さて、今月も歌舞伎座の杮葺落五月大歌舞伎に行ってまいりました。今月は第二部と第三部のみ拝見。
まずは『伽羅先代萩』で「御殿」と「床下」。女形の大役・政岡を演じるのは人間国宝の坂田藤十郎。
藤十郎の政岡を観るのは初めて。上方流というんでしょうか、“山城屋型”というんでしょうか、たとえば玉三郎の政岡とは演出が若干異なるようです。分かりやすいところだと、よく見る『先代萩』では、千松が八汐に刺されると、政岡が鶴千代を打掛で覆って守るという場面がありますが、“山城屋型”では政岡が鶴千代を奥の間に避難させ、その襖の前で懐剣を握ったままじっと立っているという演出でした。
『先代萩』の見どころの一つ“飯炊き”は、今回は時間の関係かカットされていましたが、前回藤十郎が政岡を演じた御園座の公演でもカットされているようなので、年齢を考慮してのことかもしれません。藤十郎の政岡は、お家の大事と母の苦しみの狭間でグッとこらえる心情が見事で、また息子・千松の亡骸を抱き悲しむ場面では義太夫に乗せてクドキをたっぷりと見せ、濃厚な味わいがありました。梅玉の八汐、秀太郎の栄御前、時蔵と扇雀の沖の井と松島と役者も揃い、総じて華やかで格調もあり、とても良かったと思います。一転荒事の「床下」は吉右衛門の荒獅子男之助に幸四郎の仁木弾正という兄弟競演で、大歌舞伎らしく見応えがありました。
つづいては『廓文章』。通称「吉田屋」。さよなら公演のときにも同じ仁左衛門と玉三郎でかかっていますが、前回は見逃しているので、杮葺落公演での再演を大変楽しみにしていました。
仁左衛門演じる伊左衛門はどうしようもない放蕩息子で、今は家を勘当され、夕霧会いたさに紙衣姿で吉田屋にやって来ます。夕霧に会ったら会ったで、素直になれず拗ねてそっぽを向く始末。その子供っぽさ、憎めなさ、じゃらじゃらした感じがたまらなくいい。一方の玉三郎の儚げな美しさ、艶やかさ。この玉三郎を何年も待ち望んでいたのだと思わずにはいられませんでした。ただ、伊左衛門の恋焦がれる思いほどの思いというか、同じ熱さを玉三郎からはあまり感じられなかったようにも思います。もう少し嬉しそうな感情が表に出てるといいのにと。
さて、第三部は『梶原平三誉石切』から。景時に吉右衛門、景親に菊五郎、景久に又五郎、そして六郎太夫に歌六、梢に芝雀。吉右衛門の景時は声といい表情といい堂々とした大きさといい、素晴らしい。その向こうを張るのが菊五郎。團十郎の代役ということで菊五郎にしては珍しい役回りですが、その景親が実に骨太で、芝居に一層の厚みを増していました。また、歌六、芝雀の親子が情感たっぷりで、吉右衛門・菊五郎の大きさと比べても遜色なく、ここまでドラマティックな石切梶原は初めて観た気がします。
最後は、五月最大の目玉、玉三郎と菊之助の『京鹿子娘二人道成寺』。さよなら公演のときにも拝見していますが、今回は少し志向を凝らし、後半の“ただ頼め”を日替わりで踊ったようです。私が観た日は玉三郎の“当番”でした。恐らく玉三郎はもう一人で道成寺を踊らない気がする(気がするだけですが)ので、「もしかしたら見納めかも」と思いながら目に焼き付けました。
この玉三郎と菊之助の『二人道成寺』は現代の歌舞伎舞踊では最高峰のものでしょう。もちろん玉三郎の極みの域に菊之助はまだまだ辿りつけていませんが、それでもその玉三郎と肩を並べて踊ることができるのは若手女形では菊之助しかいないわけです。その二人の妖艶な絡みは夢幻のようであり、「鐘入り」のときの、ああもう終わってしまう…という寂しさ、そして観終わったあとの、夢から覚めて現実に引き戻されたときのような何とも言えない気持ち、これは他の役者、他の演目では決して感じないものです。これからもいくつも名舞台と呼ばれるものを観ることになるでしょうが、この二人の『二人道成寺』ほどの水準のものはそうそう現れない気がします。
2013/05/24
アニトニオ・ロペス展
渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催中の『アントニオ・ロペス展』に行ってきました。
スペインが誇るマドリード・リアリズム(スペイン・リアリズムとも)の巨匠、今も現役のアントニオ・ロペス・ガルシアの日本初の展覧会です。
「私の制作のせいで稀にしか個展を開催できなかった」と入口にところにロペスのコメントがありました。非常に寡作の画家だそうで、本展はロペスの7度目の展覧会ということです。
アントニオ・ロペスというと、同じくスペインの映画監督ビクトル・エリセの『マルメロの陽光』という作品で取り上げられ、私自身もその映画を観て彼のことを知ったのですが、しばらく忘れていたところに、一昨年、礒江毅の展覧会で再び彼の名を思い出し、スペインのリアリズム絵画をちゃんと観てみたいなと思っていたところでした。
チラシの絵からも分かるように、一瞬「写真?」と思うような超絶リアルなその画風にはただただ驚かされるばかりです。実際の作品を今回初めて拝見しましたが、並みのリアリズム絵画とは一線を画す技術と特殊性、そして魅力にあふれた画家であることを再認識しました。
会場はアントニオ・ロペスの描くモチーフ別に、≪故郷≫、≪家族≫、≪植物≫、≪マドリード≫、≪静物≫、≪室内≫、≪人体≫というように分かれています。
初期の作品はとりわけ写実主義という感じはありません。会場に入ってすぐのところに飾られていた17歳の頃の作品「パチンコを撃つ少年」などは、キュビズムやシュルレアリスム、さらにはイタリア絵画や古代ギリシャ美術といったロペスが傾倒していたものが混在し、なんとかそれらを自分なりに表現しようという若さが感じられます。時代的なものもあるのかもしれませんが、マティエールを施した作品というのもありました。ロペスにはそうした実験的な精神というのがもともとあるようで、後年の作品の中にも時々異質な世界観がひょっこり現れることがあります。
「花嫁と花婿」は当初女性二人を描いていたものが、最終的に“花嫁”と“花婿”に変化したと解説にありました。細部に至るまで、またどの箇所をとっても、非常に丁寧に何度も何度も筆を入れているのが分かります。こうした執拗さはロペスの後の写実主義的な作品にも大きく関わってくる部分かもしれません。
1960年代に入り登場するのが家族をモデルにした作品で、60年代後半以降は家族がモデルの彫刻作品も手掛けるようになります。ロペスは一枚の絵を制作するのに非常に時間をかけ、一度描き上げたものに後年手を入れるということは珍しくないようです。「夕食」も一見穏やかな食事に風景なのですが、よく見ると右手の母親の顔に手を入れてあり、結局未完のままで終わっています。
1970年代に入ると、写実主義の傾向が顕著になります。本展のチラシにも使われていた「マリアの肖像」は古い写真のような褪せたタッチが印象的な一枚。実は鉛筆画なんです、これ。礒江毅展でも彼の鉛筆画の超絶技巧ぶりに驚愕しましたが、その原点になったのがこのロペス。鉛筆の濃淡だけでここまで描きこんでしまう描写力の高さにも驚かされますが、何とも言えない一瞬の内省的な表情や彼女の生活まで伝わってくるようなコートの質感は見事というより感動的ですらあります。写真とか写実絵画とかそういうものを超えた次元のインパクトを感じます。
