や花鳥柄など細工も細やかで、超絶技巧ファンにもオススメです。
さて続いて、相国寺承天閣美術館で開催中の『伊藤若冲展 後期』へ。若冲の出品数は関連資料も入れると約40点弱。そのほか、若冲と関わりの深い梅荘顕常(大典顕常)が賛を寄せた円山応挙や池大雅などの作品も展示されています。
こちらにも初公開の若冲が複数あって、まあよく次から次へと出てくるもんだと思います。初公開の内ひとつは仙厓が賛を書いた「蕪の図」で、これがまた傑作。若冲のゆるい絵に仙厓のゆるい字で「若冲老いぼれて俄かにこの図を描いた」ともちろん仙厓流のユーモアですが酷いことが書いてあって笑えます。
見ものは、若冲の水墨画の傑作中の傑作、鹿苑寺大書院旧障壁画・全50面の展示。今年の若冲展でも旧障壁画の一部が出品されましたが、本展ではその障壁画全てが展示されているだけでなく、「葡萄小禽図」と「月夜芭蕉図」は原寸大で再現された中に展示されており、実際の空間をイメージしながら若冲の作品を味わうことができます。寺院の障壁画の典型的なパターンを打ち破る異色性=若冲らしさを感じられ、同時に若冲が真摯に取り組んでいる姿も見られ、大変素晴らしい障壁画でした。これが観られただけでもわざわざ京都まで行った甲斐があるというものです。
時間帯によっては混んでるときもあるようですが、わたしが伺ったときはどちらもたいして混んでなく、ゆっくりと鑑賞することができました。やっぱり静かな環境で観たいですもんね。『若冲展』みたいな混雑した中で観るのはこりごりです
【特集陳列 生誕300年 伊藤若冲】
2017年1月15日(日)まで(12/26~1/1は休館)
京都国立博物館にて
【生誕300年記念 伊藤若冲展 後期】
2017年5月21日(日)まで(12/27~1/5は休館)
相国寺承天閣美術館にて
若冲 生誕300年記念 マルチケースBOOK (TJMOOK)
この1年で一気にメジャー級の絵師として世間に浸透し人気者になった若冲。そんな若冲イヤーの最後を飾る2つの展覧会が京都で開かれていたので観に行ってきました。
まずは京都国立博物館で開催中の『生誕300年 特集陳列 伊藤若冲』。こちらは特別展ではなく平常展の“特集陳列”という括り。だから料金も平常展の入館料だけとお得です。
京博2階の平成知新館の2F-3~2F-5を使っての展示で、28点のみと数としては小規模。どちらかというと水墨中心ですが、「果蔬涅槃図」や「石峰寺図」、「乗興舟」、「石燈籠図屏風」、「蝦蟇河豚相撲図」、「百犬図」など代表作や人気作もあって、少ない出品数ながらも意外と充実していました。40歳前後の早い時期の作品から最晩年の作品まで、若冲の画風の変遷なども分かりやすく解説されていて、かなり丁寧な展示になっていたのも良かったと思います。
伊藤若冲 「果蔬涅槃図」
江戸時代・18世紀 京都国立博物館蔵
江戸時代・18世紀 京都国立博物館蔵
伊藤若冲 「蝦蟇河豚相撲図」
江戸時代・18世紀 個人蔵
江戸時代・18世紀 個人蔵
初公開の作品も数点あり、中でも「六歌仙図押絵貼屏風」は小野小町が最高です(観てのお楽しみ)。こんな描き方をするのはやはり若冲ぐらいしかいないよなと思わず笑ってしましました。大根の上に乗って葉をついばむ「大根に鶏図」も若冲らしくて面白い。また、個人的に初めて観る作品も多く、とりわけ彩色画の「鶏頭蟷螂図」は独特のエグ味が秀逸。鶏頭の奇妙な造形とその色味は数ある若冲作品の中でもかなり奇想の部類に入るのではないでしょうか。
伊藤若冲 「鶏頭蟷螂図」
寛政元年(1789) 個人蔵
寛政元年(1789) 個人蔵
ちなみに京博では、同時開催で『新春特集陳列 とりづくし-干支を愛でる-』(1/15まで)のほか、『特集陳列 皇室の御寺 泉涌寺』(2/5まで)や『大航海時代と日本の蒔絵』(1/22まで)などもあって、それぞれに見どころがいっぱいです。
『皇室の御寺 泉涌寺』では、江戸狩野から分派した鶴澤派の鶴澤探索の「孔雀図屏風」が傑作。狩野派らしい樹木や岩の描写に応挙を思わす孔雀、何より青や白を多用した大胆な色使いが面白い。新春特集陳列の『新春特集陳列 とりづくし』では京狩野の狩野永敬の屏風や雪舟の花鳥図屏風で唯一真筆とされる「四季花鳥図屏風」が出ていて、なかなか良かったと思います。
『大航海時代と日本の蒔絵』もオススメ。南蛮漆器と呼ばれる安土桃山時代に南蛮人からのオーダーで制作された蒔絵工芸の特集展示で、南蛮文化の展覧会などでは時折見かけたことがありますが、ここまでの数を一堂に観たのは初めて。どれもクオリティが高く、そして状態がいい。日本的な蒔絵というより櫃や箪笥、酒器などいかにも南蛮人の生活をイメージできるものばかりで、聖書を載せる書見台など当時のキリスト教文化に触れられるものもあり興味深かったです。鎖国やキリシタン禁制もあったのに、よくこういうものが残っていたと驚きます。螺鈿や花鳥柄など細工も細やかで、超絶技巧ファンにもオススメです。
雪舟 「四季花鳥図屏風」(重要文化財)
室町時代・15世紀後半 京都国立博物館蔵
室町時代・15世紀後半 京都国立博物館蔵
さて続いて、相国寺承天閣美術館で開催中の『伊藤若冲展 後期』へ。若冲の出品数は関連資料も入れると約40点弱。そのほか、若冲と関わりの深い梅荘顕常(大典顕常)が賛を寄せた円山応挙や池大雅などの作品も展示されています。
こちらにも初公開の若冲が複数あって、まあよく次から次へと出てくるもんだと思います。初公開の内ひとつは仙厓が賛を書いた「蕪の図」で、これがまた傑作。若冲のゆるい絵に仙厓のゆるい字で「若冲老いぼれて俄かにこの図を描いた」ともちろん仙厓流のユーモアですが酷いことが書いてあって笑えます。
見ものは、若冲の水墨画の傑作中の傑作、鹿苑寺大書院旧障壁画・全50面の展示。今年の若冲展でも旧障壁画の一部が出品されましたが、本展ではその障壁画全てが展示されているだけでなく、「葡萄小禽図」と「月夜芭蕉図」は原寸大で再現された中に展示されており、実際の空間をイメージしながら若冲の作品を味わうことができます。寺院の障壁画の典型的なパターンを打ち破る異色性=若冲らしさを感じられ、同時に若冲が真摯に取り組んでいる姿も見られ、大変素晴らしい障壁画でした。これが観られただけでもわざわざ京都まで行った甲斐があるというものです。
伊藤若冲 「鹿苑寺大書院旧障壁画 竹図襖絵」(重要文化財)
宝暦9年(1759) 鹿苑寺蔵
宝暦9年(1759) 鹿苑寺蔵
伊藤若冲 「鹿苑寺大書院旧障壁画 葡萄図襖絵」(重要文化財)
宝暦9年(1759) 鹿苑寺蔵
宝暦9年(1759) 鹿苑寺蔵
