2017/03/26

蘇る!孤高の神絵師 渡辺省亭

京橋の加島美術で開催中の『蘇る!孤高の神絵師 渡辺省亭』展を観てまいりました。

最近急にクローズアップされた渡辺省亭(わたなべ せいてい)。美術館で作品を観ることは時折ありますが、こうしてまとまった形で作品が紹介されるのは初めてだといいます。

迎賓館赤坂離宮が一般公開されるようになってからでしょうか、「花鳥の間」の七宝焼の花鳥図(制作は濤川惣助)が素晴らしいという話をあちこちで聞くようになり、その図案を手がけた省亭にも注目が集まるようになった気がします。来年は省亭の没後100年ということもあって、ここにきて省亭を見直そうという気運が美術界のいろんなところで高まってきたというのも事実でしょう。まだまだ観る機会の少ない省亭なので日本画好きとしては大変有難いことです。

加島美術というと、一流画廊が軒を並べる銀座・京橋界隈でも古美術のセレクションではトップの画廊。観る専門の庶民にはちょっと敷居の高いところがありますが、今回は展覧会という位置づけなので、そのあたりは気も楽に観に行くことができました。

[写真右] 渡辺省亭 「松樹にかささぎ」 個人蔵
[写真左] 渡辺省亭 「瀑布岩燕図」「花菖蒲に鯉魚図」 個人蔵

ギャラリーを使っての展覧会なので点数こそ多くありませんが、大通りの近くにありながら喧噪を感じない静かな空間で、ゆっくり観られるのがいいですね。美術館と違って観光客はいませんし、省亭に興味ある人しか訪れないので、じっくり作品と対峙できます。さすが画廊、ガラスケース越しではなく露出展示にビックリなのですが、その分、作品を肌で感じられるぐらい間近で観られます。

ただ、なんですね、露出展示というのは落ち着かないというか、伺った日は風邪気味でマスクをしてたのですが、それでも咳をしたら大変とずっと緊張してました。そばで絵を観ながら話してる人がいて、傍らで観てるこっちが気が気でありませんでした。絵に近づくときは、口は利かないとか、ハンカチで口をふさぐとか、マナーは守りましょうね。

渡辺省亭 「雪月花図」 個人蔵

[写真右] 渡辺省亭 「牡丹に蝶の図」 個人蔵
[写真左] 渡辺省亭 「雪中之鴨図」 個人蔵

入口を入ったところに展示されていた「瀑布岩燕図」、「花菖蒲に鯉魚図」、「芦雁之図」の三幅を観て、心の中がどよめきました。その的確な描写力、造形の再現性、線の美しさ、色彩の瑞々しさ。観る作品々々が墨や色の濃淡、筆致筆勢の硬軟どれも自在で、その見事さに驚きます。

省亭というと写実的傾向が強く、確かに花鳥画としてはリアリズムが勝ってるのですが、今回こうしてさまざまな省亭の作品を観て、イメージが覆ったというのが正直なところ。こんなにも洒脱で、詩的で、楚々とした絵を描く人なんだということも初めて知りましたし、その写意的な味わいも新鮮な驚きでした。

「雪月花図」の伝統的な画題に溶け込む写実味のある鳥や花の表現の新しさ。「雲間霽月図」の詩情豊かな水墨の味わい。「あざみ図」や「群雀之図」の構図の美しさ、余白に感じる余韻。「牡丹に蝶の図」の匂い立つような牡丹の存在感。「牡丹に蝶の図」は色の濃淡の微細な表現が細かなところまで徹底されていて、思わず唸ってしまいました。

[写真右] 渡辺省亭 「雲間霽月図」 個人蔵
[写真左] 渡辺省亭 「紅葉蔦に鷹図」 個人蔵

渡辺省亭 「花鳥図屏風」 個人蔵

省亭の写実性は濤川惣助の七宝工芸作品の図案を手掛けたり、かなり早い時期にヨーロッパに渡るチャンスに恵まれ、西洋の写実を学んだりしたことが大きかったようです。まわりの日本画家が西洋画の技法や構図を取り入れ、新しい日本画を追求する中で、省亭は西洋画の感覚を意識しながらも決して近代化の波にのまれることなく、自分の思う日本画を求め続けたところが凄いと思いますし、ある意味その頑なさが近代美術史の中に埋もれてしまった理由の一つなのかもしれません。

省亭は工芸図案家として貿易会社に勤めていた人なので、どういう構図が好まれるか、どういう図案が美しく映えるかということには職業的な勘を持っていたのでしょう。構図的なバランスの良さ、配置の絶妙さは今回省亭に惚れ込んだ大きなポイントでもあります。

渡辺省亭 「今様美人図」 個人蔵

省亭の美人画もなかなかの傑作揃い。「今様美人図」は水野年方など明治時代の美人画の流れを感じさせつつ、古風な味わいがあるのがいい。「桜花美人図」は島田髷の武家の女性2人の正面と後姿を描き、非常に洒落た雰囲気があるし、構図がまた素晴らしい。 