先にあげたビクトル・エリセの映画『マルメロの陽光』で取り上げられた作品が展示されています。『マルメロの陽光』はこの油絵の制作過程を追った云わばドキュメンタリーなのですが、この作品も結局未完のままとのことでした。南欧の日差しとマルメロのみずみずしさが伝わってくる作品です。
会場のちょうど真ん中のコーナーには、超絶リアルなマドリードの風景を描いた作品が展示されています。マドリードはロペスにとって最も重要なモチーフのひとつで、20代半ばから70歳まで、それぞれに時期を代表する作品が含まれているそうです。
代表作「グランピア」は、早朝の20~30分間の決まった時間に同じ場所で7年間も描き続けたという作品。朝の光にこだわり、その決まった僅かな時間だけ筆を走らせたようです。会場にロペスの制作風景を映した映像が流れていましたが、現場でスケッチや下絵だけしてあとはアトリエで完成させるというのではなく、直接その場でイーゼルを立てて油絵具まで塗っていました。それを決まった時間にしか行わないのですから、作品がなかなか完成しないのも頷けます。
個人的に一番感動したのが「トーレス・ブランカスからのマドリード」。夏の夕暮れの、空がかすかに暮れていく瞬間の微細な光の加減が見事に映し出されていて、ただのモダンアートのスーパーリアリズムとは異なる、ある種の極みを観た思いがしました。
後半には、これも精密な描写が素晴らしい静物画や、ロペスといえばといわれるトイレやバスルーム、窓などを描いた室内画などが展示されています。特に、代表作の「トイレと窓」や鉛筆だけで描き切った2mを超える未完の大作「バスルーム」は素晴らしかったです。最後のコーナーには、人体をモチーフにした彫刻作品が展示されています。
【アントニオ・ロペス展】
2013年6月16日(日)まで
Bunkamura ザ・ミュージアムにて
現代スペイン・リアリズムの巨匠 アントニオ・ロペス
アントニオ・ロペス 創造の軌跡
スペインが誇るマドリード・リアリズム(スペイン・リアリズムとも)の巨匠、今も現役のアントニオ・ロペス・ガルシアの日本初の展覧会です。
「私の制作のせいで稀にしか個展を開催できなかった」と入口にところにロペスのコメントがありました。非常に寡作の画家だそうで、本展はロペスの7度目の展覧会ということです。
アントニオ・ロペスというと、同じくスペインの映画監督ビクトル・エリセの『マルメロの陽光』という作品で取り上げられ、私自身もその映画を観て彼のことを知ったのですが、しばらく忘れていたところに、一昨年、礒江毅の展覧会で再び彼の名を思い出し、スペインのリアリズム絵画をちゃんと観てみたいなと思っていたところでした。
チラシの絵からも分かるように、一瞬「写真?」と思うような超絶リアルなその画風にはただただ驚かされるばかりです。実際の作品を今回初めて拝見しましたが、並みのリアリズム絵画とは一線を画す技術と特殊性、そして魅力にあふれた画家であることを再認識しました。
会場はアントニオ・ロペスの描くモチーフ別に、≪故郷≫、≪家族≫、≪植物≫、≪マドリード≫、≪静物≫、≪室内≫、≪人体≫というように分かれています。
アントニオ・ロペス 「花嫁と花婿」
1955年 国立ソフィア王妃芸術センター蔵
1955年 国立ソフィア王妃芸術センター蔵
初期の作品はとりわけ写実主義という感じはありません。会場に入ってすぐのところに飾られていた17歳の頃の作品「パチンコを撃つ少年」などは、キュビズムやシュルレアリスム、さらにはイタリア絵画や古代ギリシャ美術といったロペスが傾倒していたものが混在し、なんとかそれらを自分なりに表現しようという若さが感じられます。時代的なものもあるのかもしれませんが、マティエールを施した作品というのもありました。ロペスにはそうした実験的な精神というのがもともとあるようで、後年の作品の中にも時々異質な世界観がひょっこり現れることがあります。
「花嫁と花婿」は当初女性二人を描いていたものが、最終的に“花嫁”と“花婿”に変化したと解説にありました。細部に至るまで、またどの箇所をとっても、非常に丁寧に何度も何度も筆を入れているのが分かります。こうした執拗さはロペスの後の写実主義的な作品にも大きく関わってくる部分かもしれません。
アントニオ・ロペス 「夕食」
1971-80年
1971-80年
1960年代に入り登場するのが家族をモデルにした作品で、60年代後半以降は家族がモデルの彫刻作品も手掛けるようになります。ロペスは一枚の絵を制作するのに非常に時間をかけ、一度描き上げたものに後年手を入れるということは珍しくないようです。「夕食」も一見穏やかな食事に風景なのですが、よく見ると右手の母親の顔に手を入れてあり、結局未完のままで終わっています。
アントニオ・ロペス 「マリアの肖像」
1972年
1972年
1970年代に入ると、写実主義の傾向が顕著になります。本展のチラシにも使われていた「マリアの肖像」は古い写真のような褪せたタッチが印象的な一枚。実は鉛筆画なんです、これ。礒江毅展でも彼の鉛筆画の超絶技巧ぶりに驚愕しましたが、その原点になったのがこのロペス。鉛筆の濃淡だけでここまで描きこんでしまう描写力の高さにも驚かされますが、何とも言えない一瞬の内省的な表情や彼女の生活まで伝わってくるようなコートの質感は見事というより感動的ですらあります。写真とか写実絵画とかそういうものを超えた次元のインパクトを感じます。
アントニオ・ロペス 「マルメロの木」
1976年 クリストバル・トラル・コレクション蔵
1976年 クリストバル・トラル・コレクション蔵
先にあげたビクトル・エリセの映画『マルメロの陽光』で取り上げられた作品が展示されています。『マルメロの陽光』はこの油絵の制作過程を追った云わばドキュメンタリーなのですが、この作品も結局未完のままとのことでした。南欧の日差しとマルメロのみずみずしさが伝わってくる作品です。
アントニオ・ロペス 「グランピア」
1974-81年
1974-81年
会場のちょうど真ん中のコーナーには、超絶リアルなマドリードの風景を描いた作品が展示されています。マドリードはロペスにとって最も重要なモチーフのひとつで、20代半ばから70歳まで、それぞれに時期を代表する作品が含まれているそうです。
代表作「グランピア」は、早朝の20~30分間の決まった時間に同じ場所で7年間も描き続けたという作品。朝の光にこだわり、その決まった僅かな時間だけ筆を走らせたようです。会場にロペスの制作風景を映した映像が流れていましたが、現場でスケッチや下絵だけしてあとはアトリエで完成させるというのではなく、直接その場でイーゼルを立てて油絵具まで塗っていました。それを決まった時間にしか行わないのですから、作品がなかなか完成しないのも頷けます。
アントニオ・ロペス 「トーレス・ブランカスからのマドリード」
1974-82年 マルボロ・インターナショナル・ファイン・アート蔵
1974-82年 マルボロ・インターナショナル・ファイン・アート蔵
