いやいやいや今年ももう終わりですよ。いつものことながらあっという間ですね。
そこで今年も1年を振り返り、展覧会ベスト10を出してみました。
拙ブログでは展覧会に限ると、今年は77のエントリーがありました。観たもののブログに書けずじまいの展覧会もあって、現代アートや写真は語れないので書いていないのが多いのと、観てもあまり興味を覚えなかった展覧会は書いてない(Twitterでつぶやいていてもブログに書いていないものがあれば、あゝつまらなかったんだなと思ってください(笑))ので、そうしたものを入れると恐らく100は超えるんじゃないでしょうか。博物館・美術館に足を運ぶ回数も毎年どんどん多くなります。仕事やプライベートのことを考えるともう限界。。。
昨年のベスト10は日本美術の展覧会ばかりを選んでしまったので、今年はバランスよく西洋美術も入れようと思ったのですが、西洋美術系は結局ひとつだけになりました。あくまでも極私的な趣味のベスト10なのでお許しください。
もう先月ぐらいから今年は何が良かったか、いろいろ思い返していて、それでもなかなかまとまらず毎日頭の中で変わるので、仕舞いには集計とって平均を出そうかと思ったぐらい。今年は(も)難産でした。
2015年のベスト10はこんな感じです。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
1位 『白鳳 -花ひらく仏教美術-』(奈良国立博物館)
正直1位、2位は非常に迷ったのですが、ここまでの内容はもう観られないだろうなというところで、こちらを今年の一番としました。遠く奈良まで観に行ったわけですが、もしこれを見逃していたら、後悔してやまなかったと思います。飛鳥でも天平でもない白鳳仏というところがまた絶妙な位置で、奈良時代以降の写実的にも完成されていく仏像の手前の、大陸様から和様化への過渡期の仏像の面白さ、清新さ、プリミティブさを堪能させていただきました。素晴らしかったです。
2位 『月映展』(東京ステーションギャラリー)
作品の持つ魅力といいましょうか、その幻想性や抽象性、デカダンスなムード、そして色のトーンや拙くも繊細な彫り線、全てが愛おしく、その虜となりました。これまで大正ロマンというと、たとえば竹久夢二のような女性的なイメージがあって、避けて通ってきた部分があったのですが、同じ時代に、しかも夢二に少なからず影響を受けているにもかかわらず、こうした傾向の作品があったことも驚きでしたし、なにより『月映(つくはえ)』の3人の友情や版画誌にかける情熱に胸が熱くなりました。
3位 『桃山時代の狩野派』(京都国立博物館)
わたし的にはドストライクの展覧会だったということもあるのですが、永徳と探幽の間にあって飛ばされがちな時代をガッチリ抑えていて、永徳を観たぐらいで桃山絵画を語っちゃダメだよねということを強く思った展覧会でもありました。桃山時代の狩野派というと、ダイナミックでゴージャスというイメージがありますが、それだけではない繊細で優美な世界を知ることができました。
4位 『水-神秘のかたち』(サントリー美術館)
今月観たばかりなので、後期展示を観てから来年の対象にするか迷ったのですが、ブログ記事も書いてますし、何より大変素晴らしかったのでランクインさせました。テーマ性のある企画展って、企画は面白くてもなかなか作品が揃ってなかったりというものも多いのですが、本展はテーマもしっかりしてるし、美術品として優品も多いし、とりわけ“水”にまつわる信仰・宗教的な観点からも見るべきものが多くあり、非常に優れた展覧会だと思います。さすが“水と生きる SUNTORY”。
5位 『春画展』(永青文庫)
春画の好き嫌いは別として、日本画や浮世絵の美術展史上画期的な展覧会であったということと、永世文庫の英断に拍手を送るという意味で、ベスト5に入れました。浮世絵を語る上で春画を外せないのは明らかなのに、春画をないものとして浮世絵を語っていた時代にようやく終わりが来たのだなという感慨とともに。確かに春画はもともとがもともとなので、どうしてもそれは生々しいわけですが、春画といえど手を抜かない絵師たちの技巧やレトリックも愉しめましたし、何より春画を広く許容した江戸の文化や風俗にとても強い関心を覚えました。
6位 『鴨居玲展』(東京ステーションギャラリー)
鴨居玲の作品がどんなものかを知っていても、これだけの数の作品を時系列で追いながら観ていくと、彼の作品世界に入り込んでしまいますし、彼の思いというものも強く伝わってきます。正直ズシリと重く、直視するのも辛いものがあったのですが、とても心に響く展覧会でした。 絵を描くとはこんなにも苦しく壮絶なものなのかと思わずにいられませんでした。東京ステーションギャラリーのレンガ壁の雰囲気がまたよく合ってましたね。
7位 『琳派 京を彩る』(京都国立博物館)
どうしても数年前の『大琳派展』と比べてしまいがちになるのですが、どーんと物量で見せた『大琳派展』と異なり、“京都”の琳派であることを強く意識させてくれた展覧会になっていたと思います。当然のことながら光悦・宗達・光琳の充実度は素晴らしかったですね。琳派イヤーにふさわしい展覧会でした。
8位 『久隅守景展』(サントリー美術館)
その実力の高さは見聞きしていても、なかなか全貌のつかめなかった久隅守景によくぞスポットをあててくれたと感謝の一言です。探幽の弟子にして実は探幽臭さをあまり感じさせないところも面白かったですし、「四季耕作図屏風」や「納涼図屏風」に代表されるような、人間味溢れるまなざしと表現の豊かさ、おおらかな雰囲気が格別なことに加え、動物を描いた作品に見られるユーモラスさにも強く惹かれました。これまた観る機会の少ない娘・清原雪信の作品をたくさん観られたのも嬉しかったです。
9位
『マグリット展』(国立新美術館)
マグリットの絵が大好きということもあるのですが、時代ごとに満遍なく、代表作を含め良い作品がたくさん集められていて、ボリュームもありましたし、期待以上に満足度の高いマグリット展だったと思います。
10位 『江戸の悪』(太田記念美術館)
歌舞伎には“色悪”“実悪”という言葉があるように悪役を魅力的に描くことがよくあって、当然歌舞伎を題材にすることの多い浮世絵にもそれらは描かれていて、そうしたものだけをピックアップしているので、魅力的な悪役が揃うわけですよ。これは企画の勝利で、また太田記念美術館の充実したコレクションの中から見せてくるのものだから、“悪”を楽しいと言ったらいけませんが、とても楽しい展覧会でした。図録がなかったのがただ残念。
そのほか、『小杉放菴展』、『若冲と蕪村』、『舟越保武彫刻展』はどうしてもベスト10に入れたいと思いつつ最終的に次点となってしまいました。ほかにも今年印象に強く残った展覧会として、日本美術では『片岡球子展』、『着想のマエストロ 乾山見参!』、『MOMATコレクション 藤田嗣治、全所蔵作品展示。』、『肉筆浮世絵-美の競艶』、西洋美術では『新印象派展』、『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』、『プラド美術館展』はとても良かったと思います。
ちなみに今年アップした展覧会の記事で拙サイトへのアクセス数は以下の通りです。
1位 『鳥獣戯画-京都 高山寺の至宝-』
2位 『マグリット展』
3位 『春画展』
4位 『月映展』
5位 『世紀末の幻想』
6位 『ヘレン・シャルフベック展』
7位 『モネ展』
8位 『片岡球子展』
9位 『鴨居玲展』
10位 『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』