時間帯によっては混んでるときもあるようですが、わたしが伺ったときはどちらもたいして混んでなく、ゆっくりと鑑賞することができました。やっぱり静かな環境で観たいですもんね。『若冲展』みたいな混雑した中で観るのはこりごりです
【特集陳列 生誕300年 伊藤若冲】
2017年1月15日(日)まで(12/26~1/1は休館)
京都国立博物館にて
【生誕300年記念 伊藤若冲展 後期】
2017年5月21日(日)まで(12/27~1/5は休館)
相国寺承天閣美術館にて
若冲 生誕300年記念 マルチケースBOOK (TJMOOK)
2016/12/10
小田野直武と秋田蘭画
サントリー美術館で開催中の『小田野直武と秋田蘭画』を観てまいりました。
秋田蘭画は江戸絵画の展覧会でもときどき見ますし、あまり長く続かず絶えたということも知っていたのですが、それが7年という短い時間の中の出来事だったとは知りませんでした。
本展では、秋田蘭画の中心人物である小田野直武と佐竹曙山、また秋田蘭画の理論的指導者だったという平賀源内を中心に、7年という短い時間を駆け抜けた彼らの足跡を丹念に追っています。秋田蘭画の展覧会としては約16年ぶりだといいます。
秋田蘭画というと洋風画の先駆けの和洋折衷絵画ぐらいにしか思っていなかったのですが、その印象が根底から覆りました。
第1章 蘭画前夜
秋田蘭画は江戸絵画の中でも主流ではありませんし、決してメジャーではないからか、会場の入口にはプロローグとして秋田蘭画の“5つのポイント”が紹介されていました。
最初の章では小田野直武を中心に、秋田蘭画以前の作品が展示されています。直武は秋田藩お抱えの狩野派の絵師に手ほどきを受けていたとかで、10代の頃の作品は粉本とはいえ、なかなかの腕前だったことが窺えます。その画才は早くから知られていたようで、依頼を受けて描いたとされる「大威徳明王像図」は数え17歳の作品というから驚きです。
第2章 『解体新書』の時代 ~未知との遭遇~
小田野直武という名前を知らなくても、『解体新書』の扉絵や挿絵は教科書などで見覚えがあるはず。ここでは直武原画の『解体新書』や、その絵の原典などが並んでいます。
面白いのは『ヨンストン動物図譜』で、そこに描かれているライオンを直武や宋紫石らが模写していて、実際に直武が描いたライオン図も展示されていました。当時よく描かれていた“獅子図”ではなく、いかにもライオン。
江戸時代の洋風画の絵師として知られる石川大浪・孟高兄弟による「ファン・エイロン筆花鳥図模写」があって、これが見事。徳川吉宗がオランダから買い寄せた油彩画の一つだそうで、花や鳥の精緻な表現や陰影は明らかに日本画のそれとは異なります。谷文晁も同じ絵を模写していて、『谷文晁展』で展示されいたのを覚えています。
ほかにも浮絵に眼鏡絵、泥絵など。なぜか鈴木春信の浮世絵があって、一説には錦絵の誕生に平賀源内が関わっていたとか。
第3章 大陸からのニューウェーブ ~江戸と秋田の南蘋派~
小田野直武は平賀源内との出会いを通じて、秋田蘭画の源流となる西洋絵画や銅版画を知ることになるわけですが、もうひとつベースとなったのが当時ブームを巻き起こしていた南蘋派だったのだそうです。
ここでは江戸で活躍した南蘋派の諸葛監や宋紫石の作品のほかに、秋田に南蘋派を伝えたという佐々木原善、そして原善の師という松林山人の作品が紹介されていました。松林山人という方の絵は初めて観ましたが、あまりの素晴らしさに感動しました。中でも「牡丹図巻」が傑作。粗い筆致の牡丹と写実的な牡丹を墨だけで描き対比させていて素晴らしいの一言。後期に巻替えがあるのでまた観に行くつもりです。松林山人は沈南蘋の弟子・熊斐に師事し、安永年間末ごろから江戸で活躍した絵師だといいます。
第4章 秋田蘭画の軌跡
近景に写実的でインパクトのあるものを描き、遠景に遠近法による風景を描くというのが秋田蘭画の典型パターン。銅版画の影響もあってか、細部まで結構細かく描かれています。従来の日本画とは異なる空間表現が多く、構図としても決して安定しているわけではないのですが、そのアンバランスな感覚がまた秋田蘭画の面白いところです。
直武の代表作「不忍池図」は近景に南蘋風の芍薬が描かれ、遠景には弁天堂に参詣する人まで丁寧に描きこまれています。花の蕾には肉眼では気付かないぐらい小さな蟻もいます。不忍池に蓮がないのも不思議なのですが、描かれている花の季節もそれぞれ違うのだそうです。花鳥画でもない、風景画でもない、独特の構成がまたどこか異国的で幻想的な印象を与えます。
陰影法を意識し立体感を描出した「笹に白兎図」や遠近法で奥行きを出した「日本風景図」などを観ると、日本画的な構図、表現の中に洋風画の技術を巧みに取り入れていて、ある意味、直武は新しい日本画の創造に挑戦していたのではないかと感じます。
中国画にも関心が高かったようで、「人物図」や「児童愛犬図」など中国の風俗を描いた作品も散見されます。円窓をモチーフにした作品も多く、だまし絵的な効果を狙ったものだそうです。
佐竹曙山がまたなかなかいい。もともと狩野派から絵を学び、直武から洋風画の教えを受けたそうですが、藩主の余芸というには余りある才能を発揮しています。ただ、曙山の作品は直武に比べて、ちょっとシュール。代表作の「松に唐鳥図」は画面を斜めに大胆に横切る松に異国的な鳥という不思議の光景が広がります。曙山の作品には鳥とか昆虫が描かれているものも多い。どうも博物学に熱を上げていて、参勤交代の途中で生物を写生したり、同じく博物学愛好家の大名と情報交換したりしていたのだとか。会場には曙山が参勤交代の折々に描きためたという写生帖や熊本藩主・細川重賢の写生帖、松平定信の作品もあったりして、当時の大名の間で盛り上がった博物学熱を垣間見ることもできます。
「岩に牡丹図」は南蘋派の影響の色濃い作品。太湖石の印象的な青色は当時まだ珍しかった舶来のプルシアンブルーが使われているそうです。「燕子花にナイフ図」も不思議な作品。江戸時代の日本画でナイフが静物のように描かれているのは初めて観ました。ナイフには銀の裏箔が使われていて、燕子花の色はプルシアンブルーと染料の臙脂を混ぜているとか。
秋田蘭画系の絵師の作品は他にもあったのですが、特に秋田藩士の田代忠国の絵がかなり異色でキョーレツでした。ただ、こうした秋田蘭画は、小田野直武と佐竹曙山が若くして相次いで亡くなると自然消滅してしまいます。
第5章 秋田蘭画の行方
最後に秋田蘭画以降の洋風画作品を展観。司馬江漢が多かったのですが、司馬江漢になるともう西洋画を強く意識してる感じがあって(実際に油絵や銅版画も手掛けてますし)、却って秋田蘭画はあくまでも日本画の範疇の中で洋風の実験をしていたんだなということが浮き彫りになってくる気がします。
