2015/06/30
ゴミ、都市そして死
世田谷パブリックシアターで劇団SWANNYの『ゴミ、都市そして死』を観てきました。2013年の紀伊国屋ホールの舞台の再演です。
『ゴミ、都市そして死』は、ドイツの映画監督でドイツ現代演劇の演出家としても知られるライナー・ヴェルナー・ファスビンダーが1974年に発表した戯曲。ダニエル・シュミットが『天使の影』として映画化し、ファスビンダーはヒモ役で出演もしています。ファスビンダーの演出による舞台も計画されていたようですが、ファスビンダーの死により実現には至りませんでした。
SWANNYの舞台は初めてですし、はたしてファスビンダーの戯曲を日本でちゃんと舞台化できるのか少々心配だったのですが、ファスビンダーやシュミットの映画ほど深刻な芝居でもなく、それでいてファスビンダーらしい退廃的なムードはちゃんとあって、適度に計算して演出したんでしょうね。
舞台はドイツの都市フランクフルトの片隅でもあり、月面の架空の場所でもあり、という設定(舞台の背景には大きな月がある)になっていて、都会のゴミ溜めのようなところならどこでもいいのかもしれません。虚と実、貧と富、男と女、ユダヤとファシズム、さまざまなものがタテにもヨコにも、深く複雑に入り乱れ、そして混沌としています。
娼婦とそのヒモ、同性愛、ユダヤ人、女装した歌手、暴行、貧乏、急に舞い込む大金、孤独、絶望、殺し…。いかにもファスビンダーという感じのキーワードが次から次へと出てきます。メランコリックで破滅的、愛を求める姿と歪んだ愛の姿。差別的な言葉や性的な言葉がひっきりなしに飛び交います。ファスビンダーの作品に理性は無いに等しい。話の展開もファスビンダーらしいものでした。
主役の売春婦ローマ・Bを演じる緒川たまきはそんな難しいファスビンダーの芝居を体当たりの演技で演じ切っていたと思います。ローマ・Bのヒモの名前はフランツ。ファスビンダー作品では彼の分身としてたびたび登場する役名です。『天使の影』でもファスビンダー自身が演じていましたが、この役者(仁科貴)がファスビンダー似だったのがちょっとツボでした。
舞台の右奥に生演奏のバンド(石橋英子 with ぎりぎり達)がいて、どこか退廃的な舞台の雰囲気を盛り上げていました。歌手役で登場する渚ようこがまたカッコいい!
映画版しか観たことがないので、原作にどのぐらい忠実なのかは分かりませんが、冒頭歌われるアカペラの輪唱やオペラの歌曲、ドイツ語の原曲のまま流れる音楽などは『天使の影』で使われた曲をそのまま使っているようです。ところどころ、これはペーア・ラーベンだなというメロディーもありました。
開演前に、「こんにちは、ファスビンダーです。草葉の陰から・・・」と注意事項のアナウンスがあって、椅子から転げ落ちそうになりました。いつからファスビンダーはこんなキャラになったのだと(笑)
出だしがそんなだったので、大丈夫かな?と最初不安になりましたが、わたし的にはかなり楽しめました。もうひとつの『猫の首に血』も観に行けば良かった。
ゴミ、都市そして死 (ドイツ現代戯曲選30 第25巻)
2015/06/27
速水御舟とその周辺
世田谷美術館で開催中の『速水御舟とその周辺 大正期日本画の俊英たち』を観てまいりました。
なかなか時間が作れず、ようやく来れたのも会期後半。前期展示を観られなかったのがとても悔やまれます。
本展は、近代日本画を代表する速水御舟の没後80年を記念して、御舟の作品を中心に、御舟と同門の日本画家や御舟一門の作品を展観するというもの。
作品は幅広く全国の美術館から借り受けていて、前後期合わせて215点。一部前後期で入れ替えがありましたが、かなりのボリュームです。
御舟の重要な作品を多く持っている山種美術館の作品が一点も来てないのと、国立の美術館の所蔵作品がちょっと少ないのが残念なのですが、それでも選び抜かれた作品が集まっていて、満足度はかなり高めです。
まず目に入るのが、本展のメインヴィジュアルに使われている鮮やかな 「菊花図」。琳派風の金屏風に濃彩で写実的に描かれた色・形さまざまな菊の花。花びらはしっかりと輪郭線で縁取られていて、ことのほか立体感があります。大正10年の院展に出品された20代後半の頃の作品で、思ったより小ぶりの屏風でした。
並びに展示されていた「女二題」は、10ヶ月に及ぶヨーロッパ旅行から帰国後に描かれた作品。二題ともモデルは御舟の妻で、着物の色や柄、髪型、体の向きなどを対照的に描いています。 「女二題」は下図もあって、比較して観られるのもいい。
第1章 安雅堂画塾-師・松本楓湖と兄弟子・今村紫紅との出会い
師で歴史画の大家・松本楓湖の作品をはじめ、楓湖の画塾に通っていた10代の頃の御舟や、御舟と同日に門を叩いたという小茂田青樹、また兄弟子・今村紫紅の初期作品など、なかなか興味深い作品が並んでいます。楓湖は歴史画を得意としたとはいえ、画塾では大和絵や狩野派、円山四条派、琳派など、さまざまな流派、古典の粉本の模写が中心だったといいます。御舟の「北野天神縁起絵巻」と「病草紙」の模写の完成度の高さといったら。
第2章 赤曜会-紫紅と院展目黒派
赤曜会は今村紫紅を中心に結成された若手画家の研究グループ。同じ画塾に紫紅や御舟、青樹といった後の近代日本画を代表する若き俊英たちがいたという偶然もスゴイのですが、歴史画の楓湖の下から、形髄化しつつある日本画からの脱却を目指し新しい日本画を模索するという動きが生まれたというのがまた面白い。楓湖は放任主義だったといいますから、あまり縛られてなかったのかもしれないですね。赤曜会は印象派の画家を真似て戸外で写生したり、フランスのアンデパンダン展のように屋外にテントを張って展覧会を開くなど、当時としてはかなり斬新なことをしていたようです。
紫紅では、インドの生活風景を描いたエキゾチックな双幅の掛軸「水汲女・牛飼男」が面白い。右幅にはオウムが、左にはリスがアクセントになっているのもユニーク。紫紅らしい新南画の「蓬莱郷」も良いですね。「近江八景」の小下絵もあって、すでに完成されたような出来栄えにビックリ。
御舟では濃彩の「山茶花」、青樹では「薊」が秀逸。大正期の近代日本画らしいモダンな雰囲気があります。赤曜会の黒田古郷、小山大月、牛田雞村はたぶん初めて観る画家。とくに牛田雞村の丸っこい輪郭の、鄙びた農村や山村の風景画が好き。小山大月も「芍薬」と「朝顔」も印象的。
第3章 速水御舟と小茂田青樹