なお現在、都内の他の美術館・博物館でも省亭の作品が公開されています。
  • 東京国立博物館 総合文化展(常設): 2017年3月7日(火)~4月16日(日)
  • 山種美術館 『日本画の教科書 東京編』: 2017年2月16日(木)~4月16日(日)
  • 松岡美術館 『松岡コレクション 美しい人びと(後期)』: 2017年3月22日(水)~5月14日(日)

渡辺省亭 「迎賓館赤坂離宮 七宝額下絵」 (展示は4/16まで)
明治39年(1906)頃 東京国立博物館蔵

東京国立博物館では、迎賓館赤坂離宮「花鳥の間」の七宝額の下絵12点が展示されています。ちょうど今年の『博物館に初もうで』に同じく「花鳥の間」の七宝額の候補だった荒木寛畝の下絵(現在は展示されていません)と省亭の下絵が並んで展示されていて比較することができたのですが、寛畝の表現の生々しさに比べて、省亭は同じ写実でもクドくないというか、表現は確かにリアルで緻密なんだけれども、自然の情趣があって、構図にもセンスの良さを感じました。


東博には省亭の代表作「雪中群鶏」も展示されています。雪の積もった荷車に集う鶏たち。一見水墨的な味わいを感じさせますが、鶏がとてもリアル。これも構図が面白いですね。

渡辺省亭 「雪中群鶏」 (展示は4/16まで)
明治26年(1893) 東京国立博物館蔵

今回のこの渡辺省亭の一連のプロジェクトは、省亭ブームを盛り上げようと裏で仕掛けている人たちがいるので、本が出たり、複数の美術館で同時公開されたりしてるんでしょうが、来年の没後100年に本格的な回顧展の開催するために、まずは省亭の知名度を上げるという目的があるのだといいます。海外にある省亭作品も多いと聞きます。今回の関連企画が盛り上がり、来年さらに省亭がクローズアップされ、より規模の大きい回顧展が開催されたら、こんな嬉しいことはないですね。


【蘇る!孤高の神絵師 渡辺省亭】
2017年4月9日まで(3/30に一部作品が展示替えあり)
加島美術にて


渡辺省亭: 花鳥画の孤高なる輝き渡辺省亭: 花鳥画の孤高なる輝き

2017/03/22

長崎版画と異国の面影

板橋区立美術館で開催中の『長崎版画と異国の面影』を観てまいりました。

18世紀中頃から幕末にかけて、長崎で主に土産物として人気だったという長崎版画と、長崎の絵師による肉筆の洋風画の展覧会です。

鎖国の江戸時代に唯一外国との窓口になった長崎。長崎(和)とオランダ(蘭)と中国(華)のそれぞれのカラーが混ざり合った異国情緒あふれる文化を「和華蘭(わからん)文化」と呼ぶように、長崎では他のどこにもない独自の文化が育まれてきました。

それは絵画でも同じで、個人的に好きな南蘋派のことを調べてると、“長崎派”という外国の影響を受けた長崎特有の絵画文化に行き着くのですが、その長崎派の流れの中で江戸後期に登場するのが今回取り上げられている長崎絵(長崎版画)なのです。

会場は第一会場に長崎版画、第二会場に主に洋風の肉筆画が展示されています。描かれてるものはオランダ人や中国人だったり、その生活だったり、異国の帆船だったり、異国趣味に溢れたものばかり。新鮮な驚きに満ちた展覧会でした。


会場の構成は以下のとおりです:
1.長崎版画のはじまり
2.長崎を行きかう異国船
3.実見と想像の異国人像
4.出島の暮らし 唐人屋敷の暮らし
5.限られた彩色の長崎版画
6.長崎の名所絵
7.長崎の絵師たち
8.オランダ人の饗宴
9.商館長ブロンホフと家族

文錦堂版「阿蘭陀人」
18-19世紀(江戸時代) 長崎歴史文化博物館蔵

最初は中国人が使うお札や正月に飾られる年画を長崎の職人が作るようになり、長崎版画もその中で誕生したとされています。初期の長崎版画は中国の蘇州版画の影響が色濃く、それは画題や構図といった見た目的なところだけでなく、技術面にも及んでいます。恐らく最初は中国人の版画職人に学んだのでしょうか、蘇州版画が西洋の銅版画の影響を受けていることから、長崎版画にも例えば衣服や靴、脚の陰影を斜線で表現するなど銅版画の手法が用いられてたりします。昨年展覧会が開催され話題になった秋田蘭画も同じ蘇州版画を源泉の一つとしていますが、秋田蘭画とはまた違う発展を遂げたのが面白いですね。

18世紀中頃というと、江戸では多色摺木版画が発展し、錦絵が登場するころ。しかし、初期の長崎版画は墨摺りと手彩色の簡素なものが多く、1800年頃から合羽摺が用いられるようになりますが、浮世絵版画の高度な摺りの技術は遠い長崎にはまだ伝わっていなかったようです。

合羽摺とは木版と違い、図様を描いた型紙を切り抜き、上から刷毛で色を付ける彩色法で、蘇州版画や大津絵、上方の版画などでも使われていたといいます。ときどき色面がズレているところがあって、その素朴な味わいがまたいい。