わずか7年、わずか数人の絵師の中で盛り上がっただけなのかもしれないけど、いち早く西洋画法を研究し、日本画の革新に果敢に挑んだ人たちが江戸時代にいたということを知る機会としてとても有意義な展覧会でした。
【世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画】
2017年1月9日(月・祝)まで
サントリー美術館にて
日本洋画の曙光 (岩波文庫)
秋田蘭画は江戸絵画の展覧会でもときどき見ますし、あまり長く続かず絶えたということも知っていたのですが、それが7年という短い時間の中の出来事だったとは知りませんでした。
本展では、秋田蘭画の中心人物である小田野直武と佐竹曙山、また秋田蘭画の理論的指導者だったという平賀源内を中心に、7年という短い時間を駆け抜けた彼らの足跡を丹念に追っています。秋田蘭画の展覧会としては約16年ぶりだといいます。
秋田蘭画というと洋風画の先駆けの和洋折衷絵画ぐらいにしか思っていなかったのですが、その印象が根底から覆りました。
第1章 蘭画前夜
秋田蘭画は江戸絵画の中でも主流ではありませんし、決してメジャーではないからか、会場の入口にはプロローグとして秋田蘭画の“5つのポイント”が紹介されていました。
- 江戸時代半ばに誕生
- 東洋と西洋の美が結びついた不思議な絵
- 中心的な描き手は秋田藩士・小田野直武
- 制作期間が短く、稀少
- 江戸の豊かな文化を背景に成立
小田野直武 「大威徳明王像図」
明和2年(1765) 大威徳神社蔵 (展示は12/12まで)
明和2年(1765) 大威徳神社蔵 (展示は12/12まで)
最初の章では小田野直武を中心に、秋田蘭画以前の作品が展示されています。直武は秋田藩お抱えの狩野派の絵師に手ほどきを受けていたとかで、10代の頃の作品は粉本とはいえ、なかなかの腕前だったことが窺えます。その画才は早くから知られていたようで、依頼を受けて描いたとされる「大威徳明王像図」は数え17歳の作品というから驚きです。
第2章 『解体新書』の時代 ~未知との遭遇~
小田野直武という名前を知らなくても、『解体新書』の扉絵や挿絵は教科書などで見覚えがあるはず。ここでは直武原画の『解体新書』や、その絵の原典などが並んでいます。
面白いのは『ヨンストン動物図譜』で、そこに描かれているライオンを直武や宋紫石らが模写していて、実際に直武が描いたライオン図も展示されていました。当時よく描かれていた“獅子図”ではなく、いかにもライオン。
石川大浪・孟高 「ファン・エイロン筆花鳥図模写」 (重要美術品)
寛政8年(1796)賛 秋田県立近代美術館蔵 (展示は12/12まで)
寛政8年(1796)賛 秋田県立近代美術館蔵 (展示は12/12まで)
江戸時代の洋風画の絵師として知られる石川大浪・孟高兄弟による「ファン・エイロン筆花鳥図模写」があって、これが見事。徳川吉宗がオランダから買い寄せた油彩画の一つだそうで、花や鳥の精緻な表現や陰影は明らかに日本画のそれとは異なります。谷文晁も同じ絵を模写していて、『谷文晁展』で展示されいたのを覚えています。
ほかにも浮絵に眼鏡絵、泥絵など。なぜか鈴木春信の浮世絵があって、一説には錦絵の誕生に平賀源内が関わっていたとか。
第3章 大陸からのニューウェーブ ~江戸と秋田の南蘋派~
小田野直武は平賀源内との出会いを通じて、秋田蘭画の源流となる西洋絵画や銅版画を知ることになるわけですが、もうひとつベースとなったのが当時ブームを巻き起こしていた南蘋派だったのだそうです。
佐々木原善 「花鳥図」
江戸時代・18~19世紀 秋田県立近代美術館蔵 (展示は12/5まで)
江戸時代・18~19世紀 秋田県立近代美術館蔵 (展示は12/5まで)
ここでは江戸で活躍した南蘋派の諸葛監や宋紫石の作品のほかに、秋田に南蘋派を伝えたという佐々木原善、そして原善の師という松林山人の作品が紹介されていました。松林山人という方の絵は初めて観ましたが、あまりの素晴らしさに感動しました。中でも「牡丹図巻」が傑作。粗い筆致の牡丹と写実的な牡丹を墨だけで描き対比させていて素晴らしいの一言。後期に巻替えがあるのでまた観に行くつもりです。松林山人は沈南蘋の弟子・熊斐に師事し、安永年間末ごろから江戸で活躍した絵師だといいます。
第4章 秋田蘭画の軌跡
近景に写実的でインパクトのあるものを描き、遠景に遠近法による風景を描くというのが秋田蘭画の典型パターン。銅版画の影響もあってか、細部まで結構細かく描かれています。従来の日本画とは異なる空間表現が多く、構図としても決して安定しているわけではないのですが、そのアンバランスな感覚がまた秋田蘭画の面白いところです。
小田野直武 「不忍池図」(重要文化財)
江戸時代・18~19世紀 秋田県立近代美術館蔵 (展示は12/12まで)
江戸時代・18~19世紀 秋田県立近代美術館蔵 (展示は12/12まで)
直武の代表作「不忍池図」は近景に南蘋風の芍薬が描かれ、遠景には弁天堂に参詣する人まで丁寧に描きこまれています。花の蕾には肉眼では気付かないぐらい小さな蟻もいます。不忍池に蓮がないのも不思議なのですが、描かれている花の季節もそれぞれ違うのだそうです。花鳥画でもない、風景画でもない、独特の構成がまたどこか異国的で幻想的な印象を与えます。
小田野直武 「日本風景図」
江戸時代・18~19世紀 照源寺蔵
江戸時代・18~19世紀 照源寺蔵
陰影法を意識し立体感を描出した「笹に白兎図」や遠近法で奥行きを出した「日本風景図」などを観ると、日本画的な構図、表現の中に洋風画の技術を巧みに取り入れていて、ある意味、直武は新しい日本画の創造に挑戦していたのではないかと感じます。
中国画にも関心が高かったようで、「人物図」や「児童愛犬図」など中国の風俗を描いた作品も散見されます。円窓をモチーフにした作品も多く、だまし絵的な効果を狙ったものだそうです。
小田野直武 「児童愛犬図」(重要美術品)
江戸時代・18~19世紀 秋田市立千秋美術館蔵 (展示は12/5まで)
江戸時代・18~19世紀 秋田市立千秋美術館蔵 (展示は12/5まで)
佐竹曙山がまたなかなかいい。もともと狩野派から絵を学び、直武から洋風画の教えを受けたそうですが、藩主の余芸というには余りある才能を発揮しています。ただ、曙山の作品は直武に比べて、ちょっとシュール。代表作の「松に唐鳥図」は画面を斜めに大胆に横切る松に異国的な鳥という不思議の光景が広がります。曙山の作品には鳥とか昆虫が描かれているものも多い。どうも博物学に熱を上げていて、参勤交代の途中で生物を写生したり、同じく博物学愛好家の大名と情報交換したりしていたのだとか。会場には曙山が参勤交代の折々に描きためたという写生帖や熊本藩主・細川重賢の写生帖、松平定信の作品もあったりして、当時の大名の間で盛り上がった博物学熱を垣間見ることもできます。
