今年も早いもので最後の一日となりました。
ここのところ、今年一番良かった展覧会は何だったか、自分のブログを読み直したり、図録を読み返したり、早くもベスト10をツイートしている人のランキングを眺めたりしていたのですが、これも毎度のことで、まーぁ決まらない決まらない。これは入れたい、これは外せない、の繰り返しで全然10本に収まりません。無理矢理なんとか10本に絞ったというところです。
今年は拙ブログで63の展覧会を紹介することができました。観に行った展覧会自体も例年に比べて減ったのですが、折角観たのにブログに公開できていないものも多く、いまだ10数本が下書きのまま。さすがに観てから1ヶ月以上経つとひとつひとつの作品の細部もおぼろげになり、観たときの感動も薄れてしまうとブログを書くのもままならなくなり・・・。
時間を作るのもなかなか苦労し、観られる展覧会の本数にも限りがあるので、わたしの場合、日本美術を中心に、興味ある西洋美術、現代美術を観るというパターンがだんだん強くなってるというか、敢えてそちらにシフトしてるところがあります。選んで観てるというのもありますが、今年もたくさんの良質な展覧会に出会うことができました。
もともと仏像が好きで日本美術に興味を持つようになった経緯があるので、今年は念願の運慶・快慶の展覧会を観ることができたのが個人的には最大のトピックでしょうか。ここ数年関心を持っていた中国絵画、高麗仏画も拝見することもできました。これまでなかなか一堂に観ることの叶わなかった絵師の展覧会、全く知らなかった画家の発見、いろいろと勉強になることの多い一年でした。
で、2017年のベスト10はこんな感じです。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
1位 『快慶展』(奈良国立博物館)
やはり仏像好きとしては今年はなんといっても運慶・快慶。もちろん『運慶展』も十分に素晴らしかったのですが、これは好みの問題もあるかもしれませんが、わたしは敢えて『快慶展』。割とざっくりとした構成だった『運慶展』とは対照的に、『快慶展』は構成も細かに大変良く練られていて、多角的な視点で快慶仏を取り上げ、その魅力をぐっと引き出してくれました。絵画的ともいわれる快慶仏の洗練された造形、繊細さ、美しさにはただただ見惚れるばかり。至福のひとときでした。
2位 『高麗仏画』(根津美術館)
昨年秋の泉屋博古館(京都)で開催されたときに観に行けなかったのが悔やまれるのですが、念願叶って観ることのできた高麗仏画。その素晴らしさは想像以上。特に大徳寺の「水月観音像」の崇高な美しさには言葉を失いました。見慣れた日本の仏画とはずいぶん異なるというか、日本とは異なる美意識をもったユニークな仏画が多く、仏教図像学の面から見ても興味深く感じました。出品数こそ多くはありませんが、現存数の少ない高麗仏画がこれだけ集まるというのも大変貴重だったと思います。
3位 『絵巻マニア列伝』(サントリー美術館)
ちょうど昨年、高岸輝氏の『室町絵巻の魔力-再生と創造の中世』という本を読んでいて、室町絵巻を観たい熱がふつふつと湧いていたときにタイミングよく観ることができたこともあって感激もひとしお。本を通して知った絵巻の現物をあれもこれも目の当たりにすることができ、ワクワクしながら観てました。“絵巻マニア”という視点で構成したところもミソというかツボというか。テーマの選び方や見せ方にサントリー美術館らしさが良く出ていたと思います。絵巻マニアならずとも興奮する楽しい展覧会でした。
4位 『海北友松展』(京都国立博物館)
海北友松の素晴らしさ、こんなに凄い絵師だったのかという衝撃もあるのですが、何よりも日本美術に余程関心がないと知らないような絵師に光を当て、ここまで深く掘り下げていることにとても感動しました。人生の大半を狩野派に捧げ、隠居するような年齢になってから疾風の如く活躍したわけですが、晩年にこれだけの作品を残したことは奇跡だと思いますし、老いてますます冴えわたる墨技と老練な筆から滲み出る枯淡の趣は驚くばかり。「雲龍図」を照明を落とした部屋で見せたり、「月下渓流図屏風」を最後に持ってきたりという空間構成も良かったです。友松に正統な評価を与える意義深い展覧会だったと思います。
5位 『長沢芦雪展』(愛知県美術館)
個人的に芦雪は好きでも嫌いでもなく、芦雪の良さをいまひとつ分かりかねていたのですが、今回の展覧会で印象が変わったというか、わたしの中の評価がガラリと変わりました。芦雪の代表作が揃いに揃ったという点もありますし、無量寺の障壁画の再現展示や全体の構成も素晴らしく、大変満足度の高い展覧会でした。奇想の絵師というけれど、人を楽しませるウィットや、動物や子供に向けた眼差しからは何となく芦雪の優しい人柄も伝わってくるようでした。円山派の枠に縛られない芦雪の破天荒な魅力にゾッコンになりました。
6位 『狩野元信展』(サントリー美術館)
狩野派好きとしては待ちに待った展覧会。国内外に現存する元信筆・工房作とされる作品が一堂に揃っただけでなく、途中に中国絵画を持ってきて、真・行・草を展観し、やまと絵にも触れるという構成もよく整理され、かつ大変興味深い内容になっていました。サントリー美術館はいつものことですが、会期中展示替えが細かく、結局5回足を運びました。元信クラスの規模の展覧会は、できれば京博(トーハクはやらないだろうから)のような大きなハコでやってもらいたかったなと思います。
7位 『不染鉄展』(東京ステーションギャラリー)
どうしてここまで優れた技術を持つ画家が評価されることもなく長く忘れられていたのか。とても不思議に思うほど、大変素晴らしい展覧会でした。繊細な筆致で描かれた郷愁いざなう農村や漁村の風景や、絵と一緒にこまごまと綴られた思い出もとても感動的だったのですが、晩年の絶壁の孤島や孤高の海を描いた一連のモノトーンの作品群に完全にやられました。衝撃という意味では今年一番だったかもしれません。
8位 『オルセーのナビ派展』(三菱一号館美術館)
西洋美術からは一つだけ、『オルセーのナビ派展』。ナビ派が好きというのもありますが、ナビ派に絞って単独でしっかり取り上げてくれたことと、パリでもここまでの展覧会は開かれたことがないというぐらいの充実した内容に感動しました。ナビ派と一言でいっても、実は幅があり、ゴーギャン影響下での誕生から、象徴主義、アンティミスム、神秘主義に至るまで、分かっているようで分かっていなかったナビ派をより深く知ることができました。
9位 『典雅と奇想』(泉屋博古館分館)
静嘉堂文庫美術館の『あこがれの明清絵画』とセットで取り上げたいところでもあるのですが、泉屋博古館分館の『典雅と奇想』にはちょっと度肝を抜かれたというか、中国絵画をなめたらいけないと痛感しました。奇想派をこれだけまとめて観たのも初めてですし、奇想派の山の造形もさることながら、こんなにも筆法がバラエティに富んでるとは思いませんでした。本場の文人画は奥行きが違うというか、墨技やその味わい一つとってもさまざまな表情があるし、脱俗的な日本の南画とは違ってガツンと来ました。前期展示を観に行けなかったのが返す返すも残念。
10位 『日本におけるキュビスム - ピカソ・インパクト』(埼玉県立近代美術館)