個人的に一番感動したのが「トーレス・ブランカスからのマドリード」。夏の夕暮れの、空がかすかに暮れていく瞬間の微細な光の加減が見事に映し出されていて、ただのモダンアートのスーパーリアリズムとは異なる、ある種の極みを観た思いがしました。
後半には、これも精密な描写が素晴らしい静物画や、ロペスといえばといわれるトイレやバスルーム、窓などを描いた室内画などが展示されています。特に、代表作の「トイレと窓」や鉛筆だけで描き切った2mを超える未完の大作「バスルーム」は素晴らしかったです。最後のコーナーには、人体をモチーフにした彫刻作品が展示されています。
【アントニオ・ロペス展】
2013年6月16日(日)まで
Bunkamura ザ・ミュージアムにて
現代スペイン・リアリズムの巨匠 アントニオ・ロペス
アントニオ・ロペス 創造の軌跡
2013/05/18
河鍋暁斎の能・狂言画
日本橋の三井記念美術館で開催中の『河鍋暁斎の能・狂言画』展に行ってきました。
河鍋暁斎というと、6歳で歌川国芳に入門したとか、生首を拾って写生して周りの大人を気味悪がらせたとか、“らしい”エピソードに富み、またその画風も奇抜だったり、グロテスクだったり、どちらかというとアクの強いものが多い印象があります。
そんな暁斎ですが、実は狂言(大蔵流)を幼少の頃から嗜んでいたとかで、素人ながら舞台に立ったこともあるという意外な一面を持っていて、浮世絵や狂画、幽霊画など以外にも能や狂言を題材にした作品も多く残しているのだそうです。本展は、そうした暁斎の隠れた一面にスポットを当てた展覧会になっています。
さて、館内に入ってすぐの、回廊のような<展示室1>には、河鍋暁斎の能・狂言の関わりが伝わってくる画帖や錦絵、能の免状などが展示されています。
暁斎は藩士の家に生まれたからか、能や狂言など武家の文化や教養を幼くして躾けられていたそうです。暁斎が片や国芳からの影響を受けながらも、狩野派の技法も身につけていることは割と知られたことですが、暁斎の能・狂言画はさらに異なる領域というか、新たな魅力を再発見した気持ちにさせられます。
真ん中の一番広い<展示室4>には、≪舞台を描く≫と題し、能・狂言を描いた掛け軸や屏風などが展示されています。個人的に好きだったのは、双幅の「十二ヶ月年中行事図」(展示は5/19まで)で、各月の動植物や風俗を1月から6月までを暁斎が、7月から12月を娘で絵師の暁翠が描いています。暁斎と娘・暁翠の画風はやはり似ているのですが、暁斎の絵にはどこか遊び心が潜ませてあったりして、余裕だなと感じます。そのほか、狂言の瓜盗人を即席で描いた席画が展示されていて、即妙な筆から瓜盗人のおかしみがじわじわと伝わってきます。
「能・狂言扇面貼交屏風」(展示は5/19まで)や「能・狂言画聚」など、能や狂言の一場面を描いた作品も印象的でした。やはり狂言を習っていただけあり、絵から動きが伝わってくるというか、その動きに説得力があります。ただの抜き書きではない物語が感じられるという点では、並みの能・狂言画とは異なると強く感します。
本展での白眉は東博所蔵の「山姥図」で、暁斎らしい濃厚な色遣いと細密な表現が非常に冴えた一枚です。山姥という一般的に妖怪とも鬼ともされる題材を、敢えて子を守る母親として描き、母性を前面に出しているという点でも印象的でした。
<展示室5>には≪迫真の下絵≫と題し、暁斎の下絵や素描が多く展示されています。「道成寺図(鐘の中)下絵」は、実際の完成作がどんな絵に仕上がっているのか分かりませんでしたが、道成寺の鐘の中でシテが装束替えを行うところを描いた下絵。鐘の中に灯り(蝋燭)や道具入れ(?)があったり、鬼の面を鏡で覗いたりという、普段見られないところを描いているというのがとても面白かったです。
最後の<展示室7>には、版本や版画になった能・狂言画が展示されています。歌川芳虎との合作「東海道名所之内」で能の舞台を描いた作品や「狂斎漫画」などが展示されていました。
暁斎の毒々しい感じはほとんどなく、そうした向きや、能や狂言にあまり興味のない方にはもしかしたら面白みに欠けるかもしれませんが、暁斎の確かな腕とレンジの広さを思い知ること必至の展覧会です。これまで暁斎に抱いてたイメージが覆されました。
【河鍋暁斎の能・狂言画】
2013年6月16日(日)まで
三井記念美術館にて
もっと知りたい河鍋暁斎―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
河鍋暁斎―奇想の天才絵師 (別冊太陽)
河鍋暁斎というと、6歳で歌川国芳に入門したとか、生首を拾って写生して周りの大人を気味悪がらせたとか、“らしい”エピソードに富み、またその画風も奇抜だったり、グロテスクだったり、どちらかというとアクの強いものが多い印象があります。
そんな暁斎ですが、実は狂言(大蔵流)を幼少の頃から嗜んでいたとかで、素人ながら舞台に立ったこともあるという意外な一面を持っていて、浮世絵や狂画、幽霊画など以外にも能や狂言を題材にした作品も多く残しているのだそうです。本展は、そうした暁斎の隠れた一面にスポットを当てた展覧会になっています。
さて、館内に入ってすぐの、回廊のような<展示室1>には、河鍋暁斎の能・狂言の関わりが伝わってくる画帖や錦絵、能の免状などが展示されています。
暁斎は藩士の家に生まれたからか、能や狂言など武家の文化や教養を幼くして躾けられていたそうです。暁斎が片や国芳からの影響を受けながらも、狩野派の技法も身につけていることは割と知られたことですが、暁斎の能・狂言画はさらに異なる領域というか、新たな魅力を再発見した気持ちにさせられます。
河鍋暁斎 「猿楽図式 船弁慶」
河鍋暁斎記念美術館蔵
河鍋暁斎記念美術館蔵
河鍋暁斎 「猩々図扇面」
太田記念美術館蔵(展示は5/19まで)
太田記念美術館蔵(展示は5/19まで)
真ん中の一番広い<展示室4>には、≪舞台を描く≫と題し、能・狂言を描いた掛け軸や屏風などが展示されています。個人的に好きだったのは、双幅の「十二ヶ月年中行事図」(展示は5/19まで)で、各月の動植物や風俗を1月から6月までを暁斎が、7月から12月を娘で絵師の暁翠が描いています。暁斎と娘・暁翠の画風はやはり似ているのですが、暁斎の絵にはどこか遊び心が潜ませてあったりして、余裕だなと感じます。そのほか、狂言の瓜盗人を即席で描いた席画が展示されていて、即妙な筆から瓜盗人のおかしみがじわじわと伝わってきます。
河鍋暁斎 「猩々図屏風」
千代田区立日比谷図書文化館蔵 (展示は5/19まで)
千代田区立日比谷図書文化館蔵 (展示は5/19まで)
「能・狂言扇面貼交屏風」(展示は5/19まで)や「能・狂言画聚」など、能や狂言の一場面を描いた作品も印象的でした。やはり狂言を習っていただけあり、絵から動きが伝わってくるというか、その動きに説得力があります。ただの抜き書きではない物語が感じられるという点では、並みの能・狂言画とは異なると強く感します。
河鍋暁斎 「山姥図]
東京国立博物館蔵 (展示は5/12まで)
東京国立博物館蔵 (展示は5/12まで)