終世のライバルだった御舟と青樹の作品を紹介。似たモティーフ、同じような構図など、2人の作品を敢えて並べて比較展示しているものもあって興味深かったです。御舟の「山茶花に猫」と青樹の「猫にオシロイ花」、御舟の「仲秋名月」と青樹の「月涼」といった具合に、御舟が猫を描けば青樹も描き、青樹が月を描けば御舟も描きと、お互いに影響しあっているのか、仲が良いのか。まあ、よくある構図ではあるのですが。
山種美術館や東京国立近代美術館が持っている御舟の代表作と呼ばれるものが来ていない反面、これまであまり観たことがないような魅力的な作品や幅広い画業に触れられたのは本展の収穫。「白磁の皿に柘榴」の写実性の高さや「晩冬の桜」の詩情性は目を惹きます。渡欧で目にした西洋の風景を描いた『遊欧印象小作展』の一連の風景画も面白い。
御舟ほどの出品数ではありませんが、小茂田青樹も充実しています。青樹も山種や東近美でよく見かける画家ですが、ここまでまとまった形で観たのは初めて。御舟に画風が近い作品もありますが、詩的な感じやモダンなセンスはこの人ならではのもの。白眉は墨の濃淡だけで月夜の葡萄の木を繊細に描いた「秋意」。「ポンポンダリア」や大正ロマン風の「薔薇」もいい。
第4章 御舟一門 高橋周桑と吉田善彦
御舟は基本的に弟子を取らなかったそうですが、縁あって御舟に師事した2人の画家を紹介。どちらも画風は御舟に近く、高橋周桑の「白木蓮」や高橋周桑の「寧楽の杜」あたりは御舟の影響を強く感じます。吉田善彦の「苔庭」なんて御舟の「翠苔緑芝」を思い起こさせますね。
速水御舟の没後80年の展覧会ということなのだから、できればもう少し代表作と呼べるものが集まっていれば…と思わなくもありませんが、全国津々浦々の美術館の知られざる御舟作品に触れられたのは正直有難い。小茂田青樹や赤曜会の画家の作品などがいろいろ観られたのも良かったなと思います。
【速水御舟とその周辺 大正期日本画の俊英たち】
2015年7月5日まで
世田谷美術館にて
もっと知りたい速水御舟―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
なかなか時間が作れず、ようやく来れたのも会期後半。前期展示を観られなかったのがとても悔やまれます。
本展は、近代日本画を代表する速水御舟の没後80年を記念して、御舟の作品を中心に、御舟と同門の日本画家や御舟一門の作品を展観するというもの。
作品は幅広く全国の美術館から借り受けていて、前後期合わせて215点。一部前後期で入れ替えがありましたが、かなりのボリュームです。
御舟の重要な作品を多く持っている山種美術館の作品が一点も来てないのと、国立の美術館の所蔵作品がちょっと少ないのが残念なのですが、それでも選び抜かれた作品が集まっていて、満足度はかなり高めです。
速水御舟 「菊花図」
大正10年(1921) 個人蔵 (後期展示)
大正10年(1921) 個人蔵 (後期展示)
まず目に入るのが、本展のメインヴィジュアルに使われている鮮やかな 「菊花図」。琳派風の金屏風に濃彩で写実的に描かれた色・形さまざまな菊の花。花びらはしっかりと輪郭線で縁取られていて、ことのほか立体感があります。大正10年の院展に出品された20代後半の頃の作品で、思ったより小ぶりの屏風でした。
並びに展示されていた「女二題」は、10ヶ月に及ぶヨーロッパ旅行から帰国後に描かれた作品。二題ともモデルは御舟の妻で、着物の色や柄、髪型、体の向きなどを対照的に描いています。 「女二題」は下図もあって、比較して観られるのもいい。
速水御舟 「女二題」
昭和6年(1931) 福島県立美術館蔵
昭和6年(1931) 福島県立美術館蔵
第1章 安雅堂画塾-師・松本楓湖と兄弟子・今村紫紅との出会い
師で歴史画の大家・松本楓湖の作品をはじめ、楓湖の画塾に通っていた10代の頃の御舟や、御舟と同日に門を叩いたという小茂田青樹、また兄弟子・今村紫紅の初期作品など、なかなか興味深い作品が並んでいます。楓湖は歴史画を得意としたとはいえ、画塾では大和絵や狩野派、円山四条派、琳派など、さまざまな流派、古典の粉本の模写が中心だったといいます。御舟の「北野天神縁起絵巻」と「病草紙」の模写の完成度の高さといったら。
第2章 赤曜会-紫紅と院展目黒派
赤曜会は今村紫紅を中心に結成された若手画家の研究グループ。同じ画塾に紫紅や御舟、青樹といった後の近代日本画を代表する若き俊英たちがいたという偶然もスゴイのですが、歴史画の楓湖の下から、形髄化しつつある日本画からの脱却を目指し新しい日本画を模索するという動きが生まれたというのがまた面白い。楓湖は放任主義だったといいますから、あまり縛られてなかったのかもしれないですね。赤曜会は印象派の画家を真似て戸外で写生したり、フランスのアンデパンダン展のように屋外にテントを張って展覧会を開くなど、当時としてはかなり斬新なことをしていたようです。
今村紫紅 「蓬莱郷」
大正4年(1915) 川越市立美術館蔵
大正4年(1915) 川越市立美術館蔵
紫紅では、インドの生活風景を描いたエキゾチックな双幅の掛軸「水汲女・牛飼男」が面白い。右幅にはオウムが、左にはリスがアクセントになっているのもユニーク。紫紅らしい新南画の「蓬莱郷」も良いですね。「近江八景」の小下絵もあって、すでに完成されたような出来栄えにビックリ。
牛田雞村 「滋賀の里」
大正9年(1920) 滋賀県立美術館蔵
大正9年(1920) 滋賀県立美術館蔵
御舟では濃彩の「山茶花」、青樹では「薊」が秀逸。大正期の近代日本画らしいモダンな雰囲気があります。赤曜会の黒田古郷、小山大月、牛田雞村はたぶん初めて観る画家。とくに牛田雞村の丸っこい輪郭の、鄙びた農村や山村の風景画が好き。小山大月も「芍薬」と「朝顔」も印象的。
第3章 速水御舟と小茂田青樹
終世のライバルだった御舟と青樹の作品を紹介。似たモティーフ、同じような構図など、2人の作品を敢えて並べて比較展示しているものもあって興味深かったです。御舟の「山茶花に猫」と青樹の「猫にオシロイ花」、御舟の「仲秋名月」と青樹の「月涼」といった具合に、御舟が猫を描けば青樹も描き、青樹が月を描けば御舟も描きと、お互いに影響しあっているのか、仲が良いのか。まあ、よくある構図ではあるのですが。
速水御舟 「山茶花に猫」
大正10年(1921) 西丸山和楽庵蔵
大正10年(1921) 西丸山和楽庵蔵