キュビズムが与えた影響とその受容を多様な作品を通して知ることができ、大変興味深い展覧会でした。萬鐵五郎や大正新興美術運動としてのキュビズムは少し見ていたつもりですが、ここまで徹底してると、これまで表面的にしか見ていなかったことに気づかされました。キュビズムといっても戦前と戦後では様相は異なり、バラエティに富んでいた戦前に対し、戦後はまさしく“ピカソ・インパクト”一色で、どれだけピカソの与えた衝撃が大きかったのかも実感でき、とても面白く感じました。
泣く泣く圏外となったものでは、やはり今年を代表する展覧会の一つ『運慶展』、これも充実した内容で良かった『雪村 奇想の誕生』、企画された方々の意気込みにも惚れた『蘇る!孤高の神絵師 渡辺省亭』があります。今もどこかに入れられないかと思うほど。
今年は何度か関西にも足を運び、東京には巡回のない展覧会も観てきましたが、ただただ圧倒された『国宝展』と裏国宝展的な面白さのあった『末法展』も良かったですし、50年ぶりという『柳沢淇園展』は観に行かなかったら物凄く後悔したでしょうし、話題にはなりませんでしたが『勝部如春斎展』も意外と面白かったです。京都の『木島櫻谷 近代動物画の冒険』と『木島櫻谷の世界』も素晴らしかったのですが、主だった作品は過去の展覧会で観ていたので今回は選外としました。
そのほか印象に残った展覧会としては、日本美術・洋画・工芸では、『岩佐又兵衛と源氏絵』、『並河靖之七宝展』、『川端龍子展』、『萬鐵五郎展』、『鈴木春信展』、『北野恒富展』、西洋美術では、『ミュシャ展』、『ソール・ライター展』、『ジャコメッティ展』、『アルチンボルド展』(以上観た順)といったところでしょうか。茶の湯ブーム(?)にのって、『茶の湯展』、『茶碗の中の宇宙』で観た茶碗・茶道具も眼福でした。企画ものとしては、『長崎版画と異国の面影』、『ガラス絵 幻惑の200年史』も非常に興味深い内容だったと思います。
やはりいいなぁと思う展覧会はどれも、学芸員やキュレーターの方々の努力や苦労が偲ばれるものばかりで、そうした思い入れの深さは展覧会の素晴らしさにちゃんと反映されるのだと思います。
ちなみに今年アップした展覧会の記事で拙サイトへのアクセス数は以下の通りです。
1位 『オルセーのナビ派展』
2位 『岩佐又兵衛と源氏絵』
3位 『快慶展』
4位 『蘇る!孤高の神絵師 渡辺省亭』
5位 『アルチンボルド展』
6位 『加山又造展 生命の煌めき』
7位 『日本におけるキュビスム - ピカソ・インパクト』
8位 『奇想の絵師 岩佐又兵衛 山中常盤物語絵巻』
9位 『これぞ暁斎!』
10位 『川端龍子展』
今年も一年間、こんな拙いサイトにも関わらず、足をお運びいただきありがとうございました。来年は個人的にやりたいこともあって、展覧会を観に行けてもブログを書く時間が取れないのではないかとちょっと危惧してます。しばらく更新が滞ることがあるかもしれませんが、ときどき覗いてやってください。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
【参考】
2016年 展覧会ベスト10
2015年 展覧会ベスト10
2014年 展覧会ベスト10
2013年 展覧会ベスト10
2012年 展覧会ベスト10
美術展ぴあ2018 (ぴあMOOK)
2017/12/31
2017/12/26
熊谷守一 生きるよろこび
東京国立近代美術館で開催中の『熊谷守一展』を観てまいりました。
本展は熊谷守一の没後40年を記念しての展覧会。10年前の埼玉県立近代美術館の『熊谷守一展』や、4年前の豊島区立熊谷守一美術館の『熊谷守一美術館30周年展』などこれまでもたびたび守一の展覧会はありましたが、200点超のここまで大規模な回顧展は初めてではないでしょうか。
熊谷守一は個人的にも大好きな画家で、植物や昆虫、猫といった身近なモチーフを描いた親しみやすさ、アートアートした堅苦しさのないところが人気の秘密だと思うのですが、これだけ数が集まると大画家然とした感じが出て面白いですね。暗い色調の初期、フォーヴィズムやナビ派の影響を受けた中期、どんどんミニマル化してく晩年、それぞれ作品が充実していて見応えがあります。
1 闇の守一:1900-10年代
守一は東京美術学校で黒田清輝の指導を受けたそうで、初期は清輝が力を入れていた人体デッサンに基づく裸婦像を中心とした作品が並びます。晩年の明るい作品とは全然違って、どれも茶や黒が主体の薄暗い作品ばかり。どこかおびえたような不安げな表情が印象的な自画像「蝋燭」のように、暗闇のなか微かな灯りでようやくニュアンスが感じ取れるといった作品が多くあります。画風は変遷すれど、守一は闇と光というテーマに生涯取り組みつづけていて、本展でも構成の主要な軸をそこに置いています。
その中で、注目される作品が「轢死」。保存状態の問題から滅多に公開されない守一の代表作の一つです。絵具の油脂分が原因で劣化が進み、画面はほぼ全体が真っ黒で何が描かれてるか分からない程。誰かが横たわっているんだろうなということは何となく分かりますが、目を凝らしても細部は全く見えません。「轢死」は守一の中でも重要な位置を占め、“死”というテーマとともに、その後何度か焼き直し描かれます。
2 守一を探す守一:1920-50年代
フォーヴィズムに触発され、厚塗りで粗いタッチの作品が現れます。この時代は模索の時代というんでしょうか、画風は一定せず、とりたてて個性的なわけでも傑出しているわけでもなく、特筆する作品は多くありません。ただ、後年の明るい色彩と単純化された形への展開を考える上でいろいろ興味深いものがあります。
守一は5人の子供に恵まれますが、生活は苦しく、次男・陽が病気になったときも医者にみせることができず子供を死なせてしまいます。守一は陽の死顔を描いているうちに“絵”を描いている自分に気づき、自分が嫌になったと語ったといいます。絵具を乱暴に塗りたくったようなタッチとそのまま途中で止めた塗り残しからは我が子を失った守一の無念さと激しい感情が伝わってくるようです。
「轢死」をふまえて描かれたという「夜」は黒くて全体が分からなかった「轢死」がどういう作品だったかをイメージさせてくれます。「夜の裸」は構図的には「轢死」や「夜」の延長線上にある作品だと思いますが、一方で、闇と光というテーマの中で、闇の中の逆光の表現として赤い輪郭線が現れているという点でとても興味深い作品です。
やがて赤く太い輪郭線や少ない色数の色面で構成された作品にシフトして行きます。ちぎり絵やパッチワークのような作品、山や海、牧歌的な風景画など、まるでナビ派の作品を観るような感じがします。マティスぽい作品やゴーギャンを思わせる作品、ポール・セリュジェに似た作品など、西洋画の影響を受けたと思われる作品もいくつかあって、守一が実際に参考にしたとされる作品がパネルで紹介されていたりします。
3 守一になった守一:1950-70年代
「ヤキバノカエリ」は結核で21歳で他界した長女・萬の遺骨を抱いて帰る家族3人を描いた作品。フォーヴィズムの画家アンドレ・ドランの「ル・ペックを流れるセーヌ川」を下敷きにしていると解説されていました。「轢死」にしても「陽が死んだ日」にしても「ヤキバノカエリ」にしても、守一の画風の変遷を語る上で鍵となる作品が死をテーマにしているのは何故なのか。死んで横たわる人の絵を縦にすると生き返ったように見えると、長女の死顔を縦に描いた「萬の像」は観ていて辛いものがあります。