本展での白眉は東博所蔵の「山姥図」で、暁斎らしい濃厚な色遣いと細密な表現が非常に冴えた一枚です。山姥という一般的に妖怪とも鬼ともされる題材を、敢えて子を守る母親として描き、母性を前面に出しているという点でも印象的でした。
河鍋暁斎 「道成寺図(鐘の中)下絵」
河鍋暁斎記念美術館蔵
河鍋暁斎記念美術館蔵
<展示室5>には≪迫真の下絵≫と題し、暁斎の下絵や素描が多く展示されています。「道成寺図(鐘の中)下絵」は、実際の完成作がどんな絵に仕上がっているのか分かりませんでしたが、道成寺の鐘の中でシテが装束替えを行うところを描いた下絵。鐘の中に灯り(蝋燭)や道具入れ(?)があったり、鬼の面を鏡で覗いたりという、普段見られないところを描いているというのがとても面白かったです。
河鍋暁斎 「狂斎漫画辻文板 狂言末広狩」
河鍋暁斎記念美術館蔵
河鍋暁斎記念美術館蔵
最後の<展示室7>には、版本や版画になった能・狂言画が展示されています。歌川芳虎との合作「東海道名所之内」で能の舞台を描いた作品や「狂斎漫画」などが展示されていました。
暁斎の毒々しい感じはほとんどなく、そうした向きや、能や狂言にあまり興味のない方にはもしかしたら面白みに欠けるかもしれませんが、暁斎の確かな腕とレンジの広さを思い知ること必至の展覧会です。これまで暁斎に抱いてたイメージが覆されました。
【河鍋暁斎の能・狂言画】
2013年6月16日(日)まで
三井記念美術館にて
もっと知りたい河鍋暁斎―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
河鍋暁斎―奇想の天才絵師 (別冊太陽)
2013/05/10
「もののあはれ」と日本の美
サントリー美術館で開催中『「もののあはれ」と日本の美』展に行ってきました。
『源氏物語』や平安時代の和歌などに代表される日本独特の美的理念であり、情緒感である“もののあはれ”を通して、「ひたすら優美に造形化されてきた抒情豊かな美術の世界」を知るという企画展です。
Wikipediaによると“もののあはれ”とは、
・折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や哀愁。
・日常からかけ離れた物事(=もの)に出会った時に生ずる、心の底から「ああ(=あはれ)」と思う何とも言いがたい感情。
とあります。
“もののあはれ”を“哀れ”と書くと物悲しい感じを受けますが、本来は賞賛の気持ちや愛情も含めて深く心をひかれる感じを意味した言葉なのだと会場の解説にありました。そう知ると“もののあはれ”の感じ方も違ってくるのではないでしょうか。
会場の構成は以下のとおりです。
第一章 「もののあはれ」の源流 貴族の生活と雅びの心
第二章 「もののあはれ」という言葉 本居宣長を中心に
第三章 古典にみる「もののあはれ」 『源氏物語』をめぐって
第四章 和歌の伝統と「もののあはれ」 歌仙たちの世界
第五章 「もののあはれ」と月光の表現 新月から有明の月まで
第六章 「もののあはれ」と花鳥風月 移り変わる日本の四季
第七章 秋草にみる「もののあはれ」 抒情のリズムと調和の美
第八章 暮らしの中の「もののあはれ」 近世から近現代へ
会場に入ってすぐのコーナーに展示されていたのが国宝の「浮線綾螺鈿蒔絵手箱」。サントリー美術館の数ある所蔵作品の中でも名宝中の名宝の一つですね。展示リストで≪第7章≫に載ってましたが、実際には会場を入ってすぐのところに展示されていました。但し、前期展示は終了していて、会期末に再び展示されるようです。
自分が観に行った日(4/26)は、≪第1章≫は1作品だけ、白描絵物語の代表作といわれる「豊明絵草紙」(展示は4/30まで)が展示されていました。彩色のない白描画なのに、逆にあでやかな印象を受けるというか、とても抒情性の豊かな素晴らしい絵巻でした。会期中、平安後期の王朝物語として知られる『夜半の寝覚』を絵画化した国宝「寝覚物語絵巻」も出品されるようです。
≪第2章≫には“もののあはれ”の概念を提唱した本居宣長の著作物などが展示されています。
≪第3章≫には岩佐又兵衛を代表する作品の一つ「官女観菊図」が展示されていました(展示は4/30まで)。白描絵の様式をとりつつ、僅かに彩色がされていて、草花の描写から衣服の文様、髪の毛の一本一本に至るまで非常に細密に丁寧に描きこまれています。雅やかさと同時に何か艶かしいものも伝わってきて、毎回観るたび唸らされる傑作です。会期末(6/5から)には、現在出光美術館の『源氏絵と伊勢絵』で展示されている又兵衛の「野々宮図」が展示されます。
そのほかこのコーナーでは、江戸前期の大和絵を代表する絵師・住吉如慶の『源氏物語画帖』や狩野派の絵師によるとされる『源氏物語図屏風』 (展示は5/20まで)、土佐光起の『清少納言図』(展示は5/13まで)などが秀逸でした。
≪第4章≫では、「西行物語絵巻」や歌仙絵などが紹介されていましたが、その中でも個人的に一番好きだったのが鈴木其一の「四季歌意図巻」で、超横長の絵巻に其一らしい新鮮な構図で大和絵風の四季の風景が描かれています。こちらは一昨年の千葉市立美術館の『酒井抱一と江戸琳派の全貌』でも展示されていました。
ユニークだったのは≪第5章≫で、月光の表現から“もののあはれ”を紐解くというのですが、会場の中には新月から有明の月までの月の満ち欠けの写真を展示し、それぞれの月と“もののあはれ”的な作品を紹介していました。
このコーナーでは、弓なりの細い月が印象的な鈴木其一の「柿に月図」(展示は5/6まで)や、本阿弥光悦と俵屋宗達による 「月に秋草下絵新古今集和歌色紙」が個人的には好きでした。 「月に秋草下絵新古今集和歌色紙」は真ん中の楕円形のものが実は月で、銀泥が変色してしまっているそうですが、そう考えると極めて斬新な構図で、宗達の発想力に驚きます。
3階の階段下の吹き抜けのホールには、花鳥風月の屏風絵が展示されています。その中でも一際目を引くのが狩野永納の代表作「春夏花鳥図屏風」。永納は狩野山雪の実子で、永徳・山雪譲りの京狩野派らしい絢爛で濃厚な描写が特徴です。この屏風もふんだんに金泥を使った豪華さと、草花の繊細で色鮮やかな筆致が見事でした。
「秋草鶉図屏風」も、その抒情的な雰囲気がとても印象的でした。秋草に鶉というと抱一の「秋草鶉図」が頭にすぐ浮かびますが、画題としては大和絵の典型的なものだそうです。本作は土佐光起の名も取りざたされているようで、狩野派の影響と中国の院体画の影響も指摘されています。
国宝の「時雨螺鈿鞍」は、以前東京国立博物館で開催された『細川家の名宝』展にも出品されていたのでよく覚えています。なんでこれが“もののあはれ”なのかというと、一見植物の文様が螺鈿で施されているだけのように見えますが、その中に文字散らしで『新古今和歌集』の和歌が表されているそうです。昔の人は風情があったんですね。
後半は、屏風絵や色紙、和歌短冊などのほか、能装束や工芸品、また鏑木清方の作品などが展示されています。会期末には重要文化財の「浜松図屏風」が展示されるとのことで、また見ものだと思います。
展示替えが多いので、お目当ての作品がいつ展示されているかを事前に確認されることをお薦めいたします。また、ちょうど出光美術館で開催(5/19まで)されている『源氏絵と伊勢絵』とも出品作品に共通するものもあるので、併せてご覧になるのもいいんじゃないかと思います。
