先日、新橋演舞場で七月大歌舞伎<夜の部>を観てきました。
6月、7月の新橋演舞場は、猿之助→二代目猿翁、亀次郎→四代目猿之助、香川照之→九代目中車の襲名披露、そして香川照之の長男の五代目團子の初舞台ということで、連日大入りの大賑わい。澤瀉屋にはそれほど思い入れが強いわけではないので、パスするつもりでいたのですが、ニュースなどであんなに騒がれるとやはり見たくなるのが人の常。幸い一階の良席がとれたので、楽前の日に拝見してまいりました。
まずは『将軍江戸を去る』から「彰義隊」「大慈院」「千住大橋」の三場。個人的にちょっと苦手な真山青果の台詞劇。徳川慶喜に團十郎、山岡鉄太郎に中車、伊勢守に海老蔵。海老蔵はあまりパッとせず、面白みに欠け、團十郎も最初どうかなぁと思いながら観ていたのですが、後半、鉄太郎に諭され、“尊王”と“勤王”の違いについてもう一度考え直すあたりからの抑えた演技に慶喜の深い思いが凝縮されているようで、とても良かったと思います。
そしてここはやはり中車。2ヶ月の歌舞伎公演の苦労故か、声がガラガラだったのが気の毒でした。「彰義隊の場」で鉄太郎(中車)と彰義隊の面々がやり合っているところに海老蔵が登場したとき、海老蔵のそのよく通るきれいな声に歌舞伎役者との声の違いを感じてしまいました。歌舞伎役者でも声の嗄れやすい人と嗄れない人といるので一概には言えませんが、声は舞台をこなさないと作れないのでしょう。俳優としては評価の高い人ですし、特に「大慈院の場」の膨大な台詞量も難なくこなし、確かに巧いのですが、歌舞伎役者の中に交じると少し異質というか、長年の俳優のクセみたいなものは簡単には抜けないのかなとも感じました。ただ、器用な俳優だと思うので、歌舞伎役者として大成する日も近いことでしょう。中車の世話物とか、きっといいだろうなと思います。これからが楽しみです。
つづいては『口上』。いろんな人の話を聞く限り、口上のネタは同じだったものだったみたい。成田屋の口上が和やかな感じだったのに対し、猿之助と中車は決意の塊のようなとても真面目な口上だったのが印象的でした。最後の團子の口上で笑いと大喝采の内に幕。
そして新・猿之助による『黒塚』。澤瀉屋ゆかりの猿翁十種の内の舞踊劇です。『黒塚』は三部構成になっていて、阿闍梨祐慶ら一行が老女に一夜の宿を求め、祐慶の言葉に老女の長年のわだかまりが消える第一景、山に薪を取り行った老女の心の平安と、見てはならぬと禁じた寝屋を一行が覗いたことを知った老女の豹変を描く第二景、そして鬼女と化した老女が祐慶一行と一戦を交える第三景に分かれ、それぞれが能楽様式、新舞踊の形式、歌舞伎の手法となっています。特に第二景の新・猿之助の踊りは抜群で、身体の安定感、精彩な動き、軽やかな足技、豊かな表情など実に魅せるなと感じました。途中からは強力役の猿弥の飄々とした味わいも加わって、とても楽しめました。また、祐慶の團十郎がとても存在感があり、第三景も見応えがありました。ただ、熱狂的な女性ファンの大向うや少々けたたましい拍手にはちょっと興醒めでした。
最後は『楼門五山桐』。まずは弥十郎、門之助、右近、猿弥、月之助、弘太郎の真柴久吉の家臣たちが花道に揃い、師匠・猿翁の復活を渡り台詞で祝います。南禅寺の山門の上の海老蔵の五右衛門がなかなかの見もので、過去に観た吉右衛門の五右衛門とはまた異なる大きさというか、よい意味での海老蔵らしさが出ていました。
せりが上がると、猿翁の登場。「石川や、浜の真砂は…」は聞き取りづらかったのですが、後半の「石川五右衛門…」からははっきりした口跡で少しホッとしました。最後には段四郎に笑也、笑三郎、春猿の澤瀉屋一門が登場する演出が加わり、祝祭ムードで幕。会場からは割れんばかりの拍手で、お決まりの(?)カーテンコールもあり、スタンディングオベーションをする人や涙を拭う人など、歌舞伎ファンみんなが猿翁の復活を心から祝っているというあの劇場の空気はとても感動的でした。たった10分ほどの芝居ですが、『楼門五山桐』だけでも観る価値はあったと感じる、そんな七月大歌舞伎でした。
これが福山雅治が襲名披露に寄贈したウワサの祝幕。席が前過ぎて、全体を撮影できなかったのが残念でした。
2012/07/28
バーン=ジョーンズ展
三菱一号館美術館で開催中の『バーン=ジョーンズ展』に行ってきました。
エドワード・バーン=ジョーンズは、ミレイやウォーターハウス、ロセッティなどと同時代の英国ラファエル前派の画家。ウイリアム・モリスの書籍の装飾絵やステンドグラス制作などでも有名です。意外なことに、バーン=ジョーンズ単体での展覧会は日本で初めてなのだとか。
会場はバーン=ジョーンズの作品の主題やテーマごとに構成。バーン=ジョーンズの絵画を中心に、素描や資料など75点が展示されてます。
プロローグには、まずはエドワード・バーン=ジョーンズの肖像画がお出迎え。30代の頃のバーン=ジョーンズだそうです。長いあご髭を生やし、いかにも英国紳士的で真面目そうな雰囲気。会場の途中に、バーン=ジョーンズの追悼特集の書籍が展示されていましたが、そこにもこの肖像画が使われていたので、バーン=ジョーンズの姿を描いたものとしては有名なものだったのでしょう。
≪旅立ち - 「地上の楽園」を求めて≫
バーン=ジョーンズは、オックスフォード大学在学中にウイリアム・モリスと出会い、そのことから絵画に興味を持ち、ロセッティに弟子入りします。バーン=ジョーンズの父は額縁職人だったということなので、もともと絵の素養はあったのでしょうが、大人になってから絵画を学んでこれだけの画家になったのですから驚きです。ちなみに、バーン=ジョーンズ作品の額縁の素晴らしさも本展の見どころの一つです。
このコーナーでは、バーン=ジョーンズ初期の作品が展示されています。
魔術師マーリンが湖の乙女ニムエに恋したあまり魔法を教えてしまい、ニムエはその魔法でマーリンを岩にしてしまうというアーサー王伝説の有名なエピソードを描いた「マーリンとニムエ」。学生の頃、バーン=ジョーンズとモリスはチョーサーなどの物語詩を一緒に読み耽ったというエピソードが残されているそうです。そもそもスタートの時点から、バーン=ジョーンズはこうした神話や伝説的な題材、物語的な素材に強い関心を持っていたということがよく分かります。
このコーナーではほかに、聖グアルベルトの逸話を描いた「慈悲深き騎士」や鉛筆画の 「トリスタンとイゾルデの墓」がとても印象的でした。身体的な表現や顔の表情、また構図などはまだこなれていないところも見られますが、作品の物語性や装飾性といった方向はこの頃すでにできあがっていたようです。
≪クピドとプシュケ―キューピッドの恋≫
美しい娘プシュケに嫉妬したヴィーナスがプシュケを罠にはめるためクピド(キューピッド)を送り込むも、そのクピドがプシュケに恋をしてしまうという連作「クピドとプシュケ」。ここでは油彩画2点と習作が展示されています。
バーン=ジョーンズは、ウイリアム・モリスの長編詩「地上の楽園」の挿絵を依頼されるのですが、結局採用されず、その中の「クピドとプシュケ」を貴族の邸宅の装飾絵用に独立させたものがこの連作「クピドとプシュケ」。途中から装飾画家のウォルター・クレインに引き継ぎますが、バーン=ジョーンズはそれを気に入らず、最後に自ら修正したそうです。120cm四方ほどの大きな作品で、こんな装飾画が飾られている邸宅ってどんなだろうと想像するだけでも、ちょっと夢見る気分になります。
≪聖ゲオルギウス - 龍退治と王女サブラ救出≫
聖ゲオルギウスは龍退治で有名な聖人。ドラゴンというより大トカゲみたいで、あまり恐ろしさは感じませんが、右下の折れた武器と骸骨が闘いの激しさを物語っています。バーン=ジョーンズはもともと聖職者になるためオックスフォードでは神学を学んでおり、彼の作品にはこうしたキリストの聖人にまつわる作品が多くあります。先日拝見した『ベルリン美術館展』でも聖ゲオルギウスが龍退治をする彫刻が展示されており、比較してみるのも面白いと思います。
≪ペルセウス - 大海蛇退治と王女アンドロメダ救出≫
その顔を見ると石に変えられてしまう怪物メドゥーサを退治するペルセウスの神話を描いた連作の下絵です。下絵といっても、ともに150cm四方ほどあり、その大胆な構図や迫力、物語性など、どれも素晴らしいものです。
画面の2/3を覆うほどの海蛇と格闘するペルセウスの迫力。まるでスペクタルファンタジーのようなインパクトのある作品です。海蛇とペルセウスの金属的な色合いとは対照的なアンドロメダの白い肌が不思議とアクセントになっています。
≪トロイ戦争 - そして神々≫
こちらももともとウイリアム・モリスの本の挿絵として構想していたものをベースに、祭壇画の装飾絵として制作したものだそうです。
バーン=ジョーンズはたびたびイタリアを訪れてはルネサンス絵画の模写を行っていたそうですが、この頃の作品にはボティッチェリやミケランジェロの強い影響が見て取れます。「フローラ」のほかに、ダヴィンチの「最後の晩餐」を彷彿とさせる「ペレウスの饗宴」や牧歌的な「牧神の庭」が印象的でした。