縄屋版「阿蘭陀船図」
18-19世紀(江戸時代) 長崎歴史文化博物館蔵

大和屋版 「阿蘭陀船入津ノ図」
19世紀(江戸時代) 長崎歴史文化博物館蔵

長崎といえど、オランダ人は出島の中、中国人は唐人屋敷にいて、異国人の生活は滅多に見ることはできなかったので、異国人を描いた作品は見聞きした情報をもとに想像で描いて部分も多かったようです。 テーブルの上のフォークとナイフが鋤とサバイバルナイフのようだったり、妙ちくりんな外科手術の様子が描かれていたり、おかしな描写も少なくありません。

長崎版画は異国人の姿や風俗だけでなく、長崎に来航する帆船を描いた作品も人気があったみたいです。また、海外から幕府へ献上されるゾウやラクダなどを観る機会も多かったようで、当時としては珍しい異国の動物を描いた作品なんかもありました。

大和屋版「長崎八景 立山秋月」
19世紀(江戸時代) 神戸市立博物館蔵

江戸の人気浮世絵師・渓斎英泉の門人だった長崎出身の磯野文斎が長崎に戻った頃から、長崎版画のレベルも急に上がり、美人画や風景画といった江戸仕込みの作品だけでなく、多色摺の技術も広がります。「長崎八景」はそれまでの長崎版画とは違って異国趣味的な作品とは違う浮世絵風の名所絵で、長崎を客観的に見つめた文斎ならではの作品と解説されれていました。

幕末になってくると、長崎版画にも時事ネタ的な作品が増えてきます。イギリス人やロシア人が登場したり、蒸気船が描かれたり、貿易の独占を解かれたオランダ人を揶揄する絵もあったりしました。

川原慶賀 「長崎蘭館饗宴図」
19世紀(江戸時代) 個人蔵

肉筆の洋風画も点数が多く、とても興味深いものがありました。これまで知っている江戸時代の洋風画というと、秋田蘭画であったり、司馬江漢や亜欧堂田善であったりしますが、長崎の洋風画はまた独特というか、見知ってる江戸絵画と趣きを大きく異にするのに驚きます。オランダや中国を通して西洋絵画を観る機会にも恵まれていたのか、和洋折衷的とか、油彩画を独学で研究しました的なものとは異なるアプローチを感じます。オランダ風俗画を思わせる作品があったり、たとえば荒木如元の「蘭人鷹狩図」は近景から遠景にかけて狩りをする人々がブリューゲルを彷彿とさせます。

ほかにも英泉の門人・磯野文斎や、出島や唐人屋敷に出入りして唐物目利(舶来画等の鑑定)をしていたという石崎融思の肉筆画も印象的でした。皐錦春の「洋人散歩図」は構図が秋田蘭画を思わせ、蘇州版画に似た作品があるのか、秋田版画を参考にしたのか、気になるところです。

その中で一番インパクトがあったのが、実は長崎版画の版元・文錦堂の2代目店主という谷鵬紫溟の「唐蘭風俗図屏風」。右隻に中国人とその風俗、左隻にオランダ人とその風俗が描かれていて、執拗な描き込みもあれば、バランスの悪さもあり、巧いんだか下手なんだか分からないところがあるのですが、凄く面白い。蝶番も手書きしていたりします。左隻の遠景のオランダの家並みは何か西洋画を参考にしてるのでしょうか。江戸時代の洋風画でこういう描写は初めて観た気がします。
 
谷鵬紫溟 「唐蘭風俗図屏風」
19世紀(江戸時代) 福岡市博物館蔵

江戸から遠く離れているだけで、こんなに独自の絵画が発展していたというのも驚きですし、江戸絵画も随分いろいろ観ている気がしますが、観たことのない作品ばかりで衝撃的でした。ちょっと異色の江戸絵画が好きな人や洋風画に興味がある人には好奇心をくすぐるのに十分の展覧会だと思います。


【江戸に長崎がやってきた! 長崎版画と異国の面影】
2017年3月26日(日)まで
板橋区美術館にて

2017/03/18

高麗仏画

根津美術館で開催中の『高麗仏画展』を観てまいりました。

昨年秋に京都の泉屋博古館で開催され大変評判の良かった展覧会の巡回です。三井記念美術館の『東山御物の美』や静嘉堂文庫美術館の『よみがえる仏の美』で「水月観音図」を観て深く感動して以来、個人的にここ数年とても気になっていた高麗仏画。その高麗仏画をまとめて観られるとあり、大変楽しみにしていました。

高麗仏画とはその名のとおり、10世紀から14世紀にかけて朝鮮半島を支配した高麗国で制作された仏教絵のこと。しかし13世紀のモンゴルの高麗侵攻によりそのほとんどが失われたとされ、現存する高麗仏画はモンゴルと和議を結んだ1270年代から高麗が滅亡する14世紀末までの約120年間の作品に限られるといいます。現在確認されている高麗仏画は約160点で、その内の2/3が日本にあるのだそうです。