山種美術館や東京国立近代美術館が持っている御舟の代表作と呼ばれるものが来ていない反面、これまであまり観たことがないような魅力的な作品や幅広い画業に触れられたのは本展の収穫。「白磁の皿に柘榴」の写実性の高さや「晩冬の桜」の詩情性は目を惹きます。渡欧で目にした西洋の風景を描いた『遊欧印象小作展』の一連の風景画も面白い。
速水御舟 「白磁の皿に柘榴」
大正10年(1921) 長谷川町子美術館蔵
大正10年(1921) 長谷川町子美術館蔵
速水御舟 「晩冬の桜」
昭和3年(1928) 福島県立美術館蔵
昭和3年(1928) 福島県立美術館蔵
御舟ほどの出品数ではありませんが、小茂田青樹も充実しています。青樹も山種や東近美でよく見かける画家ですが、ここまでまとまった形で観たのは初めて。御舟に画風が近い作品もありますが、詩的な感じやモダンなセンスはこの人ならではのもの。白眉は墨の濃淡だけで月夜の葡萄の木を繊細に描いた「秋意」。「ポンポンダリア」や大正ロマン風の「薔薇」もいい。
小茂田青樹 「秋意」
大正15年(1926) 川越市立美術館蔵
大正15年(1926) 川越市立美術館蔵
第4章 御舟一門 高橋周桑と吉田善彦
御舟は基本的に弟子を取らなかったそうですが、縁あって御舟に師事した2人の画家を紹介。どちらも画風は御舟に近く、高橋周桑の「白木蓮」や高橋周桑の「寧楽の杜」あたりは御舟の影響を強く感じます。吉田善彦の「苔庭」なんて御舟の「翠苔緑芝」を思い起こさせますね。
吉田善彦 「苔庭」
昭和22年(1947) 世田谷美術館蔵
昭和22年(1947) 世田谷美術館蔵
速水御舟の没後80年の展覧会ということなのだから、できればもう少し代表作と呼べるものが集まっていれば…と思わなくもありませんが、全国津々浦々の美術館の知られざる御舟作品に触れられたのは正直有難い。小茂田青樹や赤曜会の画家の作品などがいろいろ観られたのも良かったなと思います。
【速水御舟とその周辺 大正期日本画の俊英たち】
2015年7月5日まで
世田谷美術館にて
もっと知りたい速水御舟―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
2015/06/21
鴨居玲展
東京ステーションギャラリーで開催中の『鴨居玲展』を観てまいりました。
鴨居玲の没後30年を記念しての回顧展。初期から絶筆まで、デッサンを含め約100点の作品が展示されています。東京での展覧会(ギャラリーを除く)は1990年の西武アートフォーラム以来のとのことで、鴨居玲の画業を俯瞰するにはまたとない機会でしょう。
ズシリときます。鴨居玲の作品がどんなものかを知っていても、これだけの数の作品を時系列で追いながら観ていくと、彼の作品世界に入り込んでしまいますし、彼の思いというものも強く伝わってきます。正直、重いですし、直視するのも辛いものがあるのですが、その作品から目が放せなくなります。とても心に響く展覧会でした。
第1章 初期~安井賞受賞まで
鴨居玲は宮本三郎に師事したそうなんですが、その絵は宮本の明るい色調と違って、どんよりとしています。19歳の頃に描いたという自画像は熊谷守一の「蝋燭」に影響を受けたものだといいます。兄の戦死や父の死が重なり、この頃からどこか死を強く意識したところがあったようです。
初期の作品にはシュールレアリスムを思わすところもあったり、毒々しい赤のモノトーンが強烈な「時計」や「赤い老人」といった具象とも抽象ともつかぬものがあったり、歪んだ顔と異様に大きな手が印象的な「インディオの女」といったフランシス・ベーコンみたいな絵があったりと、まだ画風や方向性が定まっていない感じがします。
画壇に認められるのは遅かったようで、「静止した刻」で安井賞を受賞したのが41歳のとき。誇張された男たちの表情と沈んだ色や背景がその後の作品を予感させます。
第2章 スペイン・パリ時代
スペイン時代の特徴的な作品を観ていると、リベラやベラスケス、ゴヤといった、強いコントラストと重厚でどこか暗鬱とした画作りと鴨居の相性が良かったんだろうなというのが分かります。どの作品も人間の悲哀や生活の辛苦を感じさせ、時折ユーモラスな作品があっても、その裏にある人生の重さが伝わってくるようです。
酒好きの鴨居は酔っ払いに自分を重ねたのか、酔っ払いをモティーフに何度か描いているようです。陽気な酔っ払いも老人も、皺はまるで模様のように深く、顔は伎楽面か亡霊かというぐらいにグロテスクです。”私の村”と呼ぶほど、その村に親しみ、素朴な人々を愛したそうですが、その絵にはどこか緊張感があり、平和や安らぎといった言葉とは程遠い感じがします。
そんなスペインの強い明暗法に嫌気がさしたとかで、パリに移ります。パリ時代の作品は色数も増え、やや淡い色の調子で描かれますが、基本的に人物は変わらず物悲しげです。
第3章 神戸時代-一期の夢の終焉
日本に戻ってからは裸婦画にも挑戦したりしたみたいですが、作品として完成したのは展示されていた「ETUDE」だけだったとか。結局、過去の作品の焼き直しのようなものしか描けず、焦燥感に苛まれてしまいます。
「アリラン」を高らかに歌う女性。客席から見上げるような構図からは舞台の興奮と感動までが伝わってきて、その力強さに圧倒されます。チマチョゴリを着た女性の背景にある祖国や長く複雑な歴史に対する熱い思いまでもが読み取れるようです。
まるで亡霊のように彷徨う老人や裸婦。これまでに鴨居が描いてきた人たちでしょうか。白いキャンバスの前で口を半開きし放心するように座り込む画家は、絵を描けずに苦労する鴨居自身だといいます。この頃の作品はどれも、強い不安感や絶望、心の闇が、曝け出すように描かれています。まるで人間の暗部や醜悪さを自ら一手に引き受け、自分をその象徴として描いているかのように。
酔っ払いや皺の深い老人、道化の顔が晩年の鴨居の自画像に重なっていきます。宙に浮遊する教会はまるで鴨居の墓石のようです。髪が乱れ、目が窪み、生気を失っていく顔。この人がやがて死を選ぶことを分かっているだけに見ていてとても辛い。
命を絶つ同年に描いた肖像からは顔さえも分離しています。さすがに絶筆の有名な襖絵は出ていませんでしたが、最晩年のどの作品からも鴨居の痛々しいまでの苦しみが伝わってきて、涙が出てきそうになりました。
第4章 デッサン
