2014/04/28
キトラ古墳壁画
東京国立博物館で開催中の特別展『キトラ古墳壁画』に行ってきました。
予想はしていましたが、すでに初日から大変な混雑のようで、GWがはじまってからは昼間は60分とか70分の行列ができることも。展示会場に入っても壁画に辿り着くまでさらに20~30分かかるといいます。(混雑の状況などの情報はキトラ古墳壁画公式ツイッター(@kitora2014)でツイートされています)
昼間並んで無為に時間を過ごすよりましだと開館の1時間以上前から並びましたが、開館1時間ぐらい前から急激に列が伸び、あっという間の大行列。先頭集団で会場に入れたので人混みを避けゆっくり観ることができましたが、2巡しようと思ったときはもう会場内もかなりの混雑になっていました。閉館前は待ち時間も比較的短いようなので、都合がつくなら閉館前が狙い目かもしれません。
さて、会場に入ると、いきなりの壁画登場!しかもケースなしの剥き出し!と思ったら、複製陶板でした。それでもとても精巧に作られていて、実際の壁画と比べても遜色ありませんし、縦置きなので見やすい。まずはここでキトラ古墳の壁画がどんなものかしっかり観ておきましょう。天井も忘れずに。
そのあと、キトラ古墳からのガラス玉や飾り金具などの出土品や、出土の経緯や保護の様子を収めた映像(というか写真)がモニターで流れていて、そして遂にホンモノの壁画が登場!
壁画は切り取られた部分のみ横置きで展示され、北壁の玄武、西壁の白虎、南壁の朱雀、最後に北壁の子・丑・寅(寅のみ複製)の順に並んでいます。四神の玄武・白虎・朱雀は状態も良く、色・線ともにはっきりしています。全体の色味はレプリカの方がクリアーですが、やはり実物は質感が違うし、何より神秘的です。
子・丑は損傷が激しく、微かに線らしきものがあるなと確認できる程度ですが、顔は動物、体は人間という半身半獣の異形の姿が見て取れます。天井に描かれた世界最古級という天文図と四神の内の東壁の青竜は修復の関係で現物は公開されてません(レプリカはあり)が、よくぞこれだけのものを東京まで持って来てくれたなと思います。
時代としては奈良時代末期され、古墳としては終末期のものですが、高松塚古墳と並ぶ貴重な彩色壁画ということで、大陸の影響や高松塚古墳との関連、またそれぞれの絵にどんな意味があるのか、どんな顔料を使っていたのか、そして眠っている人は誰なのか、興味は尽きません。
会場の最後には、キトラ古墳と1キロの距離にある高松塚古墳の複製もあり。今はカビが発生し、劣化してしまったと聞きますが、複製では発掘時の鮮やかな色の壁画を観ることができます。
高松塚古墳の失敗があってのキトラ古墳の保護プロジェクトなのでしょうが、今回の展覧会で興味深かったのが壁画保護の技術の高さ。高松塚古墳の発見がせめて20年遅ければ、あの極彩色の壁画もキトラと同じように保存されたのかなと思ったりもしました。
会場は本館1階入口を入ってすぐの特別5室なので、並んでなければ実際には20分もあれば十分見終えてしまうもの。観ている時間は一瞬かもしれませんが、壁画の価値は時間では計れません。考古学ファンでなくても一度は観ておきたい展覧会です。
(2016年に明日香村に開館予定の国営施設で公開される予定があるそうです)
【特別展 キトラ古墳壁画】
2014年5月18日(日)まで
東京国立博物館・本館特別5室にて
高松塚・キトラ古墳の謎 (歴史文化ライブラリー 306)
まりこふんの古墳ブック
楽しい古墳案内 (別冊太陽 太陽の地図帖 23)
2014/04/20
松林桂月展
練馬区立美術館で開催中の『松林桂月展』に行ってきました。
本展は明治から大正、昭和と活躍した日本画家・松林桂月の没後50年を記念した展覧会。昨年、山口県立美術館、田原市博物館で開かれた展覧会の巡回展になります。