≪寓意・象徴 - 神の世界と人の世界≫
バーン=ジョーンズの傑作の一つといわれる「運命の車輪」。左は運命の車輪を司る女神フォルトゥナ、右側の男性は上から、奴隷、王様、詩人なのだとか。身分に関わらず誰も運命には逆らえないということを意味しているのだそうです。女性の描写もさらに磨きがかかり、特に裸体の男性はミケランジェロを彷彿とさせる素晴らしさがあります。
このコーナーではほかに、エッチングの「愛の歌」や「水車小屋」、油彩画の「魔法使い」が印象に残りました。「魔法使い」はバーン=ジョーンズ最晩年の作品で、シェイクスピアの「テンペスト」の一場面を描いたといわれるもの。プロスペローはバーン=ジョーンズ自身をモデルにしているともいわれているそうです。
≪ピグマリオン - 「マイフェアレディ」物語≫
ピグマリオンは、自分で造った彫像に恋してしまい、女神に祈ったところ彫像に命が吹き込まれたというギリシャ神話。映画『マイ・フェア・レディ』のもととなるお話です。バーン=ジョーンズの「ピグマリオン」は4作からなる連作で、本展では全作が展示されています。
ラファエル前派というと独特の女性像が特徴ですが、バーン=ジョーンズが描く女性の表情はどこか表面的に感じるところがあります。彼の作品は物語性が高いので、気持ち的な部分は伝わってくるのですが、その表情が女性の心理を巧みに表現しているかというと、そこまでではない気がします。
≪いばら姫 - 「眠れる森の美女」の話≫
階段を下りたところにはバーン=ジョーンズの代表作「いばら姫」が展示されていました。さまざまな格好で眠るいばら姫を描いた「王宮の中庭」の習作6点がまず秀逸。さらにその先の小さな部屋には、横2m強の横長の「眠り姫」が飾られています。
4人の女性の眠る姿ももちろん美しいのですが、野バラなどの草花の細密さや衣装の質感、深い森に囲まれたような緑の濃厚な色合い、なにより装飾的なデザイン性の素晴らしさは目を見張るものがあります。思わずうっとりと見とれてしまいます。
≪チョーサー -「薔薇物語」と愛の巡礼≫
出品リストでは最初の≪旅立ち - 「地上の楽園」を求めて≫の次にあるのですが、なぜか会場では最後のひとつ前。飛ばしてしまったのかと思って途中で戻って探してしまいました(出品リストの順番と会場の順番は若干異なっています)。ここでは、バーン=ジョーンズとモリスが大きな影響を受けたチョーサーの「薔薇物語」にちなんだ作品や、バーン=ジョーンズが原画を描いた世界三大美書の一つといわれる「チョーサー著作集」などが展示されています。
≪旅の終わり -アーサー王・聖杯・キリスト≫
最後のコーナーは、これも生涯のテーマだったアーサー王伝説と聖杯伝説、そしてキリストや聖書のエピソード題材にした、特に晩年の作品が展示されています。
「ティーブルの巫女」はオックスフォード大学礼拝堂のステンドグラスのために描かれたもの。どんなにか素晴らしいステンドグラスなのかと思います。このコーナーでは、神秘的な雰囲気の「聖杯堂の前で見る騎士ランスロットの夢」や大きなタペストリーの「東方の三博士の礼拝」が特に印象的でした。
正直に言うと、ビアズリーとかミュシャとかの装飾的で少女趣味的なところがあまり好きではなく、ミレイもそれほど興味がなかったので、バーン=ジョーンズも果たしてどうかな?と思っていました。確かに中には、個人的に好みのものではない画風のものもありましたが、ルネサンスに回帰しようとする試みや装飾画としての大胆な構図、そしてそのデザイン力の高さはとても見る価値のあるものでした。なにより、バーン=ジョーンズのヴィクトリア朝絵画が三菱一号館美術館のレトロな雰囲気にぴったりです。
【バーン=ジョーンズ展 -装飾と象徴】
2012年8月19日(日)まで
三菱一号館美術館にて
もっと知りたいバーン=ジョーンズ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
ラファエル前派―ヴィクトリア時代の幻視者たち (「知の再発見」双書)
ウィリアム・モリスのマルクス主義 アーツ&クラフツ運動の源流 (平凡社新書)
エドワード・バーン=ジョーンズは、ミレイやウォーターハウス、ロセッティなどと同時代の英国ラファエル前派の画家。ウイリアム・モリスの書籍の装飾絵やステンドグラス制作などでも有名です。意外なことに、バーン=ジョーンズ単体での展覧会は日本で初めてなのだとか。
会場はバーン=ジョーンズの作品の主題やテーマごとに構成。バーン=ジョーンズの絵画を中心に、素描や資料など75点が展示されてます。
プロローグには、まずはエドワード・バーン=ジョーンズの肖像画がお出迎え。30代の頃のバーン=ジョーンズだそうです。長いあご髭を生やし、いかにも英国紳士的で真面目そうな雰囲気。会場の途中に、バーン=ジョーンズの追悼特集の書籍が展示されていましたが、そこにもこの肖像画が使われていたので、バーン=ジョーンズの姿を描いたものとしては有名なものだったのでしょう。
≪旅立ち - 「地上の楽園」を求めて≫
バーン=ジョーンズは、オックスフォード大学在学中にウイリアム・モリスと出会い、そのことから絵画に興味を持ち、ロセッティに弟子入りします。バーン=ジョーンズの父は額縁職人だったということなので、もともと絵の素養はあったのでしょうが、大人になってから絵画を学んでこれだけの画家になったのですから驚きです。ちなみに、バーン=ジョーンズ作品の額縁の素晴らしさも本展の見どころの一つです。
このコーナーでは、バーン=ジョーンズ初期の作品が展示されています。
エドワード・バーン=ジョーンズ 「マーリンとニムエ」
1861年 ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館
1861年 ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館
魔術師マーリンが湖の乙女ニムエに恋したあまり魔法を教えてしまい、ニムエはその魔法でマーリンを岩にしてしまうというアーサー王伝説の有名なエピソードを描いた「マーリンとニムエ」。学生の頃、バーン=ジョーンズとモリスはチョーサーなどの物語詩を一緒に読み耽ったというエピソードが残されているそうです。そもそもスタートの時点から、バーン=ジョーンズはこうした神話や伝説的な題材、物語的な素材に強い関心を持っていたということがよく分かります。
このコーナーではほかに、聖グアルベルトの逸話を描いた「慈悲深き騎士」や鉛筆画の 「トリスタンとイゾルデの墓」がとても印象的でした。身体的な表現や顔の表情、また構図などはまだこなれていないところも見られますが、作品の物語性や装飾性といった方向はこの頃すでにできあがっていたようです。
≪クピドとプシュケ―キューピッドの恋≫
美しい娘プシュケに嫉妬したヴィーナスがプシュケを罠にはめるためクピド(キューピッド)を送り込むも、そのクピドがプシュケに恋をしてしまうという連作「クピドとプシュケ」。ここでは油彩画2点と習作が展示されています。
エドワード・バーン=ジョーンズ/ウォルター・クレイン
「泉の傍らに眠るプシュケを見つけるクピド」
(連作「クピドとプシュケ」(パレス・グリーン壁画)
1872-81年 バーミンガム美術館
「泉の傍らに眠るプシュケを見つけるクピド」
(連作「クピドとプシュケ」(パレス・グリーン壁画)
1872-81年 バーミンガム美術館
バーン=ジョーンズは、ウイリアム・モリスの長編詩「地上の楽園」の挿絵を依頼されるのですが、結局採用されず、その中の「クピドとプシュケ」を貴族の邸宅の装飾絵用に独立させたものがこの連作「クピドとプシュケ」。途中から装飾画家のウォルター・クレインに引き継ぎますが、バーン=ジョーンズはそれを気に入らず、最後に自ら修正したそうです。120cm四方ほどの大きな作品で、こんな装飾画が飾られている邸宅ってどんなだろうと想像するだけでも、ちょっと夢見る気分になります。
≪聖ゲオルギウス - 龍退治と王女サブラ救出≫
聖ゲオルギウスは龍退治で有名な聖人。ドラゴンというより大トカゲみたいで、あまり恐ろしさは感じませんが、右下の折れた武器と骸骨が闘いの激しさを物語っています。バーン=ジョーンズはもともと聖職者になるためオックスフォードでは神学を学んでおり、彼の作品にはこうしたキリストの聖人にまつわる作品が多くあります。先日拝見した『ベルリン美術館展』でも聖ゲオルギウスが龍退治をする彫刻が展示されており、比較してみるのも面白いと思います。
エドワード・バーン=ジョーンズ 「闘い:龍を退治する聖ゲオルギウス」
(連作「聖ゲオルギウス」全7作品中の第6)
1863年 バーミンガム美術館
(連作「聖ゲオルギウス」全7作品中の第6)
1863年 バーミンガム美術館