巡回とはいっても根津美術館での東京展は泉屋博古館の京都展とは出品作、また展示構成も少し違うようです。両方ご覧になられた方の話によると、京都展では仏画の素材や顔料、技法にもポイントが置かれていたようですが(図録を見ると、確かにそのあたりの解説が詳しい)、東京展ではほとんど触れられてなく、高麗仏画から読み解く高麗の仏教の特色、また仏画の図像や表現にフォーカスしている感じがしました。

東京展の構成は以下のとおりです:
写経事業の盛行 -信仰のかたち-
高麗仏画、この50年 -作品の研究と修復-
阿弥陀如来 -図像の表現の特色-
地蔵菩薩 -図様にみる継承と創造-
装飾経 -黄金へのこだわり-
水月観音 -高麗人が求めた慈愛のすがた-
観音菩薩 -高麗人の美意識の諧調-

「阿弥陀如来像」(重要文化財)
朝鮮・高麗時代 1306年 根津美術館蔵

現存する高麗仏画は阿弥陀如来像、観音菩薩像、地蔵菩薩像が多く、全体の8割近くを占めるといいます。その中で最も多いのが阿弥陀如来像。高麗仏画は日本でいえば鎌倉時代から南北朝時代にかけて、中国でいえば南宋から元の時代で、雰囲気的に鎌倉後期や南北朝時代の仏画に近いものを感じることもありますが、多くはやはり見慣れた日本の仏画とはずいぶん異なり、独特の印象を受けます。

「阿弥陀三尊像」
13~14世紀 法道寺蔵

阿弥陀如来像には独尊像のほかに、観音菩薩・勢至菩薩を脇侍に従える三尊像、阿弥陀如来を八体の菩薩様が取り囲む阿弥陀八大菩薩像があります。また阿弥陀如来が説法印を結んだ説法図と来迎印を結んだ来迎図があり、特に来迎図は蓮池の上に阿弥陀如来が立ち、日本の来迎図とは逆に左を向いているのが特徴。日本の来迎図は左上から阿弥陀如来が降臨するという構図が多いですが、高麗の来迎図に動的な感じはなく、阿弥陀如来が極楽浄土の入口で待っているという印象を受けます。

高麗仏画を観ていて、ずいぶん色がヴィヴィッドだなと思ったのですが、図録によると「他の色と混ぜ合わせることなく、彩度の高い原色のまま使用される」ことが多いのだそうです。また、阿弥陀如来の胸に卍印があったり、右の手のひらに千輻輪相が描かれていたりするのも日本の仏画では見ない気がします。

日本の阿弥陀如来像が浄土三部経(「観無量寿経」「無量寿経」「阿弥陀経」)の説く教えをもとにしているのに対し、高麗仏画では華厳思想と天台思想との結びつきが深く、そのため図像も大きく異なるのだそうです。たとえば阿弥陀三尊の勢至菩薩は日本ではシンプルに合掌してる姿が思い浮かびますが、高麗の勢至菩薩は片手に印璽、片手に火焔宝珠を持っていたりします。

「地蔵菩薩像」(重要文化財)
13~14世紀 円覚寺蔵

地蔵菩薩も日本とは異なり、頭に頭巾を被っていて、雰囲気がずいぶん違います。地蔵菩薩が頭を頭巾で覆うのは西域伝来の図様だそうで、被巾地蔵とか被幅地蔵と呼ばれるとのことでした。阿弥陀如来や地蔵菩薩の衣にある唐草円文も高麗仏画独特とか。

「水月観音像」(重要文化財)
14世紀 大徳寺蔵

徐九方筆 「水月観音像」(重要文化財)
1323年(至治3年・忠粛王10年) 泉屋博古館蔵

そして、水月観音像。大円光に包まれ、薄く透けるヴェールをまとい、水辺の岩座に半跏坐する厳かな姿はハッとするほど美しく、感動的ですらあります。流麗な線描、華麗な色彩、豪華な装身具、細緻な金泥文様や繊細なヴェールの表現といった装飾性の高さ。とりわけヴェールの表現は非常に高度で、ヴェールを透かして映る衣の色や模様、微妙な奥行き感は絵師の高い技術力を感じます。

なんといっても水月観音像の傑作として名高い大徳寺の「水月観音像」はあまりの素晴らしさに言葉を失いました。観音様の優美な姿もさることながら足元で拝む善財童子や男女、怪物、サンゴ、頭上の鳥といった描写、岩や波頭の表現など、ほかの作品と比べても非常に手が込んでいます。『東山御物の美』で拝見した伝・呉道子の「水月観音図」と構図や描かれているものが非常に酷似しているのも関係が気になるところです。

水月観音は手に柳の枝を持つか、柳の枝を挿した水瓶が描かれていることから日本では楊柳観音と呼ばれていますが、中国や朝鮮では水月観音というというのだそうです。泉屋博古館本や大徳寺本が基本的な構図のようですが、興味深かったのが浅草寺蔵の「水月観音像」で、水滴型の光背の中に観音様が立っているという、こういう仏画は観たことがありません。