今年を振り返ると、上期は『鳥獣戯画展』、下期は『春画展』がかなり大きな話題になり、いろいろと考えさせることも多くありました。日本美術ブームの盛り上がりは増す一方で、来年は『若冲展』も控え、どれだけ行列ができるのかと早くも話のネタになっています。『鳥獣戯画展』では観たくても作品を観られない高齢者や身障者の姿も見かけました。日本美術ファンには高齢者も多く、高齢者など弱者に負担をかけない鑑賞環境という点ではまだまだ改善の余地がありそうだと感じます。いつまでも無策では済まされないので、たとえば日本もそろそろ海外の美術館のように混雑が予想される展覧会には時間制チケットの導入を考える時期が来てるんだろうなと思います。
『春画展』は日本では開催不可能だろうと半ば諦めていましたし、事実どこも企画を受け入れてくれる美術館はなかったといいますが、こうして大きな問題なく幕を下ろし、さて次はどのような形で“春画”が紹介されるのか気になるところです。海外では娼婦やサド、男性ヌードといったセクシャルなテーマの展覧会が話題になっているようですが、日本はいまだに男性のヌード写真に布を被せなくていはいけないような社会なので、今後こうしたテーマの展覧会が日本でどのように展開されていくのか興味があります。
わたし自身は残念ながら拝見できませんでしたが、東京都現代美術館の会田誠さんの作品の騒動も今年を象徴する話題だったと思います。今年はいろんな意味で展覧会のあり方が変わっていく転換点だったのかもしれません。
日本美術に限れば、東博が日本美術の展覧会に積極的でない今(来年は日本美術の特別展もあるようですが)、京博が心の拠り所(笑)になっていたのですが、旧本館が休館し、今後“平成知新館”だけでどのように展覧会を開いていくのかも気になります。そんな中、サントリー美術館に好企画が多く、今年は例年以上に足を運びました。ここは学芸員さんがほんとよく企画を練って、見せ方を考えているなといつも感心します。
来年は来年で期待の展覧会がいくつもあるので、どんな素敵な作品に出会えるか今からワクワクしてますし、またどんな知られざる画家や作品に出会えるか楽しみでたまりません。あとは仕事があまり忙しくならないのを祈るばかりです。
拙いサイトにも関わらず、今年も一年間足をお運びいただきありがとうございました。来年ももっとたくさん展覧会を観て、いろいろとご紹介できればと思っています。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
【参考】
2014年 展覧会ベスト10
2013年 展覧会ベスト10
2012年 展覧会ベスト10
美術館の舞台裏: 魅せる展覧会を作るには (ちくま新書)
2015/12/31
2015/12/29
水-神秘のかたち
サントリー美術館で開催中の『水-神秘のかたち』を観てきました。
水にまつわる神仏や信仰、説話などを表した美術品・工芸品を集めた展覧会。確か何年か前にもサントリー美術館は“水”をテーマにした展覧会をやっていたので、似たような感じかなと思ったのですが、今回はかなり深くツッコんできました。
何よりそのテーマ、見せ方が素晴らしい。展示品が良いのももちろんなのですが、古来からの自然崇拝や日本人の中での精神的な繋がりが作品の背景から見えてくるし、そのため作品の造形がより興味深く感じられます。
ただ単に“水”を表現した美術・工芸的な作品を鑑賞するというのではなく、日本の信仰や宗教を“水”というテーマで捉えるという点でも非常に面白い展覧会になっています。
第1章 水の力
まずは導入部として、日本人がいかに“水”に神秘性を見出し、信仰の対象としていたかを紹介。
会場入ってすぐに展示されているのが弥生時代の銅鐸で、流水の文様が刻まれていることから、水への祈りが太古の昔からあったとされています。本展では弥生時代の流水文が水の流れを意味していると断定していますが、これについては異論もあるようなので何とも言えませんが、どちらにしろ2000年も昔にこうした抽象的な文様があったのですから凄いことです。
よく寺社の縁起に、仏像が川から流れ着いたとか、流れてきた霊木で仏像を造ったとかいう話がありますが、その代表的なものとして奈良・長谷寺の十一面観音像の縮小模刻が出品されています。本尊の十一面観音像は何度か焼失していて、展示されているのは13世紀に快慶が本尊を復刻(現存せず)したときに同じ木材で弟子の長快が造像したものとか。流れるような衣文も美しく、慶派仏師らしい力強くも非常に優美な仏像です。
本展の目玉のひとつが、聖なる山と水を表現したという金剛寺の「日月山水図屛風」。ずっと観たかった作品で、ようやく拝見できました。これが15世紀のやまと絵なのかと俄かに信じがたいぐらいにユニークな屏風で、もしこの絵のことを知らない人に「加山又造の作品だよ」と言ったら信じてもらえるのではないかと思えるほど自由奔放でモダンな魅力に満ちています。琳派誕生前にこれだけ大胆な空間表現と装飾的な工芸的手法が使われていることにも驚きます。類似した作品に出光美術館の「日月四季花鳥図屏風」がありますが、中世やまと絵屏風とはこれほどまでに先鋭的でダイナミックだったのかと思うと興味は尽きません。
そのほかにも、東大寺二月堂のお水取りで用いられる法具や、湯立神事を描いた絵図など、水にまつわる儀礼や信仰の作例が展示されています。
第2章 水の神仏
ここでは“水”が神格化した姿を紹介しています。“水”の神というと、まず頭に思い浮かぶのが弁才天(弁財天)。もとは「水を持つもの」という意味のヒンドゥー教の女神サラスヴァティーであったといいます。
弁才天像には3タイプあって、8臂(腕が8本)のものと2臂(腕が2本)のもの、そして頭上に蛇神をいだいた宇賀弁才天。本展にも複数の宇賀弁才天が展示されていて、頭に鳥居を乗せているものもあるんですね。弁才天の化身が蛇であることから結びついたようですが、その姿はちょっと異様です。
江島(江ノ島)や竹生島、天川、厳島にゆかりの弁才天が紹介されていて、そのうちMIHO MUSEUM所蔵の「弁才天坐像」は江島神社伝来のものとか。こちらも宇賀神を頭に乗せた8臂像ですが、装身具をたくさん身につけていて、かすかに彩色の跡も分かります。昔は色鮮やかな美しいお姿だったのでしょうね。石山寺の「天川弁才天曼荼羅」の蛇頭人身の三面十臂の弁才天の異形さには度肝を抜かれました。
単独の人頭蛇体の異様な宇賀神もありました。会期後半には、みうらじゅんも絶賛した大阪・本山寺の「宇賀神像」が出品されます。これは必見。すでにシルエットだけは展示されています(笑)
「吉野御子守明神像」は吉野水分神社の主祭神・天之水分神(あめのみくまりのかみ)を描いた作品。「水分(みくまり)」から「みこもり」と変化し、もともとは水源を司る神様だったものが育児の神様として信仰されているのだそうです。いかにも神様や仏様といったお姿ではなく、赤子を抱く母親を明神様として祀っているところに逆に人々のリアルな祈りが見えてくるようです。
ほかにも仏教の十二天の一尊・水天の像や、“水”と関係の深い住吉大社にまつわる坐像や絵巻などが展示されています。
第3章 水に祈りて
“水”は五穀豊穣の源であり、その祈りの対象である水神の象徴として古来より龍神が祀られてきました。「善女龍王像」は雨乞い修法の本尊で、善女なのにそのお姿は男性のようです。状態は決して良くありませんが、細く精緻な線描、流麗で丁寧な衣服の表現など、極めて優れた作品だと分かります。よく見ると、裾から龍の尾っぽが見えます。
鞘に倶利伽羅龍が巻きついた龍光院の「倶利伽羅龍剣」、倶利伽羅龍が不動明王の象徴であることがよく分かる「倶利迦羅龍剣二童子像」(奈良博蔵)、岩窟に潜む龍神のように彫り表した金剛峯寺の「水神像」など、その見事な造形に唸ってばかり。