【「もののあはれ」と日本の美】
2013年6月16日(日)まで
サントリー美術館にて
本居宣長〈上〉 (新潮文庫)
古典基礎語の世界源氏物語のもののあはれ (角川ソフィア文庫)
『源氏物語』や平安時代の和歌などに代表される日本独特の美的理念であり、情緒感である“もののあはれ”を通して、「ひたすら優美に造形化されてきた抒情豊かな美術の世界」を知るという企画展です。
Wikipediaによると“もののあはれ”とは、
・折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や哀愁。
・日常からかけ離れた物事(=もの)に出会った時に生ずる、心の底から「ああ(=あはれ)」と思う何とも言いがたい感情。
とあります。
“もののあはれ”を“哀れ”と書くと物悲しい感じを受けますが、本来は賞賛の気持ちや愛情も含めて深く心をひかれる感じを意味した言葉なのだと会場の解説にありました。そう知ると“もののあはれ”の感じ方も違ってくるのではないでしょうか。
会場の構成は以下のとおりです。
第一章 「もののあはれ」の源流 貴族の生活と雅びの心
第二章 「もののあはれ」という言葉 本居宣長を中心に
第三章 古典にみる「もののあはれ」 『源氏物語』をめぐって
第四章 和歌の伝統と「もののあはれ」 歌仙たちの世界
第五章 「もののあはれ」と月光の表現 新月から有明の月まで
第六章 「もののあはれ」と花鳥風月 移り変わる日本の四季
第七章 秋草にみる「もののあはれ」 抒情のリズムと調和の美
第八章 暮らしの中の「もののあはれ」 近世から近現代へ
「浮線綾螺鈿蒔絵手箱」(国宝)
鎌倉時代・13世紀 サントリー美術館蔵
展示期間:4/17~4/30、5/29~6/16)
鎌倉時代・13世紀 サントリー美術館蔵
展示期間:4/17~4/30、5/29~6/16)
会場に入ってすぐのコーナーに展示されていたのが国宝の「浮線綾螺鈿蒔絵手箱」。サントリー美術館の数ある所蔵作品の中でも名宝中の名宝の一つですね。展示リストで≪第7章≫に載ってましたが、実際には会場を入ってすぐのところに展示されていました。但し、前期展示は終了していて、会期末に再び展示されるようです。
「寝覚物語絵巻」一巻(部分)(国宝)
平安時代・12世紀 大和文華館蔵(展示期間:5/1~5/13)
平安時代・12世紀 大和文華館蔵(展示期間:5/1~5/13)
自分が観に行った日(4/26)は、≪第1章≫は1作品だけ、白描絵物語の代表作といわれる「豊明絵草紙」(展示は4/30まで)が展示されていました。彩色のない白描画なのに、逆にあでやかな印象を受けるというか、とても抒情性の豊かな素晴らしい絵巻でした。会期中、平安後期の王朝物語として知られる『夜半の寝覚』を絵画化した国宝「寝覚物語絵巻」も出品されるようです。
≪第2章≫には“もののあはれ”の概念を提唱した本居宣長の著作物などが展示されています。
岩佐又兵衛 「官女観菊図」(重要文化財)
江戸時代・17世紀 山種美術館蔵(展示は4/30まで)
江戸時代・17世紀 山種美術館蔵(展示は4/30まで)
≪第3章≫には岩佐又兵衛を代表する作品の一つ「官女観菊図」が展示されていました(展示は4/30まで)。白描絵の様式をとりつつ、僅かに彩色がされていて、草花の描写から衣服の文様、髪の毛の一本一本に至るまで非常に細密に丁寧に描きこまれています。雅やかさと同時に何か艶かしいものも伝わってきて、毎回観るたび唸らされる傑作です。会期末(6/5から)には、現在出光美術館の『源氏絵と伊勢絵』で展示されている又兵衛の「野々宮図」が展示されます。
そのほかこのコーナーでは、江戸前期の大和絵を代表する絵師・住吉如慶の『源氏物語画帖』や狩野派の絵師によるとされる『源氏物語図屏風』 (展示は5/20まで)、土佐光起の『清少納言図』(展示は5/13まで)などが秀逸でした。
本阿弥光悦書・俵屋宗達画 「月に秋草下絵新古今集和歌色紙」
江戸時代・慶長11年(1606) 北村美術館蔵(展示は5/20まで)
江戸時代・慶長11年(1606) 北村美術館蔵(展示は5/20まで)
≪第4章≫では、「西行物語絵巻」や歌仙絵などが紹介されていましたが、その中でも個人的に一番好きだったのが鈴木其一の「四季歌意図巻」で、超横長の絵巻に其一らしい新鮮な構図で大和絵風の四季の風景が描かれています。こちらは一昨年の千葉市立美術館の『酒井抱一と江戸琳派の全貌』でも展示されていました。
ユニークだったのは≪第5章≫で、月光の表現から“もののあはれ”を紐解くというのですが、会場の中には新月から有明の月までの月の満ち欠けの写真を展示し、それぞれの月と“もののあはれ”的な作品を紹介していました。
このコーナーでは、弓なりの細い月が印象的な鈴木其一の「柿に月図」(展示は5/6まで)や、本阿弥光悦と俵屋宗達による 「月に秋草下絵新古今集和歌色紙」が個人的には好きでした。 「月に秋草下絵新古今集和歌色紙」は真ん中の楕円形のものが実は月で、銀泥が変色してしまっているそうですが、そう考えると極めて斬新な構図で、宗達の発想力に驚きます。
狩野永納 「春夏花鳥図屏風」(右隻)
江戸時代・17世紀 サントリー美術館蔵(展示は5/20まで)
江戸時代・17世紀 サントリー美術館蔵(展示は5/20まで)
3階の階段下の吹き抜けのホールには、花鳥風月の屏風絵が展示されています。その中でも一際目を引くのが狩野永納の代表作「春夏花鳥図屏風」。永納は狩野山雪の実子で、永徳・山雪譲りの京狩野派らしい絢爛で濃厚な描写が特徴です。この屏風もふんだんに金泥を使った豪華さと、草花の繊細で色鮮やかな筆致が見事でした。
「秋草鶉図屏風」(右隻)(重要文化財)
江戸時代・17世紀 名古屋市博物館蔵(展示は5/13まで)
江戸時代・17世紀 名古屋市博物館蔵(展示は5/13まで)
「秋草鶉図屏風」も、その抒情的な雰囲気がとても印象的でした。秋草に鶉というと抱一の「秋草鶉図」が頭にすぐ浮かびますが、画題としては大和絵の典型的なものだそうです。本作は土佐光起の名も取りざたされているようで、狩野派の影響と中国の院体画の影響も指摘されています。
「時雨螺鈿鞍」(国宝)
鎌倉時代・13世紀 永青文庫蔵(展示は4/30まで)
鎌倉時代・13世紀 永青文庫蔵(展示は4/30まで)
国宝の「時雨螺鈿鞍」は、以前東京国立博物館で開催された『細川家の名宝』展にも出品されていたのでよく覚えています。なんでこれが“もののあはれ”なのかというと、一見植物の文様が螺鈿で施されているだけのように見えますが、その中に文字散らしで『新古今和歌集』の和歌が表されているそうです。昔の人は風情があったんですね。
「浜松図屏風」(右隻)(重要文化財)
室町時代・16世紀 東京国立博物館蔵(展示期間:6/5~6/16)
室町時代・16世紀 東京国立博物館蔵(展示期間:6/5~6/16)
後半は、屏風絵や色紙、和歌短冊などのほか、能装束や工芸品、また鏑木清方の作品などが展示されています。会期末には重要文化財の「浜松図屏風」が展示されるとのことで、また見ものだと思います。