≪ペルセウス - 大海蛇退治と王女アンドロメダ救出≫
その顔を見ると石に変えられてしまう怪物メドゥーサを退治するペルセウスの神話を描いた連作の下絵です。下絵といっても、ともに150cm四方ほどあり、その大胆な構図や迫力、物語性など、どれも素晴らしいものです。
エドワード・バーン=ジョーンズ 「メドゥーサの死Ⅱ」(連作「ペルセウス」)
1882年 サウサンプトン市立美術館
1882年 サウサンプトン市立美術館
エドワード・バーン=ジョーンズ 「果たされた運命:大海蛇を退治するペルセウス」
(連作「ペルセウス」)
1882年頃 サウサンプトン市立美術館
(連作「ペルセウス」)
1882年頃 サウサンプトン市立美術館
画面の2/3を覆うほどの海蛇と格闘するペルセウスの迫力。まるでスペクタルファンタジーのようなインパクトのある作品です。海蛇とペルセウスの金属的な色合いとは対照的なアンドロメダの白い肌が不思議とアクセントになっています。
≪トロイ戦争 - そして神々≫
こちらももともとウイリアム・モリスの本の挿絵として構想していたものをベースに、祭壇画の装飾絵として制作したものだそうです。
エドワード・バーン=ジョーンズ 「フローラ」
1868-84年 郡山市立美術館
1868-84年 郡山市立美術館
バーン=ジョーンズはたびたびイタリアを訪れてはルネサンス絵画の模写を行っていたそうですが、この頃の作品にはボティッチェリやミケランジェロの強い影響が見て取れます。「フローラ」のほかに、ダヴィンチの「最後の晩餐」を彷彿とさせる「ペレウスの饗宴」や牧歌的な「牧神の庭」が印象的でした。
≪寓意・象徴 - 神の世界と人の世界≫
バーン=ジョーンズの傑作の一つといわれる「運命の車輪」。左は運命の車輪を司る女神フォルトゥナ、右側の男性は上から、奴隷、王様、詩人なのだとか。身分に関わらず誰も運命には逆らえないということを意味しているのだそうです。女性の描写もさらに磨きがかかり、特に裸体の男性はミケランジェロを彷彿とさせる素晴らしさがあります。
エドワード・バーン=ジョーンズ 「運命の車輪」
1871-85年 ナショナル・ギャラリー・オブ・ヴィクトリア
1871-85年 ナショナル・ギャラリー・オブ・ヴィクトリア
このコーナーではほかに、エッチングの「愛の歌」や「水車小屋」、油彩画の「魔法使い」が印象に残りました。「魔法使い」はバーン=ジョーンズ最晩年の作品で、シェイクスピアの「テンペスト」の一場面を描いたといわれるもの。プロスペローはバーン=ジョーンズ自身をモデルにしているともいわれているそうです。
≪ピグマリオン - 「マイフェアレディ」物語≫
ピグマリオンは、自分で造った彫像に恋してしまい、女神に祈ったところ彫像に命が吹き込まれたというギリシャ神話。映画『マイ・フェア・レディ』のもととなるお話です。バーン=ジョーンズの「ピグマリオン」は4作からなる連作で、本展では全作が展示されています。
エドワード・バーン=ジョーンズ 「ピグマリオンと彫像 女神のはからい」
1878年 バーミンガム美術館
1878年 バーミンガム美術館
ラファエル前派というと独特の女性像が特徴ですが、バーン=ジョーンズが描く女性の表情はどこか表面的に感じるところがあります。彼の作品は物語性が高いので、気持ち的な部分は伝わってくるのですが、その表情が女性の心理を巧みに表現しているかというと、そこまでではない気がします。
≪いばら姫 - 「眠れる森の美女」の話≫
階段を下りたところにはバーン=ジョーンズの代表作「いばら姫」が展示されていました。さまざまな格好で眠るいばら姫を描いた「王宮の中庭」の習作6点がまず秀逸。さらにその先の小さな部屋には、横2m強の横長の「眠り姫」が飾られています。
エドワード・バーン=ジョーンズ 「眠り姫」(連作「いばら姫」)
1872-74年頃 ダブリン市立ヒュー・レイン美術館
1872-74年頃 ダブリン市立ヒュー・レイン美術館
4人の女性の眠る姿ももちろん美しいのですが、野バラなどの草花の細密さや衣装の質感、深い森に囲まれたような緑の濃厚な色合い、なにより装飾的なデザイン性の素晴らしさは目を見張るものがあります。思わずうっとりと見とれてしまいます。
≪チョーサー -「薔薇物語」と愛の巡礼≫
出品リストでは最初の≪旅立ち - 「地上の楽園」を求めて≫の次にあるのですが、なぜか会場では最後のひとつ前。飛ばしてしまったのかと思って途中で戻って探してしまいました(出品リストの順番と会場の順番は若干異なっています)。ここでは、バーン=ジョーンズとモリスが大きな影響を受けたチョーサーの「薔薇物語」にちなんだ作品や、バーン=ジョーンズが原画を描いた世界三大美書の一つといわれる「チョーサー著作集」などが展示されています。
≪旅の終わり -アーサー王・聖杯・キリスト≫
最後のコーナーは、これも生涯のテーマだったアーサー王伝説と聖杯伝説、そしてキリストや聖書のエピソード題材にした、特に晩年の作品が展示されています。
エドワード・バーン=ジョーンズ 「ティーブルの巫女」
1875年 バーミンガム美術館
1875年 バーミンガム美術館
「ティーブルの巫女」はオックスフォード大学礼拝堂のステンドグラスのために描かれたもの。どんなにか素晴らしいステンドグラスなのかと思います。このコーナーでは、神秘的な雰囲気の「聖杯堂の前で見る騎士ランスロットの夢」や大きなタペストリーの「東方の三博士の礼拝」が特に印象的でした。
正直に言うと、ビアズリーとかミュシャとかの装飾的で少女趣味的なところがあまり好きではなく、ミレイもそれほど興味がなかったので、バーン=ジョーンズも果たしてどうかな?と思っていました。確かに中には、個人的に好みのものではない画風のものもありましたが、ルネサンスに回帰しようとする試みや装飾画としての大胆な構図、そしてそのデザイン力の高さはとても見る価値のあるものでした。なにより、バーン=ジョーンズのヴィクトリア朝絵画が三菱一号館美術館のレトロな雰囲気にぴったりです。
【バーン=ジョーンズ展 -装飾と象徴】
2012年8月19日(日)まで
三菱一号館美術館にて
もっと知りたいバーン=ジョーンズ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
ラファエル前派―ヴィクトリア時代の幻視者たち (「知の再発見」双書)
ウィリアム・モリスのマルクス主義 アーツ&クラフツ運動の源流 (平凡社新書)
2012/07/16
マウリッツハイス美術館展
リニューアルオープンした東京都美術館で開催中の『マウリッツハイス美術館展』に行ってきました。
何と言っても話題は、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」。インターネットやテレビ、雑誌に至るまで、ここ最近の美術展では一番の露出ではないでしょうか。「オランダのモナリザ」ともいわれるだけあり、毎日長蛇の列ということで、平日に有休を取り、開館の一時間前から並びました。
その日は混雑対策からか、開館時間が30分繰り上がって9時に開館。入口は地下1階(LBF)になっていて、会場は地下1階から2階まであります(つまり3フロアー)。フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」は1階に展示されているとあって、みなさん地下1階の展示物には目も触れず(あとで戻って観られます)、一目散に1階へ。
「真珠の耳飾りの少女」はエスカレーターで1階に上がってすぐのスペースの奥に展示されていて、“最前列で観たい人”の列と、“後ろでもいい人”の列に導線が分かれています。最前列といっても止まらないように係員に急かされるので、ゆっくり観られないのが難。“後ろでもいい人”の列は立ち止まって観られるので、一番前に出れば二列目で「真珠の耳飾りの少女」を観られます。単眼鏡(あるいは双眼鏡?)があれば、細部まで観ることは十分可能です。
「真珠の耳飾りの少女」は『ベルリン国立美術館展』で公開中の「真珠の首飾りの少女」とほぼ同時代に描かれた作品ですが、サイズは一回り小さめ。テレビやポスターなどでアップで映されたときに目立っていたヒビ割れも、どんな状態か心配していましたが、実物は単眼鏡で覗いて少し分かる程度で、とても状態がいいのにビックリしました(照明のせい?)。そしてやっぱり美しい。彼女がどんな女性なのか、フェルメールとどんな関係があるのか、少しこちらに向いた表情の意味は、物言いたげな目や口元は何を伝えようとしているのか…。もう語り尽くされた感がありますが、それでも人々が語りたいと思うだけの魅力のある素敵な作品でした。
そのまま2階と3階の展示作品をゆっくり観て、エスカレーターで地下1階に降り、あらためて最初から、今度はちゃんとじっくり拝見。(エスカレーターを降りたところで、地下1階会場に戻れるようになっています。くれぐれも出口から退場してしまわないように!)