以前、東京国立近代美術館の常設展で目にした「春宵花影図」の素晴らしさに衝撃を受けて以来、桂月はどうしても観たかった画家の一人。大正・昭和の日本画にありがちな近代性に染まらず水墨画を極めた稀有な存在です。
本展は、初公開を含む大作、名品、詩書画など約100点を展示(期間中、一部入れ替えあり)。30年ぶりの回顧展なのだそうです。個人蔵の作品も多く、また代表作が揃い、なかなか見応えのある展覧会でした。
第1章 若き日の桂月 -師・野口幽谷と妻・雪貞-
日本画家としての頭角を現す明治後期から大正初期にかけての作品を展示。師の野口幽谷や妻で同門の日本画家・松林雪貞の作品も併せて紹介しています。幽谷は椿椿山の弟子で、渡辺華山(椿山は華山の弟子)に傾倒していたこともあり、桂月は花鳥画、南画に才能を示します。
半年かけ3度も描き直したという初期の代表作「怒涛健鵰」、華山の影響を感じさせる強い線描の「桃花双鶴」、四幅の文人画「四季山水」、緑青で表現した山水画「夏木垂陰」あたりが見どころでしょうか。「怒涛健鵰」なんて、若干21歳の作品ですよ。試行錯誤し、師・幽谷の手助けも断ったといいますが、力強い筆遣いに桂月の並外れた技量と強いこだわりが伝わってきます。
妻・雪貞の花鳥画もなかなかの腕前。特に花を描いた作品など描写が実に丁寧で繊細で、華麗というだけでなく、ハッとするような美しさがあります。桂月と雪貞の合作も何点か展示されていました。
第2章 桂月芸術の最高潮 -大正期から戦前まで-
画風が確立され、充実した作品を発表し続けた大正から戦前までを紹介。水墨画、南画、花鳥画、また詩書画などの力作、意欲作が並びます。
「仙峡聴泉」は桂月の山水図のスタイルを決定づけたという大作。力漲る密度の濃い筆つきが見事です。そのほか、大型の掛軸四幅にダイナミックに描いた「四季山水」、木々や藤が絡み合うような濃厚な味わいの「潭上余春」、詩書画にも才能を発揮した「十声詩意」など水墨の優品が並びます。
着色花鳥画の代表作「秋園」は、たらし込みを活かした幹の風合いや紅葉のグラデーションが素晴らしく、琳派風の華やかさの中にも格調の高さを感じます。輪郭線の内側に色を付けた竹と輪郭線を用いず描いた山葡萄の葉の対照が美しい「秋渓山雉」も印象的。
本展の一押しは、やはり「春宵花影」。朧月夜のほのかな光に照らされた桜の美しさに息を呑みます。ただ美しいだけでなく、どこか幻想的で、何か奥深いものを感じます。優れた写実性を持ちながら、抒情性に富んだ桂月の水墨技術の到達点にして、近代日本画の傑作です。
第3章 孤高の境地 -戦後の桂月-
戦後の作品には、画面全体からビシビシ伝わってくる水墨画への漲る思いや突き詰めた技巧は少し落ち着いたように見えます。どちらかというと、極めた感というか、達観した感じというか。繰り返し描いたという故郷・萩の長門峡の絵も、大正時代に描いたものと戦後で描いたものでは、伝わってくるものが違います。
戦後の作品では「雨後」が秀逸。墨の繊細で巧みな筆さばきが素晴らしい。葡萄の一部に胡粉が使われ、微妙な光の加減を表現しています。たなびく霧を墨の溌墨だけで表した「夜雨」、朧月に浮かぶ竹林を描いた「竹林幽愁」も見事。
印象的だったのが最晩年の大作「香橙」。墨で濃淡をつけながらも、地の薄い橙色と相俟って全体的に落ち着いた趣の屏風絵です。幹はたらし込みを用い、また橙色の橙と白い花が橙の香りのような清楚な空気感を醸し出しています。最後には絶筆の「夏影山水」が。どこか物寂しげで、この筆が最期かと思うと感慨深いものがあります。
近代日本画が西洋画の影響や近代的な造形に流れ、特に戦後は色絵具の厚塗りが一般的になっていく中、ここまで水墨を極めた日本画家が他にいたでしょうか。巧みな筆さばき、墨の美しさに唸ること必至の展覧会です
