2017/03/12

これぞ暁斎!

渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで開催中の『ゴールドマン・コレクション これぞ暁斎!』を観てまいりました。

(※3/25: 記事アップ後にブロガー特別内覧会に参加して、写真を撮らせていただいたので、画像を入れ替えて一部内容を改訂しています。)

本展は、世界屈指の暁斎コレクターとして知られるイギリスのイスラエル・ゴールドマン氏所蔵のコレクションで構成された展覧会。暁斎にハマった理由をゴールドマン氏は「暁斎は楽しいからですよ」と語っているそうで、なるほど展示されている作品もみんな楽しげなものばかり。

出品作は173点。その内60点近くが初出展だといいます。聞くところによると、暁斎コレクターとして有名な福富太郎氏から多くの作品がゴールドマン氏のもとへ渡っているのだとか。そのため一部は過去に“福富太郎コレクション”として紹介された作品も含まれているようです。

暁斎はここのところ2年おきに展覧会があって、おととし三菱一号館美術館で開催された『画鬼暁斎』も記憶に新しいところ。若冲の次は暁斎だなどとおっしゃってる方もいるようですが、近年ますます注目を集めているのは事実。そんな暁斎を知るにはうってつけの展覧会です。


序章 出会い-ゴールドマン・コレクションの始まり

まずはゴールドマン氏の暁斎コレクションのきっかけから話が始まるのですが、35年前に最初に購入した作品はわずか55ポンドだったとか。暁斎の作品は海外に多く流出しているといわれますし、大英博物館で展覧会があったりと相変わらず海外での人気も高いようですが、当時は考えられないような安さで売られていたのですね。

[写真左] 河鍋暁斎 「象とたぬき」 明治3年(1870)以前
[写真右] 河鍋暁斎 「鯰の曳き物を引く猫たち」 明治4-22年(1871-89)

「象とたぬき」はゴールドマン氏が暁斎の作品蒐集を始めるきっかけとなった一枚。一度売ってしまったけれど、忘れられず買い戻したのだそうです。薄墨の速筆で描いた象と墨で塗りつぶしたようなタヌキ。暁斎の即興的な味わいが愉しめます。「蛙の学校」も素早い筆致を活かしたコミカルな作品。暁斎の作品は往々にして、ささっと軽く描いているようなのに線やその形が的確なのに唸ります。ナマズの髭を猫が山車のように引っ張っていく「鯰の曳き物を引く猫たち」も可笑しい。


第1章 万国飛-世界を飛び回った鴉たち

暁斎の名を知らしめた傑作と言われるのが、第2回内国勧業博覧会で妙技2等賞牌(日本画の最高賞)を受賞した「枯木寒鴉図」。当時としては破格の百円で売りに出し、日本橋・榮太樓の主人が購入して大変話題になったといいます。暁斎のもとには恐らく相当注文が殺到したのか、「枯木寒鴉図」を模した作品をたくさん描いていたようで、ゴールドマン・コレクションには鴉の掛幅だけで30幅近くあるのだとか。

[写真右から] 河鍋暁斎 「枯木に鴉」 「枯木に夜鴉」「枯木に鴉」「烏瓜に二羽の鴉」
明治4-22年(1871-89)

「枯木寒鴉図」は『画鬼暁斎』で拝見しましたが(本展には出品されていません)、ほぼ同構図のものや、背景が藍色になっているもの、複数の鴉が枝にとまるものなど、似た構図の作品が複数展示されています。ほかにも4幅対の作品や団扇絵、版画など、この一角すべてが鴉、鴉、鴉。どんだけ鴉の絵を描いたんでしょうか、暁斎は。


第2章 躍動するいのち-動物たちの世界

暁斎に動物の絵はほんと多い。擬人化した戯画もあれば、狩野派譲りの技巧を凝らした作品もあって、そのレパートリーの広さ、発想の豊かさ、筆の自在さは天才的です。そして一様にどれもかわいい。

[写真左] 河鍋暁斎 「枇杷猿、瀧白猿」 明治21年(1888)

対幅の「枇杷猿、瀧白猿」は狩野派というより円山四条派を思わす一枚。暁斎は応挙の写実も研究していたようで、恐らく応挙の虎を模写したのだろうと思われる作品もありました。