中でもとりわけ素晴らしいのが「春日龍珠箱」。龍神の宝珠を納めたとされる、言わば玉手箱のような箱で、外箱と内箱から成り、その箱に描かれた絵の美しさがまた素晴らしい。外箱は経年の汚れで絵が分かりづらいですが、蓋裏は褪色もなく、3匹の龍と8人の束帯姿の貴族が描かれています。よく見ると貴族の肩の上には龍が乗っていて実は八大龍王なのだと分かります。内箱も側面には文様化された荒波が描かれていて、その素晴らしさには目を見張ります。
第4章 水の理想郷
龍宮伝説が紹介されていて、『浦島太郎』のモデルともいわれる海幸彦と山幸彦の神話を描いた「彦火々出見尊絵巻」や、これも“七夕伝説”の起源とされる「天稚彦物語絵巻」など興味深い作品が並びます。蓬萊山は古くは宮殿を背に乗せた亀だったという話も面白かったですね。楊柳観音(水月観音)を描いた作品や、なぜか巻貝に乗った羅漢様もあったりします。
第5章 水と吉祥
吉祥文様の中に見られる水の表現。たとえば長寿のお祝いによく見られる菊水文様や、古来御神体とされる滝を描いたものなど、日本人の生活を彩ってきた文様に水の造形を見ていきます。
器物や着物なども展示されていますが、やはり目を惹くのが応挙の「青楓瀑布図」。大ぶりな掛軸に堂々と描かれた大きな滝からは迫力ある滝の音が聴こえてきそうです。滝の白さと岩の黒さ、楓の青さが絶妙なバランスで配され、構図としても見事な逸品。題詞は応挙に師事したともいう儒学者の皆川淇園。
第6章 水の聖地
最後は水にまつわる寺社や祭礼、町を描いた名所図屏風。「四天王寺住吉大社祭礼図屛風」はその名のとおり四天王寺と住吉大社を描いた六曲一双の屏風で、祭礼や花見、また門前町など江戸初期の名所風俗図屏風ならではの賑わいぶりを見せます。「厳島三保松原図屛風」も左隻に厳島、右隻に三保松原を描き、全裸で泳ぐ人がいたり、酒宴で盛り上がる人がいたり、大名行列があったりと、そこに描かれる人々の様子も楽しい。
人気の絵師の作品が出てるわけでもないので、決してお客さんが入ってる展覧会ではありませんが、わたしのTwitterのTLを見る限り、既にご覧になった方々の評判はすこぶる良いようです。美術品として優品も多いのですが、宇賀神や弁才天、また龍神にまつわる作品など宗教・信仰的な観点からも見るべきものが多く、テーマもしっかりしていて優れた展覧会だと思います。
【水-神秘のかたち】
2016年2月7日(日)まで
(※12月29日(火)~1月1日(金・祝)は休館)
サントリー美術館にて
日本の伝統文様事典 (講談社ことばの新書)
水にまつわる神仏や信仰、説話などを表した美術品・工芸品を集めた展覧会。確か何年か前にもサントリー美術館は“水”をテーマにした展覧会をやっていたので、似たような感じかなと思ったのですが、今回はかなり深くツッコんできました。
何よりそのテーマ、見せ方が素晴らしい。展示品が良いのももちろんなのですが、古来からの自然崇拝や日本人の中での精神的な繋がりが作品の背景から見えてくるし、そのため作品の造形がより興味深く感じられます。
ただ単に“水”を表現した美術・工芸的な作品を鑑賞するというのではなく、日本の信仰や宗教を“水”というテーマで捉えるという点でも非常に面白い展覧会になっています。
第1章 水の力
まずは導入部として、日本人がいかに“水”に神秘性を見出し、信仰の対象としていたかを紹介。
会場入ってすぐに展示されているのが弥生時代の銅鐸で、流水の文様が刻まれていることから、水への祈りが太古の昔からあったとされています。本展では弥生時代の流水文が水の流れを意味していると断定していますが、これについては異論もあるようなので何とも言えませんが、どちらにしろ2000年も昔にこうした抽象的な文様があったのですから凄いことです。
「流水文銅鐸」
弥生時代・紀元前1~1世紀 八尾市立歴史民俗資料館蔵
弥生時代・紀元前1~1世紀 八尾市立歴史民俗資料館蔵
よく寺社の縁起に、仏像が川から流れ着いたとか、流れてきた霊木で仏像を造ったとかいう話がありますが、その代表的なものとして奈良・長谷寺の十一面観音像の縮小模刻が出品されています。本尊の十一面観音像は何度か焼失していて、展示されているのは13世紀に快慶が本尊を復刻(現存せず)したときに同じ木材で弟子の長快が造像したものとか。流れるような衣文も美しく、慶派仏師らしい力強くも非常に優美な仏像です。
本展の目玉のひとつが、聖なる山と水を表現したという金剛寺の「日月山水図屛風」。ずっと観たかった作品で、ようやく拝見できました。これが15世紀のやまと絵なのかと俄かに信じがたいぐらいにユニークな屏風で、もしこの絵のことを知らない人に「加山又造の作品だよ」と言ったら信じてもらえるのではないかと思えるほど自由奔放でモダンな魅力に満ちています。琳派誕生前にこれだけ大胆な空間表現と装飾的な工芸的手法が使われていることにも驚きます。類似した作品に出光美術館の「日月四季花鳥図屏風」がありますが、中世やまと絵屏風とはこれほどまでに先鋭的でダイナミックだったのかと思うと興味は尽きません。
「日月山水図屛風」(重要文化財)
室町時代・15~16世紀 金剛寺蔵 (展示は1/11まで)
室町時代・15~16世紀 金剛寺蔵 (展示は1/11まで)
そのほかにも、東大寺二月堂のお水取りで用いられる法具や、湯立神事を描いた絵図など、水にまつわる儀礼や信仰の作例が展示されています。
第2章 水の神仏
ここでは“水”が神格化した姿を紹介しています。“水”の神というと、まず頭に思い浮かぶのが弁才天(弁財天)。もとは「水を持つもの」という意味のヒンドゥー教の女神サラスヴァティーであったといいます。
弁才天像には3タイプあって、8臂(腕が8本)のものと2臂(腕が2本)のもの、そして頭上に蛇神をいだいた宇賀弁才天。本展にも複数の宇賀弁才天が展示されていて、頭に鳥居を乗せているものもあるんですね。弁才天の化身が蛇であることから結びついたようですが、その姿はちょっと異様です。
「弁才天坐像」
鎌倉~南北朝時代・14世紀 MIHO MUSEUM蔵
鎌倉~南北朝時代・14世紀 MIHO MUSEUM蔵
江島(江ノ島)や竹生島、天川、厳島にゆかりの弁才天が紹介されていて、そのうちMIHO MUSEUM所蔵の「弁才天坐像」は江島神社伝来のものとか。こちらも宇賀神を頭に乗せた8臂像ですが、装身具をたくさん身につけていて、かすかに彩色の跡も分かります。昔は色鮮やかな美しいお姿だったのでしょうね。石山寺の「天川弁才天曼荼羅」の蛇頭人身の三面十臂の弁才天の異形さには度肝を抜かれました。
単独の人頭蛇体の異様な宇賀神もありました。会期後半には、みうらじゅんも絶賛した大阪・本山寺の「宇賀神像」が出品されます。これは必見。すでにシルエットだけは展示されています(笑)
「吉野御子守明神像」
鎌倉~南北朝時代・14世紀 大和文華館蔵 (展示は1/11まで)
鎌倉~南北朝時代・14世紀 大和文華館蔵 (展示は1/11まで)
「吉野御子守明神像」は吉野水分神社の主祭神・天之水分神(あめのみくまりのかみ)を描いた作品。「水分(みくまり)」から「みこもり」と変化し、もともとは水源を司る神様だったものが育児の神様として信仰されているのだそうです。いかにも神様や仏様といったお姿ではなく、赤子を抱く母親を明神様として祀っているところに逆に人々のリアルな祈りが見えてくるようです。
ほかにも仏教の十二天の一尊・水天の像や、“水”と関係の深い住吉大社にまつわる坐像や絵巻などが展示されています。
第3章 水に祈りて