【没後五〇年 松林桂月展-水墨を極め、画中に詠う】
2014年6月8日(日)まで
練馬区立美術館にて
本展は明治から大正、昭和と活躍した日本画家・松林桂月の没後50年を記念した展覧会。昨年、山口県立美術館、田原市博物館で開かれた展覧会の巡回展になります。
以前、東京国立近代美術館の常設展で目にした「春宵花影図」の素晴らしさに衝撃を受けて以来、桂月はどうしても観たかった画家の一人。大正・昭和の日本画にありがちな近代性に染まらず水墨画を極めた稀有な存在です。
本展は、初公開を含む大作、名品、詩書画など約100点を展示(期間中、一部入れ替えあり)。30年ぶりの回顧展なのだそうです。個人蔵の作品も多く、また代表作が揃い、なかなか見応えのある展覧会でした。
第1章 若き日の桂月 -師・野口幽谷と妻・雪貞-
日本画家としての頭角を現す明治後期から大正初期にかけての作品を展示。師の野口幽谷や妻で同門の日本画家・松林雪貞の作品も併せて紹介しています。幽谷は椿椿山の弟子で、渡辺華山(椿山は華山の弟子)に傾倒していたこともあり、桂月は花鳥画、南画に才能を示します。
半年かけ3度も描き直したという初期の代表作「怒涛健鵰」、華山の影響を感じさせる強い線描の「桃花双鶴」、四幅の文人画「四季山水」、緑青で表現した山水画「夏木垂陰」あたりが見どころでしょうか。「怒涛健鵰」なんて、若干21歳の作品ですよ。試行錯誤し、師・幽谷の手助けも断ったといいますが、力強い筆遣いに桂月の並外れた技量と強いこだわりが伝わってきます。
松林桂月 「怒涛健鵰」
明治30年(1897年) 個人蔵
明治30年(1897年) 個人蔵
妻・雪貞の花鳥画もなかなかの腕前。特に花を描いた作品など描写が実に丁寧で繊細で、華麗というだけでなく、ハッとするような美しさがあります。桂月と雪貞の合作も何点か展示されていました。
第2章 桂月芸術の最高潮 -大正期から戦前まで-
画風が確立され、充実した作品を発表し続けた大正から戦前までを紹介。水墨画、南画、花鳥画、また詩書画などの力作、意欲作が並びます。
松林桂月 「仙峡聴泉」
昭和4年(1929年) 山口県立美術館 (展示は5/11まで)
昭和4年(1929年) 山口県立美術館 (展示は5/11まで)
「仙峡聴泉」は桂月の山水図のスタイルを決定づけたという大作。力漲る密度の濃い筆つきが見事です。そのほか、大型の掛軸四幅にダイナミックに描いた「四季山水」、木々や藤が絡み合うような濃厚な味わいの「潭上余春」、詩書画にも才能を発揮した「十声詩意」など水墨の優品が並びます。
松林桂月 「秋園」
昭和13年(1938年) 宇部市蔵 (展示は5/11まで)
昭和13年(1938年) 宇部市蔵 (展示は5/11まで)
着色花鳥画の代表作「秋園」は、たらし込みを活かした幹の風合いや紅葉のグラデーションが素晴らしく、琳派風の華やかさの中にも格調の高さを感じます。輪郭線の内側に色を付けた竹と輪郭線を用いず描いた山葡萄の葉の対照が美しい「秋渓山雉」も印象的。
松林桂月 「春宵花影」
昭和14年(1939年) 東京国立近代美術館 (展示は5/11まで)
昭和14年(1939年) 東京国立近代美術館 (展示は5/11まで)
本展の一押しは、やはり「春宵花影」。朧月夜のほのかな光に照らされた桜の美しさに息を呑みます。ただ美しいだけでなく、どこか幻想的で、何か奥深いものを感じます。優れた写実性を持ちながら、抒情性に富んだ桂月の水墨技術の到達点にして、近代日本画の傑作です。
第3章 孤高の境地 -戦後の桂月-