佐竹曙山 「松に唐鳥図」(重要文化財)
江戸時代・18~19世紀 個人蔵 (展示は12/12まで)
江戸時代・18~19世紀 個人蔵 (展示は12/12まで)
佐竹曙山 「岩に牡丹図」
江戸時代・18~19世紀 個人蔵 (展示は12/12まで)
江戸時代・18~19世紀 個人蔵 (展示は12/12まで)
「岩に牡丹図」は南蘋派の影響の色濃い作品。太湖石の印象的な青色は当時まだ珍しかった舶来のプルシアンブルーが使われているそうです。「燕子花にナイフ図」も不思議な作品。江戸時代の日本画でナイフが静物のように描かれているのは初めて観ました。ナイフには銀の裏箔が使われていて、燕子花の色はプルシアンブルーと染料の臙脂を混ぜているとか。
佐竹曙山 「燕子花にナイフ図」(重要美術品)
江戸時代・18~19世紀 秋田市立千秋美術館蔵 (展示は12/5まで)
江戸時代・18~19世紀 秋田市立千秋美術館蔵 (展示は12/5まで)
秋田蘭画系の絵師の作品は他にもあったのですが、特に秋田藩士の田代忠国の絵がかなり異色でキョーレツでした。ただ、こうした秋田蘭画は、小田野直武と佐竹曙山が若くして相次いで亡くなると自然消滅してしまいます。
第5章 秋田蘭画の行方
最後に秋田蘭画以降の洋風画作品を展観。司馬江漢が多かったのですが、司馬江漢になるともう西洋画を強く意識してる感じがあって(実際に油絵や銅版画も手掛けてますし)、却って秋田蘭画はあくまでも日本画の範疇の中で洋風の実験をしていたんだなということが浮き彫りになってくる気がします。
わずか7年、わずか数人の絵師の中で盛り上がっただけなのかもしれないけど、いち早く西洋画法を研究し、日本画の革新に果敢に挑んだ人たちが江戸時代にいたということを知る機会としてとても有意義な展覧会でした。
【世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画】
2017年1月9日(月・祝)まで
サントリー美術館にて
日本洋画の曙光 (岩波文庫)
2016/12/04
浦上玉堂と春琴・秋琴
千葉市美術館で開催中の『文人として生きる − 浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術』を観てまいりました。
江戸時代を代表する文人画家・浦上玉堂とその子息、春琴と秋琴の父子3人にスポットを当てた展覧会です。浦上玉堂の作品はいろんなところで何度も拝見していますが、2人の息子となると滅多にお目にかかりません。春琴には以前から興味があったので、これはいい機会と思い早速行ってきました。
出品数は約270点。前後期で一部入れ替えがあるといっても、かなりのボリュームです。全作品に丁寧な解説パネルがついていて、ちゃんと読んでるとこれがまた結構時間がかかるものですから、途中から解説もほとんど飛ばして観てたのですが、それでも優に3時間かかりました。それだけ非常に充実した内容になっています。
第一章 玉堂の家系と家族
まず冒頭で浦上玉堂の家系に触れています。浦上家は日本書紀にも登場する神話上の人物・武内宿禰を始祖とする紀氏(きうじ)の末流で、江戸時代には代々岡山・鴨方藩に仕えたといいます。遠祖には紀貫之がおり、そうした家系に対する意識が玉堂は高かったのではないかと解説されていました。
芸術を愛し、詞画を愉しみ、琴を弾く。そうした文人的傾向が強くなりすぎたためか、玉堂は左遷させられたともいわれます。妻の病没を機に50歳で脱藩。2人の息子とともに岡山を出奔し、北は会津から西は長崎まで各地を遊歴します。
ここでは玉堂の書画や印章、遺品などとともに、玉堂の初期の水墨画や息子との合作が展示されています。息子たちは幼い頃からこうして玉堂の手ほどきを受けていたことがよく分かりますし、それは後の春琴・秋琴の章に繋がり、あらためて観ると感慨深いものがあります。
玉堂は自分は琴士であるとし、職業画人と見られるのを嫌ったというのが面白いですね。玉堂の七絃琴の“琴嚢(琴袋)”に、谷文晁や渡辺玄対、宋紫山、春木南湖、司馬江漢など文晁門下や南蘋派の画人らの書画が所狭しと書き込まれたものがあって、玉堂の意外と広い交遊関係も知れて興味深いものがありました。
第二章 玉堂
玉堂は生涯、山水画だけを描き、花鳥画や人物画には興味を持たなかったといいます。 その画業は40代半ばから本格化するそうですが、初期の作品は取りたてて特色を感じません。「説明調」とか「謹直」とかいう言葉が解説に使われていたように、最初は先行する山水画を手本にしながら、自分のイメージを表現するためにはどうすればいいか模索していたのでしょう。山があり、水辺があり、木が生い茂り、四阿や橋には人がいて…という基本的なモチーフを盛り込んだ作品が多く、「山中閑静図」のように丁寧に彩色されたものも見かけます。40代で「若描き」、50代で「早い時期」とされているので、玉堂らしさが現れるのはまだまだ先です。
玉堂の強烈な個性が発揮され、独自の画境に至るといわれるのは60代後半からで、どんどん自由になり、心の趣くままに描いているという感じを受けます。 晩年の作品はどれも、画面の中で墨が戯れ、筆が踊っています。山々はときに湧き立つ雲のように、ときに渦を巻きながら天に向かい、木々は生き物のようにうねり、蠢いています。さまざまな線や点を重ねたり、筆を擦りつけたり、こすったり、水墨ってこんなに自由になれるものなのかと驚きます。
「一晴一雨図」は近景を濃墨、遠景は輪郭線だけで描き上げ、山の深さと雨に濡れた山の情景を見事に描き出しています。墨を擦りつけたような筆調も面白い。「山高水長」は高潔な人の功績や人望を山の高さと川の長く流れる様にたとえて褒め称えた言葉とか。玉堂の作品には画中に4字ないし5字の題が書かれていて、その題が意味するものを探るのも興味が湧きます。
60代後期から最晩年にかけて制作されたという「郭中画」「圜中書画」というのもユニークでした。 円窓形や方形、扇面形の手書きの枠の中に景物を描き、さらには一幅にそれらを収めるという自由な発想の作品で、その何とも言えない趣というか、佇まいに唸ってしまいました。