慧虚筆 「水月観音図」
13~14世紀 浅草寺蔵

そのほか装飾経の美品も複数展示されているのですが、その非常に細密で豪華な見返し絵に驚きます。日本の装飾経の見返し絵とは異なり、余白を残すことなくビッシリと模様を描き込んでいて、これも日本ではまず見ないものだと思います。



京都展に観に行けなかったのが返す返すも悔やまれるのですが、東京では初めての高麗仏画の展覧会として貴重な機会ですし、優品揃いの大変素晴らしい展覧会でした。日本とは異なる美意識をもったユニークな仏画が多く、仏教図像学の面から見てもとても興味深いと思います。

根津美術館の2階のテーマ展示「更紗の魅力」もとても良かったのでオススメです。茶道具の包み布として使われた更紗の特集で、異国情緒感のある唐草文や草花文などの更紗と茶器の組み合わせが不思議にマッチして面白い。隣室の「大師会と根津青山」には伝・牧谿の「猿猴図」が出ていました。すごくかわいいですよ。


【高麗仏画 -香り立つ装飾美-】
2017年3月31日(金)まで
根津美術館にて


月刊目の眼 2016年12月号 (朝鮮半島の知られざる美の伝承 高麗の仏画と李朝の絵画)月刊目の眼 2016年12月号 (朝鮮半島の知られざる美の伝承 高麗の仏画と李朝の絵画)

2017/03/12

これぞ暁斎!

渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の『ゴールドマン・コレクション これぞ暁斎!』を観てまいりました。

(※3/25: 記事アップ後にブロガー特別内覧会に参加して、写真を撮らせていただいたので、画像を入れ替えて一部内容を改訂しています。)

本展は、世界屈指の暁斎コレクターとして知られるイギリスのイスラエル・ゴールドマン氏所蔵のコレクションで構成された展覧会。暁斎にハマった理由をゴールドマン氏は「暁斎は楽しいからですよ」と語っているそうで、なるほど展示されている作品もみんな楽しげなものばかり。

出品作は173点。その内60点近くが初出展だといいます。聞くところによると、暁斎コレクターとして有名な福富太郎氏から多くの作品がゴールドマン氏のもとへ渡っているのだとか。そのため一部は過去に“福富太郎コレクション”として紹介された作品も含まれているようです。

暁斎はここのところ2年おきに展覧会があって、おととし三菱一号館美術館で開催された『画鬼暁斎』も記憶に新しいところ。若冲の次は暁斎だなどとおっしゃってる方もいるようですが、近年ますます注目を集めているのは事実。そんな暁斎を知るにはうってつけの展覧会です。


序章 出会い-ゴールドマン・コレクションの始まり

まずはゴールドマン氏の暁斎コレクションのきっかけから話が始まるのですが、35年前に最初に購入した作品はわずか55ポンドだったとか。暁斎の作品は海外に多く流出しているといわれますし、大英博物館で展覧会があったりと相変わらず海外での人気も高いようですが、当時は考えられないような安さで売られていたのですね。

[写真左] 河鍋暁斎 「象とたぬき」 明治3年(1870)以前
[写真右] 河鍋暁斎 「鯰の曳き物を引く猫たち」 明治4-22年(1871-89)

「象とたぬき」はゴールドマン氏が暁斎の作品蒐集を始めるきっかけとなった一枚。一度売ってしまったけれど、忘れられず買い戻したのだそうです。薄墨の速筆で描いた象と墨で塗りつぶしたようなタヌキ。暁斎の即興的な味わいが愉しめます。「蛙の学校」も素早い筆致を活かしたコミカルな作品。暁斎の作品は往々にして、ささっと軽く描いているようなのに線やその形が的確なのに唸ります。ナマズの髭を猫が山車のように引っ張っていく「鯰の曳き物を引く猫たち」も可笑しい。


第1章 万国飛-世界を飛び回った鴉たち

暁斎の名を知らしめた傑作と言われるのが、第2回内国勧業博覧会で妙技2等賞牌(日本画の最高賞)を受賞した「枯木寒鴉図」。当時としては破格の百円で売りに出し、日本橋・榮太樓の主人が購入して大変話題になったといいます。暁斎のもとには恐らく相当注文が殺到したのか、「枯木寒鴉図」を模した作品をたくさん描いていたようで、ゴールドマン・コレクションには鴉の掛幅だけで30幅近くあるのだとか。

[写真右から] 河鍋暁斎 「枯木に鴉」 「枯木に夜鴉」「枯木に鴉」「烏瓜に二羽の鴉」
明治4-22年(1871-89)

「枯木寒鴉図」は『画鬼暁斎』で拝見しましたが(本展には出品されていません)、ほぼ同構図のものや、背景が藍色になっているもの、複数の鴉が枝にとまるものなど、似た構図の作品が複数展示されています。ほかにも4幅対の作品や団扇絵、版画など、この一角すべてが鴉、鴉、鴉。どんだけ鴉の絵を描いたんでしょうか、暁斎は。


第2章 躍動するいのち-動物たちの世界

暁斎に動物の絵はほんと多い。擬人化した戯画もあれば、狩野派譲りの技巧を凝らした作品もあって、そのレパートリーの広さ、発想の豊かさ、筆の自在さは天才的です。そして一様にどれもかわいい。