戦後の作品には、画面全体からビシビシ伝わってくる水墨画への漲る思いや突き詰めた技巧は少し落ち着いたように見えます。どちらかというと、極めた感というか、達観した感じというか。繰り返し描いたという故郷・萩の長門峡の絵も、大正時代に描いたものと戦後で描いたものでは、伝わってくるものが違います。
松林桂月 「雨後」
昭和30年(1955年) 個人蔵 (展示は5/11まで)
昭和30年(1955年) 個人蔵 (展示は5/11まで)
松林桂月 「夜雨」
昭和37年(1962年) 個人蔵
昭和37年(1962年) 個人蔵
戦後の作品では「雨後」が秀逸。墨の繊細で巧みな筆さばきが素晴らしい。葡萄の一部に胡粉が使われ、微妙な光の加減を表現しています。たなびく霧を墨の溌墨だけで表した「夜雨」、朧月に浮かぶ竹林を描いた「竹林幽愁」も見事。
松林桂月 「香橙」
昭和中期 萩博物館蔵 (展示は5/11まで)
昭和中期 萩博物館蔵 (展示は5/11まで)
印象的だったのが最晩年の大作「香橙」。墨で濃淡をつけながらも、地の薄い橙色と相俟って全体的に落ち着いた趣の屏風絵です。幹はたらし込みを用い、また橙色の橙と白い花が橙の香りのような清楚な空気感を醸し出しています。最後には絶筆の「夏影山水」が。どこか物寂しげで、この筆が最期かと思うと感慨深いものがあります。
近代日本画が西洋画の影響や近代的な造形に流れ、特に戦後は色絵具の厚塗りが一般的になっていく中、ここまで水墨を極めた日本画家が他にいたでしょうか。巧みな筆さばき、墨の美しさに唸ること必至の展覧会です
【没後五〇年 松林桂月展-水墨を極め、画中に詠う】
2014年6月8日(日)まで
練馬区立美術館にて
2014/04/19
中村芳中展
千葉市美術館で開催中の『光琳を慕う-中村芳中展』の前期展示を観て参りました。
尾形光琳に私淑した琳派の絵師といえば酒井抱一ですが、実は抱一とほぼ同時期に光琳に強い影響を受け、光琳風の作品を残した絵師に中村芳中がいます。
芳中というと、琳派の展覧会でときどき目にする機会はありますが、それでも光琳や抱一以外の“そのほか”の琳派の絵師として紹介される程度。いい絵だなと思いつつも、ちらりちらりと見かけるだけで、なかなかその全貌が分からなかったというのが実際のところではないでしょうか。
本展は、その琳派の隠れた人気絵師・中村芳中の待望の展覧会。芳中を単独で取り上げる展覧会は関東では初めてのようです。洗練された江戸琳派を築いた抱一の正統派琳派とはひと味違う、ほんわかほっこりした浪花の琳派を堪能できます。
第一章 芳中が慕った光琳-尾形光琳とその後の絵師たち
まずは江戸中期に琳派を大成させた光琳を復習。見ものの一つは、光琳が宗達を“発見”する以前の初期の作品「十二ヶ月歌意図屏風」で、後年の装飾的傾向はまだありませんが、構図や筆致に光琳らしいセンスを感じることができます。
ほかに、墨の抑えたトーンが美しい「四季草花図」、速筆で描いた軽妙な味わいの「大黒図」、シンプルだけど雰囲気のある水墨画「墨梅図」と「墨竹図」などが並びます。興味深いのは、<失われた光琳を求めて>と紹介されていた小西家旧蔵の光琳の残した資料で、現存しない光琳作品を知る手がかりとして貴重です。
そのほか、光琳の弟・乾山のまるで工芸品のデザインのような「吉野山図」や、光琳に師事したとされる深江芦舟、乾山の弟子・立林何帠の作品を展示。何帠の「扇面貼交屏風」を観ると、単純化した描写やたらし込みの扱い方などに光琳から芳中へ至る過程のようなものを感じます。
第二章 芳中の世界-親しみを招くほのぼの画
芳中には『光琳画譜』のようにかわいい絵があったり、光琳風の意匠化された作品が多いのは知っていましたが、ここまでユニークだとは思いませんでした。ほのぼの系琳派というか脱力系琳派というか、ほんわかとした味があり、何かおおらか。ちょっと衝撃的です。