展示替えが多いので、お目当ての作品がいつ展示されているかを事前に確認されることをお薦めいたします。また、ちょうど出光美術館で開催(5/19まで)されている『源氏絵と伊勢絵』とも出品作品に共通するものもあるので、併せてご覧になるのもいいんじゃないかと思います。
【「もののあはれ」と日本の美】
2013年6月16日(日)まで
サントリー美術館にて
本居宣長〈上〉 (新潮文庫)
古典基礎語の世界源氏物語のもののあはれ (角川ソフィア文庫)
2013/05/05
源氏絵と伊勢絵
出光美術館で開催中の『源氏絵と伊勢絵 -描かれた恋物語』を観てきました。
先にサントリー美術館の『「もののあはれ」と日本の美』を観てきたのですが、関連性の高い企画でもあり、ちょうどラ・フォル・ジュルネで日比谷に出かけてたこともあり、こちらも覗いてきました。
二つの展覧会を一緒に紹介しているメディアもあったりして、また出光美術館とサントリー美術館で作品の貸し借りもしているので何か合同のイベントとか、チケット割引制度などあればいいのにと思ったのですが、そういうのはさすがにないみたいですね。
出光美術館での本展はタイトルの冠に『土佐光吉没後400年記念』とあり、桃山時代後期から江戸初期にかけて活躍した土佐派の絵師・土佐光吉の作品にスポットを当てつつ、源氏絵と伊勢絵の世界、それぞれの共通点などを紹介しています。
会場の構成は以下の通りです:
1 貴公子の肖像-光源氏と在原業平
2 源氏絵の恋のゆくえ-土佐派と狩野派
3 伊勢絵の展開-嵯峨本とその周辺
4 物語絵の交錯-土佐光吉の源氏絵と伊勢絵
5 イメージの拡大-いわゆる<留守模様>へ
会場に入るとまず、岩佐又兵衛の「野々宮図」と「在原業平図」が並び、光源氏と在原業平の出自や人となりの説明がされています。『源氏物語』も『伊勢物語』もその話の筋を知らなくても、この二人のことを知らないと何も面白くないので、まずはここでしっかりお勉強。
「野々宮図」は、『源氏物語』の賢木の一場面を絵画化したもので、物語を説明的に描かず、源氏の姿だけをピックアップして描くことは当時としては斬新なものだったようです。作品は墨画ですが、唇と頬にわずかに朱が挿されています。「在原業平図」は、歌仙絵としては座って描かれるのが一般的だということですが、又兵衛の描く立ち姿の業平からはふわりとした彼の自由さのようなものが伝わってきます。衣の柄にグラデーションがかかっていたり、模様や線の細かな描写など非常に丁寧に描きこまれています。
土佐派と狩野派の源氏絵が並ぶ中で、まず目に留まったのが光信の娘・千代の作品と伝えられる「源氏物語図屏風」。右隻に春、左隻に冬の光景が描かれ、物語の流れよりも季節を感じる素晴らしい屏風絵です。草花の繊細な表現もさることながら、岩や樹木、特に流れ落ちる滝の表現が秀逸で、金雲と色鮮やかな彩色も美しく、桃山絵画の絢爛さを先取りしたような作品でした。
展示室2には探幽の晩年の優品「源氏物語 賢木・澪標図屏風」が展示されていました。古典的な大和絵にならった趣のある屏風で、探幽らしい上品で優美な作品です。金雲は霞のように朧げで、なにか儚さや夢幻のようなものさえ感じます。
そのほか源氏絵としては、扇面形式の源氏絵の最初期の作例とされる扇絵を海北友松の屏風下絵に貼った「扇面流貼付屏風」や、光信の作(解説には光信以後光吉以前の土佐派とあり)と伝わる「源氏物語画帖」など、狩野派や土佐派の作品をとおしてその魅力に迫っています。
伊勢絵は、伊勢絵の規範的な図様として江戸時代に広く浸透する嵯峨本『伊勢物語』の挿絵の誕生前後の作品をとおしてその成り立ちを紐解くということになっていますが、そもそも作品数が少ないので、あまりピンときませんでした。嵯峨本の挿絵は狩野派の絵師によるものという説が強いそうですが、それに先んじる土佐派の作とされる「伊勢物語色紙貼交屏風」は嵯峨本との共通点が多く、嵯峨本への土佐派の影響が指摘されていました。
ここで目に付いたのはやはり又兵衛で、「くたかけ図」は田舎女と一夜を共にした業平が“やり逃げ”して帰るのですが、女は鶏が早く鳴いたから朝だと思って帰ってしまったのだと嘆くという有名な場面を描いたもの。霞を金泥と銀泥(黒く変色してますが)を交互に刷くという相変わらず丁寧な仕事をしていて、切り取られたその一瞬の表現から高い物語性が感じられて秀逸です。
展示室3では土佐光吉の作品を中心に源氏絵と伊勢絵の関連性を探ります。そもそも源氏物語への伊勢物語の影響は広く知られるところですが、その絵画作品にも関連性は多く、その往還が指摘されているとのことです。
土佐派というと、光長、光信、光起が三筆として知られますが、土佐光吉は室町時代後期を代表する絵師光信の子・光茂の門人で、さらには江戸前期を代表する土佐派の絵師・光起の祖父にあたります。桃山時代に活躍した狩野永徳や長谷川等伯と活動期がかぶり、また京から離れた大坂・堺を拠点にしていたため、同時代の絵師に比べて知名度はいま一つですが、その作品は桃山らしさを感じさせつつも決して華美にならず土佐派らしい上品な佇まいが印象的です。
重要文化財の指定が決まっているという光吉の「源氏物語手鑑」も素晴らしいのですが、光吉筆と伝えられる「源氏物語図屏風」や「源氏物語図色紙」の美しさは特筆ものです。土佐派の大和絵はもっとおとなしい印象がありましたが、艶麗で細密な屏風や色紙には驚嘆しました。
展示室の最後には、登場人物や説明的な描写をすることなく物語を暗示する“留守模様”を紹介。その代表的な作品として出光美術館所蔵の「宇治橋柴舟図屏風」と酒井抱一の「八ツ橋図屏風」が展示されています。
【土佐光吉没後400年記念 源氏絵と伊勢絵 -描かれた恋物語】
2013年5月19日(日)まで
出光美術館にて
日本の美術 no.543 土佐光吉と近世やまと絵の系譜
やまと絵 (別冊太陽 日本のこころ)
先にサントリー美術館の『「もののあはれ」と日本の美』を観てきたのですが、関連性の高い企画でもあり、ちょうどラ・フォル・ジュルネで日比谷に出かけてたこともあり、こちらも覗いてきました。
二つの展覧会を一緒に紹介しているメディアもあったりして、また出光美術館とサントリー美術館で作品の貸し借りもしているので何か合同のイベントとか、チケット割引制度などあればいいのにと思ったのですが、そういうのはさすがにないみたいですね。
出光美術館での本展はタイトルの冠に『土佐光吉没後400年記念』とあり、桃山時代後期から江戸初期にかけて活躍した土佐派の絵師・土佐光吉の作品にスポットを当てつつ、源氏絵と伊勢絵の世界、それぞれの共通点などを紹介しています。
会場の構成は以下の通りです:
1 貴公子の肖像-光源氏と在原業平
2 源氏絵の恋のゆくえ-土佐派と狩野派
3 伊勢絵の展開-嵯峨本とその周辺
4 物語絵の交錯-土佐光吉の源氏絵と伊勢絵
5 イメージの拡大-いわゆる<留守模様>へ
会場に入るとまず、岩佐又兵衛の「野々宮図」と「在原業平図」が並び、光源氏と在原業平の出自や人となりの説明がされています。『源氏物語』も『伊勢物語』もその話の筋を知らなくても、この二人のことを知らないと何も面白くないので、まずはここでしっかりお勉強。