普段なんとなく守一の作品を観てたときは気付かなかったのですが、彩度の低い中間色に明度の高い色をアクセントに入れたり、青地に赤の補色を使ったり、色彩の捉え方に高度な工夫がされていることを知りました。守一の赤い輪郭線が逆光の表現から生まれたという指摘がありますが、ナビ派が写実主義を否定し、印象派の光の表現に反対したところから生まれたのに対し、守一は単純化してもモノの本質は失われないし、光は表現できるという点で、アプローチがそもそも違うんだろうなと思ったりしました。
守一といえば、猫。会場の一角に猫の絵がずらーっと並んだ一角があって、猫好きにはたまりません。猫にしても虫にしても花や草にしても雨滴にしても、極限まで単純化しているのに生き生きと見える不思議さ。独特の観察眼で対象の本質を掴んでいるといえば簡単ですが、何を描き何を省略するか、守一が描き出すユニークな世界に魅了されっぱなしです。
【没後40年 熊谷守一 生きるよろこび】
2018年3月21日(水・祝)まで
東京国立近代美術館にて
へたも絵のうち (平凡社ライブラリー)
本展は熊谷守一の没後40年を記念しての展覧会。10年前の埼玉県立近代美術館の『熊谷守一展』や、4年前の豊島区立熊谷守一美術館の『熊谷守一美術館30周年展』などこれまでもたびたび守一の展覧会はありましたが、200点超のここまで大規模な回顧展は初めてではないでしょうか。
熊谷守一は個人的にも大好きな画家で、植物や昆虫、猫といった身近なモチーフを描いた親しみやすさ、アートアートした堅苦しさのないところが人気の秘密だと思うのですが、これだけ数が集まると大画家然とした感じが出て面白いですね。暗い色調の初期、フォーヴィズムやナビ派の影響を受けた中期、どんどんミニマル化してく晩年、それぞれ作品が充実していて見応えがあります。
1 闇の守一:1900-10年代
守一は東京美術学校で黒田清輝の指導を受けたそうで、初期は清輝が力を入れていた人体デッサンに基づく裸婦像を中心とした作品が並びます。晩年の明るい作品とは全然違って、どれも茶や黒が主体の薄暗い作品ばかり。どこかおびえたような不安げな表情が印象的な自画像「蝋燭」のように、暗闇のなか微かな灯りでようやくニュアンスが感じ取れるといった作品が多くあります。画風は変遷すれど、守一は闇と光というテーマに生涯取り組みつづけていて、本展でも構成の主要な軸をそこに置いています。
熊谷守一 「蝋燭」
明治42年(1909) 岐阜県美術館蔵
明治42年(1909) 岐阜県美術館蔵
その中で、注目される作品が「轢死」。保存状態の問題から滅多に公開されない守一の代表作の一つです。絵具の油脂分が原因で劣化が進み、画面はほぼ全体が真っ黒で何が描かれてるか分からない程。誰かが横たわっているんだろうなということは何となく分かりますが、目を凝らしても細部は全く見えません。「轢死」は守一の中でも重要な位置を占め、“死”というテーマとともに、その後何度か焼き直し描かれます。
2 守一を探す守一:1920-50年代
フォーヴィズムに触発され、厚塗りで粗いタッチの作品が現れます。この時代は模索の時代というんでしょうか、画風は一定せず、とりたてて個性的なわけでも傑出しているわけでもなく、特筆する作品は多くありません。ただ、後年の明るい色彩と単純化された形への展開を考える上でいろいろ興味深いものがあります。
熊谷守一 「人物」
昭和2年(1927) 豊島区立熊谷守一美術館蔵
昭和2年(1927) 豊島区立熊谷守一美術館蔵
守一は5人の子供に恵まれますが、生活は苦しく、次男・陽が病気になったときも医者にみせることができず子供を死なせてしまいます。守一は陽の死顔を描いているうちに“絵”を描いている自分に気づき、自分が嫌になったと語ったといいます。絵具を乱暴に塗りたくったようなタッチとそのまま途中で止めた塗り残しからは我が子を失った守一の無念さと激しい感情が伝わってくるようです。
熊谷守一 「陽の死んだ日」
昭和3年(1928) 大原美術館蔵
昭和3年(1928) 大原美術館蔵
「轢死」をふまえて描かれたという「夜」は黒くて全体が分からなかった「轢死」がどういう作品だったかをイメージさせてくれます。「夜の裸」は構図的には「轢死」や「夜」の延長線上にある作品だと思いますが、一方で、闇と光というテーマの中で、闇の中の逆光の表現として赤い輪郭線が現れているという点でとても興味深い作品です。
熊谷守一 「夜の裸」
昭和11年(1936) 岐阜県美術館寄託
昭和11年(1936) 岐阜県美術館寄託
やがて赤く太い輪郭線や少ない色数の色面で構成された作品にシフトして行きます。ちぎり絵やパッチワークのような作品、山や海、牧歌的な風景画など、まるでナビ派の作品を観るような感じがします。マティスぽい作品やゴーギャンを思わせる作品、ポール・セリュジェに似た作品など、西洋画の影響を受けたと思われる作品もいくつかあって、守一が実際に参考にしたとされる作品がパネルで紹介されていたりします。
熊谷守一 「日蔭澤」
昭和27年(1952) 愛知県美術館木村定三コレクション蔵
昭和27年(1952) 愛知県美術館木村定三コレクション蔵
3 守一になった守一:1950-70年代
「ヤキバノカエリ」は結核で21歳で他界した長女・萬の遺骨を抱いて帰る家族3人を描いた作品。フォーヴィズムの画家アンドレ・ドランの「ル・ペックを流れるセーヌ川」を下敷きにしていると解説されていました。「轢死」にしても「陽が死んだ日」にしても「ヤキバノカエリ」にしても、守一の画風の変遷を語る上で鍵となる作品が死をテーマにしているのは何故なのか。死んで横たわる人の絵を縦にすると生き返ったように見えると、長女の死顔を縦に描いた「萬の像」は観ていて辛いものがあります。
熊谷守一 「ヤキバノカエリ」
昭和31年(1956) 岐阜県美術館蔵
昭和31年(1956) 岐阜県美術館蔵
普段なんとなく守一の作品を観てたときは気付かなかったのですが、彩度の低い中間色に明度の高い色をアクセントに入れたり、青地に赤の補色を使ったり、色彩の捉え方に高度な工夫がされていることを知りました。守一の赤い輪郭線が逆光の表現から生まれたという指摘がありますが、ナビ派が写実主義を否定し、印象派の光の表現に反対したところから生まれたのに対し、守一は単純化してもモノの本質は失われないし、光は表現できるという点で、アプローチがそもそも違うんだろうなと思ったりしました。
熊谷守一 「雨滴」
昭和36年(1961) 愛知県美術館木村定三コレクション蔵
昭和36年(1961) 愛知県美術館木村定三コレクション蔵
守一といえば、猫。会場の一角に猫の絵がずらーっと並んだ一角があって、猫好きにはたまりません。猫にしても虫にしても花や草にしても雨滴にしても、極限まで単純化しているのに生き生きと見える不思議さ。独特の観察眼で対象の本質を掴んでいるといえば簡単ですが、何を描き何を省略するか、守一が描き出すユニークな世界に魅了されっぱなしです。
熊谷守一 「猫」
昭和40年(1960) 愛知県美術館木村定三コレクション蔵
昭和40年(1960) 愛知県美術館木村定三コレクション蔵
【没後40年 熊谷守一 生きるよろこび】
2018年3月21日(水・祝)まで
東京国立近代美術館にて
へたも絵のうち (平凡社ライブラリー)