最後はデッサンやパステル画を展示。1枚の絵を描くのに100枚のデッサンをしたというぐらいですから、素描などを観てると素直にこの人は絵が上手いんだなと分かります。ときどき、パステルやガッシュによるカラフルな作品があったりして驚きます。パリ時代には不本意な制作もしたという(生活のためか?)解説もあったので、もしかしたらこうした絵のことを言ってるのかなとも思いましたが、どうでしょう。
暗く、重く、息苦しい絵ばかりなのですが、こんなに引きこまれてしまう作品もそうそうありません。絵を描くとはこんなにも苦しく壮絶なものなのかと思わずにいられなくなる展覧会でした。
【没後30年 鴨居玲 踊り候え】
2015年7月20日まで
東京ステーションギャラリーにて
鴨居玲 死を見つめる男
鴨居玲の没後30年を記念しての回顧展。初期から絶筆まで、デッサンを含め約100点の作品が展示されています。東京での展覧会(ギャラリーを除く)は1990年の西武アートフォーラム以来のとのことで、鴨居玲の画業を俯瞰するにはまたとない機会でしょう。
ズシリときます。鴨居玲の作品がどんなものかを知っていても、これだけの数の作品を時系列で追いながら観ていくと、彼の作品世界に入り込んでしまいますし、彼の思いというものも強く伝わってきます。正直、重いですし、直視するのも辛いものがあるのですが、その作品から目が放せなくなります。とても心に響く展覧会でした。
第1章 初期~安井賞受賞まで
鴨居玲は宮本三郎に師事したそうなんですが、その絵は宮本の明るい色調と違って、どんよりとしています。19歳の頃に描いたという自画像は熊谷守一の「蝋燭」に影響を受けたものだといいます。兄の戦死や父の死が重なり、この頃からどこか死を強く意識したところがあったようです。
鴨居玲 「赤い老人」
1963年 石川県立美術館蔵
1963年 石川県立美術館蔵
初期の作品にはシュールレアリスムを思わすところもあったり、毒々しい赤のモノトーンが強烈な「時計」や「赤い老人」といった具象とも抽象ともつかぬものがあったり、歪んだ顔と異様に大きな手が印象的な「インディオの女」といったフランシス・ベーコンみたいな絵があったりと、まだ画風や方向性が定まっていない感じがします。
鴨居玲 「静止した刻」
1968年 東京国立近代美術館蔵
1968年 東京国立近代美術館蔵
画壇に認められるのは遅かったようで、「静止した刻」で安井賞を受賞したのが41歳のとき。誇張された男たちの表情と沈んだ色や背景がその後の作品を予感させます。
第2章 スペイン・パリ時代
スペイン時代の特徴的な作品を観ていると、リベラやベラスケス、ゴヤといった、強いコントラストと重厚でどこか暗鬱とした画作りと鴨居の相性が良かったんだろうなというのが分かります。どの作品も人間の悲哀や生活の辛苦を感じさせ、時折ユーモラスな作品があっても、その裏にある人生の重さが伝わってくるようです。
鴨居玲 「私の村の酔っ払い」
1973年 笠間日動美術館蔵
1973年 笠間日動美術館蔵
酒好きの鴨居は酔っ払いに自分を重ねたのか、酔っ払いをモティーフに何度か描いているようです。陽気な酔っ払いも老人も、皺はまるで模様のように深く、顔は伎楽面か亡霊かというぐらいにグロテスクです。”私の村”と呼ぶほど、その村に親しみ、素朴な人々を愛したそうですが、その絵にはどこか緊張感があり、平和や安らぎといった言葉とは程遠い感じがします。
鴨居玲 「おばあさん」
1973年 石川県立美術館蔵
1973年 石川県立美術館蔵
そんなスペインの強い明暗法に嫌気がさしたとかで、パリに移ります。パリ時代の作品は色数も増え、やや淡い色の調子で描かれますが、基本的に人物は変わらず物悲しげです。
鴨居玲 「風船」
1976年 個人蔵
1976年 個人蔵
第3章 神戸時代-一期の夢の終焉
日本に戻ってからは裸婦画にも挑戦したりしたみたいですが、作品として完成したのは展示されていた「ETUDE」だけだったとか。結局、過去の作品の焼き直しのようなものしか描けず、焦燥感に苛まれてしまいます。
鴨居玲 「望郷を歌う(故高英洋に)」
1981年 石川県立美術館蔵
1981年 石川県立美術館蔵
「アリラン」を高らかに歌う女性。客席から見上げるような構図からは舞台の興奮と感動までが伝わってきて、その力強さに圧倒されます。チマチョゴリを着た女性の背景にある祖国や長く複雑な歴史に対する熱い思いまでもが読み取れるようです。
鴨居玲 「1982年 私」
1982年 石川県立美術館蔵
1982年 石川県立美術館蔵
まるで亡霊のように彷徨う老人や裸婦。これまでに鴨居が描いてきた人たちでしょうか。白いキャンバスの前で口を半開きし放心するように座り込む画家は、絵を描けずに苦労する鴨居自身だといいます。この頃の作品はどれも、強い不安感や絶望、心の闇が、曝け出すように描かれています。まるで人間の暗部や醜悪さを自ら一手に引き受け、自分をその象徴として描いているかのように。
鴨居玲 「自画像」
1982年 笠間日動美術館蔵
1982年 笠間日動美術館蔵
酔っ払いや皺の深い老人、道化の顔が晩年の鴨居の自画像に重なっていきます。宙に浮遊する教会はまるで鴨居の墓石のようです。髪が乱れ、目が窪み、生気を失っていく顔。この人がやがて死を選ぶことを分かっているだけに見ていてとても辛い。
鴨居玲 「酔って候」
1984年 石川県立美術館蔵
1984年 石川県立美術館蔵
命を絶つ同年に描いた肖像からは顔さえも分離しています。さすがに絶筆の有名な襖絵は出ていませんでしたが、最晩年のどの作品からも鴨居の痛々しいまでの苦しみが伝わってきて、涙が出てきそうになりました。
鴨居玲 「肖像」
1985年 個人蔵
1985年 個人蔵
第4章 デッサン
最後はデッサンやパステル画を展示。1枚の絵を描くのに100枚のデッサンをしたというぐらいですから、素描などを観てると素直にこの人は絵が上手いんだなと分かります。ときどき、パステルやガッシュによるカラフルな作品があったりして驚きます。パリ時代には不本意な制作もしたという(生活のためか?)解説もあったので、もしかしたらこうした絵のことを言ってるのかなとも思いましたが、どうでしょう。
暗く、重く、息苦しい絵ばかりなのですが、こんなに引きこまれてしまう作品もそうそうありません。絵を描くとはこんなにも苦しく壮絶なものなのかと思わずにいられなくなる展覧会でした。
【没後30年 鴨居玲 踊り候え】
2015年7月20日まで
東京ステーションギャラリーにて
鴨居玲 死を見つめる男
2015/06/14
着想のマエストロ 乾山見参!