展示構成は以下の通りです。
第1章: 美術館の歴史
第2章: 風景画
第3章: 歴史画(物語画)
第4章: 肖像画と「トローニー
第5章: 静物画
第6章: 風俗画
展示会場に入ってすぐのプロローグは、まずはマウリッツハイス美術館の紹介。マウリッツハイス美術館のコレクションのもととなったオランダ総督ヴィレム5世の肖像画や美術館の景観などが飾られています。
つづくスペースには風景画、そして歴史画が展示されています。風景画にはオランダ絵画の黄金時代で最も重要な風景画家といわれるライスダールの作品が2点来ています。「漂泊場のあるハールレムの風景」は、大きく広い空と牧歌的な田園風景が広がり、観ていて何とも穏やかな気持ちになるような作品でした。
歴史画の充実度も目を見張ります。何と言っても、ルーベンスの傑作、アントワープ大聖堂の祭壇画「聖母被昇天」の下絵が来ています。名前を聞いてピンと来なくても、『フランダースの犬』にも登場するネロが観た絵といえば分かるでしょう。ネロはルーベンスの傑作「キリスト昇架」と「キリスト降架」を観たかったんだけれど、これはお金を払わないと観られず、貧しいネロはお金を払わなくても観られる「聖母被昇天」を観て、ルーベンスに憧れるのです。下絵でもこれだけ荘厳で神々しいのですから、実物はどんなに素晴らしいのだろうと思います。
レンブラントの「シメオンの讃歌」は、出世作といわれる「デルフトのファン・デル・メール博士の解剖講義」の前年に描かれた初期の作品ですが、レンブラントらしい劇的な光が効果的に使われていて、とても印象的でした。その絵と並んで、レンブラントの弟子ヘルデルによる「シメオンの讃歌」も展示されていましたが、光と影の演出といい、ドラマティックな構成といい、やはりレンブラントの作品は圧倒的です。
「真珠の耳飾りの少女」ばかりに目が行きがちですが、本展にはもう一作、フェルメールの「ディアナとニンフたち」が来ています。「ディアナとニンフたち」は20代前半の頃に描かれたフェルメール初期の作品。2008年に同じ東京都美術館で開催された『フェルメール展』にも出品されていたので目新しさはありませんが、「真珠の耳飾りの少女」のような異常な混雑はないので、ここはじっくりと拝見したいところ。実は『マウリッツハイス美術館展』は1977年にも国立西洋美術館で開催されていて、そのときも「真珠の耳飾りの少女」と「ディアナとニンフたち」が来日しています。マウリッツハイス美術館にはもう一作、フェルメールの「デルフト眺望」も所蔵しているのですが、これだけは来日しないのですね。なぜでしょう。
さて、ひとつ上の1階会場は肖像画のコーナーで、まず「真珠の耳飾りの少女」があり、そのまま奥に進むとほかの作品が展示されています。17世紀前半のオランダ絵画を代表するアンソニー・ヴァン・ダイクの作品が2点、フランス・ハルスが3点もありました。肖像画家として知られるハルスの「笑う少年」は、無邪気そうな子どもの笑顔に観ているこちらも思わず笑顔になってしまいます。2009年の『ルーヴル美術館展』(国立西洋美術館)で観たハルスの「リュートを弾く道化師」も非常に楽しげな作品でしたが、真面目くさった肖像画と違ってハルスの描く肖像画はどれも明るく、生き生きとした表情なのがとてもいい。
少し奥に進むと、まずルーベンスが目を惹きます。肌や衣服の質感、いまにも手が動きそうな臨場感、ルーベンスの卓越した表現力にあらためて驚かされます。
1階会場の最後の壁にはレンブラントの作品がズラリ。本展には実はレンブラントの作品が、歴史画2点、肖像画4点の計6作品、工房作を含めると7作品も来ています。工房作といっても、数年前まではレンブラントの真作といわれていた作品。専門家たちも分からなかったぐらいですから、素人にはどこがレンブラント的で、どこがレンブラント的でないのか全くもって分かりません。
レンブラントはたくさんの自画像を描いていますが、この「自画像」は最晩年のもの(レンブラントは1669年に亡くなっています)。晩年は破産して苦しい生活を送っていたせいか、どこか寂しげで、疲れ果てたような表情が印象的です。ただ、人生の年輪というんでしょうか、老大家だけが辿りついた境地というんでしょうか、そんなものが伝わってきます。
「羽飾りのある帽子をかぶる男のトローニー」は黒田清輝が渡仏した際に模写した作品(黒田清輝の模写作品「羽帽子をかぶった自画像」はこちら)。“トローニー”とは、依頼された肖像画ではなく、不特定の人物の頭部を描いた作品のこと。フェルメールの「真珠の首飾りの少女」も“トローニー”というわけです。
2階の展示会場は静物画から。ヤン・ブリューゲル(父)やクラスゾーンなど、17世紀オランダの静物画の写実性の高さに唸らされます。このコーナーで印象に残ったのが、カレル・ファブリティウスの「ごしきひわ」。ファブリティウスはレンブラントの弟子で、1654年に起きたデルフトの火薬工場爆発事故で若くして非業の死を遂げ、十数点しか作品が残されていないといいます。他の作品が花やテーブルの上の静物を描いているのに対し、この「ごしきひわ」はいわゆる静物画の典型的な構図ではなく、どちらかというと博物画といった方がいいかもしれません。会場の解説に、一種のだまし絵の可能性もあるとありましたが、思わず見入ってしまうようなリアルな作品でした。
最後は風俗画。ヤン・ステーンの「牡蠣を食べる女」は小ぶりの作品ですが、その描写はとても写実的かつ細密で、単眼鏡で覗くと、その丁寧な仕事ぶりに舌を巻きます。フェルメールと同時代を生き、17世紀オランダの風俗画の巨匠として名高いヤン・ステーンはほかにも2点出品されています。
こちらもフェルメールと同じ時代に、しかも同じデルフトで活躍し、フェルメールのライバル的な存在だった画家デ・ホーホ。この「デルフトの中庭」はフェルメールの「小路」を彷彿とさせるのが面白いところ。フェルメールの「小路」は風景画という趣がありますが、デ・ホーホの「デルフトの中庭」はいかにも風俗画という感じがします。制作年代を見ると、ほぼ同時期に描かれているようですが、どちらかがどちらかの作品に触発されて描かれたのでしょうか。気になるところです。
今回の展覧会はフェルメール作品以外にも、見どころが満載で、展示作品が48作品と少ない割には非常に充実しています。フェルメールの作品の展覧会というと、同年代の、日本ではあまり知られていないオランダの画家の作品が抱き合わせ的に展示されることがありますが、本展はレンブラントやルーベンスなどオランダ17世紀の黄金時代の巨匠の素晴らしい作品がたくさん来日しており、近年の“美術館展”では最も内容の濃いラインナップではないかと思います。
【マウリッツハイス美術館展】
2012年9月17日(月)まで
東京都美術館にて
マウリッツハイス美術館展: 公式ガイドブック (AERAムック)
フェルメールへの招待
もっと知りたいフェルメール―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
何と言っても話題は、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」。インターネットやテレビ、雑誌に至るまで、ここ最近の美術展では一番の露出ではないでしょうか。「オランダのモナリザ」ともいわれるだけあり、毎日長蛇の列ということで、平日に有休を取り、開館の一時間前から並びました。
その日は混雑対策からか、開館時間が30分繰り上がって9時に開館。入口は地下1階(LBF)になっていて、会場は地下1階から2階まであります(つまり3フロアー)。フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」は1階に展示されているとあって、みなさん地下1階の展示物には目も触れず(あとで戻って観られます)、一目散に1階へ。
「真珠の耳飾りの少女」はエスカレーターで1階に上がってすぐのスペースの奥に展示されていて、“最前列で観たい人”の列と、“後ろでもいい人”の列に導線が分かれています。最前列といっても止まらないように係員に急かされるので、ゆっくり観られないのが難。“後ろでもいい人”の列は立ち止まって観られるので、一番前に出れば二列目で「真珠の耳飾りの少女」を観られます。単眼鏡(あるいは双眼鏡?)があれば、細部まで観ることは十分可能です。
会場見取り図(地下1階と1階のみですが)
「真珠の耳飾りの少女」は『ベルリン国立美術館展』で公開中の「真珠の首飾りの少女」とほぼ同時代に描かれた作品ですが、サイズは一回り小さめ。テレビやポスターなどでアップで映されたときに目立っていたヒビ割れも、どんな状態か心配していましたが、実物は単眼鏡で覗いて少し分かる程度で、とても状態がいいのにビックリしました(照明のせい?)。そしてやっぱり美しい。彼女がどんな女性なのか、フェルメールとどんな関係があるのか、少しこちらに向いた表情の意味は、物言いたげな目や口元は何を伝えようとしているのか…。もう語り尽くされた感がありますが、それでも人々が語りたいと思うだけの魅力のある素敵な作品でした。
ヨハネス・フェルメール 「真珠の耳飾りの少女」
1655年頃 マウリッツハイス美術館蔵
1655年頃 マウリッツハイス美術館蔵
そのまま2階と3階の展示作品をゆっくり観て、エスカレーターで地下1階に降り、あらためて最初から、今度はちゃんとじっくり拝見。(エスカレーターを降りたところで、地下1階会場に戻れるようになっています。くれぐれも出口から退場してしまわないように!)