2017/12/22
北野恒富展
すでに終了してしまいましたが、千葉市美術館で開催していた『北野恒富展』に行ってきました。
近代大阪画壇を代表する美人画の名手、北野恒富。地元・大阪のあべのハルカス美術館で開催し好評だった展覧会の巡回展になります。なかなか行けず、会期後半になってようやく観に行くことができました。
北野恒富というと、美人画の展覧会で観ることはありますが、たいていメインは上村松園や鏑木清方などで、恒富はあっても1点か2点。これまで断片的にしか観ることがなかったのですが、本展は初期から晩年まで通して観ることで恒富の全貌が初めて見えたというか、こんなに才能ある画家だったのかと知り、かなりの衝撃でした。
会場の構成は以下のとおりです:
第一章 「画壇の悪魔派」と呼ばれて -明治末から大正、写実と妖艶さ-
第二章 深化する内面表現 -大正期の実験と心の模索-
第三章 大阪モダニズム「はんなり」への到達 -昭和の画境、清澄にして艶やか-
第四章 グラフィックデザイナーとして -一世を風靡した小説挿絵とポスターの世界-
第五章 素描
第六章 画塾「白耀社」の画家たち -大阪らしさ、恒富の継承者たち-
恒富はもともと月岡芳年門下の浮世絵師のもとで木版画の修行をし、新聞社に入社してから挿絵画家として活動を始めた人で、最初から美人画ばかり描いていたわけではないんですね。少年期には光琳風を学んだということが解説にあったのですが、初期の「六歌仙」や「燕子花」はその作品名からも察せられるように、モチーフを琳派から拝借していたりします。
ただ、挿絵画家時代の小説の挿絵などを観ると、芳年の門人・水野年方の描く女性に似た感じもあって、間接的に芳年や年方の影響を受けていたのかな、と思ったりしました。
その後、文展入選を経て日本画家として頭角を現し、妖艶で退廃美ただよう美人画で人気を集めます。肩を露わにした姿が色っぽい「浴後」はそれまでの日本画にない構図というか、挿絵画家時代の経験が生きている感じがします。また西洋画を意識したような陰影や色彩、写実味の強い描き方もこの頃の特徴のようです。
「願いの糸」は、盥の水に星を映しながら針に糸をとおすという七夕の風習を描いたもの。伊東深水にも「銀河祭り」というほぼ同じ情景を描いた作品がありますね。竹下夢二の影響か、女性の顔がどことなく夢二風で、他にも夢二の影響を感じさせる作品がいくつかありました。先日京都で観た『岡本神草の時代展』にも岡本神草が描いた夢二の模写や夢二風の作品があって、この時代、夢二の女性像のインパクトがどれだけ大きかったかが窺えます。
大正以降の作品はすっきりとしてきて、線の美しさやディテールのこだわり、構図のまとまりを強く感じます。悲しげな眼差しで指折り数える「思出」、誰かを待っているのか淋しげな後ろ姿の「五月雨」など、この時代の恒富の描く女性は淋しげな表情だったり、うつむき加減だったり、下がり眉だったり、決して明るい雰囲気ではないのですが、その分、とても情感が強く伝わってきます。
新古典主義の流れもあってか、恒富も古典的なテーマに取り組みます。「淀君」はそれまでの“悪魔派”のイメージを一新。能面のような何とも言えない表情には淀君の心の奥底のさまざまな思いが滲み出ているようです。大下絵も展示されていて、全体のフォルムや肩や着物のラインも試行錯誤し、計算されていることがよく分かります。
少し離れたところには後に谷崎潤一郎夫人となる松子をモデルにしたという「茶々殿」があったのですが、どこかうつろな表情とは裏腹な凛とした佇まいが印象的でした。
大正前期までは恒富は赤と黒の対比を追求していたということですが、大正後期になると黒と青の対比にこだわりを見せます。「墨染」は歌舞伎舞踊で知られる『積恋雪関扉』の傾城墨染を描いた幻想的な作品。実は小町桜の精である墨染の儚さを黒と青のモノトーンが一層深めているような気がします。
大正末期から昭和にかけて、大阪らしい風情を感じる作品がいくつかあって、これがとても魅力的。しとやかな姉とちょっとお転婆そうな妹を描いた「いとさんこいさん」なんて大阪を舞台にした小説や映画の一場面のような面白さがあります。折角の宵宮なのにと恨めしそうに外を眺める三人姉妹を描いた「宵宮の雨」、小舟の前と後ろに女性2人が顔も合わせず佇む意味ありげな「蓮池(朝)」なども映画のワンシーンようなドラマ性を感じます。大阪ではないけれど、阿波踊りを描いた一連の作品の動きのある線・構図がまた素晴らしいですね。
まとめて展示されていた恒富の手掛けたポスターや原画がこれまた抜群にいい。高島屋のポスター原画は以前にも観たことがあるのですが、お酒やビール、サイダーなどのポスターに描かれる女性の美しさ、着物の質感や光沢まで再現した手描き製版のレベルの高さに感動します。手描き製版というものがどういう制作方法なのか詳しくは知らないのですが、19回摺りという尋常ではない摺り数があって、ポスターとはいえ仕上がりの質感に徹底的にこだわっていたことも伝わってきます。
【没後70年 北野恒富展】
2017年11月3日(金・祝)~ 12月17日(日)まで(終了)
千葉市美術館にて
「美人画」の系譜
近代大阪画壇を代表する美人画の名手、北野恒富。地元・大阪のあべのハルカス美術館で開催し好評だった展覧会の巡回展になります。なかなか行けず、会期後半になってようやく観に行くことができました。
北野恒富というと、美人画の展覧会で観ることはありますが、たいていメインは上村松園や鏑木清方などで、恒富はあっても1点か2点。これまで断片的にしか観ることがなかったのですが、本展は初期から晩年まで通して観ることで恒富の全貌が初めて見えたというか、こんなに才能ある画家だったのかと知り、かなりの衝撃でした。
会場の構成は以下のとおりです:
第一章 「画壇の悪魔派」と呼ばれて -明治末から大正、写実と妖艶さ-
第二章 深化する内面表現 -大正期の実験と心の模索-
第三章 大阪モダニズム「はんなり」への到達 -昭和の画境、清澄にして艶やか-
第四章 グラフィックデザイナーとして -一世を風靡した小説挿絵とポスターの世界-
第五章 素描
第六章 画塾「白耀社」の画家たち -大阪らしさ、恒富の継承者たち-
恒富はもともと月岡芳年門下の浮世絵師のもとで木版画の修行をし、新聞社に入社してから挿絵画家として活動を始めた人で、最初から美人画ばかり描いていたわけではないんですね。少年期には光琳風を学んだということが解説にあったのですが、初期の「六歌仙」や「燕子花」はその作品名からも察せられるように、モチーフを琳派から拝借していたりします。
ただ、挿絵画家時代の小説の挿絵などを観ると、芳年の門人・水野年方の描く女性に似た感じもあって、間接的に芳年や年方の影響を受けていたのかな、と思ったりしました。
北野恒富 「浴後」
明治45年(1912) 京都市美術館蔵
明治45年(1912) 京都市美術館蔵
その後、文展入選を経て日本画家として頭角を現し、妖艶で退廃美ただよう美人画で人気を集めます。肩を露わにした姿が色っぽい「浴後」はそれまでの日本画にない構図というか、挿絵画家時代の経験が生きている感じがします。また西洋画を意識したような陰影や色彩、写実味の強い描き方もこの頃の特徴のようです。
北野恒富 「願いの糸」
大正3年(1914) 木下美術蔵
大正3年(1914) 木下美術蔵