サントリー美術館で開催中の尾形乾山の展覧会『着想のマエストロ 乾山見参!』を観てまいりました。
陶器や茶器といった美術品の展覧会ってあまり積極的に観てきてないんですが、これは是非観たいなと思って楽しみにしていました。
もちろん尾形光琳の弟ということもありますし、琳派ということもありますが、乾山の作品は琳派の展覧会でよく観ることがあるので以前から親しみを持っていたというのがあるのかもしれません。
乾山以外の関連の作品も含め、出品数は前後期合わせ136点。入れ替えがある作品は多くないので、だいたい120点が常時展示されています。結構なボリュームです。乾山の美意識の高さに圧倒されます。
会場の構成は以下のとおりです:
第1章 乾山への道 - 京焼の源流と17世紀の京都
第2章 乾山颯爽登場 - 和・漢ふたつの柱と大平面時代
第3章 「写し」 - 乾山を支えた異国趣味
第4章 蓋物の宇宙 - うつわの中の異世界
第5章 彩りの懐石具 - 「うつわ」からの解放
第6章 受け継がれる「乾山」 - その晩年と知られざる江戸の系譜
光琳・乾山は京都の高級呉服商の次男と三男。若い頃の光琳は放蕩三昧で父の遺産を使い果たし、弟・乾山からも借金をしたといいます。40代で画業に身を入れた兄と対照的に乾山は若くして隠遁生活を送るような人で、野々村仁清に作陶を学び、30代で窯を開きます。このときから名を「乾山」としたようです。
最初のコーナーには、初期京焼や楽焼のルーツとされる華南三彩やそれを模した織部が展示されていて、いかに明の三彩釉を日本の陶芸家たちが再現しようとしていたか苦心の過程を見る思いがします。ほかにも初期伊万里や小堀遠州の茶風(綺麗寂)を反映した茶器、仁清の作品など、乾山へ連なる系譜を確認できます。
乾山の初期の作品には、狩野探幽の「定家詠十二ヶ月和歌花鳥図画帖」を器に描いた十二枚の各皿や、やはり狩野派や琳派の意匠を描いた色絵皿などがあります。器に絵を描くというのではなく、まるで紙に絵を描くように絵を器にしてしまうという発想の転換が乾山の斬新さだったようです。
兄・光琳とコラボした作品もいくつかあったのですが、雪舟風の楼閣山水図だったり、宗の詩人だったり、意外と琳派的な作品ではない作品が多いのが印象的。文人趣味的な嗜好があった人ですから、詩と画を描いたまるで詩画軸のような器もありました。琳派的な華やかな世界もあれば、こうした静謐な世界もある。面白いですね。
乾山の作品というと、洗練された意匠、カラフルな色合い、そしてユニークな造形ですね。椿文や桔梗文、菊文といった盃台(杯を乗せる台で、飲み残しは中央に捨てる)を観てると、当時の最先端のオシャレ・グッズだったんだろうなという感じがします。
この「銹絵獅子香炉」の超絶技巧ぶりというか、精緻さというか、ビックリします。タタラのよる型打ち成形の香炉だそうで、欄干のついた台上には獅子がいます。ちょっとおどけた表情がおかしい。唐様の錆絵のシックな色合いもいいですね。
ヨーロッパの錫釉陶器に着想を得たという器や明の古赤絵風の唐絵文の水注、安南(ベトナム)の焼物を参考にしたという茶碗など異国趣味の陶磁器はなかなか興味深いものがあります。京焼や織部、唐津にとどまらず、さらには海外の陶磁器まで様々なものを貪欲に取り入れ着想の源にしていたのがよく分かります。安南焼を模した作品は、チョコレートボトムとよばれる特徴的な鉄銹で塗られた素朴で粗いタッチの絵付でユニークです。
「銹絵染付金銀白彩松波文蓋物」は、デフォルメされた松樹を金、銀、染付、白彩で抜き、釉薬をかけずに素地を残した外面と染付と金彩で波を表した内面という凝った手法の蓋物。松林の浜辺を思わす風雅な逸品です。外と内の質感の違いも面白い。格子文や連珠文、縞文といった古風な柄の染織を思わす魯山人旧蔵の「織部四方蓋文」や、まるでクレーのようなカラフルな「色絵石垣文皿」(実際は明清時代の氷裂文を写したものとか)など、抽象絵画を思わせるモダンな作品もあります。
形は同じでも色の配置が全て違う紅葉型の向付や土の肌に百合の花を銹絵でかたどった器、カラフルな光琳菊の猪口、松や葵、菊、桐、紅葉等々図様がかわいい汁次(蕎麦のつけ汁を入れる容器)、ぼってりとした厚塗りの夕顔が描かれた黒茶碗、鉢の深さが川の深さを暗示している色絵鉢など、手の込んだ造形と色の美しさ、目にも楽しい作品が並びます。こういう器が家にあったら、どんなに生活が華やかで趣のあるものになるでしょう。
わたしのように陶磁器初心者にも入りやすし、楽しめる展覧会でした。サントリー美術館らしい観客目線の構成や丁寧な解説もとても好ましく感じました。乾山、素晴らしすぎます。
【着想のマエストロ 乾山見参!】
2015年7月20日まで
サントリー美術館にて
乾山焼入門
陶器や茶器といった美術品の展覧会ってあまり積極的に観てきてないんですが、これは是非観たいなと思って楽しみにしていました。
もちろん尾形光琳の弟ということもありますし、琳派ということもありますが、乾山の作品は琳派の展覧会でよく観ることがあるので以前から親しみを持っていたというのがあるのかもしれません。
乾山以外の関連の作品も含め、出品数は前後期合わせ136点。入れ替えがある作品は多くないので、だいたい120点が常時展示されています。結構なボリュームです。乾山の美意識の高さに圧倒されます。
会場の構成は以下のとおりです:
第1章 乾山への道 - 京焼の源流と17世紀の京都
第2章 乾山颯爽登場 - 和・漢ふたつの柱と大平面時代
第3章 「写し」 - 乾山を支えた異国趣味
第4章 蓋物の宇宙 - うつわの中の異世界
第5章 彩りの懐石具 - 「うつわ」からの解放
第6章 受け継がれる「乾山」 - その晩年と知られざる江戸の系譜
尾形乾山 「色絵定家詠十二ヶ月和歌花鳥図角皿」
江戸時代・18世紀 MOA美術館蔵
江戸時代・18世紀 MOA美術館蔵
光琳・乾山は京都の高級呉服商の次男と三男。若い頃の光琳は放蕩三昧で父の遺産を使い果たし、弟・乾山からも借金をしたといいます。40代で画業に身を入れた兄と対照的に乾山は若くして隠遁生活を送るような人で、野々村仁清に作陶を学び、30代で窯を開きます。このときから名を「乾山」としたようです。
最初のコーナーには、初期京焼や楽焼のルーツとされる華南三彩やそれを模した織部が展示されていて、いかに明の三彩釉を日本の陶芸家たちが再現しようとしていたか苦心の過程を見る思いがします。ほかにも初期伊万里や小堀遠州の茶風(綺麗寂)を反映した茶器、仁清の作品など、乾山へ連なる系譜を確認できます。