展示構成は以下の通りです。
第1章: 美術館の歴史
第2章: 風景画
第3章: 歴史画(物語画)
第4章: 肖像画と「トローニー
第5章: 静物画
第6章: 風俗画
ヤーコプ・ファン・ライスダール 「漂泊場のあるハールレムの風景」
1670‐1675年頃 マウリッツハイス美術館蔵
1670‐1675年頃 マウリッツハイス美術館蔵
展示会場に入ってすぐのプロローグは、まずはマウリッツハイス美術館の紹介。マウリッツハイス美術館のコレクションのもととなったオランダ総督ヴィレム5世の肖像画や美術館の景観などが飾られています。
つづくスペースには風景画、そして歴史画が展示されています。風景画にはオランダ絵画の黄金時代で最も重要な風景画家といわれるライスダールの作品が2点来ています。「漂泊場のあるハールレムの風景」は、大きく広い空と牧歌的な田園風景が広がり、観ていて何とも穏やかな気持ちになるような作品でした。
ペーテル・パウル・ルーベンス 「聖母被昇天(下絵)」
1622-25年頃 マウリッツハイス美術館蔵
1622-25年頃 マウリッツハイス美術館蔵
歴史画の充実度も目を見張ります。何と言っても、ルーベンスの傑作、アントワープ大聖堂の祭壇画「聖母被昇天」の下絵が来ています。名前を聞いてピンと来なくても、『フランダースの犬』にも登場するネロが観た絵といえば分かるでしょう。ネロはルーベンスの傑作「キリスト昇架」と「キリスト降架」を観たかったんだけれど、これはお金を払わないと観られず、貧しいネロはお金を払わなくても観られる「聖母被昇天」を観て、ルーベンスに憧れるのです。下絵でもこれだけ荘厳で神々しいのですから、実物はどんなに素晴らしいのだろうと思います。
レンブラントファン・レイン 「シメオンの讃歌」
1631年 マウリッツハイス美術館蔵
1631年 マウリッツハイス美術館蔵
レンブラントの「シメオンの讃歌」は、出世作といわれる「デルフトのファン・デル・メール博士の解剖講義」の前年に描かれた初期の作品ですが、レンブラントらしい劇的な光が効果的に使われていて、とても印象的でした。その絵と並んで、レンブラントの弟子ヘルデルによる「シメオンの讃歌」も展示されていましたが、光と影の演出といい、ドラマティックな構成といい、やはりレンブラントの作品は圧倒的です。
ヨハネス・フェルメール 「ディアナとニンフたち」
1653‐54年頃 マウリッツハイス美術館蔵
1653‐54年頃 マウリッツハイス美術館蔵
「真珠の耳飾りの少女」ばかりに目が行きがちですが、本展にはもう一作、フェルメールの「ディアナとニンフたち」が来ています。「ディアナとニンフたち」は20代前半の頃に描かれたフェルメール初期の作品。2008年に同じ東京都美術館で開催された『フェルメール展』にも出品されていたので目新しさはありませんが、「真珠の耳飾りの少女」のような異常な混雑はないので、ここはじっくりと拝見したいところ。実は『マウリッツハイス美術館展』は1977年にも国立西洋美術館で開催されていて、そのときも「真珠の耳飾りの少女」と「ディアナとニンフたち」が来日しています。マウリッツハイス美術館にはもう一作、フェルメールの「デルフト眺望」も所蔵しているのですが、これだけは来日しないのですね。なぜでしょう。
フランス・ハルス 「笑う少年」
1625年頃 マウリッツハイス美術館蔵
1625年頃 マウリッツハイス美術館蔵
さて、ひとつ上の1階会場は肖像画のコーナーで、まず「真珠の耳飾りの少女」があり、そのまま奥に進むとほかの作品が展示されています。17世紀前半のオランダ絵画を代表するアンソニー・ヴァン・ダイクの作品が2点、フランス・ハルスが3点もありました。肖像画家として知られるハルスの「笑う少年」は、無邪気そうな子どもの笑顔に観ているこちらも思わず笑顔になってしまいます。2009年の『ルーヴル美術館展』(国立西洋美術館)で観たハルスの「リュートを弾く道化師」も非常に楽しげな作品でしたが、真面目くさった肖像画と違ってハルスの描く肖像画はどれも明るく、生き生きとした表情なのがとてもいい。
ペーテル・パウル・ルーベンス 「ミハエル・オフォヴィウスの肖像」
1615-17年頃 マウリッツハイス美術館蔵
1615-17年頃 マウリッツハイス美術館蔵
少し奥に進むと、まずルーベンスが目を惹きます。肌や衣服の質感、いまにも手が動きそうな臨場感、ルーベンスの卓越した表現力にあらためて驚かされます。
レンブラントファン・レイン 「自画像」
1669年 マウリッツハイス美術館蔵
1669年 マウリッツハイス美術館蔵
1階会場の最後の壁にはレンブラントの作品がズラリ。本展には実はレンブラントの作品が、歴史画2点、肖像画4点の計6作品、工房作を含めると7作品も来ています。工房作といっても、数年前まではレンブラントの真作といわれていた作品。専門家たちも分からなかったぐらいですから、素人にはどこがレンブラント的で、どこがレンブラント的でないのか全くもって分かりません。
レンブラントはたくさんの自画像を描いていますが、この「自画像」は最晩年のもの(レンブラントは1669年に亡くなっています)。晩年は破産して苦しい生活を送っていたせいか、どこか寂しげで、疲れ果てたような表情が印象的です。ただ、人生の年輪というんでしょうか、老大家だけが辿りついた境地というんでしょうか、そんなものが伝わってきます。
レンブラントファン・レイン 「羽飾りのある帽子をかぶる男のトローニー」
1635-1640年 マウリッツハイス美術館蔵
1635-1640年 マウリッツハイス美術館蔵
「羽飾りのある帽子をかぶる男のトローニー」は黒田清輝が渡仏した際に模写した作品(黒田清輝の模写作品「羽帽子をかぶった自画像」はこちら)。“トローニー”とは、依頼された肖像画ではなく、不特定の人物の頭部を描いた作品のこと。フェルメールの「真珠の首飾りの少女」も“トローニー”というわけです。
カレル・ファブリティウス 「ごしきひわ」
1654年 マウリッツハイス美術館蔵
1654年 マウリッツハイス美術館蔵
2階の展示会場は静物画から。ヤン・ブリューゲル(父)やクラスゾーンなど、17世紀オランダの静物画の写実性の高さに唸らされます。このコーナーで印象に残ったのが、カレル・ファブリティウスの「ごしきひわ」。ファブリティウスはレンブラントの弟子で、1654年に起きたデルフトの火薬工場爆発事故で若くして非業の死を遂げ、十数点しか作品が残されていないといいます。他の作品が花やテーブルの上の静物を描いているのに対し、この「ごしきひわ」はいわゆる静物画の典型的な構図ではなく、どちらかというと博物画といった方がいいかもしれません。会場の解説に、一種のだまし絵の可能性もあるとありましたが、思わず見入ってしまうようなリアルな作品でした。
ヤン・ステーン 「牡蠣を食べる娘」
1658-1660年頃 マウリッツハイス美術館蔵
1658-1660年頃 マウリッツハイス美術館蔵
最後は風俗画。ヤン・ステーンの「牡蠣を食べる女」は小ぶりの作品ですが、その描写はとても写実的かつ細密で、単眼鏡で覗くと、その丁寧な仕事ぶりに舌を巻きます。フェルメールと同時代を生き、17世紀オランダの風俗画の巨匠として名高いヤン・ステーンはほかにも2点出品されています。
ピーテル・デ・ホーホ 「デルフトの中庭」
1658-1660年頃 マウリッツハイス美術館蔵
1658-1660年頃 マウリッツハイス美術館蔵
こちらもフェルメールと同じ時代に、しかも同じデルフトで活躍し、フェルメールのライバル的な存在だった画家デ・ホーホ。この「デルフトの中庭」はフェルメールの「小路」を彷彿とさせるのが面白いところ。フェルメールの「小路」は風景画という趣がありますが、デ・ホーホの「デルフトの中庭」はいかにも風俗画という感じがします。制作年代を見ると、ほぼ同時期に描かれているようですが、どちらかがどちらかの作品に触発されて描かれたのでしょうか。気になるところです。
今回の展覧会はフェルメール作品以外にも、見どころが満載で、展示作品が48作品と少ない割には非常に充実しています。フェルメールの作品の展覧会というと、同年代の、日本ではあまり知られていないオランダの画家の作品が抱き合わせ的に展示されることがありますが、本展はレンブラントやルーベンスなどオランダ17世紀の黄金時代の巨匠の素晴らしい作品がたくさん来日しており、近年の“美術館展”では最も内容の濃いラインナップではないかと思います。
【マウリッツハイス美術館展】
2012年9月17日(月)まで
東京都美術館にて
マウリッツハイス美術館展: 公式ガイドブック (AERAムック)
フェルメールへの招待
もっと知りたいフェルメール―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
ベルリン国立美術館展
上野の国立西洋美術館で開催中の『ベルリン国立美術館展』に行ってきました。
いま上野は二つの美術館にフェルメール作品が来日し、大賑わい。『ベルリン国立美術館展』には「真珠の首飾りの少女」が初来日しています。「真珠の耳飾りの少女」が来日する東京都美術館の『マウリッツハイス美術館展』がはじまったら、大変な混雑になると思い、6月の内に観てきたのですが、ブログのアップがついつい遅くなってしまいました。