「願いの糸」は、盥の水に星を映しながら針に糸をとおすという七夕の風習を描いたもの。伊東深水にも「銀河祭り」というほぼ同じ情景を描いた作品がありますね。竹下夢二の影響か、女性の顔がどことなく夢二風で、他にも夢二の影響を感じさせる作品がいくつかありました。先日京都で観た『岡本神草の時代展』にも岡本神草が描いた夢二の模写や夢二風の作品があって、この時代、夢二の女性像のインパクトがどれだけ大きかったかが窺えます。
北野恒富 「思出」
大正前期 大阪新美術館建設準備室蔵
大正前期 大阪新美術館建設準備室蔵
北野恒富 「五月雨」
大正5年(1916) 福富太郎コレクション資料室蔵
大正5年(1916) 福富太郎コレクション資料室蔵
大正以降の作品はすっきりとしてきて、線の美しさやディテールのこだわり、構図のまとまりを強く感じます。悲しげな眼差しで指折り数える「思出」、誰かを待っているのか淋しげな後ろ姿の「五月雨」など、この時代の恒富の描く女性は淋しげな表情だったり、うつむき加減だったり、下がり眉だったり、決して明るい雰囲気ではないのですが、その分、とても情感が強く伝わってきます。
北野恒富 「淀君」
大正9年(1920) 耕三寺博物館蔵
大正9年(1920) 耕三寺博物館蔵
新古典主義の流れもあってか、恒富も古典的なテーマに取り組みます。「淀君」はそれまでの“悪魔派”のイメージを一新。能面のような何とも言えない表情には淀君の心の奥底のさまざまな思いが滲み出ているようです。大下絵も展示されていて、全体のフォルムや肩や着物のラインも試行錯誤し、計算されていることがよく分かります。
少し離れたところには後に谷崎潤一郎夫人となる松子をモデルにしたという「茶々殿」があったのですが、どこかうつろな表情とは裏腹な凛とした佇まいが印象的でした。
北野恒富 「墨染」
大正後期 個人蔵
大正後期 個人蔵
大正前期までは恒富は赤と黒の対比を追求していたということですが、大正後期になると黒と青の対比にこだわりを見せます。「墨染」は歌舞伎舞踊で知られる『積恋雪関扉』の傾城墨染を描いた幻想的な作品。実は小町桜の精である墨染の儚さを黒と青のモノトーンが一層深めているような気がします。
北野恒富 「いとさんこいさん」
昭和11年(1936) 京都市美術館蔵
昭和11年(1936) 京都市美術館蔵
大正末期から昭和にかけて、大阪らしい風情を感じる作品がいくつかあって、これがとても魅力的。しとやかな姉とちょっとお転婆そうな妹を描いた「いとさんこいさん」なんて大阪を舞台にした小説や映画の一場面のような面白さがあります。折角の宵宮なのにと恨めしそうに外を眺める三人姉妹を描いた「宵宮の雨」、小舟の前と後ろに女性2人が顔も合わせず佇む意味ありげな「蓮池(朝)」なども映画のワンシーンようなドラマ性を感じます。大阪ではないけれど、阿波踊りを描いた一連の作品の動きのある線・構図がまた素晴らしいですね。
北野恒富 「ポスター原画:髙島屋(婦人図)」
昭和4年(1929) 髙島屋史料館蔵
昭和4年(1929) 髙島屋史料館蔵
まとめて展示されていた恒富の手掛けたポスターや原画がこれまた抜群にいい。高島屋のポスター原画は以前にも観たことがあるのですが、お酒やビール、サイダーなどのポスターに描かれる女性の美しさ、着物の質感や光沢まで再現した手描き製版のレベルの高さに感動します。手描き製版というものがどういう制作方法なのか詳しくは知らないのですが、19回摺りという尋常ではない摺り数があって、ポスターとはいえ仕上がりの質感に徹底的にこだわっていたことも伝わってきます。
【没後70年 北野恒富展】
2017年11月3日(金・祝)~ 12月17日(日)まで(終了)
千葉市美術館にて
「美人画」の系譜
2017/12/10
典雅と奇想
つづいて、静嘉堂文庫美術館の『あこがれの明清絵画』を観た足で、六本木の泉屋博古館・分館で開催中の『典雅と奇想 明末清初の中国名画展』にも行ってまいりました。
こちらは山水画・文人画が中心。その名の通り、とりわけ“奇想派”が充実していて面白い。“奇想派”というと、伊藤若冲や曽我蕭白のような奇想の絵師をイメージしますが、中国の“奇想派”は中国語では“変形主義”、英語では“マニエリスティック”というそうで、山の造形などをデフォルメして、「形」の表現にポイントを置いた個性的な山水画のことを指します。
時代は明末期から清初期に絞られていて、日本でいえばちょうど江戸時代に重なります。泉屋博古館の方は中国画だけで、日本の山水画などの比較展示はありませんが、江戸時代後期に隆盛する南画はこうした明末清初の中国絵画の影響がダイレクトに伝わっているのかな、と頭の中で想像しながら拝見していました。
会場の構成は以下のとおりです:
Ⅰ 文人墨戯
Ⅱ 明末奇想派
Ⅲ 都市と地方
Ⅳ 遺民と弍臣
Ⅴ 明末四和尚
Ⅵ 清初の正統派、四王呉惲
文人画というのは文人、つまり職業画家ではない官僚などがその余技として描いた絵をいいますが、思いのままに走らせた筆の自由さ、墨の戯れに何ともいえない味わいがあります。
徐渭(じょい)の「花卉雑画巻」は呉派文人画らしい趣きのある水墨の花卉図。東博所蔵と泉屋博古館所蔵の2点があって、どちらも薄墨の滲みの具合で花や葉、果実、蟹や魚などを表しているのですが、墨が滲む偶然さを装っているようで、濃淡の具合を導き出す手練はやはり相当なものなのだろうと感じます。徐渭は妻を殺害して獄中生活を送ったというエピソードが凄い。
米万鍾(べいばんしょう)は明末の奇想派を代表する画家であり書家。この世にこんな石があるのかというような奇石を描いた「柱石図」や、最早山なのか何なのか分からない「寒林訪客図」に度肝を抜かれます。具象でもなく抽象でもなく、まるでイメージの産物のような不思議な光景。なるほど奇想派とはこういうものか、という感じがします。
呉彬(ごひん)も明末を代表する奇想派の画家。緻密に描きこんだ奇怪な岩山が縦に縦に伸びる様はとても異様というか、幻想的にも見えます。
李士達(りしたつ)の「竹裡泉声図」は明末に流行した詩意図という詩を絵画化した作品だといいます。下半分は竹林に囲まれた渓流のほとりで思い思いに過ごす文人達を描いているのに対し、上半分は湧き出る雲の上にそびえる奇怪な岩山。
龔賢(きょうけん)の「山水長巻」の造形感覚もユニーク極まりないという感じです。淡墨のトーンも独特。邵弥(しょうみ)の「山水図」も面白い。かすれた筆を何度も重ねたような墨の味わいがいいですね。こういう筆致は初めて観ました。淡墨と渇墨で描いた張宏(ちょうこう)の「越中名勝図冊」の大ぶりな山塊も印象的。奇想派の山の造形もさることながら、こんなにも筆法がバラエティに富んでるとは思いませんでした。
漸江(ぜんこう)、石濤(せきとう)、石渓(せっけい)、八大山人(はちだいさんじん)は清初の四画僧といい、最後に一つの章として紹介されています。漸江の「江山無尽図巻」は繊細な筆致で描き出した奇石の景観表現が抜群。長江支流の名勝・白鷺洲を描いたという「竹岸蘆浦図巻」の詩情的な情景も味わい深い。
石濤の作品が複数あったのですが、重要文化財に指定された作品も多く、日本でも評価が高かったことが窺えます。「廬山観瀑図」は高士が雲海の先にそびえる山と滝を見上げていて、なんとも荘厳かつ幻想的。同じ石濤の「黄山図冊」の繊細さと雄大さもいいなと思いました。