[写真左] 河鍋暁斎 「枇杷猿、瀧白猿」 明治21年(1888)

対幅の「枇杷猿、瀧白猿」は狩野派というより円山四条派を思わす一枚。暁斎は応挙の写実も研究していたようで、恐らく応挙の虎を模写したのだろうと思われる作品もありました。

[写真左から] 河鍋暁斎 「眠る猫に蝶」「ねずみと大根」「動物の曲芸」
明治4-22年(1871-89)

動物が曲芸をする様を描いた戯画が複数あって、「動物の曲芸」は綱渡りしながら三番叟を舞うコウモリや空中ブランコをするモグラなどが面白おかしく描かれています。イソップ物語を描いたという「鳥と獣と蝙蝠」や鳥獣戯画風の「虎を送り出す兎」、猫好きにはたまらない「岩に猫」など、暁斎のユーモアセンスに頬も緩みっぱなしです。

[写真左] 河鍋暁斎 「雨中さぎ」 制作年不詳

個人的に素晴らしいと思ったのは、象を正面からとらえた「象」と、黒地に白サギを描き、雨の線が背景の色に合わせて反転する「雨中さぎ」 。大胆な構図、洗練されたデザインセンス。この人ただ者ではないなと改めて感じました。


第3章 幕末明治-転換期のざわめきとにぎわい

暁斎が活躍したのは幕末から明治にかけて。暁斎の作品にも西洋人や蒸気船といった新しい時代を感じさせるものがよく描かれているのですが、狩野派など伝統的な流派の絵師でこうした絵を描いたのは暁斎が初めてといいます。そもそも暁斎は国芳にも弟子入りしてますし、新奇なものを描くのに何のためらいもなかったのかもしれません。

[写真左から] 河鍋暁斎 「船上の西洋人」「各国人物図」 明治4-22年(1871-89)
「上野の教育博物館と第二回内国勧業博覧会」 明治14年(1881)

[写真左から] 河鍋暁斎 「名鏡倭魂 新板」 明治7年(1874)
「不可和合戦之図」 明治10年(1877)

「名鏡倭魂 新板」は国芳を彷彿とさせる大判3枚続の錦絵ですが、よく見ると、鏡の輝きに退散する化け物の中に西洋人を風刺したと思われるものもいたりします。磔刑のキリストのまわりで三味線や笛・太鼓を囃し立てる釈迦や老子、孔子らを描いた「五聖奏楽図」や、大仏の顎の上で助六が見得を切る「大仏と助六」など、ただ単に当時の社会や世相を風刺したり、話題の出来事を題材にしたりというのではなく、その発想というかイマジネーションが完全に斜め上を行っています。

[写真左から] 河鍋暁斎 「墨合戦」「大仏と助六」「五聖奏楽図」
明治4-22年(1871-89)

暁斎は明治に入る頃から亡くなるまで絵日記を書いていたそうですが、ほとんど手元に残さず、欲しがる人に譲ってしまったのだとか。暁斎のもとに弟子入りした英国人コンドル(コンダー)のことも触れられていたりして貴重な資料です。ほかにも『暁斎漫画』や『暁斎画談』など冊子の展示も豊富。

[写真上から] 河鍋暁斎 「書画会」 明治4-22年(1871-89)
「暁斎絵日記」 明治15-16年(1882-83)、「暁斎絵日記」 明治21年(1888)


第4章 戯れる-福と笑いをもたらす守り神

鍾馗や鬼、七福神は厄除けだったり縁起ものだったり、暁斎作品によく登場するキャラクター。似た構図で鍾馗を描いた作品がいくつか並んでいましたが、その中でも「鍾馗と鬼」はひと際大きく、豪放で勢いのある筆遣いが目を惹きます。中には蹴鞠のように鬼を蹴り上げる鍾馗の絵もあったりして、遊び心を忘れないのも暁斎らしいところ。

[写真左から] 河鍋暁斎 「鍾馗と鬼」「鬼を持ち上げる鍾馗」 明治4-22年(1871-89)
「鍾馗と鬼」 明治15年(1882)

ここでは春画のコーナーも。『画鬼暁斎』でも暁斎の春画・笑い絵が紹介されていましたが、本展の方が点数は多く、展覧会での自主規制もだんだん緩くなってきたのかなと感じます。暁斎の春画は笑いの要素が強く、そのユーモアあふれる描写はエロマンガ的な楽しさがありますが、「連理枝比翼巻」には軍装姿の男性が女性と交わり、外国人が遠目で冷やかす様子が描かれていて、笑いの中にも毒を盛っているところが暁斎らしい。笑えるといっても一部過激な性描写が含まれる作品もあるので、苦手は人はご覧にならない方がいいかも。


第5章 百鬼繚乱-異界への誘い

暁斎スゲー!と思わず叫びたくなるのが“地獄太夫”。本展には立ちポーズと座りポーズの2つの「地獄太夫と一休」が出ています。立ちポーズの方はこれまで『肉筆浮世絵 美の競演』(ウェストン・コレクション蔵)や『ダブルインパクト』(ボストン美術館蔵)で観たものとほぼ同構図。本展で展示されている作品は京博の『河鍋暁斎展』(未見)で福富太郎コレクションとして出品されたものと同じようですね。