岩佐又兵衛 「源氏物語 野々宮図」(重要美術品)
江戸時代 出光美術館蔵
(※本展終了後の6/5から『「もののあはれ」と日本の美』に出展されます)
江戸時代 出光美術館蔵
(※本展終了後の6/5から『「もののあはれ」と日本の美』に出展されます)
岩佐又兵衛 「在原業平図」(重要美術品)
江戸時代 出光美術館蔵
江戸時代 出光美術館蔵
「野々宮図」は、『源氏物語』の賢木の一場面を絵画化したもので、物語を説明的に描かず、源氏の姿だけをピックアップして描くことは当時としては斬新なものだったようです。作品は墨画ですが、唇と頬にわずかに朱が挿されています。「在原業平図」は、歌仙絵としては座って描かれるのが一般的だということですが、又兵衛の描く立ち姿の業平からはふわりとした彼の自由さのようなものが伝わってきます。衣の柄にグラデーションがかかっていたり、模様や線の細かな描写など非常に丁寧に描きこまれています。
土佐千代(伝) 「源氏物語図屏風」(右隻)
室町時代 出光美術館蔵
室町時代 出光美術館蔵
土佐派と狩野派の源氏絵が並ぶ中で、まず目に留まったのが光信の娘・千代の作品と伝えられる「源氏物語図屏風」。右隻に春、左隻に冬の光景が描かれ、物語の流れよりも季節を感じる素晴らしい屏風絵です。草花の繊細な表現もさることながら、岩や樹木、特に流れ落ちる滝の表現が秀逸で、金雲と色鮮やかな彩色も美しく、桃山絵画の絢爛さを先取りしたような作品でした。
狩野探幽 「源氏物語 賢木・澪標図屏風」(右隻)
江戸時代・寛文9年(1669年) 出光美術館蔵
江戸時代・寛文9年(1669年) 出光美術館蔵
展示室2には探幽の晩年の優品「源氏物語 賢木・澪標図屏風」が展示されていました。古典的な大和絵にならった趣のある屏風で、探幽らしい上品で優美な作品です。金雲は霞のように朧げで、なにか儚さや夢幻のようなものさえ感じます。
そのほか源氏絵としては、扇面形式の源氏絵の最初期の作例とされる扇絵を海北友松の屏風下絵に貼った「扇面流貼付屏風」や、光信の作(解説には光信以後光吉以前の土佐派とあり)と伝わる「源氏物語画帖」など、狩野派や土佐派の作品をとおしてその魅力に迫っています。
岩佐又兵衛 「伊勢物語 くたかけ図」(重要美術品)
江戸時代 出光美術館蔵
江戸時代 出光美術館蔵
伊勢絵は、伊勢絵の規範的な図様として江戸時代に広く浸透する嵯峨本『伊勢物語』の挿絵の誕生前後の作品をとおしてその成り立ちを紐解くということになっていますが、そもそも作品数が少ないので、あまりピンときませんでした。嵯峨本の挿絵は狩野派の絵師によるものという説が強いそうですが、それに先んじる土佐派の作とされる「伊勢物語色紙貼交屏風」は嵯峨本との共通点が多く、嵯峨本への土佐派の影響が指摘されていました。
ここで目に付いたのはやはり又兵衛で、「くたかけ図」は田舎女と一夜を共にした業平が“やり逃げ”して帰るのですが、女は鶏が早く鳴いたから朝だと思って帰ってしまったのだと嘆くという有名な場面を描いたもの。霞を金泥と銀泥(黒く変色してますが)を交互に刷くという相変わらず丁寧な仕事をしていて、切り取られたその一瞬の表現から高い物語性が感じられて秀逸です。
土佐光吉(伝) 「源氏物語図屏風」(右隻)
桃山時代 出光美術館蔵
桃山時代 出光美術館蔵
展示室3では土佐光吉の作品を中心に源氏絵と伊勢絵の関連性を探ります。そもそも源氏物語への伊勢物語の影響は広く知られるところですが、その絵画作品にも関連性は多く、その往還が指摘されているとのことです。
土佐派というと、光長、光信、光起が三筆として知られますが、土佐光吉は室町時代後期を代表する絵師光信の子・光茂の門人で、さらには江戸前期を代表する土佐派の絵師・光起の祖父にあたります。桃山時代に活躍した狩野永徳や長谷川等伯と活動期がかぶり、また京から離れた大坂・堺を拠点にしていたため、同時代の絵師に比べて知名度はいま一つですが、その作品は桃山らしさを感じさせつつも決して華美にならず土佐派らしい上品な佇まいが印象的です。
土佐光吉 「源氏物語図色紙」より「葵」
桃山時代 石山寺蔵
桃山時代 石山寺蔵
重要文化財の指定が決まっているという光吉の「源氏物語手鑑」も素晴らしいのですが、光吉筆と伝えられる「源氏物語図屏風」や「源氏物語図色紙」の美しさは特筆ものです。土佐派の大和絵はもっとおとなしい印象がありましたが、艶麗で細密な屏風や色紙には驚嘆しました。
展示室の最後には、登場人物や説明的な描写をすることなく物語を暗示する“留守模様”を紹介。その代表的な作品として出光美術館所蔵の「宇治橋柴舟図屏風」と酒井抱一の「八ツ橋図屏風」が展示されています。
【土佐光吉没後400年記念 源氏絵と伊勢絵 -描かれた恋物語】
2013年5月19日(日)まで
出光美術館にて
日本の美術 no.543 土佐光吉と近世やまと絵の系譜
やまと絵 (別冊太陽 日本のこころ)
2013/05/04
山口晃展 付り澱エンナーレ
横浜そごう美術館で開催中の『山口晃展 ~付り澱エンナーレ(つけたりおりエンナーレ) 老若男女ご覧あれ~』に行ってきました。
伝統的な日本画の、洛中洛外図や吹抜け屋台的な構図、大和絵や浮世絵、水墨画などの要素、さらには古今の人物や風俗、景色が時空を超えて混在するユニークな画風で知られる現代アーティスト・山口晃の展覧会です。
これまで山口晃の作品は、『アートで候。会田誠・山口晃展』(上野の森美術館)や『ネオテニージャパン』(上野の森美術館)、『ジパング展』(日本橋タカシマヤ)、『会田誠+天明屋尚+山口晃 − ミヅマ三人衆ジャパンを斬る』(ミズマアートギャラリー)などの展覧会で何度か拝見してるのですが、考えてみたら、単独の展覧会を観るのは今回が初めてなのでした。昨年秋に京都の伊勢丹で開催した個展の巡回なのかと思ってましたが、内容は少し異なるようですね。(そごう美術館の本展は新潟市美術館に巡回されます)
現代アートはちょっと不得手としているところがあるのですが、山口晃の作品は日本画好きの心をくすぐるものがあり、個人的にとても大好き。今回も十分楽しませていただきました。
出品リストがなかったので正確には分かりませんが、自分のメモを見る限り、約50作品(1タイトルで複数品展示のものは1作品と計算。付り澱エンナーレ含む)ほど展示されていたと思います。
入ってすぐのところに展示されていたのが「千躰佛造立乃圖」。千手観音がベルトコンベアー方式で制作されていく過程を描いたユーモアあふれる作品です。会場はデパートということもあって、普段現代アートの展覧会では見かけないような買い物客のおばさんたちも多かったのですが、もう初っ端のこの絵から山口晃ワールドに一気に引き込まれてしまったみたいで、楽しそうに関心しきりでした。まさに老若男女ご覧あれです。
会場の前半には、「當世おばか合戦」や「厩圖2004」、「五武人圖」、「頼朝像図版写し」、それに電柱シリーズ(柱華道)などお馴染みの作品が並んでいました。