乾山の初期の作品には、狩野探幽の「定家詠十二ヶ月和歌花鳥図画帖」を器に描いた十二枚の各皿や、やはり狩野派や琳派の意匠を描いた色絵皿などがあります。器に絵を描くというのではなく、まるで紙に絵を描くように絵を器にしてしまうという発想の転換が乾山の斬新さだったようです。
尾形乾山作/光琳画 「銹絵観鷗図角皿」(重要文化財)
江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵
江戸時代・18世紀 東京国立博物館蔵
兄・光琳とコラボした作品もいくつかあったのですが、雪舟風の楼閣山水図だったり、宗の詩人だったり、意外と琳派的な作品ではない作品が多いのが印象的。文人趣味的な嗜好があった人ですから、詩と画を描いたまるで詩画軸のような器もありました。琳派的な華やかな世界もあれば、こうした静謐な世界もある。面白いですね。
尾形乾山 「色絵桔梗文盃台」
江戸時代・18世紀 MIHO MUSEUM蔵
江戸時代・18世紀 MIHO MUSEUM蔵
乾山の作品というと、洗練された意匠、カラフルな色合い、そしてユニークな造形ですね。椿文や桔梗文、菊文といった盃台(杯を乗せる台で、飲み残しは中央に捨てる)を観てると、当時の最先端のオシャレ・グッズだったんだろうなという感じがします。
尾形乾山 「銹絵獅子香炉」
江戸時代・18世紀 出光美術館蔵
江戸時代・18世紀 出光美術館蔵
この「銹絵獅子香炉」の超絶技巧ぶりというか、精緻さというか、ビックリします。タタラのよる型打ち成形の香炉だそうで、欄干のついた台上には獅子がいます。ちょっとおどけた表情がおかしい。唐様の錆絵のシックな色合いもいいですね。
ヨーロッパの錫釉陶器に着想を得たという器や明の古赤絵風の唐絵文の水注、安南(ベトナム)の焼物を参考にしたという茶碗など異国趣味の陶磁器はなかなか興味深いものがあります。京焼や織部、唐津にとどまらず、さらには海外の陶磁器まで様々なものを貪欲に取り入れ着想の源にしていたのがよく分かります。安南焼を模した作品は、チョコレートボトムとよばれる特徴的な鉄銹で塗られた素朴で粗いタッチの絵付でユニークです。
尾形乾山 「銹絵染付金銀白彩松波文蓋物」(重要文化財)
江戸時代・18世紀 出光美術館蔵
江戸時代・18世紀 出光美術館蔵
「銹絵染付金銀白彩松波文蓋物」は、デフォルメされた松樹を金、銀、染付、白彩で抜き、釉薬をかけずに素地を残した外面と染付と金彩で波を表した内面という凝った手法の蓋物。松林の浜辺を思わす風雅な逸品です。外と内の質感の違いも面白い。格子文や連珠文、縞文といった古風な柄の染織を思わす魯山人旧蔵の「織部四方蓋文」や、まるでクレーのようなカラフルな「色絵石垣文皿」(実際は明清時代の氷裂文を写したものとか)など、抽象絵画を思わせるモダンな作品もあります。
尾形乾山 「色絵石垣文皿」
江戸時代・18世紀 京都国立博物館蔵
江戸時代・18世紀 京都国立博物館蔵
尾形乾山 「色絵龍田川図向付」
江戸時代・18世紀 MIHO MUSEUM蔵
江戸時代・18世紀 MIHO MUSEUM蔵
形は同じでも色の配置が全て違う紅葉型の向付や土の肌に百合の花を銹絵でかたどった器、カラフルな光琳菊の猪口、松や葵、菊、桐、紅葉等々図様がかわいい汁次(蕎麦のつけ汁を入れる容器)、ぼってりとした厚塗りの夕顔が描かれた黒茶碗、鉢の深さが川の深さを暗示している色絵鉢など、手の込んだ造形と色の美しさ、目にも楽しい作品が並びます。こういう器が家にあったら、どんなに生活が華やかで趣のあるものになるでしょう。
尾形乾山 「色絵龍田川文透彫反鉢」
江戸時代・18世紀 出光美術館蔵
江戸時代・18世紀 出光美術館蔵
尾形乾山 「色絵椿文向付」
江戸時代・18世紀 MIHO MUSEUM蔵
江戸時代・18世紀 MIHO MUSEUM蔵
わたしのように陶磁器初心者にも入りやすし、楽しめる展覧会でした。サントリー美術館らしい観客目線の構成や丁寧な解説もとても好ましく感じました。乾山、素晴らしすぎます。
【着想のマエストロ 乾山見参!】
2015年7月20日まで
サントリー美術館にて
乾山焼入門
2015/06/10
江戸の悪
太田記念美術館で開催中の『江戸の悪』展を観てまいりました。
悪の魅力といいますが、「悪」の放つ不思議な魅力に惹かれ、好奇心を抱いたり、時に酔いしれたりするのは昔も今も変わらないようです。時代劇や歌舞伎には多くの「悪」が登場しますが、非情な存在であるにもかかわらず、中には「悪」が主役を食ってしまったり、はたまた「悪」が主役だったりするものも少なくありません。
本展には、そんなさまざまな「悪」の描かれた浮世絵が集められています。盗賊に侠客、実悪に色悪、毒婦に悪婆。実在から架空の人物まで、江戸の人を魅了した「悪」のバラエティーに富んでることといったら。今見ても十分面白いですし、その世界に引き込まれてしまいます。
会場は、<盗賊・侠客・浪人>、<悪の権力者たち>、<悪女と女伊達>、<恋と悪>、<善と悪のはざま>、<悪の妖術使い>といったテーマで分けられています。出品作は約80点。期間中入れ替えはありません。
石川五右衛門や鼠小僧の名前は今でもとても有名ですが、こうして浮世絵になった盗賊や悪人たちを見てると、そうした事件や「悪」を取り上げた歌舞伎やそれを描いた浮世絵が、さらに「悪」を魅力的に見せてるんだなということが良く分かります。今のようの娯楽が多くない時代ですから、人々は「悪」の登場を時に待ち望み、非日常的な世界に興味を掻き立てられたり、熱狂したりしたんでしょうね。
『東海道四谷怪談』の伊右衛門や『伊勢音頭恋寝刃』の福岡貢、『籠釣瓶花街酔醒』の佐野次郎左衛門、『夏祭浪花鑑』の団七、『隅田川続俤』の法界坊、『助六由縁江戸桜』の助六や髭の意休、『桜姫東文章』の清玄、『伽羅先代萩』の仁木弾正、『仮名手本忠臣蔵』の高師直や斧定久郎・・・。ほとんどの浮世絵は歌舞伎を題材にしたものなので、歌舞伎好きなら尚更楽しめること必至です。
絵師としては歌川豊国や歌川国貞(三代豊国)、歌川広重、歌川国芳など歌川派がさすがに多いですね。早いものでは1800年代の作品もありますが、多くは1850~60年代。こうした「悪」を描いた作品が量産された背景には、もしかしたら不安定な幕末の空気もあるのかもしれません。明治以降の作品も多く、月岡芳年や豊原国周、楊洲周延があります。
髭の意休のこのカッコよさ!揚巻にしつこく言い寄る嫌な役なのに、こんなに粋な姿に描かれてるなんて。他の作品も同様ですが、「悪」だからといって蔑んで描かれてるわけじゃないんですよね。凄惨な殺しの現場や憎々しい姿、いかにも悪い奴といった感じに描かれていても、どこか惹き付けるものがあります。浮世絵師たちの演出もあるんでしょうが、江戸の人たちがこうした姿を求めていたというのもあるのでしょう。