座りポーズはアレンジバージョンのようで、打掛に描かれている地獄絵や閻魔様の図柄が細かい。地獄太夫は余程人気があったのか、一休和尚との組み合わせ以外にも閻魔大王との組み合わせなんかもあって、いろんなパターンが存在しているようです。

[写真左から] 河鍋暁斎 「地獄太夫と一休」「地獄太夫と一休」
明治4-22年(1871-89)

あれ、これ観たことあるな、と思ったら、藝大美術館の『うらめしや~、冥途のみやげ展』に出てた「幽霊図」(下の写真一番右)でした。そう、ゴールドマン氏はこの絵の所有者でもあったのですね。「狂斎」時代の作品で、妻の臨終時のスケッチをもとに描いたといわれています。暗闇の中からボワーッと現れたような光と影の描写が秀逸です。面白かったのが「幽霊に腰を抜かす男」で黒い墨を刷いただけのボワッとした物体にビビる男の姿が笑えます。

[写真左から] 河鍋暁斎 「幽霊に腰を抜かす男」 明治4-22年(1871-89)
「幽霊図」 慶応3年(1867)、「幽霊図下絵」「幽霊図」 慶応4/明治元-3年(1868-70)頃

ほかにも地獄や化け物を描いた作品がいくつかあったのですが、白眉は右隻に無邪気に戯れる妖怪を、左隻に火の玉から逃げ惑う妖怪を描いた「百鬼夜行図屏風」。百鬼夜行図というと絵巻などに妖怪や化け物がこまごまと描かれているものを観ることはありますが、ここまで大きな屏風は初めて観ました。注文主がどんな人だったのかも気になります。

河鍋暁斎 「百鬼夜行図屏風」 明治4-22年(1871-89)


第6章 祈る-仏と神仙、先人への尊崇

暁斎というと戯画や諷刺画の印象が強くて、あまり仏画や禅画のイメージがありませんが、最後にそんな暁斎の知られざる一面を取り上げています。伝統的な禅画のスタイルに挑戦した「半身達磨」など達磨や観音様の作品が並ぶ中で、「寒山拾得」は暁斎らしい滑稽味が感じられて好き。

[写真右] 河鍋暁斎 「瀧見観音」 明治4-22年(1871-89)

[写真左から] 河鍋暁斎 「霊昭女」 明治17年(1884)
「寒山拾得」 明治4-22年(1871-89)

ほかにも珍しいものでは暁斎の山水画や中国の画題に取り組んだ作品なども出ています。戯画や風刺画など、どちらかというとコミカルな作品、ふざけた作品が取り上げられがちな暁斎ですが、仏画や中国画風の作品などを見ると、真摯に絵に取り組んでいたことがよく分かりますし、幅広い画題、自在な画技につくづく凄い人だなと感心します。

[写真左から] 河鍋暁斎 「李白観瀑図」 明治4-22年(1871-89)
「中国山水図」 明治4年(1871)、「雨中山水図」 明治17年(1884)

まさに垂涎のコレクションといった感じで、期待を裏切らない面白さでした。Bunkamura ザ・ミュージアムは金曜・土曜は夜9時まで夜間開館してるので、仕事帰りや食事の後でもゆっくり鑑賞できるのが嬉しいですね。


※展示会場内の写真は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。


【ゴールドマン・コレクション これぞ暁斎!】
2017年4月16日(日)まで
Bunkamura ザ・ミュージアムにて


暁斎春画 -ゴールドマン・コレクション暁斎春画 -ゴールドマン・コレクション

2017/03/11

日本画の教科書 東京編

山種美術館で開催中の『日本画の教科書 東京編 -大観、春草から土牛、魁夷へ』を観てまいりました。

前回展の『日本画の教科書 京都編』につづく“東京編”。“京都編”に行けなかったのが返す返すも残念なのですが、“東京編”も“山種コレクション名品選”と銘打つだけあり、錚々たる画家の優品が並びます。

東京画壇の中心は東京美術学校であり、日本美術院であり、文展であり、院展であり、いわば日本画の近代化の中で重要な役割を果たしたところ。東京画壇は近代日本画のメインストリームと言ってしまっていいかもしれません。

作品は明治から戦後まで幅広くあって、何度か観ている作品も多いのですが、個人的に初見の作品も結構ありました。年に何度も足を運んでいても、まだまだ初めて観る作品があるし、来るたびに新しい発見があります。


会場の入ってすぐのところには松岡映丘の「春光春衣」。比較的大きな掛軸の画面をいっぱいに使った、雅やかで華やかな春の光景が目を惹きます。王朝絵巻をトリミングしたような大胆な構図も印象的。映丘らしい美的世界にうっとりします。近くに展示されていた映丘の「山科の宿」もまた見事。『今昔物語』の「斉藤内大臣語」に取材したもので、自然や建物は淡い色彩なのに対し、人物はやや濃いめに描かれていて、人物描写がより引き立っている感じがします。