古希を過ぎた頃の作品がまとめられていましたが、その溌剌とした筆の運び、老いてなお気力漲る画面には圧倒させられます。正直なところ、ほかの文人画や水墨画の中でも、玉堂は特別好きなわけじゃないというか、良さがよく分かってなかったというか、わたしには難しすぎてあまり近寄らなかったところがあります。ただ、今回こうして観ると、特に晩年の前衛的ともいえるブッ飛び方は感動的です。上手い下手じゃなくてもう別次元という気がします。職業画人ではない強みというか、衒いのない気ままな筆戯は、ある高度な領域に行き着いた人の極みを感じます。
第三章 春琴
これまでほとんど研究もされてなく、まとまった展覧会もなかったという春琴(1994年に福島県立博物館で『玉堂と春琴・秋琴展』があったらしい)。そもそも今回の企画は『春琴展』といったところから始まったという経緯があるようです。そのためか、本展は春琴がとても充実しています。
会場の最初に展示されていた「名華鳥蟲図」の素晴らしさにまず惹き込まれます。春琴は父譲りの水墨の味わいがある一方で、長崎派や中国画にも関心が高く、長崎派風の花鳥画や中国画風の山水画など、玉堂とはまた違った妙味があります。筆致は柔らかく、色彩は楚々とし、上品で美しく、どの作品も端正で洗練されています。京阪きっての文人画壇の重鎮として活躍し、父・玉堂をはるかに凌ぐ人気作家だったというのも納得です。
花鳥画は色鮮やかな花や鳥、独特の形状の太湖石など長崎派の影響が見られますが、南蘋派のような強烈な色彩や濃厚な印象はありません。山水も構図は整理され、玉堂のような奔放で破綻した感じはなく、その穏和な画面は安心感すら感じます(玉堂を見た後だけに)。
春琴の数少ない屏風絵も展示されていて、これがまた素晴らしい。「春秋山水図屏風」の両隻の真ん中を大きく取った水辺の風景と取り囲むように広がる雄大な山々の精緻な描写。文人の理想郷を描いた中国画の西湖図を思わせます。「花鳥山水図押絵貼屏風」も傑作。山水6図、花鳥6図を交互に配置した6曲1双の押絵貼屏風で、春琴らしい優しい筆致と清らかな淡彩で描かれた山水と花鳥の風趣は格別です。
春琴の山水を観てると、父・玉堂よりも同時代の田能村竹田や中林竹洞、桑山玉洲、野呂介石などに近いものを感じます。墨竹は呉鎮に倣ったとありましたが、墨菊や薔薇を観ると鶴亭など黄檗画の影響も見える気がします。とても技巧的な面もあり、画風も多彩で、それでいて画面はどれも瀟洒で穏やか。
春琴には四季の草花や野菜を描いた花卉図や果蔬図、魚介を描いた作品がいくつかあり、複数展示されていました。華やかながらも、その柔らかで落ち着いた色彩と筆致が、たとえば若冲のそれとはまた異なる趣があって惹かれます。春琴は写生にも優れ、晩酌用に買った魚や野菜などを写してはそれを一幅に仕立て、お世話になった人に贈ったところ好評で、制作依頼を受けることも度々だったようです。
作品は年代毎にまとめられているのですが、晩年になればなるほど、円熟期の冴えというか、非常に味わい深い作品が増えてきます。最晩年の「僊山清暁図」の清らかな美しさは何でしょう。これだけこまごまと描き込まれているのに全くうるさくなく、とても穏やかで、格調の高い画面に仕上がっているのはさすがだと思います。
第四章 秋琴
玉堂の次男・秋琴は、文人画家として活躍する春琴とは違う道を歩み、会津藩に雅楽方として仕えます。秋琴の作品は10代の頃のものを除くと隠居後以降がほとんどで、その間の活動は年代がはっきり分かるものも少なく不明だといいます。展示作品もそれほど多くないのですが、秋琴にはプロの画家ではない自由さがあり、父・玉堂とは画風はまた異なりますが、肩の力の抜けた気持ちよさが感じられます。
第五章 玉堂を見つめる
最後に再び玉堂。晩年の作品を中心に展観していきます。
伺った日は期間限定で玉堂の国宝「東雲篩雪図」が公開されていたのですが、こういう水墨画は初めて見ました。水墨の概念を超えています。冷え冷えとした雲に覆われ、物音ひとつせず静まり返った雪山の、肌を刺すような凍てつく空気。粉雪がしんしんとる降り、木々は身を耐え、人々はじっと寒さをこらえる。独特の墨色や筆勢もさることながら、細かな枝や雪の表現が非常に繊細で、細部まで細かく描かれているのにも驚きます。
図録が重そうだったので最初は躊躇したのですが、玉堂も春琴も秋琴もとても良かったので結局購入してしまいました。恐らく最近の重量級図録の中でも一番の分厚さ。それだけに情報量が多く、読み応えがあります。今年の最後の最後に素晴らしい展覧会に出会えて幸せです。
【文人として生きる − 浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術】
2016年12月18日(日)まで
千葉市美術館にて
絵師別 江戸絵画入門
江戸時代を代表する文人画家・浦上玉堂とその子息、春琴と秋琴の父子3人にスポットを当てた展覧会です。浦上玉堂の作品はいろんなところで何度も拝見していますが、2人の息子となると滅多にお目にかかりません。春琴には以前から興味があったので、これはいい機会と思い早速行ってきました。
出品数は約270点。前後期で一部入れ替えがあるといっても、かなりのボリュームです。全作品に丁寧な解説パネルがついていて、ちゃんと読んでるとこれがまた結構時間がかかるものですから、途中から解説もほとんど飛ばして観てたのですが、それでも優に3時間かかりました。それだけ非常に充実した内容になっています。
第一章 玉堂の家系と家族
まず冒頭で浦上玉堂の家系に触れています。浦上家は日本書紀にも登場する神話上の人物・武内宿禰を始祖とする紀氏(きうじ)の末流で、江戸時代には代々岡山・鴨方藩に仕えたといいます。遠祖には紀貫之がおり、そうした家系に対する意識が玉堂は高かったのではないかと解説されていました。
浦上玉堂・秋琴 「山水画帖」(※写真は一部)
寛政8年(1796) 個人蔵
寛政8年(1796) 個人蔵
芸術を愛し、詞画を愉しみ、琴を弾く。そうした文人的傾向が強くなりすぎたためか、玉堂は左遷させられたともいわれます。妻の病没を機に50歳で脱藩。2人の息子とともに岡山を出奔し、北は会津から西は長崎まで各地を遊歴します。
ここでは玉堂の書画や印章、遺品などとともに、玉堂の初期の水墨画や息子との合作が展示されています。息子たちは幼い頃からこうして玉堂の手ほどきを受けていたことがよく分かりますし、それは後の春琴・秋琴の章に繋がり、あらためて観ると感慨深いものがあります。
玉堂は自分は琴士であるとし、職業画人と見られるのを嫌ったというのが面白いですね。玉堂の七絃琴の“琴嚢(琴袋)”に、谷文晁や渡辺玄対、宋紫山、春木南湖、司馬江漢など文晁門下や南蘋派の画人らの書画が所狭しと書き込まれたものがあって、玉堂の意外と広い交遊関係も知れて興味深いものがありました。
第二章 玉堂