八大山人はこれまで観てきた奇想とはまた違う面白さ。「安晩帖」という20面からなる画帖が展示されていて、わたしが観に行った日は「カワセミ」が展示されたのですが、ほかの作品もスライドで観ることができて、花や野菜にしても、魚や鳥にしても、山水にしても、自由というか、ユーモラスというか、日本でいえば若冲を思わせるゆるさがたまらなく魅力的です。
静嘉堂文庫美術館でも思いましたが、やはり本場の文人画は奥行きが違うというか、墨技やその味わい一つとってもさまざまな表情があるし、脱俗的な日本の南画とは違ってガツンと来ます。
【典雅と奇想 明末清初の中国名画展】
2017年12月10日(日)まで
泉屋博古館分館(東京)
典雅と奇想―明末清初の中国名画
こちらは山水画・文人画が中心。その名の通り、とりわけ“奇想派”が充実していて面白い。“奇想派”というと、伊藤若冲や曽我蕭白のような奇想の絵師をイメージしますが、中国の“奇想派”は中国語では“変形主義”、英語では“マニエリスティック”というそうで、山の造形などをデフォルメして、「形」の表現にポイントを置いた個性的な山水画のことを指します。
時代は明末期から清初期に絞られていて、日本でいえばちょうど江戸時代に重なります。泉屋博古館の方は中国画だけで、日本の山水画などの比較展示はありませんが、江戸時代後期に隆盛する南画はこうした明末清初の中国絵画の影響がダイレクトに伝わっているのかな、と頭の中で想像しながら拝見していました。
会場の構成は以下のとおりです:
Ⅰ 文人墨戯
Ⅱ 明末奇想派
Ⅲ 都市と地方
Ⅳ 遺民と弍臣
Ⅴ 明末四和尚
Ⅵ 清初の正統派、四王呉惲
徐渭 「花卉雑画巻」
中国 明・万暦3年(1575) 東京国立博物館蔵
中国 明・万暦3年(1575) 東京国立博物館蔵
文人画というのは文人、つまり職業画家ではない官僚などがその余技として描いた絵をいいますが、思いのままに走らせた筆の自由さ、墨の戯れに何ともいえない味わいがあります。
徐渭(じょい)の「花卉雑画巻」は呉派文人画らしい趣きのある水墨の花卉図。東博所蔵と泉屋博古館所蔵の2点があって、どちらも薄墨の滲みの具合で花や葉、果実、蟹や魚などを表しているのですが、墨が滲む偶然さを装っているようで、濃淡の具合を導き出す手練はやはり相当なものなのだろうと感じます。徐渭は妻を殺害して獄中生活を送ったというエピソードが凄い。
米万鍾 「柱石図」
中国 明・17世紀 根津美術館蔵
中国 明・17世紀 根津美術館蔵
米万鍾 「寒林訪客図」
中国 明・17世紀 橋本コレクション蔵
中国 明・17世紀 橋本コレクション蔵
米万鍾(べいばんしょう)は明末の奇想派を代表する画家であり書家。この世にこんな石があるのかというような奇石を描いた「柱石図」や、最早山なのか何なのか分からない「寒林訪客図」に度肝を抜かれます。具象でもなく抽象でもなく、まるでイメージの産物のような不思議な光景。なるほど奇想派とはこういうものか、という感じがします。
呉彬 「渓山絶塵図」
中国 明・万暦43年(1615) 橋本コレクション蔵
中国 明・万暦43年(1615) 橋本コレクション蔵
呉彬(ごひん)も明末を代表する奇想派の画家。緻密に描きこんだ奇怪な岩山が縦に縦に伸びる様はとても異様というか、幻想的にも見えます。
李士達 「竹裡泉声図」(重要文化財)
中国 明・16〜17世紀 東京国立博物館蔵
中国 明・16〜17世紀 東京国立博物館蔵
李士達(りしたつ)の「竹裡泉声図」は明末に流行した詩意図という詩を絵画化した作品だといいます。下半分は竹林に囲まれた渓流のほとりで思い思いに過ごす文人達を描いているのに対し、上半分は湧き出る雲の上にそびえる奇怪な岩山。
龔賢 「山水長巻」
中国 清・17世紀 泉屋博古館蔵
中国 清・17世紀 泉屋博古館蔵
龔賢(きょうけん)の「山水長巻」の造形感覚もユニーク極まりないという感じです。淡墨のトーンも独特。邵弥(しょうみ)の「山水図」も面白い。かすれた筆を何度も重ねたような墨の味わいがいいですね。こういう筆致は初めて観ました。淡墨と渇墨で描いた張宏(ちょうこう)の「越中名勝図冊」の大ぶりな山塊も印象的。奇想派の山の造形もさることながら、こんなにも筆法がバラエティに富んでるとは思いませんでした。
漸江 「江山無尽図巻」
中国 清・順治18年 泉屋博古館蔵
中国 清・順治18年 泉屋博古館蔵
漸江(ぜんこう)、石濤(せきとう)、石渓(せっけい)、八大山人(はちだいさんじん)は清初の四画僧といい、最後に一つの章として紹介されています。漸江の「江山無尽図巻」は繊細な筆致で描き出した奇石の景観表現が抜群。長江支流の名勝・白鷺洲を描いたという「竹岸蘆浦図巻」の詩情的な情景も味わい深い。
石濤 「廬山観瀑図」(重要文化財)
中国 清・17〜18世紀 泉屋博古館蔵
中国 清・17〜18世紀 泉屋博古館蔵
石濤の作品が複数あったのですが、重要文化財に指定された作品も多く、日本でも評価が高かったことが窺えます。「廬山観瀑図」は高士が雲海の先にそびえる山と滝を見上げていて、なんとも荘厳かつ幻想的。同じ石濤の「黄山図冊」の繊細さと雄大さもいいなと思いました。
八大山人はこれまで観てきた奇想とはまた違う面白さ。「安晩帖」という20面からなる画帖が展示されていて、わたしが観に行った日は「カワセミ」が展示されたのですが、ほかの作品もスライドで観ることができて、花や野菜にしても、魚や鳥にしても、山水にしても、自由というか、ユーモラスというか、日本でいえば若冲を思わせるゆるさがたまらなく魅力的です。
八大山人 「安晩帖(第10図)」(重要文化財)
中国 清・康煕33年(1699) 泉屋博古館蔵
中国 清・康煕33年(1699) 泉屋博古館蔵
静嘉堂文庫美術館でも思いましたが、やはり本場の文人画は奥行きが違うというか、墨技やその味わい一つとってもさまざまな表情があるし、脱俗的な日本の南画とは違ってガツンと来ます。
【典雅と奇想 明末清初の中国名画展】
2017年12月10日(日)まで
泉屋博古館分館(東京)
典雅と奇想―明末清初の中国名画
2017/12/09
あこがれの明清絵画
静嘉堂文庫美術館で開催中の『あこがれの明清絵画 ~日本が愛した中国絵画の名品たち~』を観てまいりました。
室町時代から江戸時代にかけての日本美術、とりわけ水墨画や花鳥画、さらには狩野派や南蘋派、南画といった作品を知るには避けては通れない中国絵画。日本美術を観れば観るほど、中国絵画を知らずして日本美術は語れないと思うようになり、ここ数年機会があれば積極的に観るようにしているのですが、ちょうど静嘉堂文庫美術館と泉屋博古館・分館で明清絵画にスポットをあてた展覧会がありましたので行ってきました。
まずは静嘉堂文庫美術館から。
こちらは静嘉堂文庫の明清絵画コレクション約70点で構成。明・清代の絵画をただ紹介するだけでなく、サブタイトルにあるように江戸絵画の絵師たちがいかに憧れ、受容していったか、明清絵画が日本美術に与えた影響を交え、丁寧に紹介しています。それにしても自館の所蔵作品でこれだけレベルの高い作品が揃うのですから。恐ろしい美術館です。
会場の構成は以下のとおりです:
はじめに~静嘉堂の明清絵画コレクション
明清の花鳥画
明清の道釈人物・山水画
文人の楽しみと明清の書跡