もちろん見どころはフェルメールだけではなく、「学べるヨーロッパ美術の400年」とあるように、15世紀のルネサンスから18世紀のロココに至るまで、ヨーロッパ美術を代表する作品の数々が来日しており、ベルリン国立美術館の所蔵作品を通して西洋美術史に触れられるようになっています。
ベルリン国立美術館(ベルリン国立美術館群)は、博物館島を中心に市内に点在する美術館・博物館の総称で、現在15の部門から成るそうです。もともとは19世紀のプロイセン帝国が国家事業として蒐集した膨大なコレクションを保護するために設立された美術館がその発祥となっています。今回はベルリンの絵画館、彫刻コレクション、素描版画館から、西洋美術史を彩る107点の作品が集められています。
展示構成は以下の通りです。
第一章 15世紀:宗教と日常生活
第二章 15-16世紀:魅惑の肖像画
第三章 16世紀:マニエリスムの身体
第四章 17世紀:絵画の黄金時代
第五章 18世紀:啓蒙の近代へ
第六章 魅惑のイタリア・ルネサンス絵画
中世の西洋美術とキリスト教は切っても切り離せません。まずは聖母子像や受胎告知といった宗教画や彫刻作品から、西洋美術の成り立ちや宗教との深い関係を探っていきます。
入口を入ってすぐのところには聖母子像の彫刻が3点展示されていました。さりげなくドナッテロ(工房作ですが)の彫刻があり、導入部から贅沢感が漂います。本展は、絵画だけでなく彫刻の優品が揃っていたのがとても印象的でした。
聖母子を描いた作品は12世紀頃に成立したといわれていますが、ゴシック期になると、それまで神聖化されていた聖母子はごく人間的な母子として描かれるようになり、やがてルネサンス期に入ると聖母に女性の理想の姿を求めるようになります。このピントゥリッキオの聖母子も、ルネサンス的な柔和で優美な姿が印象的です。聖ヒエロニムスとは聖書をラテン語に翻訳をした聖人で、幼いキリストがその聖書に何かを書き込んでいます。
このコーナーはルネサンスの宗教画や彫刻が中心なので、どうしてもイタリア美術中心になりがちですが、ティルマン・リーメンシュナイダーの作品(工房作も含め)が3点も展示されているのは、やはりドイツの美術館の展覧会ならでは。リーメンシュナイダーの「龍を退治する馬上の聖ゲオルギウス」は菩提樹の木彫りで、いかにも西洋的なドラゴンを退治している構図がユニーク。どこか邪鬼を踏みつける日本の四天王像を思わせます。龍は異教徒を表しているそうで、ドイツの彫刻らしい陰影に富んだ彫りが印象的です。
肖像画のコーナーには、商人の肖像画やルターといった著名人の肖像画が展示されています。ヴェロッキオの工房による「コジモ・デ・メディチの肖像」のレリーフが展示されていましたが、それが象徴するように、ルネサンスに入ると、画家たちのパトロンが教会や支配階級から裕福な商人たちへ広がります。
このコーナーには、北方ルネサンスの画家の作品が展示されていたのが非常に嬉しいところ。「ヤーコプ・ムッフェルの肖像」はデューラー最晩年の作品。その徹底した写実的な技量と表現力にはただただ驚くばかりです。
つづくマニエリスムは、ミケランジェロに代表される技法を模倣し、引き伸ばされた身体や手足、ねじれたポーズなど誇張した身体表現が特徴的な表現形態。ルネサンス後期からバロックへと移行する過程で発生し、あまり独立して取り上げられることの少ないマニエリスムにスポットがあてられているのがユニークです。
このコーナーの展示はほとんど彫刻ですが、その中で異彩を放っていたのが、このクラーナハ(父)の「ルクレティア」。ルクレティアはローマ王の息子セクストゥスに凌辱され自害した貞淑の象徴とされる女性。誇張的に身体をくねらせたポーズには、貞淑な女性像というより肉感的なエロティシズムを感じます。
そして、17世紀絵画。展示室に入ると、まずはレンブラントがお出迎え。レンブラントの傑作「ミネルヴァ」と、かつてレンブラントの作品といわれていた「黄金の兜の男」が並んで展示されています。
昨年、国立西洋美術館で開催された『レンブラント展』にも「書斎のミネルヴァ」という作品が出品されていましたが、ベルリンの「ミネルヴァ」はそれより前に描かれたもので、真っ暗な闇を背景に赤いローブを纏った金髪のミネルヴァが描かれています。本当は暗闇の中にメデューサの頭が彫られた盾があるそうですが、照明のせいなのか、経年の汚れのせいなのか、見えなかったのが残念でした。
「黄金の兜の男」はかつてはレンブラントの真作といわれていましたが、“レンブラント・リサーチ・プロジェクト”によりレンブラントの弟子の作品とされるようになったもの。こちらも暗闇に浮かぶ黄金の兜と強い陰影に富んだ男の表情とのコントラストが印象的です。素人目にはいかにもレンブラントの作品としか見えません。明暗の劇的な表現という意味では「黄金の兜の男」の方がゾクゾクするものがあります。
やはりここは本邦初公開の「真珠の首飾りの少女」。光の魔術師と呼ばれるだけあり、窓から差し込む光の明るさ、美しさには目を見張ります。そして少女の顔の表情。フェルメールの他の作品にも通じることですが、フェルメールが描く女性の表情や仕草といった細かな心理描写はこの時代の画家の中では断トツの素晴らしさです。ただ残念なのは、油彩画面のヒビが予想以上にあり、肉眼でもはっきり分かるところ。いつか修理されることになるのでしょうか。
このコーナーにはほかにも、ベラスケス、ルーベンス、ロイスダールなど見どころがいっぱい。17世紀絵画のコーナーの充実度たるやビックリします。欲を言えば、同じベルリンの絵画館が所蔵しているフェルメールの「紳士とワインを飲む女」も連れて来てほしかったところです。
次の展示室は、18世紀のコーナー。フランスの画家シャルダンの静物画やイタリアのセバスティアーノ・リッチの「バテシバ」などをはじめ、ロココ様式の絵画や彫刻作品が並びます。
地下から1階に上がった最後の第六章では、ミケランジェロやボッティチェッリなどのイタリア・ルネサンスの素描を展示しています。これらの素描は作品保護のために、今後4年間非公開になってしまうのだそうです。見どころは、ボッティチェッリの「神曲」の挿絵素描とミケランジェロの「聖家族のための習作」(東京のみ展示)でしょうか。ほかにも、ダヴィンチ周辺の画家の素描といった気になるものもありました。
フェルメールばかりに目が行きがちですが、4年をかけて作品を選んだというだけあり、見どころがたくさんあり、充実した内容の展覧会でした。
【ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年】
2012年9月17日まで
国立西洋美術館にて
ルネサンス 歴史と芸術の物語 (光文社新書)
聖書と神話の象徴図鑑
いま上野は二つの美術館にフェルメール作品が来日し、大賑わい。『ベルリン国立美術館展』には「真珠の首飾りの少女」が初来日しています。「真珠の耳飾りの少女」が来日する東京都美術館の『マウリッツハイス美術館展』がはじまったら、大変な混雑になると思い、6月の内に観てきたのですが、ブログのアップがついつい遅くなってしまいました。
もちろん見どころはフェルメールだけではなく、「学べるヨーロッパ美術の400年」とあるように、15世紀のルネサンスから18世紀のロココに至るまで、ヨーロッパ美術を代表する作品の数々が来日しており、ベルリン国立美術館の所蔵作品を通して西洋美術史に触れられるようになっています。
ベルリン国立美術館(ベルリン国立美術館群)は、博物館島を中心に市内に点在する美術館・博物館の総称で、現在15の部門から成るそうです。もともとは19世紀のプロイセン帝国が国家事業として蒐集した膨大なコレクションを保護するために設立された美術館がその発祥となっています。今回はベルリンの絵画館、彫刻コレクション、素描版画館から、西洋美術史を彩る107点の作品が集められています。
展示構成は以下の通りです。
第一章 15世紀:宗教と日常生活
第二章 15-16世紀:魅惑の肖像画
第三章 16世紀:マニエリスムの身体
第四章 17世紀:絵画の黄金時代
第五章 18世紀:啓蒙の近代へ
第六章 魅惑のイタリア・ルネサンス絵画
ドナテッロの工房 「聖母子とふたりのケルビム」
1460年頃 ベルリン国立美術館彫刻コレクション蔵
1460年頃 ベルリン国立美術館彫刻コレクション蔵
中世の西洋美術とキリスト教は切っても切り離せません。まずは聖母子像や受胎告知といった宗教画や彫刻作品から、西洋美術の成り立ちや宗教との深い関係を探っていきます。
入口を入ってすぐのところには聖母子像の彫刻が3点展示されていました。さりげなくドナッテロ(工房作ですが)の彫刻があり、導入部から贅沢感が漂います。本展は、絵画だけでなく彫刻の優品が揃っていたのがとても印象的でした。
ベルナルディーノ・ピントゥリッキオ 「聖母子と聖ヒエロニムス」
1490年頃 ベルリン国立美術館絵画館蔵