“水”は五穀豊穣の源であり、その祈りの対象である水神の象徴として古来より龍神が祀られてきました。「善女龍王像」は雨乞い修法の本尊で、善女なのにそのお姿は男性のようです。状態は決して良くありませんが、細く精緻な線描、流麗で丁寧な衣服の表現など、極めて優れた作品だと分かります。よく見ると、裾から龍の尾っぽが見えます。
「善女龍王像」(国宝)
平安時代・久安元年(1145) 金剛峯寺 (展示は1/11まで)
平安時代・久安元年(1145) 金剛峯寺 (展示は1/11まで)
鞘に倶利伽羅龍が巻きついた龍光院の「倶利伽羅龍剣」、倶利伽羅龍が不動明王の象徴であることがよく分かる「倶利迦羅龍剣二童子像」(奈良博蔵)、岩窟に潜む龍神のように彫り表した金剛峯寺の「水神像」など、その見事な造形に唸ってばかり。
「春日龍珠箱」(重要文化財)
南北朝時代・14世紀 奈良国立博物館蔵 (展示は1/11まで)
南北朝時代・14世紀 奈良国立博物館蔵 (展示は1/11まで)
中でもとりわけ素晴らしいのが「春日龍珠箱」。龍神の宝珠を納めたとされる、言わば玉手箱のような箱で、外箱と内箱から成り、その箱に描かれた絵の美しさがまた素晴らしい。外箱は経年の汚れで絵が分かりづらいですが、蓋裏は褪色もなく、3匹の龍と8人の束帯姿の貴族が描かれています。よく見ると貴族の肩の上には龍が乗っていて実は八大龍王なのだと分かります。内箱も側面には文様化された荒波が描かれていて、その素晴らしさには目を見張ります。
第4章 水の理想郷
龍宮伝説が紹介されていて、『浦島太郎』のモデルともいわれる海幸彦と山幸彦の神話を描いた「彦火々出見尊絵巻」や、これも“七夕伝説”の起源とされる「天稚彦物語絵巻」など興味深い作品が並びます。蓬萊山は古くは宮殿を背に乗せた亀だったという話も面白かったですね。楊柳観音(水月観音)を描いた作品や、なぜか巻貝に乗った羅漢様もあったりします。
第5章 水と吉祥
吉祥文様の中に見られる水の表現。たとえば長寿のお祝いによく見られる菊水文様や、古来御神体とされる滝を描いたものなど、日本人の生活を彩ってきた文様に水の造形を見ていきます。
器物や着物なども展示されていますが、やはり目を惹くのが応挙の「青楓瀑布図」。大ぶりな掛軸に堂々と描かれた大きな滝からは迫力ある滝の音が聴こえてきそうです。滝の白さと岩の黒さ、楓の青さが絶妙なバランスで配され、構図としても見事な逸品。題詞は応挙に師事したともいう儒学者の皆川淇園。
円山応挙 「青楓瀑布図」
江戸時代・天明7年(1787) サントリー美術館蔵 (展示は1/11まで)
江戸時代・天明7年(1787) サントリー美術館蔵 (展示は1/11まで)
第6章 水の聖地
最後は水にまつわる寺社や祭礼、町を描いた名所図屏風。「四天王寺住吉大社祭礼図屛風」はその名のとおり四天王寺と住吉大社を描いた六曲一双の屏風で、祭礼や花見、また門前町など江戸初期の名所風俗図屏風ならではの賑わいぶりを見せます。「厳島三保松原図屛風」も左隻に厳島、右隻に三保松原を描き、全裸で泳ぐ人がいたり、酒宴で盛り上がる人がいたり、大名行列があったりと、そこに描かれる人々の様子も楽しい。
人気の絵師の作品が出てるわけでもないので、決してお客さんが入ってる展覧会ではありませんが、わたしのTwitterのTLを見る限り、既にご覧になった方々の評判はすこぶる良いようです。美術品として優品も多いのですが、宇賀神や弁才天、また龍神にまつわる作品など宗教・信仰的な観点からも見るべきものが多く、テーマもしっかりしていて優れた展覧会だと思います。
【水-神秘のかたち】
2016年2月7日(日)まで
(※12月29日(火)~1月1日(金・祝)は休館)
サントリー美術館にて
日本の伝統文様事典 (講談社ことばの新書)
2015/12/23
神仏・異類・人 -奈良絵本・絵巻にみる怪異-
國學院大學博物館で開催中の『神仏・異類・人 -奈良絵本・絵巻にみる怪異-』を観てまいりました。
日本に古くからある不思議な物語。そんな現実にはありえない不思議なこと〔怪異〕を描いた奈良絵本や絵巻を通して、日本古来の物語の面白さや魅力を紹介するという展覧会です。
展覧会と言っても、博物館内の一区画で開かれている特別展で、スペースはそれほど広くありませんし、点数も20点ぐらい。でも少ないながらにも妖怪、異形、怪異もの好きにはたまらない充実した展覧会でした。
最初は説話画によくある稚拙な感じの素朴絵なんかをイメージしていたのですが、いやいやどうして、どれもクオリティが高いのには驚きました。江戸時代以降に印刷技術の発達とともに出回る大衆向けのいわゆる丹緑本や絵入本といった御伽草子とは異なり、展示されている作品の多くは金泥を贅沢にあしらった豪華な奈良絵本や絵巻で、物語やユニークな登場人物の面白さもさることながら、その緻密な描写や鮮やかな色彩にも見惚れます。
第1章 王朝の絵巻
まずは「竹取物語」「伊勢物語」「源氏物語」を描いた絵巻や奈良絵本から。といっても雅な王朝のお話ではなく、その物語に登場する怪異譚にスポットがあてられています。「竹取物語」では、かぐや姫のために龍宮の宝珠を求めて海に出た大伴大納言があわや難破しかかるという場面。「竹取物語」にそんな場面があったのですね。
室町時代後期から江戸時代初期の作という「伊勢物語」の奈良絵本は素朴なタッチの絵でしたが、宗達や光琳の作品でもよく見る八ッ橋が描かれています。参考展示に嵯峨本もあって、こうしたパターン化されたイメージが嵯峨本にも踏襲され、さらにそれがその後の日本画にも影響するという流れを感じます。
第2章 異類の顕現
「田村の草子」は鈴鹿山の鬼神を退治する田村丸と鈴鹿御前を描いていて、これも金泥をたくさん使ってやたらと豪華。「大織冠」は男女の関係になった中臣鎌足の頼みで宝珠を奪いに竜宮に向かう海女を描いたもの。よく見る物語では「俵藤太物語」の絵巻があって、ムカデ退治をした俵藤太(藤原秀郷)が龍宮でもてなしを受けるという場面。秀郷へのお土産もたんと用意されています。
「田村の草子」、「大織冠」、「俵藤太物語」は前期展示のみ。後期には「酒呑童子」や「羅生門」などと入れ替えになります。
“異類”とは鬼や妖怪といった化け物のほかに、鬼や蛇といった異形の姿に変化してしまった人間なども指し、ここでは有名な「道成寺」や、同じく安珍清姫物語の異本ともいえる「賢学草子」などもあります。
第3章 神仏の哀歓
神仏の前世を描く“本地物”の代表的な例として「熊野の本地」が紹介されています。五衰殿の女御らが日本の熊野に飛来して神となるという物語なのですが、面白いのが動物がいっぱい描かれていて、よく見ると十二支の動物たちだったりします。どんな物語なのでしょう。
「隠れ里」は七福神が描かれていて、祝言物として制作されたのではないかという作品。「異代同戯図」は孔子や観音様、大黒天がカルタをしていたり、神様たちが何やら遊んでいる様子を描いた楽しい作品。作者は探幽の弟・狩野安信の弟子・狩野昌運だといいます。
第4章 異類の活躍
最後は、擬人化された動物や道具などを描いた作品を紹介。老いたフクロウとうそ姫の悲恋の物語「ふくろう」や、古い奈良絵本の特徴を伝える「さくらの姫君」、使い古された道具たちを擬人化して描く「付喪神記」、よく分からない化け物たちがたくさん描かれていた「百鬼夜行絵巻」など、楽しげな作品が並んでいます。
國學院大學博物館は戦前に設立された考古学陳列室が前身だけあり、土器や埴輪、石器など考古・民族資料などが大変充実しています。これだけの物量を見られて、しかも入場無料というのが嬉しいですね。
なお、博物館は12/24~1/7まで休館なのでご注意を。
【神仏・異類・人 -奈良絵本・絵巻にみる怪異-】
