藤田嗣治の半生を描いた映画『FOUJITA』の公開に合わせた特集展示なんでしょうが、東近美というと、ここのところ戦争画の展示に力を入れているということもあるので、藤田の戦争画を全て紹介することで、日本の近代美術の光と影を一気に見せてしまおうという狙いがあるようにも思えます。
期間中は常設展の4階と3階は一部の展示室を除いて全て藤田嗣治の作品が展示されています。その数26点。そのほかにも藤田が寄稿した雑誌や著作、藤田の挿画などが多く展示されています。
パリの異邦人
やはりレオナール・フジタといえば、真っ先に思い浮かべるのが“乳白色の肌”。繊細な墨線で囲われた、しっとりとしたミルク色の肌のなんとも艶めかしいこと。1920年代のパリの人々をも魅了したふじた藤田の裸婦像は今も十分魅力的です。柔らかくもくっきりとした、迷いのない線は浮世絵を参考にしたものだそうで、いかにエキゾチックさを出すかを考えた末に生まれたものだとか。
藤田嗣治 「タピスリーの裸婦」
1923年 京都国立近代美術館蔵
1923年 京都国立近代美術館蔵
パリ時代の代表作のひとつ「タピスリーの裸婦」。真珠のような上品で柔らかな肌の光沢にうっとりします。これだけは京近美からの特別出品という扱いのようです。「タピスリーの裸婦」と「パリ風景」はつい先だっての『NO MUSEUM, NO LIFE? これからの美術館事典』にも出品されていましたね。
藤田嗣治 「五人の裸婦」
1923年 東京国立近代美術館蔵
1923年 東京国立近代美術館蔵
「五人の裸婦」は布を持つ女性は触覚、耳を触る女性は聴覚、口を指す女性は味覚、狗を伴う女性は嗅覚、中央の女性が視覚と五感を表しているのだとか。その装飾画のような象徴的な佇まいに黒田清輝の「智・感・情」を思い出しました。
南米旅行の際の作品が2点あって、それまでの優しい色合いの画風から鮮やかな色彩へと変化し、官能的な裸婦はたくましく生きる女性の姿へと変わっていくのが面白い。
藤田嗣治 「猫」
1940年 東京国立近代美術館蔵
1940年 東京国立近代美術館蔵
藤田の作品には猫がよく描かていますが、「猫」はたくさんの猫が暴れまわり、よく見ると本能剥き出しで、ちょっと怖い感じさえあります。時代の空気を読んだ、一種の戦争画のようにも思えます。
戦争画
出品作品中、半分以上の14作品が戦争画。藤田の戦争画は『MOMATコレクション 誰がためにたたかう?』でも2作品だけ公開されていましたが、今回は東近美が所蔵(正確にはアメリカからの無期限貸与)する藤田の戦争画が全て並ぶという点で貴重です。ある意味藤田の名を借りた戦争画展といった感じすらします。
藤田嗣治 「哈爾哈(はるは)河畔之戦闘」
1941年 (無期限貸与) ※2015年7月に撮影
1941年 (無期限貸与) ※2015年7月に撮影
戦争画といっても戦争初期と末期では雰囲気がかなり違って、当初は「南昌飛行場の焼打」や「哈爾哈河畔之戦闘」のように戦地のパノラマ的な光景や戦闘機などがドラマティックに描かれていたものが、戦争が泥沼化し、戦況が悪化していくと、兵士がひしめき合う暗い画面に変化していきます。
それでも、たとえばノモンハン事件を描いた「哈爾哈河畔之戦闘」は一見その青空から日本の晴れ晴れしい活躍をイメージさせますが、実際には日本軍・ソ連軍ともに多大な犠牲を払った悲惨なものだったそうで、藤田は死体が転がる凄惨な光景の別バージョンも描いていたともいわれています。
藤田嗣治 「アッツ島玉砕」
1943年 (無期限貸与) ※2015年7月に撮影
1943年 (無期限貸与) ※2015年7月に撮影
人が人を殺しあう地獄絵図を描いた「アッツ島玉砕」は負け戦にも関わらず、「くじけず一層力をつくそう」というメッセージとともに大々的に報道され、ある意味メディアミックス的な戦略に利用されたといいます。
藤田がそれを認識し、意図していたのかは分かりませんが、かつて描いた戦争画はきれいに描きすぎたと振り返り、「縦横無尽に主観を混えて描きまくるべきだ」と述べています。「アッツ島玉砕」は日本人の勇敢な戦いが描かれてるのかと思いきや、よく見ると日本兵の狂気に満ちた、錯乱したような形相が強烈ですし、逆に米兵の救いを求めるような表情に気持ちが動かされます。
藤田嗣治 「サイパン島同胞臣節を全うす」
1945年 (無期限貸与)
1945年 (無期限貸与)
藤田はヨーロッパの戦争画の歴史に触れ、「今日我々が最も努力し甲斐のあるこの絵画の難問題」を戦争のお蔭によって勉強ができ、戦時の戦意高揚にも役立ち、後世に保存されるならば「今日の日本の画家程幸福な者はなく、誇りを感ずる」と語っています。
単に戦争画を描くというのではなく、ヨーロッパの戦争画に比して劣ることのないよう、戦争画の名画を研究し、引用していたという点に強い興味を覚えます。「アッツ島玉砕」や「血戦ガダルカナル」ではラファエロ原案の壁画「ミルウィウス橋の戦い」と、「ソロモン海域に於ける米兵の末路」では「メデューサ号の筏」と、「サイパン島同胞臣節を全うす」ではアリ・シェフェールの「スリオート族の女たち」との関連性を指摘されていました。こうした知識を積極的に活かし、藤田は当時の戦争画をリードしたといいます。
戦後
戦後の作品は3作品。寓話を描いた「ラ・フォンテーヌ頌」の解説に「人間めいた行動をしようとするのに、つい残念な本性を表す」動物たちの姿をこの時期よく描いたとあり、そういう解説を読んでしまうと、戦争画の戦争責任の批判を受け、日本画壇から追放された藤田の思いと重なって見えてしまいます。かつてのパリ時代を彷彿とさせる「少女」はフランス帰化後の藤田の心の平穏が伝わってくるようです。
藤田嗣治 「ラ・フォンテーヌ頌」
1949-60年 東京国立近代美術館蔵
1949-60年 東京国立近代美術館蔵
【所蔵作品展 MOMATコレクション 特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示。】
2015年12月13日(日)まで
東京国立近代美術館にて
もっと知りたい藤田嗣治(つぐはる)―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
戦争画リターンズ──藤田嗣治とアッツ島の花々
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