玉堂は生涯、山水画だけを描き、花鳥画や人物画には興味を持たなかったといいます。 その画業は40代半ばから本格化するそうですが、初期の作品は取りたてて特色を感じません。「説明調」とか「謹直」とかいう言葉が解説に使われていたように、最初は先行する山水画を手本にしながら、自分のイメージを表現するためにはどうすればいいか模索していたのでしょう。山があり、水辺があり、木が生い茂り、四阿や橋には人がいて…という基本的なモチーフを盛り込んだ作品が多く、「山中閑静図」のように丁寧に彩色されたものも見かけます。40代で「若描き」、50代で「早い時期」とされているので、玉堂らしさが現れるのはまだまだ先です。
浦上玉堂 「山中閑静図」
個人蔵 (展示は12/4まで)
個人蔵 (展示は12/4まで)
玉堂の強烈な個性が発揮され、独自の画境に至るといわれるのは60代後半からで、どんどん自由になり、心の趣くままに描いているという感じを受けます。 晩年の作品はどれも、画面の中で墨が戯れ、筆が踊っています。山々はときに湧き立つ雲のように、ときに渦を巻きながら天に向かい、木々は生き物のようにうねり、蠢いています。さまざまな線や点を重ねたり、筆を擦りつけたり、こすったり、水墨ってこんなに自由になれるものなのかと驚きます。
浦上玉堂 「一晴一雨図」(重要文化財)
個人蔵
個人蔵
浦上玉堂 「山高水長図」
岡山県立美術館蔵 (展示は12/4まで)
岡山県立美術館蔵 (展示は12/4まで)
「一晴一雨図」は近景を濃墨、遠景は輪郭線だけで描き上げ、山の深さと雨に濡れた山の情景を見事に描き出しています。墨を擦りつけたような筆調も面白い。「山高水長」は高潔な人の功績や人望を山の高さと川の長く流れる様にたとえて褒め称えた言葉とか。玉堂の作品には画中に4字ないし5字の題が書かれていて、その題が意味するものを探るのも興味が湧きます。
浦上玉堂 「寒林間処図」(重要美術品)
個人蔵 (展示は12/4まで)
個人蔵 (展示は12/4まで)
60代後期から最晩年にかけて制作されたという「郭中画」「圜中書画」というのもユニークでした。 円窓形や方形、扇面形の手書きの枠の中に景物を描き、さらには一幅にそれらを収めるという自由な発想の作品で、その何とも言えない趣というか、佇まいに唸ってしまいました。
古希を過ぎた頃の作品がまとめられていましたが、その溌剌とした筆の運び、老いてなお気力漲る画面には圧倒させられます。正直なところ、ほかの文人画や水墨画の中でも、玉堂は特別好きなわけじゃないというか、良さがよく分かってなかったというか、わたしには難しすぎてあまり近寄らなかったところがあります。ただ、今回こうして観ると、特に晩年の前衛的ともいえるブッ飛び方は感動的です。上手い下手じゃなくてもう別次元という気がします。職業画人ではない強みというか、衒いのない気ままな筆戯は、ある高度な領域に行き着いた人の極みを感じます。
浦上玉堂 「琴写澗泉図」
文化12年(1815) 岡山県立美術館蔵 (展示は12/4まで)
文化12年(1815) 岡山県立美術館蔵 (展示は12/4まで)
第三章 春琴
これまでほとんど研究もされてなく、まとまった展覧会もなかったという春琴(1994年に福島県立博物館で『玉堂と春琴・秋琴展』があったらしい)。そもそも今回の企画は『春琴展』といったところから始まったという経緯があるようです。そのためか、本展は春琴がとても充実しています。
浦上春琴 「名華鳥蟲図」
文政4年(1821) 岡山県立美術館蔵
文政4年(1821) 岡山県立美術館蔵
会場の最初に展示されていた「名華鳥蟲図」の素晴らしさにまず惹き込まれます。春琴は父譲りの水墨の味わいがある一方で、長崎派や中国画にも関心が高く、長崎派風の花鳥画や中国画風の山水画など、玉堂とはまた違った妙味があります。筆致は柔らかく、色彩は楚々とし、上品で美しく、どの作品も端正で洗練されています。京阪きっての文人画壇の重鎮として活躍し、父・玉堂をはるかに凌ぐ人気作家だったというのも納得です。
浦上春琴 「四時草花図」
文政10年(1827) 岡山県立美術館蔵 (展示は12/4まで)
文政10年(1827) 岡山県立美術館蔵 (展示は12/4まで)
花鳥画は色鮮やかな花や鳥、独特の形状の太湖石など長崎派の影響が見られますが、南蘋派のような強烈な色彩や濃厚な印象はありません。山水も構図は整理され、玉堂のような奔放で破綻した感じはなく、その穏和な画面は安心感すら感じます(玉堂を見た後だけに)。
浦上春琴 「模施溥倣董北苑筆意山水図」
個人蔵
個人蔵
春琴の数少ない屏風絵も展示されていて、これがまた素晴らしい。「春秋山水図屏風」の両隻の真ん中を大きく取った水辺の風景と取り囲むように広がる雄大な山々の精緻な描写。文人の理想郷を描いた中国画の西湖図を思わせます。「花鳥山水図押絵貼屏風」も傑作。山水6図、花鳥6図を交互に配置した6曲1双の押絵貼屏風で、春琴らしい優しい筆致と清らかな淡彩で描かれた山水と花鳥の風趣は格別です。
春琴の山水を観てると、父・玉堂よりも同時代の田能村竹田や中林竹洞、桑山玉洲、野呂介石などに近いものを感じます。墨竹は呉鎮に倣ったとありましたが、墨菊や薔薇を観ると鶴亭など黄檗画の影響も見える気がします。とても技巧的な面もあり、画風も多彩で、それでいて画面はどれも瀟洒で穏やか。
浦上春琴 「春秋山水図屏風」
文政4年(1821) ミネアポリス美術館蔵
文政4年(1821) ミネアポリス美術館蔵
春琴には四季の草花や野菜を描いた花卉図や果蔬図、魚介を描いた作品がいくつかあり、複数展示されていました。華やかながらも、その柔らかで落ち着いた色彩と筆致が、たとえば若冲のそれとはまた異なる趣があって惹かれます。春琴は写生にも優れ、晩酌用に買った魚や野菜などを写してはそれを一幅に仕立て、お世話になった人に贈ったところ好評で、制作依頼を受けることも度々だったようです。
浦上春琴 「果蔬海客図」
個人蔵
個人蔵
作品は年代毎にまとめられているのですが、晩年になればなるほど、円熟期の冴えというか、非常に味わい深い作品が増えてきます。最晩年の「僊山清暁図」の清らかな美しさは何でしょう。これだけこまごまと描き込まれているのに全くうるさくなく、とても穏やかで、格調の高い画面に仕上がっているのはさすがだと思います。
浦上春琴 「僊山清暁図」
天保15年(1844) 岡山県立美術館蔵
天保15年(1844) 岡山県立美術館蔵
第四章 秋琴
