2018/08/15

落合芳幾展

太田記念美術館で開催中の『落合芳幾展』を観てきました。

落合芳幾、たぶんとてもマイナーな浮世絵師。浮世絵ファンでも幕末から明治にかけての浮世絵が好きな人でないと、ちょっと分からないかもしれませんね。

そんな落合芳幾の初めての展覧会。出品数はなんと100点強。

明治の浮世絵師というと、月岡芳年や河鍋暁斎、小林清親が有名で、彼らの作品を観る機会はままありますが、これまであまり注目されることのなかった落合芳幾だけでここまでの数の作品が観られるなんて空前絶後レベルです。

落合芳幾は幕末の人気浮世絵師・歌川国芳の門人で、月岡芳年とは兄弟弟子。国芳や芳年は知っていても、芳幾は知らないという人がほとんどではないでしょうか。いつもは混んでる日曜日の午後に行ったのですが、お客さんに日本人はほとんどおらず、観光目的で来ている外国人ばかりでした。


会場の構成は以下のとおりです。
Ⅰ 花開く多彩な才能
Ⅱ 奇想の表現 -歌川国芳の継承者
Ⅲ 血みどろ絵 -月岡芳年との競作
Ⅳ 新時代の美女たち
Ⅴ 新しいメディアへの挑戦 -新聞挿絵と雑誌
Ⅵ 衰えぬ晩年 -役者絵への回帰

17歳の頃、国芳のもとに入門。22歳の頃から単独の作品も発表していたという芳幾。同門の芳年は6歳下ですが、入門は1年違いなので、ほぼ同じ時期に修業をしていたのでしょう。10代の6歳違いはかなり大きいので、たぶん芳幾は先輩風を吹かせていたのでしょう。国芳の葬式のとき芳年を足蹴りしたなんて話もあるようです。芳幾が描いた国芳の死に絵もあって、力関係では年上の芳幾の方が強かったんだろうなと思います。

芳幾の作品を見ていると、これどこかで観たなと感じるものが時々あります。作風は師匠に似て、国芳と同じような場面、モチーフを描いたものも多くあるようです。ただ、国芳に比べてややおとなしいというか、奇抜さや迫力という点では弟弟子の芳年の方にやはり軍配が上がります。国芳は芳幾と芳年について「芳幾は器用に任せて筆を走らせば、画に覇気なく熱血なし、芳年は覇気に富めども不器用なり」と語ったといいます。

落合芳幾 「英名二十八衆句 鳥井又助」
慶応3年(1867) 個人蔵

芳幾の代表作というと、芳年と競作した「英名二十八衆句」。芳幾と芳年は半分ずつ描いていて、本展では芳幾の描いた14点すべてが展示されています。芳年に負けず劣らずの血みどろ。芳年とのライバル心なのか、血みどろ絵は芳年と甲乙つけがたい。前回の『江戸の悪 PART Ⅱ』にも芳幾の「英名二十八衆句」は数点出ていましたが、首を加えて水中を泳ぐ「鳥井又助」や、『名月八幡祭』の絶命する美代吉を描いた「げいしゃ美代吉」なんかとてもいい。

落合芳幾 「時世粧年中行事之内 競細腰雪柳風呂」
明治元年(1868) 太田記念美術館蔵

芳幾はもともと武者絵や役者絵、風刺画が多く、戯画も国芳譲りの面白さがあります。美人画を手がけるようになったのは遅かったようで、特徴的な表現があるわけでもなく、少し平凡な美人画という感じがします。女風呂を描いた作品が数点あって、女同士取っ組み合いの喧嘩をしてたり、明治初期の銭湯の様子も知れて面白い。

落合芳幾 「東京日々新聞 八百三十三号」
明治7年(1874) 個人蔵

明治期の浮世絵というと新聞の挿絵や横浜絵のように時代の流れの中で新しい浮世絵が生まれますが、芳幾もそのあたりはよく描いていたようです。芳幾は毎日新聞の前身の東京日々新聞の創刊メンバーの一人だったそうで、新聞挿絵の分野では先駆的存在だったのでしょう。国芳門下らしいどぎつい色合いやドラマティックな表現力、血みどろ絵のような残虐性など、芳幾のカラーがよく出ています。子どもを残して死んだ母親が幽霊になって現れるとか、川に女性を投げ落とすとか、今でいうところのワイドショーのような感覚なんでしょうね。

写真の台頭は浮世絵が衰退していく最も大きな原因の一つですが、写真風に陰影を施した「俳優写真鏡」というシリーズがあり、なかなか興味深かったです。写真に対抗する苦肉の策だったのでしょうけど。役者絵はいいものが多く、特に晩年は見どころがあります。芳幾が表紙を描いた初期の歌舞伎座の筋書(パンフレット)なんて貴重なものもありました。

落合芳幾 「俳優写真鏡 五代目尾上菊五郎の仁木弾正」
明治3年(1870) 太田記念美術館蔵


【落合芳幾展】
2018年8月26日(日)まで
太田記念美術館にて


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