1490年頃 ベルリン国立美術館絵画館蔵
聖母子を描いた作品は12世紀頃に成立したといわれていますが、ゴシック期になると、それまで神聖化されていた聖母子はごく人間的な母子として描かれるようになり、やがてルネサンス期に入ると聖母に女性の理想の姿を求めるようになります。このピントゥリッキオの聖母子も、ルネサンス的な柔和で優美な姿が印象的です。聖ヒエロニムスとは聖書をラテン語に翻訳をした聖人で、幼いキリストがその聖書に何かを書き込んでいます。
ティルマン・リーメンシュナイダー 「龍を退治する馬上の聖ゲオルギウス」
1490年頃 ベルリン国立美術館彫刻コレクション蔵
1490年頃 ベルリン国立美術館彫刻コレクション蔵
このコーナーはルネサンスの宗教画や彫刻が中心なので、どうしてもイタリア美術中心になりがちですが、ティルマン・リーメンシュナイダーの作品(工房作も含め)が3点も展示されているのは、やはりドイツの美術館の展覧会ならでは。リーメンシュナイダーの「龍を退治する馬上の聖ゲオルギウス」は菩提樹の木彫りで、いかにも西洋的なドラゴンを退治している構図がユニーク。どこか邪鬼を踏みつける日本の四天王像を思わせます。龍は異教徒を表しているそうで、ドイツの彫刻らしい陰影に富んだ彫りが印象的です。
アルブレヒト・デューラー 「ヤーコプ・ムッフェルの肖像」
1526年 ベルリン国立美術館絵画館蔵
1526年 ベルリン国立美術館絵画館蔵
肖像画のコーナーには、商人の肖像画やルターといった著名人の肖像画が展示されています。ヴェロッキオの工房による「コジモ・デ・メディチの肖像」のレリーフが展示されていましたが、それが象徴するように、ルネサンスに入ると、画家たちのパトロンが教会や支配階級から裕福な商人たちへ広がります。
このコーナーには、北方ルネサンスの画家の作品が展示されていたのが非常に嬉しいところ。「ヤーコプ・ムッフェルの肖像」はデューラー最晩年の作品。その徹底した写実的な技量と表現力にはただただ驚くばかりです。
ルーカス・クラーナハ(父) 「ルクレティア」
1533年 ベルリン国立美術館絵画館蔵
1533年 ベルリン国立美術館絵画館蔵
つづくマニエリスムは、ミケランジェロに代表される技法を模倣し、引き伸ばされた身体や手足、ねじれたポーズなど誇張した身体表現が特徴的な表現形態。ルネサンス後期からバロックへと移行する過程で発生し、あまり独立して取り上げられることの少ないマニエリスムにスポットがあてられているのがユニークです。
このコーナーの展示はほとんど彫刻ですが、その中で異彩を放っていたのが、このクラーナハ(父)の「ルクレティア」。ルクレティアはローマ王の息子セクストゥスに凌辱され自害した貞淑の象徴とされる女性。誇張的に身体をくねらせたポーズには、貞淑な女性像というより肉感的なエロティシズムを感じます。
レンブラント派 「黄金の兜の男」
1650-1655年頃 ベルリン国立美術館絵画館蔵
1650-1655年頃 ベルリン国立美術館絵画館蔵
そして、17世紀絵画。展示室に入ると、まずはレンブラントがお出迎え。レンブラントの傑作「ミネルヴァ」と、かつてレンブラントの作品といわれていた「黄金の兜の男」が並んで展示されています。
昨年、国立西洋美術館で開催された『レンブラント展』にも「書斎のミネルヴァ」という作品が出品されていましたが、ベルリンの「ミネルヴァ」はそれより前に描かれたもので、真っ暗な闇を背景に赤いローブを纏った金髪のミネルヴァが描かれています。本当は暗闇の中にメデューサの頭が彫られた盾があるそうですが、照明のせいなのか、経年の汚れのせいなのか、見えなかったのが残念でした。
「黄金の兜の男」はかつてはレンブラントの真作といわれていましたが、“レンブラント・リサーチ・プロジェクト”によりレンブラントの弟子の作品とされるようになったもの。こちらも暗闇に浮かぶ黄金の兜と強い陰影に富んだ男の表情とのコントラストが印象的です。素人目にはいかにもレンブラントの作品としか見えません。明暗の劇的な表現という意味では「黄金の兜の男」の方がゾクゾクするものがあります。
フェルメール 「真珠の首飾りの少女」
1662-1665年頃 ベルリン国立美術館絵画館蔵
1662-1665年頃 ベルリン国立美術館絵画館蔵
やはりここは本邦初公開の「真珠の首飾りの少女」。光の魔術師と呼ばれるだけあり、窓から差し込む光の明るさ、美しさには目を見張ります。そして少女の顔の表情。フェルメールの他の作品にも通じることですが、フェルメールが描く女性の表情や仕草といった細かな心理描写はこの時代の画家の中では断トツの素晴らしさです。ただ残念なのは、油彩画面のヒビが予想以上にあり、肉眼でもはっきり分かるところ。いつか修理されることになるのでしょうか。
このコーナーにはほかにも、ベラスケス、ルーベンス、ロイスダールなど見どころがいっぱい。17世紀絵画のコーナーの充実度たるやビックリします。欲を言えば、同じベルリンの絵画館が所蔵しているフェルメールの「紳士とワインを飲む女」も連れて来てほしかったところです。
ジャン=バティスト=シメオン・シャルダン 「死んだ雉と獲物袋」
1760年 ベルリン国立美術館絵画館蔵
1760年 ベルリン国立美術館絵画館蔵
次の展示室は、18世紀のコーナー。フランスの画家シャルダンの静物画やイタリアのセバスティアーノ・リッチの「バテシバ」などをはじめ、ロココ様式の絵画や彫刻作品が並びます。
地下から1階に上がった最後の第六章では、ミケランジェロやボッティチェッリなどのイタリア・ルネサンスの素描を展示しています。これらの素描は作品保護のために、今後4年間非公開になってしまうのだそうです。見どころは、ボッティチェッリの「神曲」の挿絵素描とミケランジェロの「聖家族のための習作」(東京のみ展示)でしょうか。ほかにも、ダヴィンチ周辺の画家の素描といった気になるものもありました。
ミケランジェロ・ブオナローティ 「聖家族のための習作」
1503-1504年頃 ベルリン国立美術館素描版画館蔵
1503-1504年頃 ベルリン国立美術館素描版画館蔵
フェルメールばかりに目が行きがちですが、4年をかけて作品を選んだというだけあり、見どころがたくさんあり、充実した内容の展覧会でした。
【ベルリン国立美術館展 学べるヨーロッパ美術の400年】
2012年9月17日まで
国立西洋美術館にて
ルネサンス 歴史と芸術の物語 (光文社新書)
聖書と神話の象徴図鑑
2012/07/14
吉川霊華展
東京国立近代美術館で開催中の『吉川霊華展』を観てきました。
恥ずかしながら、この展覧会で初めて名前を知った画家です。女性なのかと思ったら、男性なのですね。美しい名前です。
名前に劣らず、絵も美しい。解説にも「線描美」という言葉が使われていましたが、まさに線描の美しさ。こんなにも美しく、細い線で描かれた細密な大和絵というものは見たことないかもしれません。
吉川麗華(きっかわ れいか)は、明治・大正期に活躍した日本画家で、浮世絵や狩野派に学び、その後、大和絵の一派、住吉派を学んだことで有職故実に触れ、江戸末期の復古大和絵派の冷泉為恭に私淑。大和絵の第一人者として画壇で名声を得た後も、孤高の絵師として“線”の探求に努めたといいます。
本展は吉川麗華の約30年ぶりの大々的な回顧展ということで、約100点の作品のほか、スケッチ帳38冊、模写、草稿、資料等などが出品されています。
入口を入ったスペースには、5メートル四方の大きなスロープに巨大な「神龍」が展示されていて、いきなり度肝を抜かれます。もともとは方廣寺の天井画として制作されたもので、現在は掛け軸として保管されているそうです。本作は36歳の頃の作品なので、復古大和絵の研究に熱心だった頃のものですが、恐らく依頼をされて制作したのでしょうか。大和絵とは異なりますが、躍動感のある筆致と画力に、先制パンチを喰らったような感じです。
第1章「模索の時代」では、復古大和絵の影響を受け、冷泉為恭の研究や歴史風俗画の模写を続け、自分の画風を模索していた時代の作品が展示されています。「美人弾琴」は29歳の頃の作品。その完成度の高さが目を惹きます。下図のみの展示の「吉野遷幸」は本図が行方知らずとのことですが、本図はどれだけ素晴らしかっただろうと思わせるような作品でした。洒脱なタッチの「筑摩祭」も印象的でした。
平台には、たくさんのスケッチ帖が並んでいて、その絵からは吉川麗華の絵に対する真面目さ、熱心さが伝わってきます。こうした模索の時代は40歳の頃まで続いたそうです。
第2章は「金鈴社の時代」。金鈴社は鏑木清方、松岡映丘、平福百穂らと大正5年(1916)に結成した美術団体。この頃から吉川麗華は、日本や中国の古典文学や説話に材を取った、よりロマン的傾向のある作品を制作し、さらに線描美の探究に励んだといいます。日本画の流行や時代の流れ、また流派などに全く関知せず、我が道を往く様子がその絵からも窺えます。