[写真左から] 河鍋暁斎 「眠る猫に蝶」「ねずみと大根」「動物の曲芸」
明治4-22年(1871-89)

動物が曲芸をする様を描いた戯画が複数あって、「動物の曲芸」は綱渡りしながら三番叟を舞うコウモリや空中ブランコをするモグラなどが面白おかしく描かれています。イソップ物語を描いたという「鳥と獣と蝙蝠」や鳥獣戯画風の「虎を送り出す兎」、猫好きにはたまらない「岩に猫」など、暁斎のユーモアセンスに頬も緩みっぱなしです。

[写真左] 河鍋暁斎 「雨中さぎ」 制作年不詳

個人的に素晴らしいと思ったのは、象を正面からとらえた「象」と、黒地に白サギを描き、雨の線が背景の色に合わせて反転する「雨中さぎ」 。大胆な構図、洗練されたデザインセンス。この人ただ者ではないなと改めて感じました。


第3章 幕末明治-転換期のざわめきとにぎわい

暁斎が活躍したのは幕末から明治にかけて。暁斎の作品にも西洋人や蒸気船といった新しい時代を感じさせるものがよく描かれているのですが、狩野派など伝統的な流派の絵師でこうした絵を描いたのは暁斎が初めてといいます。そもそも暁斎は国芳にも弟子入りしてますし、新奇なものを描くのに何のためらいもなかったのかもしれません。

[写真左から] 河鍋暁斎 「船上の西洋人」「各国人物図」 明治4-22年(1871-89)
「上野の教育博物館と第二回内国勧業博覧会」 明治14年(1881)

[写真左から] 河鍋暁斎 「名鏡倭魂 新板」 明治7年(1874)
「不可和合戦之図」 明治10年(1877)

「名鏡倭魂 新板」は国芳を彷彿とさせる大判3枚続の錦絵ですが、よく見ると、鏡の輝きに退散する化け物の中に西洋人を風刺したと思われるものもいたりします。磔刑のキリストのまわりで三味線や笛・太鼓を囃し立てる釈迦や老子、孔子らを描いた「五聖奏楽図」や、大仏の顎の上で助六が見得を切る「大仏と助六」など、ただ単に当時の社会や世相を風刺したり、話題の出来事を題材にしたりというのではなく、その発想というかイマジネーションが完全に斜め上を行っています。

[写真左から] 河鍋暁斎 「墨合戦」「大仏と助六」「五聖奏楽図」
明治4-22年(1871-89)

暁斎は明治に入る頃から亡くなるまで絵日記を書いていたそうですが、ほとんど手元に残さず、欲しがる人に譲ってしまったのだとか。暁斎のもとに弟子入りした英国人コンドル(コンダー)のことも触れられていたりして貴重な資料です。ほかにも『暁斎漫画』や『暁斎画談』など冊子の展示も豊富。

[写真上から] 河鍋暁斎 「書画会」 明治4-22年(1871-89)
「暁斎絵日記」 明治15-16年(1882-83)、「暁斎絵日記」 明治21年(1888)


第4章 戯れる-福と笑いをもたらす守り神

鍾馗や鬼、七福神は厄除けだったり縁起ものだったり、暁斎作品によく登場するキャラクター。似た構図で鍾馗を描いた作品がいくつか並んでいましたが、その中でも「鍾馗と鬼」はひと際大きく、豪放で勢いのある筆遣いが目を惹きます。中には蹴鞠のように鬼を蹴り上げる鍾馗の絵もあったりして、遊び心を忘れないのも暁斎らしいところ。

[写真左から] 河鍋暁斎 「鍾馗と鬼」「鬼を持ち上げる鍾馗」 明治4-22年(1871-89)
「鍾馗と鬼」 明治15年(1882)

ここでは春画のコーナーも。『画鬼暁斎』でも暁斎の春画・笑い絵が紹介されていましたが、本展の方が点数は多く、展覧会での自主規制もだんだん緩くなってきたのかなと感じます。暁斎の春画は笑いの要素が強く、そのユーモアあふれる描写はエロマンガ的な楽しさがありますが、「連理枝比翼巻」には軍装姿の男性が女性と交わり、外国人が遠目で冷やかす様子が描かれていて、笑いの中にも毒を盛っているところが暁斎らしい。笑えるといっても一部過激な性描写が含まれる作品もあるので、苦手は人はご覧にならない方がいいかも。