最初に登場するのが「扇面貼交屏風」や「花卉図画帖」、「扇面画帖」といった扇面を散らした屏風や画帖で、その単純化されたモティーフや大胆な構図に驚かされます。そして、ここまでたらし込みしますか!?というぐらいのたらし込みの多用にもビックリ。光琳にも墨のたらし込みに緑青を混ぜる技法を観ますが、芳中はそれを応用しているというか、さらに発展させたというか、植物の葉や茎、幹の表現に緑青や金の絵具を効果的にたらし込み、また水分を含んだ筆で滲みを作り出すことで、絶妙な味わいを生み出しています。ぼってりとした線は光琳というより宗達に近いかもしれません。
とにかく芳中は楽しい。「白梅小禽図屏風」のおしゃべりしそうな鳥とか、「鹿図」の口ポカンな鹿とか、「老松図扇面」のキノコみたいな松とか、「桔梗図扇面」の笑ってる桔梗とか、「托鉢図」のほとんど遠足の托鉢僧とか、どれも愛らしく楽しげ。虎屋所蔵の「菊図扇面貼交屏風」の菊図の胡粉の盛り方なんてまるで落雁。あんな笑えるガマガエルのいる「蝦蟇鉄拐図」も初めて見ました。芳中の絵をもらった人はさぞかしニコニコしたことでしょう。
最後の方にちょろんと文人画風の作品があって、芳中はこういう絵も描くのかと思ったのですが、実は芳中はもともと南画家として出発したのだそうです。しかも池大雅に師事していたという話もあるとか。芳中、侮れません。
第三章 芳中のいた大坂画壇
芳中の出自は不明ですが、恐らくは京都から大坂に移り、その後江戸に出て、晩年の約18年は大阪で過ごしたといいます。ここでは芳中と同時代に大坂で活躍した木村蒹葭堂や、淵上旭江、森周峯、青木木米といった蒹葭堂周辺の絵師や大雅門下の絵師の作品を紹介。蒹葭堂は交友関係が広く文化サロンのような役割を果たし、京阪の多くの絵師たちが出入りしたことで有名ですが、蒹葭堂が池大雅に学んだということもあるからか、展示作品の多くは文人画(南画)です。ここに江戸とは何か違う文化圏を感じなくもありません。
第四章 芳中と版本-版で伝わる光琳風
最後に芳中の名を有名にした“光琳風”の作品を収めた『光琳画譜』や、芳中が俳図を手がけた俳書、他の絵師による同様の光琳文様の冊子、また芳中に似た画風として鍬形蕙斎の略画本を紹介しています。鍬形蕙斎(北尾政美)は浮世絵で知られますが、こうした略画の絵手本も多く残しているようで、図録によると蕙斎は芳中の画法を慕いともあり、芳中も蕙斎に倣ったともあり、互いに影響し合っていたようです。
同じ光琳を慕った抱一とどうしてこうも路線が違うのか、それが不思議でもあり、面白くもあり。ただ一つ言えるのは、芳中の絵からは彼の人となりまで伝わって来るようで、さぞかし洒落が利いて、気持ちがおおらかで、人を愉しませるのが好きで、また人に愛された絵師だったのだろうなと思います。会期が短い上に、前後期で作品がほとんど入れ替わります。この機会をお見逃しなく。
【光琳を慕う-中村芳中展】
2014年5月11日(日)まで
千葉市美術館にて
光琳を慕う中村芳中
光琳画譜
尾形光琳に私淑した琳派の絵師といえば酒井抱一ですが、実は抱一とほぼ同時期に光琳に強い影響を受け、光琳風の作品を残した絵師に中村芳中がいます。
芳中というと、琳派の展覧会でときどき目にする機会はありますが、それでも光琳や抱一以外の“そのほか”の琳派の絵師として紹介される程度。いい絵だなと思いつつも、ちらりちらりと見かけるだけで、なかなかその全貌が分からなかったというのが実際のところではないでしょうか。
本展は、その琳派の隠れた人気絵師・中村芳中の待望の展覧会。芳中を単独で取り上げる展覧会は関東では初めてのようです。洗練された江戸琳派を築いた抱一の正統派琳派とはひと味違う、ほんわかほっこりした浪花の琳派を堪能できます。
中村芳中 「白梅図」