吉川麗華の作品は基本的に白描画で、第1章には彩色画も数点展示されていましたが、後年は色を加えても僅かな色を薄く差しただけの白描淡彩画が中心になります。年を経るごとに、線はさらに繊細に、滑らかに、そして涼やかさを増していきます。そしてその淀みなさ、流麗さ。思わず、見とれてしまいます。線があまりに細い(薄い)ので、写真ではよく分からないのが残念ですが、実物を観ると、その細密な線画の世界に驚きます。
第3章は「円熟の時代」。ここでは吉川麗華の作品を「中国の詩と説話」、「和歌と古典物語」、「仏と祈り」の3つに分け、展示しています。
酒を酌み交わしていた女性が実は梅の木の化身だったという中国の説話を描いた「羅浮僊女」は、背景に山水画のような峻険な山を配し、中国的な雰囲気を漂わせた優美な作品。こうした作品の持つ物語性に吉川麗華の絵の奥深さと魅力があるような気がします。
吉川麗華は帝展や文展などの展覧会とほとんど縁がないというか、距離を置いていた方ですが、「離騒」は帝展の推薦を受けて発表した大作で、その線描は美しさを極め、円熟の域に達した味わいを感じます。この作品が公開されるのは1977年以来とのことで、幻の名作とも呼ばれているそうです。
「中国の詩と説話」では、紺染の絹本に金泥で寿老人を描いた「南極寿星」も印象的でした。平安時代の豪華な紺紙金泥経に装飾絵などが描かれていることがありますが、それを独立させたかのような見事な作品で、同種の作品が他に数点展示されていました。ちなみに、「吉川麗華展」のチラシ(2種類あり)を開くと、中面の縦2面に「南極寿星」が印刷されています。
日本の古典に拠った作品は、復古大和絵の王道というか、まさに吉川麗華の本領発揮という感じです。詞書や詩歌を画中に添えた作品も多く、その仮名文字と絵との一体感、美しさが平安朝の大和絵を彷彿とさせます。吉川麗華の作品は、技巧に走ったり、清新な色遣いがあったり、大胆な構図を用いたりといったことがなく、総じておとなしい作品です。それを平板で、創意性がないと見る向きもあると思いますが、吉川麗華のポジションはあくまでも復古大和絵にあるので、それはそれでいいのではないかと思います。
最後のコーナーは晩年に描いた仏画が展示されています。支援者からの依頼で制作することが多かったとのことですが、吉川麗華の仏画は彼の大和絵とはまた一味違った趣があり、個人的にも好きです。絶筆となった「白衣大士」の清らかで安らかな顔に、吉川麗華の歩んできた道のすべてが込められているような気がしました。
“忘れられた巨匠”といわれる吉川麗華ですが、今回の展覧会は彼の再発掘、再評価という意味でとても意義のあるものだったと思います。ただ、個人蔵の作品が非常に多く、また知名度や集客力を考えると、近代美術館のような大きな美術館で展覧会が開かれることが今後あるかというと、難しい気もします。機会があれば是非観てほしいと思う展覧会でした。
【吉川麗華 近代にうまれた線の探求者】
2012年7月29日(日)まで
東京国立近代美術館にて
恥ずかしながら、この展覧会で初めて名前を知った画家です。女性なのかと思ったら、男性なのですね。美しい名前です。
名前に劣らず、絵も美しい。解説にも「線描美」という言葉が使われていましたが、まさに線描の美しさ。こんなにも美しく、細い線で描かれた細密な大和絵というものは見たことないかもしれません。
吉川麗華(きっかわ れいか)は、明治・大正期に活躍した日本画家で、浮世絵や狩野派に学び、その後、大和絵の一派、住吉派を学んだことで有職故実に触れ、江戸末期の復古大和絵派の冷泉為恭に私淑。大和絵の第一人者として画壇で名声を得た後も、孤高の絵師として“線”の探求に努めたといいます。
本展は吉川麗華の約30年ぶりの大々的な回顧展ということで、約100点の作品のほか、スケッチ帳38冊、模写、草稿、資料等などが出品されています。
吉川麗華 「神龍」
明治44年(1911年) 京都・方廣寺蔵
明治44年(1911年) 京都・方廣寺蔵
入口を入ったスペースには、5メートル四方の大きなスロープに巨大な「神龍」が展示されていて、いきなり度肝を抜かれます。もともとは方廣寺の天井画として制作されたもので、現在は掛け軸として保管されているそうです。本作は36歳の頃の作品なので、復古大和絵の研究に熱心だった頃のものですが、恐らく依頼をされて制作したのでしょうか。大和絵とは異なりますが、躍動感のある筆致と画力に、先制パンチを喰らったような感じです。
吉川霊華 「美人弾琴」
明治37年(1904年) 個人蔵
明治37年(1904年) 個人蔵
第1章「模索の時代」では、復古大和絵の影響を受け、冷泉為恭の研究や歴史風俗画の模写を続け、自分の画風を模索していた時代の作品が展示されています。「美人弾琴」は29歳の頃の作品。その完成度の高さが目を惹きます。下図のみの展示の「吉野遷幸」は本図が行方知らずとのことですが、本図はどれだけ素晴らしかっただろうと思わせるような作品でした。洒脱なタッチの「筑摩祭」も印象的でした。
平台には、たくさんのスケッチ帖が並んでいて、その絵からは吉川麗華の絵に対する真面目さ、熱心さが伝わってきます。こうした模索の時代は40歳の頃まで続いたそうです。
吉川麗華 「香具耶姫昇天」
大正9年(1920年) 個人蔵
大正9年(1920年) 個人蔵
第2章は「金鈴社の時代」。金鈴社は鏑木清方、松岡映丘、平福百穂らと大正5年(1916)に結成した美術団体。この頃から吉川麗華は、日本や中国の古典文学や説話に材を取った、よりロマン的傾向のある作品を制作し、さらに線描美の探究に励んだといいます。日本画の流行や時代の流れ、また流派などに全く関知せず、我が道を往く様子がその絵からも窺えます。
吉川麗華 「藐姑射之処子」
大正7年(1918年) 国立近代美術館蔵
大正7年(1918年) 国立近代美術館蔵
吉川麗華の作品は基本的に白描画で、第1章には彩色画も数点展示されていましたが、後年は色を加えても僅かな色を薄く差しただけの白描淡彩画が中心になります。年を経るごとに、線はさらに繊細に、滑らかに、そして涼やかさを増していきます。そしてその淀みなさ、流麗さ。思わず、見とれてしまいます。線があまりに細い(薄い)ので、写真ではよく分からないのが残念ですが、実物を観ると、その細密な線画の世界に驚きます。
吉川麗華 「羅浮僊女」
昭和3年(1928年) 埼玉県立近代美術館蔵
昭和3年(1928年) 埼玉県立近代美術館蔵
第3章は「円熟の時代」。ここでは吉川麗華の作品を「中国の詩と説話」、「和歌と古典物語」、「仏と祈り」の3つに分け、展示しています。
酒を酌み交わしていた女性が実は梅の木の化身だったという中国の説話を描いた「羅浮僊女」は、背景に山水画のような峻険な山を配し、中国的な雰囲気を漂わせた優美な作品。こうした作品の持つ物語性に吉川麗華の絵の奥深さと魅力があるような気がします。
吉川麗華 「離騒」(双幅)
大正15年(1926年) 個人蔵
大正15年(1926年) 個人蔵
吉川麗華は帝展や文展などの展覧会とほとんど縁がないというか、距離を置いていた方ですが、「離騒」は帝展の推薦を受けて発表した大作で、その線描は美しさを極め、円熟の域に達した味わいを感じます。この作品が公開されるのは1977年以来とのことで、幻の名作とも呼ばれているそうです。
「中国の詩と説話」では、紺染の絹本に金泥で寿老人を描いた「南極寿星」も印象的でした。平安時代の豪華な紺紙金泥経に装飾絵などが描かれていることがありますが、それを独立させたかのような見事な作品で、同種の作品が他に数点展示されていました。ちなみに、「吉川麗華展」のチラシ(2種類あり)を開くと、中面の縦2面に「南極寿星」が印刷されています。
吉川麗華 「清香妙音」
昭和2年(1927年) 個人蔵
昭和2年(1927年) 個人蔵
日本の古典に拠った作品は、復古大和絵の王道というか、まさに吉川麗華の本領発揮という感じです。詞書や詩歌を画中に添えた作品も多く、その仮名文字と絵との一体感、美しさが平安朝の大和絵を彷彿とさせます。吉川麗華の作品は、技巧に走ったり、清新な色遣いがあったり、大胆な構図を用いたりといったことがなく、総じておとなしい作品です。それを平板で、創意性がないと見る向きもあると思いますが、吉川麗華のポジションはあくまでも復古大和絵にあるので、それはそれでいいのではないかと思います。
吉川麗華 「阿摩提観世音菩薩」
大正13年頃(1924年頃) 個人蔵
大正13年頃(1924年頃) 個人蔵
最後のコーナーは晩年に描いた仏画が展示されています。支援者からの依頼で制作することが多かったとのことですが、吉川麗華の仏画は彼の大和絵とはまた一味違った趣があり、個人的にも好きです。絶筆となった「白衣大士」の清らかで安らかな顔に、吉川麗華の歩んできた道のすべてが込められているような気がしました。
“忘れられた巨匠”といわれる吉川麗華ですが、今回の展覧会は彼の再発掘、再評価という意味でとても意義のあるものだったと思います。ただ、個人蔵の作品が非常に多く、また知名度や集客力を考えると、近代美術館のような大きな美術館で展覧会が開かれることが今後あるかというと、難しい気もします。機会があれば是非観てほしいと思う展覧会でした。
【吉川麗華 近代にうまれた線の探求者】
2012年7月29日(日)まで
東京国立近代美術館にて