前期: 2015年12月23日(水・祝)まで
後期: 2016年1月8日(金)~2月7日(日)まで
國學院大學博物館にて
[現代版]絵本 御伽草子 付喪神 (現代版 絵本御伽草子)
日本に古くからある不思議な物語。そんな現実にはありえない不思議なこと〔怪異〕を描いた奈良絵本や絵巻を通して、日本古来の物語の面白さや魅力を紹介するという展覧会です。
展覧会と言っても、博物館内の一区画で開かれている特別展で、スペースはそれほど広くありませんし、点数も20点ぐらい。でも少ないながらにも妖怪、異形、怪異もの好きにはたまらない充実した展覧会でした。
最初は説話画によくある稚拙な感じの素朴絵なんかをイメージしていたのですが、いやいやどうして、どれもクオリティが高いのには驚きました。江戸時代以降に印刷技術の発達とともに出回る大衆向けのいわゆる丹緑本や絵入本といった御伽草子とは異なり、展示されている作品の多くは金泥を贅沢にあしらった豪華な奈良絵本や絵巻で、物語やユニークな登場人物の面白さもさることながら、その緻密な描写や鮮やかな色彩にも見惚れます。
第1章 王朝の絵巻
まずは「竹取物語」「伊勢物語」「源氏物語」を描いた絵巻や奈良絵本から。といっても雅な王朝のお話ではなく、その物語に登場する怪異譚にスポットがあてられています。「竹取物語」では、かぐや姫のために龍宮の宝珠を求めて海に出た大伴大納言があわや難破しかかるという場面。「竹取物語」にそんな場面があったのですね。
室町時代後期から江戸時代初期の作という「伊勢物語」の奈良絵本は素朴なタッチの絵でしたが、宗達や光琳の作品でもよく見る八ッ橋が描かれています。参考展示に嵯峨本もあって、こうしたパターン化されたイメージが嵯峨本にも踏襲され、さらにそれがその後の日本画にも影響するという流れを感じます。
第2章 異類の顕現
「田村の草子」は鈴鹿山の鬼神を退治する田村丸と鈴鹿御前を描いていて、これも金泥をたくさん使ってやたらと豪華。「大織冠」は男女の関係になった中臣鎌足の頼みで宝珠を奪いに竜宮に向かう海女を描いたもの。よく見る物語では「俵藤太物語」の絵巻があって、ムカデ退治をした俵藤太(藤原秀郷)が龍宮でもてなしを受けるという場面。秀郷へのお土産もたんと用意されています。
「田村の草子」、「大織冠」、「俵藤太物語」は前期展示のみ。後期には「酒呑童子」や「羅生門」などと入れ替えになります。
“異類”とは鬼や妖怪といった化け物のほかに、鬼や蛇といった異形の姿に変化してしまった人間なども指し、ここでは有名な「道成寺」や、同じく安珍清姫物語の異本ともいえる「賢学草子」などもあります。
第3章 神仏の哀歓
神仏の前世を描く“本地物”の代表的な例として「熊野の本地」が紹介されています。五衰殿の女御らが日本の熊野に飛来して神となるという物語なのですが、面白いのが動物がいっぱい描かれていて、よく見ると十二支の動物たちだったりします。どんな物語なのでしょう。
「隠れ里」は七福神が描かれていて、祝言物として制作されたのではないかという作品。「異代同戯図」は孔子や観音様、大黒天がカルタをしていたり、神様たちが何やら遊んでいる様子を描いた楽しい作品。作者は探幽の弟・狩野安信の弟子・狩野昌運だといいます。
第4章 異類の活躍
最後は、擬人化された動物や道具などを描いた作品を紹介。老いたフクロウとうそ姫の悲恋の物語「ふくろう」や、古い奈良絵本の特徴を伝える「さくらの姫君」、使い古された道具たちを擬人化して描く「付喪神記」、よく分からない化け物たちがたくさん描かれていた「百鬼夜行絵巻」など、楽しげな作品が並んでいます。
國學院大學博物館は戦前に設立された考古学陳列室が前身だけあり、土器や埴輪、石器など考古・民族資料などが大変充実しています。これだけの物量を見られて、しかも入場無料というのが嬉しいですね。
なお、博物館は12/24~1/7まで休館なのでご注意を。
【神仏・異類・人 -奈良絵本・絵巻にみる怪異-】
前期: 2015年12月23日(水・祝)まで
後期: 2016年1月8日(金)~2月7日(日)まで
國學院大學博物館にて
[現代版]絵本 御伽草子 付喪神 (現代版 絵本御伽草子)
2015/12/19
肉筆浮世絵-美の競艶
上野の森美術館で開催中の『肉筆浮世絵-美の競艶』を観てまいりました。
アメリカの日本美術コレクター、ロジャー・ウェストン氏が所有する1000点を超えるというコレクションから厳選された肉筆浮世絵、特に美人画に絞って約130点を展示しています。最初に大阪、そして長野で公開され、先にご覧になったみなさんの評判も上々。期待どおり、さすが選ばれし作品ばかりなので、優品も多く、何しろ状態がいい。
肉筆浮世絵は量産される浮世絵版画と違い、主に裕福な武家や豪商などからの注文を受けて制作される一点ものの作品なので、まず手の掛け方が違うし、全てが絵師の腕一本にかかっているのでその力量がよく分かります。
当然、人気浮世絵師の肉筆画ともなれば値も張るでしょうし、それを所持しているということで周囲への自慢、またはステータスにもなったんだろうと思います。肉筆浮世絵から伝わるその贅沢感はやはり浮世絵版画とは異なるものがあります。
会場の照明は作品本来の色を体感できるように研究された理想的なLED照明と有機EL照明を採用。反射が少なく透明度の高いアクリルパネルの超薄型展示ケースを特別に製作し、至近距離でその美の世界を堪能することができるようにしたといいます。確かに単眼鏡を使用しなくても間近で作品を鑑賞できましたし、照明を気にせずストレスなく観られたのはとても有り難かったです。
第1章 上方で展開した浮世の絵
まずは浮世絵誕生につながる江戸初期の風俗画から。ここで紹介されている「京・奈良名所図屏風」が面白い。名所図では珍しく奈良が描かれていて、奈良の大仏様が今のように大仏殿の中ではなく野ざらしになっていたり、一方で京・方広寺の大仏が大仏殿の中にあったりと当時の寺社の様子や町の賑わいがうかがえます。
ここでは寛文期に流行した美人画、いわゆる“寛文美人図”があって、江戸後期の華美な美人画とは異なる江戸初期の風俗画から抜け出たような佇まいが美しい。ほかにもまるで遊女かと思うような美少年を描いた「若衆図」もあって、江戸初期の若衆文化を感じさせて興味深い。
第2章 浮世絵の確立、江戸での開花
印刷技術の発展とともに絵入本や仮名草子に挿絵が描かれるようになり、そこに風俗画もどきの挿絵を描いていたのが菱川師宣で、それが浮世絵のはじまりともいわれています。師宣というと「見返り美人図」が有名ですが、絵巻物の「江戸風俗図巻」は花見を楽しむ女性たちの着物も色とりどりで、人々の表情や細やかな風俗の描写など肉筆画ならではの優美な世界が繰り広げられています。
第3章 浮世絵諸画派の確立と京都西川祐信の活動
この頃の浮世絵版画はまだ単色摺りで、構図や描線もシンプルなわけですが、肉筆画はそうした印刷技術の制約がないので、皆さん思い思いに描いていますし、この時代の浮世絵版画は本来こういう色合いをイメージしていたのだろうなとも感じます。
初期浮世絵というと懐月堂派が有名で、だいたいパターンは同じなのですが、肉筆画となるとそのはっきりとした色彩や着物の文様、特徴的な肥痩の強い墨線など個性が際立っています。比較的ふくよかな女性が多く、その力強い曲線が映えます。
西川祐信の「髷を直す美人」は薄物の着物の細密な描写や、着物の裾や帯の質感など、当時の印刷技術では恐らく表現できなかったような繊細な表現が見て取れます。浮世絵版画では弟子の鈴木春信の方が有名ですが、なかなかどうして気品ある美人画で素晴らしい。