第5章 百鬼繚乱-異界への誘い

暁斎スゲー!と思わず叫びたくなるのが“地獄太夫”。本展には立ちポーズと座りポーズの2つの「地獄太夫と一休」が出ています。立ちポーズの方はこれまで『肉筆浮世絵 美の競演』(ウェストン・コレクション蔵)や『ダブルインパクト』(ボストン美術館蔵)で観たものとほぼ同構図。本展で展示されている作品は京博の『河鍋暁斎展』(未見)で福富太郎コレクションとして出品されたものと同じようですね。

座りポーズはアレンジバージョンのようで、打掛に描かれている地獄絵や閻魔様の図柄が細かい。地獄太夫は余程人気があったのか、一休和尚との組み合わせ以外にも閻魔大王との組み合わせなんかもあって、いろんなパターンが存在しているようです。

[写真左から] 河鍋暁斎 「地獄太夫と一休」「地獄太夫と一休」
明治4-22年(1871-89)

あれ、これ観たことあるな、と思ったら、藝大美術館の『うらめしや~、冥途のみやげ展』に出てた「幽霊図」(下の写真一番右)でした。そう、ゴールドマン氏はこの絵の所有者でもあったのですね。「狂斎」時代の作品で、妻の臨終時のスケッチをもとに描いたといわれています。暗闇の中からボワーッと現れたような光と影の描写が秀逸です。面白かったのが「幽霊に腰を抜かす男」で黒い墨を刷いただけのボワッとした物体にビビる男の姿が笑えます。

[写真左から] 河鍋暁斎 「幽霊に腰を抜かす男」 明治4-22年(1871-89)
「幽霊図」 慶応3年(1867)、「幽霊図下絵」「幽霊図」 慶応4/明治元-3年(1868-70)頃

ほかにも地獄や化け物を描いた作品がいくつかあったのですが、白眉は右隻に無邪気に戯れる妖怪を、左隻に火の玉から逃げ惑う妖怪を描いた「百鬼夜行図屏風」。百鬼夜行図というと絵巻などに妖怪や化け物がこまごまと描かれているものを観ることはありますが、ここまで大きな屏風は初めて観ました。注文主がどんな人だったのかも気になります。

河鍋暁斎 「百鬼夜行図屏風」 明治4-22年(1871-89)


第6章 祈る-仏と神仙、先人への尊崇

暁斎というと戯画や諷刺画の印象が強くて、あまり仏画や禅画のイメージがありませんが、最後にそんな暁斎の知られざる一面を取り上げています。伝統的な禅画のスタイルに挑戦した「半身達磨」など達磨や観音様の作品が並ぶ中で、「寒山拾得」は暁斎らしい滑稽味が感じられて好き。

[写真右] 河鍋暁斎 「瀧見観音」 明治4-22年(1871-89)

[写真左から] 河鍋暁斎 「霊昭女」 明治17年(1884)
「寒山拾得」 明治4-22年(1871-89)

ほかにも珍しいものでは暁斎の山水画や中国の画題に取り組んだ作品なども出ています。戯画や風刺画など、どちらかというとコミカルな作品、ふざけた作品が取り上げられがちな暁斎ですが、仏画や中国画風の作品などを見ると、真摯に絵に取り組んでいたことがよく分かりますし、幅広い画題、自在な画技につくづく凄い人だなと感心します。

[写真左から] 河鍋暁斎 「李白観瀑図」 明治4-22年(1871-89)
「中国山水図」 明治4年(1871)、「雨中山水図」 明治17年(1884)

まさに垂涎のコレクションといった感じで、期待を裏切らない面白さでした。Bunkamura ザ・ミュージアムは金曜・土曜は夜9時まで夜間開館してるので、仕事帰りや食事の後でもゆっくり鑑賞できるのが嬉しいですね。


※展示会場内の写真は特別に主催者の許可を得て撮影したものです。


【ゴールドマン・コレクション これぞ暁斎!】
2017年4月16日(日)まで
Bunkamura ザ・ミュージアムにて


暁斎春画 -ゴールドマン・コレクション暁斎春画 -ゴールドマン・コレクション

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