江戸時代中期~後期(18~19世紀) 千葉市美術館蔵
江戸時代中期~後期(18~19世紀) 千葉市美術館蔵
第一章 芳中が慕った光琳-尾形光琳とその後の絵師たち
まずは江戸中期に琳派を大成させた光琳を復習。見ものの一つは、光琳が宗達を“発見”する以前の初期の作品「十二ヶ月歌意図屏風」で、後年の装飾的傾向はまだありませんが、構図や筆致に光琳らしいセンスを感じることができます。
ほかに、墨の抑えたトーンが美しい「四季草花図」、速筆で描いた軽妙な味わいの「大黒図」、シンプルだけど雰囲気のある水墨画「墨梅図」と「墨竹図」などが並びます。興味深いのは、<失われた光琳を求めて>と紹介されていた小西家旧蔵の光琳の残した資料で、現存しない光琳作品を知る手がかりとして貴重です。
尾形光琳 「大黒図」
宝永2年(1705年) MIHO MUSEUM蔵 (展示は4/20まで)
宝永2年(1705年) MIHO MUSEUM蔵 (展示は4/20まで)
そのほか、光琳の弟・乾山のまるで工芸品のデザインのような「吉野山図」や、光琳に師事したとされる深江芦舟、乾山の弟子・立林何帠の作品を展示。何帠の「扇面貼交屏風」を観ると、単純化した描写やたらし込みの扱い方などに光琳から芳中へ至る過程のようなものを感じます。
第二章 芳中の世界-親しみを招くほのぼの画
芳中には『光琳画譜』のようにかわいい絵があったり、光琳風の意匠化された作品が多いのは知っていましたが、ここまでユニークだとは思いませんでした。ほのぼの系琳派というか脱力系琳派というか、ほんわかとした味があり、何かおおらか。ちょっと衝撃的です。
中村芳中 「花卉図画帖(七月 芥子)」
江戸時代中期~後期(18~19世紀) 細見美術館蔵
(会期中、頁替えあり)
江戸時代中期~後期(18~19世紀) 細見美術館蔵
(会期中、頁替えあり)
最初に登場するのが「扇面貼交屏風」や「花卉図画帖」、「扇面画帖」といった扇面を散らした屏風や画帖で、その単純化されたモティーフや大胆な構図に驚かされます。そして、ここまでたらし込みしますか!?というぐらいのたらし込みの多用にもビックリ。光琳にも墨のたらし込みに緑青を混ぜる技法を観ますが、芳中はそれを応用しているというか、さらに発展させたというか、植物の葉や茎、幹の表現に緑青や金の絵具を効果的にたらし込み、また水分を含んだ筆で滲みを作り出すことで、絶妙な味わいを生み出しています。ぼってりとした線は光琳というより宗達に近いかもしれません。
中村芳中 「白梅小禽図屏風」
江戸時代中期~後期(18~19世紀) 細見美術館蔵
江戸時代中期~後期(18~19世紀) 細見美術館蔵
とにかく芳中は楽しい。「白梅小禽図屏風」のおしゃべりしそうな鳥とか、「鹿図」の口ポカンな鹿とか、「老松図扇面」のキノコみたいな松とか、「桔梗図扇面」の笑ってる桔梗とか、「托鉢図」のほとんど遠足の托鉢僧とか、どれも愛らしく楽しげ。虎屋所蔵の「菊図扇面貼交屏風」の菊図の胡粉の盛り方なんてまるで落雁。あんな笑えるガマガエルのいる「蝦蟇鉄拐図」も初めて見ました。芳中の絵をもらった人はさぞかしニコニコしたことでしょう。
中村芳中 「鹿図」
江戸時代中期~後期(18~19世紀) 摘水軒記念文化振興財団蔵
(展示は4/20まで)
江戸時代中期~後期(18~19世紀) 摘水軒記念文化振興財団蔵
(展示は4/20まで)
最後の方にちょろんと文人画風の作品があって、芳中はこういう絵も描くのかと思ったのですが、実は芳中はもともと南画家として出発したのだそうです。しかも池大雅に師事していたという話もあるとか。芳中、侮れません。
第三章 芳中のいた大坂画壇