そのほか、澁澤龍彦の『菊燈台』(平凡社)の挿画や五木寛之の新聞連載小説『親鸞』の挿画、また親鸞展のポスターの原画や親鸞像などが展示されています。緻密さとゆるさ、伝統的な日本画(風)とポップさ、真面目さと遊び心、そのバランスというか、さじ加減がなんでこうも毎回毎回絶妙なんでしょう。
会場のちょうど真ん中には、<一人国際展>の『山愚痴屋澱エンナーレ 2013』のコーナーがあります。12作家20を超える作品が出品されていました(笑)。個人的には、標識の山口晃流解釈「解読」と言葉(意味)とのギャップを楽しむ「サウンドロゴ」がツボでした。いろんな人の部屋を映した映像を横スクロールでつないでいく「千軒長屋」や、会場中に衝撃音を轟かせていた「リヒターシステム」(「システムシリーズ」)も結構気に入りました。
後半は再び山口晃作品で。六本木ヒルズシリーズや日本橋三越シリーズなど山口晃の傑作が並びます。中でも素晴らしかったのが「Tokio山水 (東京圖2012)」。縦162cm×横342cmの4曲1双の大型の屏風で、東京の東から西まで(下町・東京湾のあたりから山手通りのあたりまで)をパノラマで描いています。キャンバスに水墨で描かれていて、相変わらず細密というか、ここまでの大画面にびっしり事細かに描き込まれたそのボリュームと超絶技巧ぶりにただただ脱帽。去年メゾンエルメスの個展でも公開されているようですが、まだ未完であちこちに下書きや余白が残っています。この状態で観られるのは今回だけで、次回お披露目されるときは、もしかすると完成されているかもしれません。
会場の最後には、ドナルド・キーンのエッセイ『私と20世紀のクロニクル』の挿画全点が特別展示されています。『親鸞』でもそうですが、これ挿絵に使えないでしょ?みたいなものも多くて、笑えます。ドナルド・キーンの半生を追いつつ、ときどき4コマ漫画「となるとキンちゃん」が挟み込まれていたりして、またしてもこの“ゆるさ”にヤラれました。
天才的に絵が上手で、センスが抜群で、だけどこの軽さというか、自由さというか、肩ひじ張らないところが人気の秘密。ユーモアとペーソスを交えつつ、驚異的な緻密画を生み出す山口晃がこれからもますます楽しみです。
【山口晃展 ~付り澱エンナーレ(つけたりおりエンナーレ) 老若男女ご覧あれ~】
2013年5月19日(日)まで
横浜そごう美術館にて
山口晃 大画面作品集
山口晃作品集
ヘンな日本美術史
菊燈台 ホラー・ドラコニア少女小説集成 (平凡社ライブラリー)
伝統的な日本画の、洛中洛外図や吹抜け屋台的な構図、大和絵や浮世絵、水墨画などの要素、さらには古今の人物や風俗、景色が時空を超えて混在するユニークな画風で知られる現代アーティスト・山口晃の展覧会です。
これまで山口晃の作品は、『アートで候。会田誠・山口晃展』(上野の森美術館)や『ネオテニージャパン』(上野の森美術館)、『ジパング展』(日本橋タカシマヤ)、『会田誠+天明屋尚+山口晃 − ミヅマ三人衆ジャパンを斬る』(ミズマアートギャラリー)などの展覧会で何度か拝見してるのですが、考えてみたら、単独の展覧会を観るのは今回が初めてなのでした。昨年秋に京都の伊勢丹で開催した個展の巡回なのかと思ってましたが、内容は少し異なるようですね。(そごう美術館の本展は新潟市美術館に巡回されます)
現代アートはちょっと不得手としているところがあるのですが、山口晃の作品は日本画好きの心をくすぐるものがあり、個人的にとても大好き。今回も十分楽しませていただきました。
出品リストがなかったので正確には分かりませんが、自分のメモを見る限り、約50作品(1タイトルで複数品展示のものは1作品と計算。付り澱エンナーレ含む)ほど展示されていたと思います。
山口晃 「千躰佛造立乃圖」 2009年
入ってすぐのところに展示されていたのが「千躰佛造立乃圖」。千手観音がベルトコンベアー方式で制作されていく過程を描いたユーモアあふれる作品です。会場はデパートということもあって、普段現代アートの展覧会では見かけないような買い物客のおばさんたちも多かったのですが、もう初っ端のこの絵から山口晃ワールドに一気に引き込まれてしまったみたいで、楽しそうに関心しきりでした。まさに老若男女ご覧あれです。
山口晃 「演説電柱」 2012年
会場の前半には、「當世おばか合戦」や「厩圖2004」、「五武人圖」、「頼朝像図版写し」、それに電柱シリーズ(柱華道)などお馴染みの作品が並んでいました。
そのほか、澁澤龍彦の『菊燈台』(平凡社)の挿画や五木寛之の新聞連載小説『親鸞』の挿画、また親鸞展のポスターの原画や親鸞像などが展示されています。緻密さとゆるさ、伝統的な日本画(風)とポップさ、真面目さと遊び心、そのバランスというか、さじ加減がなんでこうも毎回毎回絶妙なんでしょう。
↑ 山愚痴屋澱エンナーレ 2013 会場見取り図
会場のちょうど真ん中には、<一人国際展>の『山愚痴屋澱エンナーレ 2013』のコーナーがあります。12作家20を超える作品が出品されていました(笑)。個人的には、標識の山口晃流解釈「解読」と言葉(意味)とのギャップを楽しむ「サウンドロゴ」がツボでした。いろんな人の部屋を映した映像を横スクロールでつないでいく「千軒長屋」や、会場中に衝撃音を轟かせていた「リヒターシステム」(「システムシリーズ」)も結構気に入りました。
山口晃 「東京圖 六本木昼図」 2005年
山口晃 「百貨店圖 日本橋新三越本店」 2004年
後半は再び山口晃作品で。六本木ヒルズシリーズや日本橋三越シリーズなど山口晃の傑作が並びます。中でも素晴らしかったのが「Tokio山水 (東京圖2012)」。縦162cm×横342cmの4曲1双の大型の屏風で、東京の東から西まで(下町・東京湾のあたりから山手通りのあたりまで)をパノラマで描いています。キャンバスに水墨で描かれていて、相変わらず細密というか、ここまでの大画面にびっしり事細かに描き込まれたそのボリュームと超絶技巧ぶりにただただ脱帽。去年メゾンエルメスの個展でも公開されているようですが、まだ未完であちこちに下書きや余白が残っています。この状態で観られるのは今回だけで、次回お披露目されるときは、もしかすると完成されているかもしれません。
山口晃 「Tokio山水 (東京圖2012)」(部分) 2012年
会場の最後には、ドナルド・キーンのエッセイ『私と20世紀のクロニクル』の挿画全点が特別展示されています。『親鸞』でもそうですが、これ挿絵に使えないでしょ?みたいなものも多くて、笑えます。ドナルド・キーンの半生を追いつつ、ときどき4コマ漫画「となるとキンちゃん」が挟み込まれていたりして、またしてもこの“ゆるさ”にヤラれました。
天才的に絵が上手で、センスが抜群で、だけどこの軽さというか、自由さというか、肩ひじ張らないところが人気の秘密。ユーモアとペーソスを交えつつ、驚異的な緻密画を生み出す山口晃がこれからもますます楽しみです。
【山口晃展 ~付り澱エンナーレ(つけたりおりエンナーレ) 老若男女ご覧あれ~】
2013年5月19日(日)まで
横浜そごう美術館にて
山口晃 大画面作品集
山口晃作品集
ヘンな日本美術史
菊燈台 ホラー・ドラコニア少女小説集成 (平凡社ライブラリー)