ここでは宮川派の作品も充実していて、特に長春は肉筆美人画で名を馳せただけあって、その腕の確かさを実感します。門人では一笑の「鍾馗と遊女図」が傑作。遊女に見惚れる鍾馗の姿が可笑しい。
ほかに、古典的な画題を当世風美人画に置き換えた奥村政信の「やつし琴高仙人図」や、桜の名所に集う人々の楽しげな様子が伝わってくる川又常正の「祇園社 春の遊楽図」が印象的。
第4章 錦絵の完成から黄金時代
浮世絵版画では錦絵の時代。優れた浮世絵師も次々に登場します。まずは勝川春章とその弟子・春潮で、これまでの美人風俗画から一歩踏み込んだ物語性の高さや細密かつ繊細な表現力が目を見張ります。「朝妻舟図」の女性は白拍子の格好をした遊女で、まるでやまと絵かと思うような格調の高さを感じます。
歌川豊春、鳥文斎栄之といった浮世美人画の名手の優品に交じって、異色なのが歌麿の「西王母図」。展覧会開催前に“新発見の歌麿の肉筆”と話題になり、真筆と断定されたそうですが、歌麿という感じは全くしません。裏彩色されていたりと手のかかった作品のようですが、地味目な彩色と殺風景な背景もあまり感心せず。
第5章 百花繚乱・幕末の浮世絵界
まず見ものは初代歌川豊国の「時世粧百姿図」。これが素晴らしい。さまざまな階層の女性たちを描いた画帖なのですが、年中行事の様子もところどころに挟み、風俗や暮らしぶりを見る楽しさがあります。緻密な筆致や華やか色彩もさることながら、鏡を覗きこむうっとりとした表情や腕の入れ墨を線香で焼き消す苦悶の表情など、女性たちの表情や仕草が表現豊かでまた面白い。初代豊国では三幅対の「見立雪月花図」も傑作。常盤御前と蛍狩り美人と道成寺の花子という歌舞伎の登場人物を描いたもので、個人的には今回の展覧会では一番好きです。
歌川派の作品は多くて、構図が素敵な二代豊国の「絵巻を見る男女」、国貞の二幅の「二芸妓図」が印象的。
北斎が3点出ていて、特に即興で描いたような素早い線の面白さがよく出ている「京伝賛遊女図」と「大原女図」がいい。さらりとした線なのに筆致は的確で、その姿に動きがあるところはさすがだなと思いますし、これも肉筆だからこその味わいでしょう。
浮世絵では割と好きな渓斎英泉がいくつかあったのですが、「夏の洗い髪美人図」は英泉の美人画とは異なるちょっと不気味な迫力があって、なかなか興味深い作品。狩野章信の「茅屋で戯れる男女」も狩野派にして春画を描いた章信らしくて面白い。
第6章 上方の復活
ここでは先日の『春画展』で強い印象を受けた月岡雪鼎の作品があって、生々しい春画とは違う清楚な美人画が美しい。雪鼎の描く女性は花筋の通った瓜実顔の美人だそうで、「遊女と玉吹きをする禿」はその特徴がよく表れているように思います。
江戸後期の上方の浮世絵師というと、いつもビックリさせられる祇園井特もあって、理想化された美人画とは異なる独特の画風というか、この時代には珍しいデロリ感が強烈なインパクトを残します。このコレクターのことはよく知らないのですが、浮世絵なら何でも集めてるのか、相当の目利きなのか、井特があったりするところを見ると、ただの美人画好きというわけでもなさそうな気もします。
第7章 近代の中で
最後に明治期の肉筆浮世絵から。ここではやはり暁斎の「一休禅師地獄太夫図」が秀逸。暁斎は「地獄太夫図」をいくつも残していますが、だいたいパターンが決まっていて、これは今年『ダブル・インパクト』展で観たボストン美術館蔵の「地獄太夫」とほぼ一緒。着物の柄が若干異なる程度で一休の踊る姿や骸骨の配置まで酷似しています。大きく異なるのはボス美のものが後が衝立だったのに対し、こちらは屏風であることぐらい。
本展は初期浮世絵から明治の暁斎、国周まで満遍なく揃っていて、また時代ごとに並べられているので美人画の変遷がよく分かります。肉筆浮世絵は版画と違いどれも一点ものなので、軸装も凝っていたり贅沢感があります。展覧会は確かに素晴らしいものでしたが、これらの作品はここ十数年で集められたものだそうで、これだけの優品が外国人に買い集められ、中には国内から流出したものもあるのだろうと思うとちょっと複雑な気持ちにもなります。
【肉筆浮世絵-美の競艶】
2016年1月17日(日)まで
上野の森美術館にて
浮世絵師列伝 (別冊太陽)
アメリカの日本美術コレクター、ロジャー・ウェストン氏が所有する1000点を超えるというコレクションから厳選された肉筆浮世絵、特に美人画に絞って約130点を展示しています。最初に大阪、そして長野で公開され、先にご覧になったみなさんの評判も上々。期待どおり、さすが選ばれし作品ばかりなので、優品も多く、何しろ状態がいい。
肉筆浮世絵は量産される浮世絵版画と違い、主に裕福な武家や豪商などからの注文を受けて制作される一点ものの作品なので、まず手の掛け方が違うし、全てが絵師の腕一本にかかっているのでその力量がよく分かります。
当然、人気浮世絵師の肉筆画ともなれば値も張るでしょうし、それを所持しているということで周囲への自慢、またはステータスにもなったんだろうと思います。肉筆浮世絵から伝わるその贅沢感はやはり浮世絵版画とは異なるものがあります。
会場の照明は作品本来の色を体感できるように研究された理想的なLED照明と有機EL照明を採用。反射が少なく透明度の高いアクリルパネルの超薄型展示ケースを特別に製作し、至近距離でその美の世界を堪能することができるようにしたといいます。確かに単眼鏡を使用しなくても間近で作品を鑑賞できましたし、照明を気にせずストレスなく観られたのはとても有り難かったです。
第1章 上方で展開した浮世の絵
まずは浮世絵誕生につながる江戸初期の風俗画から。ここで紹介されている「京・奈良名所図屏風」が面白い。名所図では珍しく奈良が描かれていて、奈良の大仏様が今のように大仏殿の中ではなく野ざらしになっていたり、一方で京・方広寺の大仏が大仏殿の中にあったりと当時の寺社の様子や町の賑わいがうかがえます。
無款 「扇舞美人図」
寛文年間(1661~73)頃 ©WESTON COLLECTION
寛文年間(1661~73)頃 ©WESTON COLLECTION
ここでは寛文期に流行した美人画、いわゆる“寛文美人図”があって、江戸後期の華美な美人画とは異なる江戸初期の風俗画から抜け出たような佇まいが美しい。ほかにもまるで遊女かと思うような美少年を描いた「若衆図」もあって、江戸初期の若衆文化を感じさせて興味深い。
第2章 浮世絵の確立、江戸での開花
印刷技術の発展とともに絵入本や仮名草子に挿絵が描かれるようになり、そこに風俗画もどきの挿絵を描いていたのが菱川師宣で、それが浮世絵のはじまりともいわれています。師宣というと「見返り美人図」が有名ですが、絵巻物の「江戸風俗図巻」は花見を楽しむ女性たちの着物も色とりどりで、人々の表情や細やかな風俗の描写など肉筆画ならではの優美な世界が繰り広げられています。
菱川師宣 「江戸風俗図巻」(部分)
元禄年間(1688~1704)頃 ©WESTON COLLECTION
元禄年間(1688~1704)頃 ©WESTON COLLECTION
第3章 浮世絵諸画派の確立と京都西川祐信の活動
この頃の浮世絵版画はまだ単色摺りで、構図や描線もシンプルなわけですが、肉筆画はそうした印刷技術の制約がないので、皆さん思い思いに描いていますし、この時代の浮世絵版画は本来こういう色合いをイメージしていたのだろうなとも感じます。
懐月堂度繁 「立姿遊女図」
宝永~正徳年間(1704~16)頃 ©WESTON COLLECTION
宝永~正徳年間(1704~16)頃 ©WESTON COLLECTION
初期浮世絵というと懐月堂派が有名で、だいたいパターンは同じなのですが、肉筆画となるとそのはっきりとした色彩や着物の文様、特徴的な肥痩の強い墨線など個性が際立っています。比較的ふくよかな女性が多く、その力強い曲線が映えます。