明清絵画と聞いて、やはり最初に浮かぶのは花鳥画で、本展にも色彩鮮やかで華麗な花鳥画がいくつも並びます。明清の花鳥画をみんな一緒くたにしてしまいがちですが、大きな流れとして、呉派文人画による水墨花卉図の系譜と宮廷画院を中心にした浙派による着色花鳥画の系譜があるといいます。ちなみに浙派は杭州を、呉派は蘇州を拠点にした画派ですね。
会場入ってすぐのところに展示されていた呉派の李日華(りじっか)の「牡丹図巻」は墨の濃淡だけで描かれた牡丹が秀逸。陸治(りくち)の「荷花図」は紅白の蓮の花が主題なのでしょうが、水墨というよりまるで鉛筆画のように繊細なタッチの太胡石に目が行ってしまいます。
宮廷画院系では筆者不明の「花鳥図」が印象的。白梅や緋色の椿、つがいの雉やシロガシラなど華麗な花鳥画で、呂紀を彷彿とさせます。余崧(よすう)の「百花図巻」は写実的な折枝画で、色とりどり鮮やかな花がさまざまに咲き誇る様が見事。山種美術館で観た田能村直入の「百花」を思い起こさせます。田能村直入もこうした花卉図巻を手本としたのでしょう。
清代では日本の画家に大きな影響を与えた沈南蘋(しんなんぴん)。展覧会のポスターにも使われている「老圃秋容図」の猫は墨と胡粉で丁寧に毛描きされていて、猫の視線の先にはカミキリ虫がいます。よく見る沈南蘋の作品に比べると、全体的にちょっとあっさりした感じがします。そばには、谷文晁派による模本も展示されていて、文晁周辺でも沈南蘋を学んでいたことが分かります。
山水がまた凄くて、ほとんどが重要文化財。李士達(りしたつ)や張瑞図(ちょうずいと)、趙左(ちょうさ)などの由緒正しい作品が並びます。李士達の「秋景山水図」はこれでもか!というぐらいの屹立した重厚な岩山と山間を漂う柔らかなタッチの雲霧が印象的。よく見ると四阿で語らう2人の人物がいて、そうした人が描かれているといないとではずいぶん印象も違って見える気がします。
印象的だったのは藍瑛(らんえい)の「秋景山水図」と、並んで展示されていた谷文晁が模写した「藍瑛筆 秋景山水図模本」。藍瑛は昨年トーハクの東洋館でも特集展示されていましたが、江戸の文人画家に人気があった明代後期を代表する画家。藍瑛の作品に比べて文晁は構図を少しトリミングしたり、色のコントラストや奥行きを工夫したりして、作品としてより完成された感じがあります。
張瑞図は明末の奇想派を代表する画家。書家としても有名で、張瑞図の書跡も展示されていました。「松山図」は近景・中景・遠景という山水図の典型的な描き方ではなく、縦に山を積み重ねた感じが不思議な印象を与えます。張瑞図はこの後に観に行った『典雅と奇想』にも複数の作品が展示されていました。
会場の入口には狩野探幽が模写した山水図と中国画の原本の展示や、パネルでの紹介でしたが、伊藤若冲の「釈迦三尊像」と若冲が原本とした張思恭(ちょうしきょう)の「釈迦文殊普賢像」の関係などが解説されています。
展覧会を通じて、谷文晁や池大雅、浦上春琴ら主に南画の画家たちへの影響がよく分かり、江戸時代の花鳥画や南画のソースとして、とても興味深く感じられました。
【あこがれの明清絵画 ~日本が愛した中国絵画の名品たち~】
2017年12月17日(日)まで
静嘉堂文庫美術館蔵
中国絵画入門 (岩波新書)
室町時代から江戸時代にかけての日本美術、とりわけ水墨画や花鳥画、さらには狩野派や南蘋派、南画といった作品を知るには避けては通れない中国絵画。日本美術を観れば観るほど、中国絵画を知らずして日本美術は語れないと思うようになり、ここ数年機会があれば積極的に観るようにしているのですが、ちょうど静嘉堂文庫美術館と泉屋博古館・分館で明清絵画にスポットをあてた展覧会がありましたので行ってきました。
まずは静嘉堂文庫美術館から。
こちらは静嘉堂文庫の明清絵画コレクション約70点で構成。明・清代の絵画をただ紹介するだけでなく、サブタイトルにあるように江戸絵画の絵師たちがいかに憧れ、受容していったか、明清絵画が日本美術に与えた影響を交え、丁寧に紹介しています。それにしても自館の所蔵作品でこれだけレベルの高い作品が揃うのですから。恐ろしい美術館です。
会場の構成は以下のとおりです:
はじめに~静嘉堂の明清絵画コレクション
明清の花鳥画
明清の道釈人物・山水画
文人の楽しみと明清の書跡
沈南蘋 「老圃秋容図」
中国 清・雍正9年(1731) 静嘉堂文庫美術館蔵
中国 清・雍正9年(1731) 静嘉堂文庫美術館蔵
明清絵画と聞いて、やはり最初に浮かぶのは花鳥画で、本展にも色彩鮮やかで華麗な花鳥画がいくつも並びます。明清の花鳥画をみんな一緒くたにしてしまいがちですが、大きな流れとして、呉派文人画による水墨花卉図の系譜と宮廷画院を中心にした浙派による着色花鳥画の系譜があるといいます。ちなみに浙派は杭州を、呉派は蘇州を拠点にした画派ですね。
会場入ってすぐのところに展示されていた呉派の李日華(りじっか)の「牡丹図巻」は墨の濃淡だけで描かれた牡丹が秀逸。陸治(りくち)の「荷花図」は紅白の蓮の花が主題なのでしょうが、水墨というよりまるで鉛筆画のように繊細なタッチの太胡石に目が行ってしまいます。
余崧 「百花図巻」
中国 清・乾隆60年(1795) 静嘉堂文庫美術館蔵
宮廷画院系では筆者不明の「花鳥図」が印象的。白梅や緋色の椿、つがいの雉やシロガシラなど華麗な花鳥画で、呂紀を彷彿とさせます。余崧(よすう)の「百花図巻」は写実的な折枝画で、色とりどり鮮やかな花がさまざまに咲き誇る様が見事。山種美術館で観た田能村直入の「百花」を思い起こさせます。田能村直入もこうした花卉図巻を手本としたのでしょう。
清代では日本の画家に大きな影響を与えた沈南蘋(しんなんぴん)。展覧会のポスターにも使われている「老圃秋容図」の猫は墨と胡粉で丁寧に毛描きされていて、猫の視線の先にはカミキリ虫がいます。よく見る沈南蘋の作品に比べると、全体的にちょっとあっさりした感じがします。そばには、谷文晁派による模本も展示されていて、文晁周辺でも沈南蘋を学んでいたことが分かります。
李士達 「秋景山水図」(重要文化財)
中国 明・万暦46年(1618) 静嘉堂文庫美術館蔵
中国 明・万暦46年(1618) 静嘉堂文庫美術館蔵
山水がまた凄くて、ほとんどが重要文化財。李士達(りしたつ)や張瑞図(ちょうずいと)、趙左(ちょうさ)などの由緒正しい作品が並びます。李士達の「秋景山水図」はこれでもか!というぐらいの屹立した重厚な岩山と山間を漂う柔らかなタッチの雲霧が印象的。よく見ると四阿で語らう2人の人物がいて、そうした人が描かれているといないとではずいぶん印象も違って見える気がします。
谷文晁 「藍瑛筆 秋景山水図模本」(重要文化財)
江戸時代・18~19世紀 静嘉堂文庫美術館蔵
江戸時代・18~19世紀 静嘉堂文庫美術館蔵
印象的だったのは藍瑛(らんえい)の「秋景山水図」と、並んで展示されていた谷文晁が模写した「藍瑛筆 秋景山水図模本」。藍瑛は昨年トーハクの東洋館でも特集展示されていましたが、江戸の文人画家に人気があった明代後期を代表する画家。藍瑛の作品に比べて文晁は構図を少しトリミングしたり、色のコントラストや奥行きを工夫したりして、作品としてより完成された感じがあります。
張瑞図は明末の奇想派を代表する画家。書家としても有名で、張瑞図の書跡も展示されていました。「松山図」は近景・中景・遠景という山水図の典型的な描き方ではなく、縦に山を積み重ねた感じが不思議な印象を与えます。張瑞図はこの後に観に行った『典雅と奇想』にも複数の作品が展示されていました。