「悪」は何も男に限った話ではなく、歌舞伎にも毒婦や悪婆、女盗賊、女伊達といった女性の様々な「悪」があります。実際に起きた事件に由来するものも多く、江戸時代のワイドショー的なところもあったんだろうなと思います。『夏祭浪花鑑』の書き換え狂言の女團七や『お染の七役』の土手のお六、『加賀見山再岩藤』の岩藤、『娘道成寺』の清姫など歌舞伎でお馴染みの女性版「悪」が並びます。
面白かったのが「悪」を横に連ねて総揃いさせた浮世絵で、“切られお富”や“熊坂お長”、“三島おせん”といった女性の悪人を描いた作品(「東都不二勇気の肌」)や、五右衛門や熊坂長範、滝夜叉姫、児雷也といった盗賊や妖術使いなどを描いた作品(「本朝義盗競」)があって、まるで「悪」の見本市。『白浪五人男』や『三人吉三』のような白浪物(盗賊を主人公にした世話物)が人気を集めたことにも通じるかもしれません。
それぞれの作品には丁寧な解説がついていて、「悪」のレベルが星で表示されています。ちなみに最高ランクの星5つの「悪」は、石川五右衛門と鼠小僧、『四谷怪談』の伊右衛門、『絵本合法衢』の太平次、『勧善懲悪覗機関』の邑井長庵、『妹背山婦女庭訓』の蘇我入鹿、『菅原伝授手習鑑』の藤原時平、浅茅ヶ原の鬼婆。どれも相当な「悪」ですね。
残念なのが、本展には図録がないこと。図録があれば、江戸の悪人図鑑にもなったでしょうに。でも好企画の楽しい展覧会でした。
【江戸の悪】
2015年6月26日(金)まで
太田記念美術館にて
月岡芳年: 血と怪奇の異才絵師 (傑作浮世絵コレクション)
悪の魅力といいますが、「悪」の放つ不思議な魅力に惹かれ、好奇心を抱いたり、時に酔いしれたりするのは昔も今も変わらないようです。時代劇や歌舞伎には多くの「悪」が登場しますが、非情な存在であるにもかかわらず、中には「悪」が主役を食ってしまったり、はたまた「悪」が主役だったりするものも少なくありません。
本展には、そんなさまざまな「悪」の描かれた浮世絵が集められています。盗賊に侠客、実悪に色悪、毒婦に悪婆。実在から架空の人物まで、江戸の人を魅了した「悪」のバラエティーに富んでることといったら。今見ても十分面白いですし、その世界に引き込まれてしまいます。
会場は、<盗賊・侠客・浪人>、<悪の権力者たち>、<悪女と女伊達>、<恋と悪>、<善と悪のはざま>、<悪の妖術使い>といったテーマで分けられています。出品作は約80点。期間中入れ替えはありません。
三代歌川豊国(国貞) 「東海道五十三次之内 京 石川五右衛門」
嘉永5年(1852)
嘉永5年(1852)
石川五右衛門や鼠小僧の名前は今でもとても有名ですが、こうして浮世絵になった盗賊や悪人たちを見てると、そうした事件や「悪」を取り上げた歌舞伎やそれを描いた浮世絵が、さらに「悪」を魅力的に見せてるんだなということが良く分かります。今のようの娯楽が多くない時代ですから、人々は「悪」の登場を時に待ち望み、非日常的な世界に興味を掻き立てられたり、熱狂したりしたんでしょうね。
三代歌川豊国(国貞) 「東海道四谷怪談」
文久元年(1861)
文久元年(1861)
『東海道四谷怪談』の伊右衛門や『伊勢音頭恋寝刃』の福岡貢、『籠釣瓶花街酔醒』の佐野次郎左衛門、『夏祭浪花鑑』の団七、『隅田川続俤』の法界坊、『助六由縁江戸桜』の助六や髭の意休、『桜姫東文章』の清玄、『伽羅先代萩』の仁木弾正、『仮名手本忠臣蔵』の高師直や斧定久郎・・・。ほとんどの浮世絵は歌舞伎を題材にしたものなので、歌舞伎好きなら尚更楽しめること必至です。
月岡芳年 「英名二十八衆句 福岡貢」
慶応3年(1867)
慶応3年(1867)
月岡芳幾 「英名二十八衆句 佐野次郎左衛門」
慶応3年(1867)
慶応3年(1867)
絵師としては歌川豊国や歌川国貞(三代豊国)、歌川広重、歌川国芳など歌川派がさすがに多いですね。早いものでは1800年代の作品もありますが、多くは1850~60年代。こうした「悪」を描いた作品が量産された背景には、もしかしたら不安定な幕末の空気もあるのかもしれません。明治以降の作品も多く、月岡芳年や豊原国周、楊洲周延があります。
三代歌川豊国(国貞) 「近世水滸伝 競力富五郎 中村芝翫」
文九元年(1861)
文九元年(1861)
三代歌川豊国(国貞) 「東都贔屓競 二 清玄 桜姫」
安政5年(1858)
安政5年(1858)
髭の意休のこのカッコよさ!揚巻にしつこく言い寄る嫌な役なのに、こんなに粋な姿に描かれてるなんて。他の作品も同様ですが、「悪」だからといって蔑んで描かれてるわけじゃないんですよね。凄惨な殺しの現場や憎々しい姿、いかにも悪い奴といった感じに描かれていても、どこか惹き付けるものがあります。浮世絵師たちの演出もあるんでしょうが、江戸の人たちがこうした姿を求めていたというのもあるのでしょう。
三代歌川豊国(国貞) 「梨園侠客伝 髭のゐきう」
文九3年(1863)
文九3年(1863)
「悪」は何も男に限った話ではなく、歌舞伎にも毒婦や悪婆、女盗賊、女伊達といった女性の様々な「悪」があります。実際に起きた事件に由来するものも多く、江戸時代のワイドショー的なところもあったんだろうなと思います。『夏祭浪花鑑』の書き換え狂言の女團七や『お染の七役』の土手のお六、『加賀見山再岩藤』の岩藤、『娘道成寺』の清姫など歌舞伎でお馴染みの女性版「悪」が並びます。
三代歌川豊国(国貞) 「梨園侠客伝 女伊達 団七じまのおかち」
安政2年(1855)
安政2年(1855)
歌川国芳 「浅茅原一ツ家之図」
文久3年(1863)
文久3年(1863)
面白かったのが「悪」を横に連ねて総揃いさせた浮世絵で、“切られお富”や“熊坂お長”、“三島おせん”といった女性の悪人を描いた作品(「東都不二勇気の肌」)や、五右衛門や熊坂長範、滝夜叉姫、児雷也といった盗賊や妖術使いなどを描いた作品(「本朝義盗競」)があって、まるで「悪」の見本市。『白浪五人男』や『三人吉三』のような白浪物(盗賊を主人公にした世話物)が人気を集めたことにも通じるかもしれません。
豊原国周 「東都不二勇気の肌」
元治元年(1864)
元治元年(1864)
それぞれの作品には丁寧な解説がついていて、「悪」のレベルが星で表示されています。ちなみに最高ランクの星5つの「悪」は、石川五右衛門と鼠小僧、『四谷怪談』の伊右衛門、『絵本合法衢』の太平次、『勧善懲悪覗機関』の邑井長庵、『妹背山婦女庭訓』の蘇我入鹿、『菅原伝授手習鑑』の藤原時平、浅茅ヶ原の鬼婆。どれも相当な「悪」ですね。