玉堂の次男・秋琴は、文人画家として活躍する春琴とは違う道を歩み、会津藩に雅楽方として仕えます。秋琴の作品は10代の頃のものを除くと隠居後以降がほとんどで、その間の活動は年代がはっきり分かるものも少なく不明だといいます。展示作品もそれほど多くないのですが、秋琴にはプロの画家ではない自由さがあり、父・玉堂とは画風はまた異なりますが、肩の力の抜けた気持ちよさが感じられます。
浦上秋琴 「春景山水図」
天保12年(1841) 福島県立美術館蔵
天保12年(1841) 福島県立美術館蔵
第五章 玉堂を見つめる
最後に再び玉堂。晩年の作品を中心に展観していきます。
伺った日は期間限定で玉堂の国宝「東雲篩雪図」が公開されていたのですが、こういう水墨画は初めて見ました。水墨の概念を超えています。冷え冷えとした雲に覆われ、物音ひとつせず静まり返った雪山の、肌を刺すような凍てつく空気。粉雪がしんしんとる降り、木々は身を耐え、人々はじっと寒さをこらえる。独特の墨色や筆勢もさることながら、細かな枝や雪の表現が非常に繊細で、細部まで細かく描かれているのにも驚きます。
浦上玉堂 「東雲篩雪図」(国宝)
川端康成記念館蔵 (展示は11/22~27のみ)
川端康成記念館蔵 (展示は11/22~27のみ)
図録が重そうだったので最初は躊躇したのですが、玉堂も春琴も秋琴もとても良かったので結局購入してしまいました。恐らく最近の重量級図録の中でも一番の分厚さ。それだけに情報量が多く、読み応えがあります。今年の最後の最後に素晴らしい展覧会に出会えて幸せです。
【文人として生きる − 浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術】
2016年12月18日(日)まで
千葉市美術館にて
絵師別 江戸絵画入門
2016/11/27
色の博物誌 - 江戸の色材を視る・読む
目黒区美術館で開催中の『色の博物誌 - 江戸の色材を視る・読む』を観てまいりました。
先にご覧になられた方の評価もすこぶる良くて、気になったので覗いてみたのですが、これが面白い! 他の美術館に行く予定も忘れ、見込んでいた時間を大幅に超えて見入ってしまいました。
目黒区美術館では1992年から5回にかけて、『色の博物誌』という企画展を催していて、本展はその総仕上げともいうべき展覧会なんだそうです。 過去には「青」や「赤」、「白と黒」、「緑」などカラーごとにテーマを設け、その色にまつわる作品や原料を紹介したり、考古や民俗、歴史などの観点から探ってみたりしたとのこと。今回はその長年の取り組みの集大成みたいなものですから、過去の展覧会を観ていない人でも十分に楽しめるというわけです。
まず導入部の1階の展示が楽しい。日本画や西洋画の絵具やいろんな種類の筆、古今東西さまざまな紙など実物を実際に見られたり、岩絵具が練り剤でどう色味が変わるのか比較展示されていたりします。研究室の整理棚みたいな棚の引き出しを開けて展示を見るという行為が好奇心をそそって面白いですね。正に“画材の引き出し博物館”。
2階は国絵図と浮世絵版画、その復元を通して使われた色を解き明かし、色材を詳しく解説していくという構成になっています。
「国絵図」とは、17世紀から19世紀前半にかけて、幕府の命令により各藩の地形や交通事情を把握するために制作された絵地図。会場では今の岡山県にあたる備前と備中の国絵図が展示されています。地図といっても、手を広げて見るようなコンパクトなものではなく、縦横3~4mぐらいはあろうかという巨大なもの。ある種、政治的な権威も象徴してたようで、将軍はこの地図の上に立って見たのではないかと推測されているといいます。
最初の慶長時代の「備前国図」は国の形もおおまかで、地形もざっくりした感じがありますが、元禄時代のものになると測量技術も発達したため正確さが増しています。村の名前などが細かく書き込まれ、山や田畑などは記号化され、後年の国絵図では凡例が地図の角に示されるなどかなり整理され実用レベルになっていることが分かります。実際に石高の確認や境界の識別などに利用されていたようです。
今回の展覧会は“色材”がポイントなので、国絵図にどんな色が使われていたのか、またその復元を通して判明した研究成果も丁寧に解説されています。いわゆる洛中洛外図屏風や都市図屏風のような鑑賞用のものではないので、芸術性こそありませんが、胡粉が使われていたり、金泥が使われていたり、お城は金箔だったり、意外な発見があります。
国絵図は岩絵具が中心で、植物系の透明感のある色材も使われているけれど、胡粉を混ぜるなど不透明な色面にしているのに対し、浮世絵では植物染料系の色材が中心で、和紙にバレンで圧力をかけ、紙に浸透させることで微妙な色の変化をつけていたのだそうです。どうような絵画・絵図に使用するか、効果を狙うかで色材を選んでいたのですね。
多色摺の木版画、つまり錦絵の立役者といわれるのが鈴木春信。春信の浮世絵作品を例に、初期錦絵にはどんな色が使われていたかも丁寧に解説されています。春信というと、黄や茶、紅色などが中心の淡く落ち着いたトーンの錦絵が頭に浮かびますが、実際に解析してみると、基本色に紅、青花、藤黄を使い、またその混色で独特の色を表現していたのだそうです。
ほかにも、葛飾北斎や渓斎英泉の藍絵を例に、藍色からベロ藍(プルシアンブルー)に変わる過程を紹介していたりします。江戸の庶民の色の好みの移り変わりとともに浮世絵版画で使われる色も変化していったことが良く分かります。
故・立原位貫氏による浮世絵版画の復刻・復元作品も紹介されていて、とても興味深く拝見しました。浮世絵版画で多く使われた植物染料は退色しやすく、きれいな浮世絵だなと思っても、実は当時の色とはかなり違っていたりするようです。立原氏はかつての浮世絵版画で使われていた色や色材を研究し、多くの浮世絵版画の復刻に取り組まれていました。本展では現存する浮世絵版画と復刻版画を並べて展示されていて、ああこういう色だったんだ、こんなにヴィヴィッドだったんだと感動します。
色材のコーナーでは、本展で紹介された国絵図と浮世絵版画で使われていた色を中心に江戸時代の色材20種を取り上げ、その原材料や製造過程がこれまた丁寧に解説されています。特に驚いたのが“青”。浮世絵には“ベロ藍”、“本藍”、“露草(藍紙)”の3種類の“青”があったのだそうで、その内、“露草(藍紙)”は青花(露草に似た花)の色素で一度和紙を染め、乾燥させた和紙(“青花紙”という)をさらに水で戻し、絵具として使用していたのだとか。“藍(本藍)”も藍で染めた麻糸を“飴出し(石灰と水飴で色を抜く)”を行い、できた藍の泡を酢で中和させて絵具を作るという、ほとんどもう化学実験。そんな方法で色材が作られていたとは全く知りませんでした。