松岡映丘 「春光春衣」
大正6年(1917) 山種美術館蔵

小堀鞆音 「那須宗隆射扇図」
明治23年(1890) 山種美術館蔵

明治中期に急速な欧化主義の反動として見直された歴史画。橋本雅邦と小堀鞆音が紹介されています。鞆音の「那須宗隆射扇図」は弓の達人・那須与一が源平合戦で平家方の舟の上の扇の的を射落すという有名な逸話を描いた作品。近景と遠景を大胆に描き分けた構図が斬新で、雄々しさと躍動感が画面から伝わってきてカッコいい。

菱田春草 「月四題より『春』『秋』」
明治42-43年(1909-10) 山種美術館蔵

大観、春草らの日本美術院の画家を取り上げた展覧会はここ山種美術館でもたびたび開催されていますが、今回展示されている中で典型的な朦朧体は春草の「月四題」と「釣帰」ぐらい。大観も2点ありますが、いずれも昭和に入ってからのもの。今村紫紅の「大原の女」は建礼門院を描いた作品。背景のすすき野の描写は琳派を参考にしているのでしょうか。青々とした色合いは南国の草のようにも見えます。下村観山は代表作の「老松白藤」。堂々とした松は男性、寄り添うように松に這う藤は女性を表しているのだとか。

西郷弧月 「台湾風景」
明治45年(1912) 山種美術館蔵

大観・観山・春草と並び四天王と呼ばれた西郷孤月の「台湾風景」は初めて観ました。どちらかというと水墨画で、繊細な空気感の表現に長けた画家というイメージがあったのですが、こういう絵も描いていたのですね。解説によると亡くなる直前に描いた最期の作品の一枚だそうです。

渡辺省亭 「月に千鳥」
20世紀(明治~大正時代) 山種美術館蔵

最近名前を聞くことの多い渡辺省亭の作品も。「葡萄」は籠の外に落ちたのか落とされたのか、ネズミがブドウを食べようとする様が面白い。「月に千鳥」は三幅対の1枚(他の二幅の展示は今回なし)。月夜の静謐さと千鳥の悠然とした姿が何ともいえません。


小林古径 「清姫より『日高川』『鐘巻』」
昭和5年(1930) 山種美術館蔵

古径の「清姫」がまた素晴らしい。能楽や歌舞伎などの“道成寺物”としてもよく知られる安珍・清姫伝説を描いた8点から成る作品で、本展ではその内4点が出品されています。「日高川」は蛇体と化した清姫が日高川へ飛び込む場面。「鐘巻」は「道成寺」のクライマックス。筆致も古径らしく、幻想的な世界に引き込まれます。

落合朗風 「エバ」
大正8年(1919) 山種美術館蔵

今回とても印象に残ったのが『旧約聖書』の「創世記」を題材にしたという落合朗風の「エバ」。大正時代にしてはかなり革新的な日本画という感じがします。実際、発表当時もセンセーショナルな作品として物議を醸したのだそうです。本展の出品作で同時代の作品に映丘の「春光春衣」がありますが、復古やまと絵とアンリ・ルソー風の新時代的な日本画がほぼ同じ時代に描かれていたというのも興味深かったです。実は本展と同日に拝見した野間記念館の『色紙「十二ヶ月図」の美世界展』にも落合朗風の作品があって、そちらと趣きが異なるのも驚きでした。

川合玉堂 「早乙女」
昭和20年(1945) 山種美術館蔵

戦後の作品では、横山操の「越後十景」(内2点のみ展示)が印象的でした。瀟湘八景を翻案したもので、墨の濃淡だけでなく、胡粉や金銀泥を効果的に使用し、独特の絵造りに成功しています。

そのほか明治から戦前にかけての作品では、川合玉堂の「早乙女」や速水御舟の「昆虫二題」、荒木十畝の「四季花鳥」、戦後では前田青邨の「大物浦」、奥村土牛の「鳴門」、片岡球子の「鳥文斎栄之」、小倉遊亀の「涼」など、さらには先日まで久しぶりの回顧展があったばかりの加山又造など、好きな作品を挙げたら切りがないのですが、山種美術館が誇る名品選に相応しい内容になっていました。

奥村土牛 「鳴門」
昭和34年(1959) 山種美術館蔵

本展は4月中旬まで続くので、桜が描かれた作品など春を感じる作品もいくつかありました。美しい日本画を愛で、ひと足早い春を愉しむ。これからの季節にちょうどいい展覧会だと思います。


  
山種美術館といえば日本画にちなんだ和菓子をいただける≪Cafe 椿≫。今回は、源平屋島合戦を描いた小堀鞆音の「那須宗隆射扇図」をイメージした「かぶや矢」をいただきました。中が胡麻あんで美味しかったです。


【開館50周年記念特別展 山種コレクション名品選Ⅳ 日本画の教科書 東京編 -大観、春草から土牛、魁夷へ】
2017年4月16日(日) まで
山種美術館にて


渡辺省亭: 花鳥画の孤高なる輝き渡辺省亭: 花鳥画の孤高なる輝き