歌川豊国 「菅原伝授手習鑑 (車引)」
寛政8年(1796)
寛政8年(1796)
残念なのが、本展には図録がないこと。図録があれば、江戸の悪人図鑑にもなったでしょうに。でも好企画の楽しい展覧会でした。
【江戸の悪】
2015年6月26日(金)まで
太田記念美術館にて
月岡芳年: 血と怪奇の異才絵師 (傑作浮世絵コレクション)
2015/06/07
華麗なる江戸の女性画家たち
渋谷の実践女子学園香雪記念資料館で開催されている『華麗なる江戸の女性画家たち』を観てまいりました。
恵比寿の山種美術館からは徒歩約10分。山種美術館で『松園と華麗なる女性画家たち』を観た足でそのまま向かいました。静かな住宅街を通り抜け、ちょっとした散歩気分です。
こちらは江戸時代を中心に女性画家の作品を特集した展覧会。一部、他館や個人蔵の作品もありますが、ほとんどの作品が香雪記念資料館と実践女子大学の所蔵作品。近代の作品は山種美術館に現在貸し出しているぐらいなので、ここは女性画家のコレクションがほんと充実しているんですね。
正直なところ、本展で知っていた女性画家は清原雪信と池玉瀾ぐらいだったのですが、江戸の女性絵師の作品を観る機会はそうそうないので、とても興味深く拝見しました。
いくつかのテーマに沿って作品が紹介されていて、メインの会場では<多彩な人物表現>、<花鳥の美>、<清雅な山水・花鳥>に分けられています。
江戸時代の女性絵師として有名な清原雪信がいくつかあったのですが、そのクオリティの高さには驚きました。雪信作品で観たことがあるのはこれまで数えるほどで、どんな絵師なのかよく掴めないでいました。端正な姿と静かな趣きが印象的な「菊慈童図」、やまと絵風の「紫式部図」、江戸狩野派らしい淡麗な味わいの中にも華やかさと優雅さが光る「四季花鳥図屏風」が秀逸です。雪信の娘・春信の屏風絵もあり、確かな画技を感じさせます。
山種美術館でも意外と南画の作品が多かったのが印象的でしたが、実は江戸後期に最も多くの女性画家を輩出していたのは南画なのだそうです。池大雅の妻・玉瀾はこれまでも何度か作品に触れる機会があったのですが、谷文晁の妻や妹も南画家として作品を残していたことを初めて知りました。絵師の妻が絵を嗜むというのは他の派ではあまり聞かない気がします。
梁川紅蘭の「秋卉舞蝶図」は、失恋した女性の涙が落ちた土から生えたという伝承のある秋海棠を中心に秋の草花を描いたもので、なにか女性の深い思いを感じさせるような一枚。ほかにも、池玉瀾の「漁楽図」、江馬細香の「雪中生筍図」、河邊青蘭の「竹・菊図」、林珮芳の「山水図」が印象に残りました。
別室(?)の小さな部屋には<学祖・下田歌子と女性画家>と題し、実践女子学園の創立者・下田歌子の関連資料や、跡見学園の学祖・跡見花蹊やその従妹で日本画家の跡見玉枝の作品を展示。ここでは野口小蘋の華やかな「海棠小禽図」が目を惹きます。
会場は大学(しかも女子大)の構内にあるので、264号側の正門の警備室のところで名前を書いて、通行証をもらって入ります。 土日も開館していますが、月曜日が休館なので注意。入館料は無料です。
【実践女子学園創立120周年記念特別展 華麗なる江戸の女性画家たち】
2015年6月21日(日)まで
実践女子学園香雪記念資料館にて
近世の女性画家たち―美術とジェンダー
恵比寿の山種美術館からは徒歩約10分。山種美術館で『松園と華麗なる女性画家たち』を観た足でそのまま向かいました。静かな住宅街を通り抜け、ちょっとした散歩気分です。
こちらは江戸時代を中心に女性画家の作品を特集した展覧会。一部、他館や個人蔵の作品もありますが、ほとんどの作品が香雪記念資料館と実践女子大学の所蔵作品。近代の作品は山種美術館に現在貸し出しているぐらいなので、ここは女性画家のコレクションがほんと充実しているんですね。
正直なところ、本展で知っていた女性画家は清原雪信と池玉瀾ぐらいだったのですが、江戸の女性絵師の作品を観る機会はそうそうないので、とても興味深く拝見しました。
いくつかのテーマに沿って作品が紹介されていて、メインの会場では<多彩な人物表現>、<花鳥の美>、<清雅な山水・花鳥>に分けられています。
清原雪信 「菊慈童図」
17世紀後半 実践女子学園香雪記念資料館蔵
17世紀後半 実践女子学園香雪記念資料館蔵
江戸時代の女性絵師として有名な清原雪信がいくつかあったのですが、そのクオリティの高さには驚きました。雪信作品で観たことがあるのはこれまで数えるほどで、どんな絵師なのかよく掴めないでいました。端正な姿と静かな趣きが印象的な「菊慈童図」、やまと絵風の「紫式部図」、江戸狩野派らしい淡麗な味わいの中にも華やかさと優雅さが光る「四季花鳥図屏風」が秀逸です。雪信の娘・春信の屏風絵もあり、確かな画技を感じさせます。
谷文晁 「江村晩晴図」、谷幹々 「雪景楊柳図」
寛政7年(1795) 実践女子学園香雪記念資料館蔵
寛政7年(1795) 実践女子学園香雪記念資料館蔵
山種美術館でも意外と南画の作品が多かったのが印象的でしたが、実は江戸後期に最も多くの女性画家を輩出していたのは南画なのだそうです。池大雅の妻・玉瀾はこれまでも何度か作品に触れる機会があったのですが、谷文晁の妻や妹も南画家として作品を残していたことを初めて知りました。絵師の妻が絵を嗜むというのは他の派ではあまり聞かない気がします。
梁川紅蘭 「秋卉舞蝶図」
天保5年(1834) 実践女子学園香雪記念資料館蔵
天保5年(1834) 実践女子学園香雪記念資料館蔵
梁川紅蘭の「秋卉舞蝶図」は、失恋した女性の涙が落ちた土から生えたという伝承のある秋海棠を中心に秋の草花を描いたもので、なにか女性の深い思いを感じさせるような一枚。ほかにも、池玉瀾の「漁楽図」、江馬細香の「雪中生筍図」、河邊青蘭の「竹・菊図」、林珮芳の「山水図」が印象に残りました。
別室(?)の小さな部屋には<学祖・下田歌子と女性画家>と題し、実践女子学園の創立者・下田歌子の関連資料や、跡見学園の学祖・跡見花蹊やその従妹で日本画家の跡見玉枝の作品を展示。ここでは野口小蘋の華やかな「海棠小禽図」が目を惹きます。
徳山(池)玉瀾 「漁楽図」
18世紀後半 実践女子学園香雪記念資料館蔵
会場は大学(しかも女子大)の構内にあるので、264号側の正門の警備室のところで名前を書いて、通行証をもらって入ります。 土日も開館していますが、月曜日が休館なので注意。入館料は無料です。
【実践女子学園創立120周年記念特別展 華麗なる江戸の女性画家たち】
2015年6月21日(日)まで
実践女子学園香雪記念資料館にて
近世の女性画家たち―美術とジェンダー