図録がまた良くできていて、ちょうど日本画の色材について書かれている本を探してたこともあり、迷わず購入。もちろん本展で紹介されている色の材料や作り方なども掲載されています。なかなかないんですよ、写真が豊富で解説が分かりやすく、値段が手ごろな本というのが。とても勉強になります。
ほかにも画材や画法書についてのコーナーもあり、興味は尽きません。
絵画はあくまでも参考でメインは「色」。絵画を鑑賞するのとは違った視点で作品を観ることで新しい発見がたくさんありました。日本画や浮世絵が好きな人ならきっと楽しめるし勉強にもなると思いますよ。
【色の博物誌 - 江戸の色材を視る・読む】
2016年12月18日(日)まで
目黒区美術館にて
一刀一絵
先にご覧になられた方の評価もすこぶる良くて、気になったので覗いてみたのですが、これが面白い! 他の美術館に行く予定も忘れ、見込んでいた時間を大幅に超えて見入ってしまいました。
目黒区美術館では1992年から5回にかけて、『色の博物誌』という企画展を催していて、本展はその総仕上げともいうべき展覧会なんだそうです。 過去には「青」や「赤」、「白と黒」、「緑」などカラーごとにテーマを設け、その色にまつわる作品や原料を紹介したり、考古や民俗、歴史などの観点から探ってみたりしたとのこと。今回はその長年の取り組みの集大成みたいなものですから、過去の展覧会を観ていない人でも十分に楽しめるというわけです。
まず導入部の1階の展示が楽しい。日本画や西洋画の絵具やいろんな種類の筆、古今東西さまざまな紙など実物を実際に見られたり、岩絵具が練り剤でどう色味が変わるのか比較展示されていたりします。研究室の整理棚みたいな棚の引き出しを開けて展示を見るという行為が好奇心をそそって面白いですね。正に“画材の引き出し博物館”。
2階は国絵図と浮世絵版画、その復元を通して使われた色を解き明かし、色材を詳しく解説していくという構成になっています。
「備前国図」
慶長年間(1596-1615) 岡山大学附属図書館池田文庫蔵
慶長年間(1596-1615) 岡山大学附属図書館池田文庫蔵
「国絵図」とは、17世紀から19世紀前半にかけて、幕府の命令により各藩の地形や交通事情を把握するために制作された絵地図。会場では今の岡山県にあたる備前と備中の国絵図が展示されています。地図といっても、手を広げて見るようなコンパクトなものではなく、縦横3~4mぐらいはあろうかという巨大なもの。ある種、政治的な権威も象徴してたようで、将軍はこの地図の上に立って見たのではないかと推測されているといいます。
最初の慶長時代の「備前国図」は国の形もおおまかで、地形もざっくりした感じがありますが、元禄時代のものになると測量技術も発達したため正確さが増しています。村の名前などが細かく書き込まれ、山や田畑などは記号化され、後年の国絵図では凡例が地図の角に示されるなどかなり整理され実用レベルになっていることが分かります。実際に石高の確認や境界の識別などに利用されていたようです。
今回の展覧会は“色材”がポイントなので、国絵図にどんな色が使われていたのか、またその復元を通して判明した研究成果も丁寧に解説されています。いわゆる洛中洛外図屏風や都市図屏風のような鑑賞用のものではないので、芸術性こそありませんが、胡粉が使われていたり、金泥が使われていたり、お城は金箔だったり、意外な発見があります。
鈴木春信 「三十六歌仙 紀友則」
明和4年(1767)頃
明和4年(1767)頃
国絵図は岩絵具が中心で、植物系の透明感のある色材も使われているけれど、胡粉を混ぜるなど不透明な色面にしているのに対し、浮世絵では植物染料系の色材が中心で、和紙にバレンで圧力をかけ、紙に浸透させることで微妙な色の変化をつけていたのだそうです。どうような絵画・絵図に使用するか、効果を狙うかで色材を選んでいたのですね。
多色摺の木版画、つまり錦絵の立役者といわれるのが鈴木春信。春信の浮世絵作品を例に、初期錦絵にはどんな色が使われていたかも丁寧に解説されています。春信というと、黄や茶、紅色などが中心の淡く落ち着いたトーンの錦絵が頭に浮かびますが、実際に解析してみると、基本色に紅、青花、藤黄を使い、またその混色で独特の色を表現していたのだそうです。
ほかにも、葛飾北斎や渓斎英泉の藍絵を例に、藍色からベロ藍(プルシアンブルー)に変わる過程を紹介していたりします。江戸の庶民の色の好みの移り変わりとともに浮世絵版画で使われる色も変化していったことが良く分かります。
葛飾北斎 (原作)「東海道五十三次之内 蒲原 夜之雪」
立原位貫 (復刻)「東海道五十三次之内 蒲原 夜之雪」
立原位貫 (復刻)「東海道五十三次之内 蒲原 夜之雪」
故・立原位貫氏による浮世絵版画の復刻・復元作品も紹介されていて、とても興味深く拝見しました。浮世絵版画で多く使われた植物染料は退色しやすく、きれいな浮世絵だなと思っても、実は当時の色とはかなり違っていたりするようです。立原氏はかつての浮世絵版画で使われていた色や色材を研究し、多くの浮世絵版画の復刻に取り組まれていました。本展では現存する浮世絵版画と復刻版画を並べて展示されていて、ああこういう色だったんだ、こんなにヴィヴィッドだったんだと感動します。
色材のコーナーでは、本展で紹介された国絵図と浮世絵版画で使われていた色を中心に江戸時代の色材20種を取り上げ、その原材料や製造過程がこれまた丁寧に解説されています。特に驚いたのが“青”。浮世絵には“ベロ藍”、“本藍”、“露草(藍紙)”の3種類の“青”があったのだそうで、その内、“露草(藍紙)”は青花(露草に似た花)の色素で一度和紙を染め、乾燥させた和紙(“青花紙”という)をさらに水で戻し、絵具として使用していたのだとか。“藍(本藍)”も藍で染めた麻糸を“飴出し(石灰と水飴で色を抜く)”を行い、できた藍の泡を酢で中和させて絵具を作るという、ほとんどもう化学実験。そんな方法で色材が作られていたとは全く知りませんでした。
図録がまた良くできていて、ちょうど日本画の色材について書かれている本を探してたこともあり、迷わず購入。もちろん本展で紹介されている色の材料や作り方なども掲載されています。なかなかないんですよ、写真が豊富で解説が分かりやすく、値段が手ごろな本というのが。とても勉強になります。
ほかにも画材や画法書についてのコーナーもあり、興味は尽きません。
絵画はあくまでも参考でメインは「色」。絵画を鑑賞するのとは違った視点で作品を観ることで新しい発見がたくさんありました。日本画や浮世絵が好きな人ならきっと楽しめるし勉強にもなると思いますよ。
【色の博物誌 - 江戸の色材を視る・読む】
2016年12月18日(日)まで
目黒区美術館にて
一刀一絵