西川祐信 「髷を直す美人」
享保年間(1716~36)頃 ©WESTON COLLECTION
享保年間(1716~36)頃 ©WESTON COLLECTION
西川祐信の「髷を直す美人」は薄物の着物の細密な描写や、着物の裾や帯の質感など、当時の印刷技術では恐らく表現できなかったような繊細な表現が見て取れます。浮世絵版画では弟子の鈴木春信の方が有名ですが、なかなかどうして気品ある美人画で素晴らしい。
ここでは宮川派の作品も充実していて、特に長春は肉筆美人画で名を馳せただけあって、その腕の確かさを実感します。門人では一笑の「鍾馗と遊女図」が傑作。遊女に見惚れる鍾馗の姿が可笑しい。
奥村政信 「やつし琴高仙人図」
宝暦年間(1751~64) ©WESTON COLLECTION
宝暦年間(1751~64) ©WESTON COLLECTION
ほかに、古典的な画題を当世風美人画に置き換えた奥村政信の「やつし琴高仙人図」や、桜の名所に集う人々の楽しげな様子が伝わってくる川又常正の「祇園社 春の遊楽図」が印象的。
第4章 錦絵の完成から黄金時代
浮世絵版画では錦絵の時代。優れた浮世絵師も次々に登場します。まずは勝川春章とその弟子・春潮で、これまでの美人風俗画から一歩踏み込んだ物語性の高さや細密かつ繊細な表現力が目を見張ります。「朝妻舟図」の女性は白拍子の格好をした遊女で、まるでやまと絵かと思うような格調の高さを感じます。
勝川春章 「朝妻舟図」
天明年間(1781~89)もしくは安永年間(1772~81) ©WESTON COLLECTION
天明年間(1781~89)もしくは安永年間(1772~81) ©WESTON COLLECTION
勝川春潮 「娘と送り図」
寛政年間(1789~1801)初期頃 ©WESTON COLLECTION
寛政年間(1789~1801)初期頃 ©WESTON COLLECTION
歌川豊春、鳥文斎栄之といった浮世美人画の名手の優品に交じって、異色なのが歌麿の「西王母図」。展覧会開催前に“新発見の歌麿の肉筆”と話題になり、真筆と断定されたそうですが、歌麿という感じは全くしません。裏彩色されていたりと手のかかった作品のようですが、地味目な彩色と殺風景な背景もあまり感心せず。
喜多川歌麿 「西王母図」
寛政年間(1789~1801)初期頃 ©WESTON COLLECTION
寛政年間(1789~1801)初期頃 ©WESTON COLLECTION
第5章 百花繚乱・幕末の浮世絵界
まず見ものは初代歌川豊国の「時世粧百姿図」。これが素晴らしい。さまざまな階層の女性たちを描いた画帖なのですが、年中行事の様子もところどころに挟み、風俗や暮らしぶりを見る楽しさがあります。緻密な筆致や華やか色彩もさることながら、鏡を覗きこむうっとりとした表情や腕の入れ墨を線香で焼き消す苦悶の表情など、女性たちの表情や仕草が表現豊かでまた面白い。初代豊国では三幅対の「見立雪月花図」も傑作。常盤御前と蛍狩り美人と道成寺の花子という歌舞伎の登場人物を描いたもので、個人的には今回の展覧会では一番好きです。
初代歌川豊国 「時世粧百姿図」(部分)
文化13年(1816) ©WESTON COLLECTION
文化13年(1816) ©WESTON COLLECTION
初代歌川豊国 「見立雪月花図」
文政3~7年(1820~24)頃 ©WESTON COLLECTION
文政3~7年(1820~24)頃 ©WESTON COLLECTION
歌川派の作品は多くて、構図が素敵な二代豊国の「絵巻を見る男女」、国貞の二幅の「二芸妓図」が印象的。
二代歌川豊国 「絵巻を見る男女」
文政9~12年(1826~29)頃 ©WESTON COLLECTION
文政9~12年(1826~29)頃 ©WESTON COLLECTION
北斎が3点出ていて、特に即興で描いたような素早い線の面白さがよく出ている「京伝賛遊女図」と「大原女図」がいい。さらりとした線なのに筆致は的確で、その姿に動きがあるところはさすがだなと思いますし、これも肉筆だからこその味わいでしょう。
葛飾北斎 「京伝賛遊女図」
寛政末年(1798~1800)頃 ©WESTON COLLECTION
寛政末年(1798~1800)頃 ©WESTON COLLECTION
浮世絵では割と好きな渓斎英泉がいくつかあったのですが、「夏の洗い髪美人図」は英泉の美人画とは異なるちょっと不気味な迫力があって、なかなか興味深い作品。狩野章信の「茅屋で戯れる男女」も狩野派にして春画を描いた章信らしくて面白い。
溪斎英泉 「夏の洗い髪美人図」
天保年間(1830~44) ©WESTON COLLECTION
天保年間(1830~44) ©WESTON COLLECTION
第6章 上方の復活
ここでは先日の『春画展』で強い印象を受けた月岡雪鼎の作品があって、生々しい春画とは違う清楚な美人画が美しい。雪鼎の描く女性は花筋の通った瓜実顔の美人だそうで、「遊女と玉吹きをする禿」はその特徴がよく表れているように思います。
月岡雪鼎 「遊女と玉吹きをする禿」
天明2~3年(1782~83)頃 ©WESTON COLLECTION
天明2~3年(1782~83)頃 ©WESTON COLLECTION
江戸後期の上方の浮世絵師というと、いつもビックリさせられる祇園井特もあって、理想化された美人画とは異なる独特の画風というか、この時代には珍しいデロリ感が強烈なインパクトを残します。このコレクターのことはよく知らないのですが、浮世絵なら何でも集めてるのか、相当の目利きなのか、井特があったりするところを見ると、ただの美人画好きというわけでもなさそうな気もします。
第7章 近代の中で
最後に明治期の肉筆浮世絵から。ここではやはり暁斎の「一休禅師地獄太夫図」が秀逸。暁斎は「地獄太夫図」をいくつも残していますが、だいたいパターンが決まっていて、これは今年『ダブル・インパクト』展で観たボストン美術館蔵の「地獄太夫」とほぼ一緒。着物の柄が若干異なる程度で一休の踊る姿や骸骨の配置まで酷似しています。大きく異なるのはボス美のものが後が衝立だったのに対し、こちらは屏風であることぐらい。
河鍋暁斎 「一休禅師地獄太夫図」
明治18~22年(1885~89) ©WESTON COLLECTION
明治18~22年(1885~89) ©WESTON COLLECTION
<参考> 左からウェストン・コレクション所蔵品(『肉筆浮世絵 美の競艶』)、
ボストン美術館所蔵品(『ダブル・インパクト』)、福富太郎コレクション所蔵品(京博『河鍋暁斎展』)
ボストン美術館所蔵品(『ダブル・インパクト』)、福富太郎コレクション所蔵品(京博『河鍋暁斎展』)
本展は初期浮世絵から明治の暁斎、国周まで満遍なく揃っていて、また時代ごとに並べられているので美人画の変遷がよく分かります。肉筆浮世絵は版画と違いどれも一点ものなので、軸装も凝っていたり贅沢感があります。展覧会は確かに素晴らしいものでしたが、これらの作品はここ十数年で集められたものだそうで、これだけの優品が外国人に買い集められ、中には国内から流出したものもあるのだろうと思うとちょっと複雑な気持ちにもなります。
【肉筆浮世絵-美の競艶】
2016年1月17日(日)まで
上野の森美術館にて
浮世絵師列伝 (別冊太陽)
2015/12/06
杉本博司 趣味と芸術-味占郷/今昔三部作
千葉市立美術館で開催中の『杉本博司 趣味と芸術-味占郷/今昔三部作』を観てまいりました。