張瑞図 「松山図」(重要文化財)
中国 明・崇禎4年(1631) 静嘉堂文庫美術館蔵
中国 明・崇禎4年(1631) 静嘉堂文庫美術館蔵
会場の入口には狩野探幽が模写した山水図と中国画の原本の展示や、パネルでの紹介でしたが、伊藤若冲の「釈迦三尊像」と若冲が原本とした張思恭(ちょうしきょう)の「釈迦文殊普賢像」の関係などが解説されています。
展覧会を通じて、谷文晁や池大雅、浦上春琴ら主に南画の画家たちへの影響がよく分かり、江戸時代の花鳥画や南画のソースとして、とても興味深く感じられました。
【あこがれの明清絵画 ~日本が愛した中国絵画の名品たち~】
2017年12月17日(日)まで
静嘉堂文庫美術館蔵
中国絵画入門 (岩波新書)
2017/12/01
末法展
細見美術館で開催中の『末法展』を観てまいりました。
最初行くのを予定しなかったというか、京都の予定を組んでいたときに『末法展』のことを知らなかったので入れてなかったんですが、評判がいいようなので京近美で『岡本神草の時代展』を観た足で覗いてきました。(おかげで『国宝展』を観る時間が短くなってしまいましたが)
細見美術館は京近美からは歩いてほんの数分のところにあります。ここに来るのも何年ぶり。平日だったということもあってか、自分が行ったときはほんの数人しか来館者がいなくて、部屋(三つの部屋からなってます)の中でただ一人、作品と対峙するという贅沢な瞬間もありました。『国宝展』ではこうはいかない。
『末法展』は夢石庵という謎の個人コレクターが蒐集した日本美術の中から、“末法”をテーマにコレクションを再構成したという展覧会。奈良・平安時代の仏教美術から江戸時代の近世絵画までが並びます。抜群の鑑識眼で戦後60年代までに質の高い美術作品を蒐集したというのですが、個人の蒐集品とは思えない上質なコレクションかつその濃密さにクラクラします。
石の投げ合いと群舞を描いたユニークな「印地内図屏風」は桃山時代の風俗図としてとても興味深いものがありました。輪になって踊ってたり、歌舞伎踊りなどはよく見かけますが、石の投げ合いというのは初めて観た気がします。最初“印地打”の意味が分からなかったのですが英語名(Injiuchi-Rock Fight Held on Children's Day)を見て納得しました。
こんな応挙初めて観た的な円山応挙の「驟雨江村図」も素晴らしい。長谷川等伯の「四季柳図屏風」は出光美術館の『水墨の風』で観た同題作に似てるなと思ったのですが、どうやら同じ作品のようですね。写真だと分かりませんが、柴垣が胡粉で盛り上げられていて立体的な装飾がされています。
仏画では「胎蔵界曼荼羅」の截金の精緻な表現に驚きます。特に火焔光背(単眼鏡必須)。仏像はいくつかあったのですが、とりわけ興福寺伝来の「弥勒菩薩立像」が美仏。光背や装飾も見事でした。法隆寺伝来の「十一面観音立像」(展示は11/19まで)もちょっとふっくらした寝顔のようなあどけない表情が印象的。
最後の部屋の「金峯山経塚遺宝」はいろんな意味で圧倒されます。経筒だったり金剛鈴だったり仏像(蔵王権現像?)の欠片だったりが山のように積み上げられていて、まるでオブジェ。金峯山経塚に埋葬されていた「金銅藤原道長経筒」が京博の『国宝展』に出展されていて、経筒の中に入っていた道長が書写した経典やさまざまな出土品はこちらに展示されているというのも『国宝展』と時期が重なっているだけに面白い。
なんか杉本博司的な臭いがするなぁと思っていたら、途中に杉本博司の映像が流れていて、ああやっぱり絡んでいたんだと。
最後に種明かしというんでしょうか、『末法展』の真の答えがあります。なるほど~という感じです。企画の勝利ですね。
【末法 / Apocalypse -失われた夢石庵コレクションを求めて-】
2017年12月24日(日)まで
細見美術館にて
末法 / Apocalypse失われた夢石庵コレクションを求めて (展覧会図録)
最初行くのを予定しなかったというか、京都の予定を組んでいたときに『末法展』のことを知らなかったので入れてなかったんですが、評判がいいようなので京近美で『岡本神草の時代展』を観た足で覗いてきました。(おかげで『国宝展』を観る時間が短くなってしまいましたが)
細見美術館は京近美からは歩いてほんの数分のところにあります。ここに来るのも何年ぶり。平日だったということもあってか、自分が行ったときはほんの数人しか来館者がいなくて、部屋(三つの部屋からなってます)の中でただ一人、作品と対峙するという贅沢な瞬間もありました。『国宝展』ではこうはいかない。
『末法展』は夢石庵という謎の個人コレクターが蒐集した日本美術の中から、“末法”をテーマにコレクションを再構成したという展覧会。奈良・平安時代の仏教美術から江戸時代の近世絵画までが並びます。抜群の鑑識眼で戦後60年代までに質の高い美術作品を蒐集したというのですが、個人の蒐集品とは思えない上質なコレクションかつその濃密さにクラクラします。
長谷川等伯 「四季柳図屏風」
桃山時代
桃山時代
石の投げ合いと群舞を描いたユニークな「印地内図屏風」は桃山時代の風俗図としてとても興味深いものがありました。輪になって踊ってたり、歌舞伎踊りなどはよく見かけますが、石の投げ合いというのは初めて観た気がします。最初“印地打”の意味が分からなかったのですが英語名(Injiuchi-Rock Fight Held on Children's Day)を見て納得しました。
こんな応挙初めて観た的な円山応挙の「驟雨江村図」も素晴らしい。長谷川等伯の「四季柳図屏風」は出光美術館の『水墨の風』で観た同題作に似てるなと思ったのですが、どうやら同じ作品のようですね。写真だと分かりませんが、柴垣が胡粉で盛り上げられていて立体的な装飾がされています。
「弥勒菩薩立像」
鎌倉時代
鎌倉時代
仏画では「胎蔵界曼荼羅」の截金の精緻な表現に驚きます。特に火焔光背(単眼鏡必須)。仏像はいくつかあったのですが、とりわけ興福寺伝来の「弥勒菩薩立像」が美仏。光背や装飾も見事でした。法隆寺伝来の「十一面観音立像」(展示は11/19まで)もちょっとふっくらした寝顔のようなあどけない表情が印象的。
最後の部屋の「金峯山経塚遺宝」はいろんな意味で圧倒されます。経筒だったり金剛鈴だったり仏像(蔵王権現像?)の欠片だったりが山のように積み上げられていて、まるでオブジェ。金峯山経塚に埋葬されていた「金銅藤原道長経筒」が京博の『国宝展』に出展されていて、経筒の中に入っていた道長が書写した経典やさまざまな出土品はこちらに展示されているというのも『国宝展』と時期が重なっているだけに面白い。
「胎蔵界曼荼羅」
平安時代
平安時代
なんか杉本博司的な臭いがするなぁと思っていたら、途中に杉本博司の映像が流れていて、ああやっぱり絡んでいたんだと。
最後に種明かしというんでしょうか、『末法展』の真の答えがあります。なるほど~という感じです。企画の勝利ですね。
【末法 / Apocalypse -失われた夢石庵コレクションを求めて-】
2017年12月24日(日)まで
細見美術館にて
末法 / Apocalypse失われた夢石庵コレクションを求めて (展覧会図録)