本展は2つの展示構成になっていて、8Fの展示室では<今昔三部作>、7Fの展示室では<趣味と芸術-味占郷>と分かれています。2つの展示で趣きが異なるのが面白いところです。
<今昔三部作>では、杉本博司の写真作品の代表作である《海景》シリーズ、《劇場》シリーズ、《ジオラマ》シリーズが大判プリントで展示されています。
照明が抑えられた暗い空間に、展示されている作品だけが何か浮き上がってくるよう。スペースも広く取られていて、幸い人も少ないので、杉本博司の世界に没頭できます。
《劇場》シリーズには最新作の「テアトロ・デイ・ロッツィ、シエナ」(2014)が、《ジオラマ》シリーズには幅4mを超える大画面の新作「オリンピック雨林」(2012)がそれぞれ本邦初公開とのこと。《海景》のミニマムさ、静謐さも好きなのですが、今回初めて大判で観た《劇場》に強く惹かれました。映画一本分の露光時間で撮影したというその写真からはかつての劇場の賑わいのようなものが感じられ、ノスタルジーと幻想がないまぜになったような感覚を味わいました。
<趣味と芸術>では、『婦人画報』で連載している「謎の割烹 味占郷」の中で、各界の著名人をもてなすために杉本博司がそのゲストにふさわしい掛軸と置物を選んで構成した床飾りを再現しています。古美術もあれば、西洋伝来の遺物や近現代の工芸品もあって、その意表をつく組み合わせが楽しいし、センスを感じます。
たとえば、レンブラントの版画を軸装したものに織部の燭台を置物としてあわせたり、平安時代の法華経の断簡に享保雛をあわせたり、ジャック・ゴーティエ・ダゴティの解剖図に古瀬戸の水注をあわせたり、利休消息に経筒と須田悦弘の朝顔をあわせたり、果ては硫黄島の地図やキリストの木像もあったりとかなり自由。その設いが奇を衒ったり、嫌味な感じを与えたりせず、どれも絶妙で、しっくりいくから面白いし、古美術への愛情や慈しみさえ伝わってきます。
飾られている品々がまた超がつく一級品ばかりで、仏像や仏画の多くは平安時代や鎌倉時代のものですし、一休宗純や小野道風の書、白隠の禅画、さらには尾形乾山からルーシー・リーの陶磁器まで、その目利きの良さというか、趣味の良さに驚きます。多くは杉本博司が蒐集したものというのですから、またすごい。
『杉本文楽 曾根崎心中』で観音廻りの場面に登場(初演のみ)した「十一面観音立像」も展示されています。たぶんそうじゃないかなと思って、家に帰ってDVDを見直したら、やはり同じものでした。白洲正子の旧蔵品なんだそうです。
今回観たかった作品のひとつが、尾形光琳の「紅白梅図屏風」をデジタル撮影し、原寸大で再現した「月下紅白梅図」。MOA美術館での公開時に観に行けなったので、ようやくお目にかかることができました。漆黒の闇に輝くプラチナの川面はまるで月夜に照らされたように幻想的で、梅の木の暗い影に反して明るく光る梅の花と相俟って、どこか妖艶な雰囲気さえあります。 屏風の手前には梅の花びらが散らしてあって、一瞬造花かな?と思ったら、須田悦弘の木彫という洒落た演出。その想像力というか創造力というか、数寄者らしいセンスと取り合わせの妙にいちいち感心してしまいます。
会場には「謎の割烹 味占郷」で取り上げられた対談の内容や料理もパネルで紹介されています。こんな割烹があるのなら、大枚はたいてでも一度は行ってみたいものです。
【杉本博司 趣味と芸術-味占郷/今昔三部作】
2015年12月23日(水・祝)まで
千葉市美術館にて
趣味と芸術謎の割烹 味占郷
本展は2つの展示構成になっていて、8Fの展示室では<今昔三部作>、7Fの展示室では<趣味と芸術-味占郷>と分かれています。2つの展示で趣きが異なるのが面白いところです。
<今昔三部作>では、杉本博司の写真作品の代表作である《海景》シリーズ、《劇場》シリーズ、《ジオラマ》シリーズが大判プリントで展示されています。
照明が抑えられた暗い空間に、展示されている作品だけが何か浮き上がってくるよう。スペースも広く取られていて、幸い人も少ないので、杉本博司の世界に没頭できます。
《劇場》シリーズには最新作の「テアトロ・デイ・ロッツィ、シエナ」(2014)が、《ジオラマ》シリーズには幅4mを超える大画面の新作「オリンピック雨林」(2012)がそれぞれ本邦初公開とのこと。《海景》のミニマムさ、静謐さも好きなのですが、今回初めて大判で観た《劇場》に強く惹かれました。映画一本分の露光時間で撮影したというその写真からはかつての劇場の賑わいのようなものが感じられ、ノスタルジーと幻想がないまぜになったような感覚を味わいました。
<趣味と芸術>では、『婦人画報』で連載している「謎の割烹 味占郷」の中で、各界の著名人をもてなすために杉本博司がそのゲストにふさわしい掛軸と置物を選んで構成した床飾りを再現しています。古美術もあれば、西洋伝来の遺物や近現代の工芸品もあって、その意表をつく組み合わせが楽しいし、センスを感じます。
杉本博司 「華厳滝図」 2005年 小田原文化財団蔵
たとえば、レンブラントの版画を軸装したものに織部の燭台を置物としてあわせたり、平安時代の法華経の断簡に享保雛をあわせたり、ジャック・ゴーティエ・ダゴティの解剖図に古瀬戸の水注をあわせたり、利休消息に経筒と須田悦弘の朝顔をあわせたり、果ては硫黄島の地図やキリストの木像もあったりとかなり自由。その設いが奇を衒ったり、嫌味な感じを与えたりせず、どれも絶妙で、しっくりいくから面白いし、古美術への愛情や慈しみさえ伝わってきます。
[左] レンブラント・ファン・レイン 「羊飼たちへの告知」 1634年 小田原文化財団蔵
「織部燭台」 江戸時代初期 小田原文化財団蔵
[右] 「エジプト『死者の書』断片」 紀元前1400年頃 小田原文化財団蔵
「青銅製猫の棺」 紀元前664年~紀元前342年 小田原文化財団蔵
「織部燭台」 江戸時代初期 小田原文化財団蔵
[右] 「エジプト『死者の書』断片」 紀元前1400年頃 小田原文化財団蔵
「青銅製猫の棺」 紀元前664年~紀元前342年 小田原文化財団蔵
飾られている品々がまた超がつく一級品ばかりで、仏像や仏画の多くは平安時代や鎌倉時代のものですし、一休宗純や小野道風の書、白隠の禅画、さらには尾形乾山からルーシー・リーの陶磁器まで、その目利きの良さというか、趣味の良さに驚きます。多くは杉本博司が蒐集したものというのですから、またすごい。
「十一面観音立像」 平安時代 小田原文化財団蔵
『杉本文楽 曾根崎心中』で観音廻りの場面に登場(初演のみ)した「十一面観音立像」も展示されています。たぶんそうじゃないかなと思って、家に帰ってDVDを見直したら、やはり同じものでした。白洲正子の旧蔵品なんだそうです。
杉本博司 「月下紅白梅図」 2014年 個人蔵
今回観たかった作品のひとつが、尾形光琳の「紅白梅図屏風」をデジタル撮影し、原寸大で再現した「月下紅白梅図」。MOA美術館での公開時に観に行けなったので、ようやくお目にかかることができました。漆黒の闇に輝くプラチナの川面はまるで月夜に照らされたように幻想的で、梅の木の暗い影に反して明るく光る梅の花と相俟って、どこか妖艶な雰囲気さえあります。 屏風の手前には梅の花びらが散らしてあって、一瞬造花かな?と思ったら、須田悦弘の木彫という洒落た演出。その想像力というか創造力というか、数寄者らしいセンスと取り合わせの妙にいちいち感心してしまいます。
会場には「謎の割烹 味占郷」で取り上げられた対談の内容や料理もパネルで紹介されています。こんな割烹があるのなら、大枚はたいてでも一度は行ってみたいものです。
【杉本博司 趣味と芸術-味占郷/今昔三部作】
2015年12月23日(水・祝)まで
千葉市美術館にて
趣味と芸術謎の割烹 味占郷