芳中の出自は不明ですが、恐らくは京都から大坂に移り、その後江戸に出て、晩年の約18年は大阪で過ごしたといいます。ここでは芳中と同時代に大坂で活躍した木村蒹葭堂や、淵上旭江、森周峯、青木木米といった蒹葭堂周辺の絵師や大雅門下の絵師の作品を紹介。蒹葭堂は交友関係が広く文化サロンのような役割を果たし、京阪の多くの絵師たちが出入りしたことで有名ですが、蒹葭堂が池大雅に学んだということもあるからか、展示作品の多くは文人画(南画)です。ここに江戸とは何か違う文化圏を感じなくもありません。
第四章 芳中と版本-版で伝わる光琳風
最後に芳中の名を有名にした“光琳風”の作品を収めた『光琳画譜』や、芳中が俳図を手がけた俳書、他の絵師による同様の光琳文様の冊子、また芳中に似た画風として鍬形蕙斎の略画本を紹介しています。鍬形蕙斎(北尾政美)は浮世絵で知られますが、こうした略画の絵手本も多く残しているようで、図録によると蕙斎は芳中の画法を慕いともあり、芳中も蕙斎に倣ったともあり、互いに影響し合っていたようです。
中村芳中 『光琳画譜』より
享和2年(1802年)刊 千葉市美術館(ラヴィッツ・コレクション)蔵
(会期中、頁替えあり)
享和2年(1802年)刊 千葉市美術館(ラヴィッツ・コレクション)蔵
(会期中、頁替えあり)
同じ光琳を慕った抱一とどうしてこうも路線が違うのか、それが不思議でもあり、面白くもあり。ただ一つ言えるのは、芳中の絵からは彼の人となりまで伝わって来るようで、さぞかし洒落が利いて、気持ちがおおらかで、人を愉しませるのが好きで、また人に愛された絵師だったのだろうなと思います。会期が短い上に、前後期で作品がほとんど入れ替わります。この機会をお見逃しなく。
【光琳を慕う-中村芳中展】
2014年5月11日(日)まで
千葉市美術館にて
光琳を慕う中村芳中
光琳画譜
2014/04/11
日本絵画の魅惑 [前期]
出光美術館で開催中の『日本の美・発見Ⅸ 日本絵画の魅惑』展に行ってきました。
出光美術館でときどき開催されている≪日本の美・発見≫シリーズの第9弾は、鎌倉時代から江戸時代までの名品を一堂に集めたコレクション展。こうした形で出光美術館所蔵の日本絵画コレクションを公開するのは実に8年ぶりだといいます。
いわば、『出光美術館日本絵画名品展』なわけで、過去の企画展で拝見している作品もいくつかありましたが、美術史に沿って体系的にまとめられていて、あらためて日本画の流れの中で作品の価値や位置づけを観ていくことができます。
作品は前後期合わせて83点。それとは別に古伊万里や古九谷、柿右衛門など館所蔵の工芸品約30点も出陳されていて、なかなか見応えるのある展覧会でした。
さて、会場は日本画の流れに沿って、いくつかのテーマに分けて構成されています。
1 絵巻 ―アニメ映画の源流
2 仏画 ―畏れと救いのかたち
3 室町時代水墨画 ―禅の精神の表現が芸術へ
4 室町時代やまと絵屏風 ―美麗なる屏風の世界
5 近世初期風俗画 ―日常に潜む人生の機微を描く
6 寛文美人図と初期浮世絵 ―洗練されゆく人間美
7 黄金期の浮世絵 ―妖艶な人間美
8 文人画 ―自娯という独特の美しさ
9 琳派 ―色とかたちの極致
10 狩野派と長谷川等伯 ―正統な美VS斬新な美
11 仙厓の画 ―未完了の表現
まずは絵巻から。“アニメ映画の源流”とか何かと現代のカルチャーを持ち出すのは安っぽくなるから止めた方がいいと思うのですが(親しみやすくという意味なんでしょうが)、それはともかく日本絵画の源流として絵巻の成り立ちから丁寧に解説しています。
重文の「橘直幹申文絵巻」は平安時代の貴族・橘直幹が天皇に申文を送った顛末を描いたもので、今回展示されていた場面では焼いた肴や食べ物を売っている萬屋など町や人々の様子も表現に富み、当時の風俗を探る上でも興味深い作品です。
つづいて仏画。阿弥陀如来が極楽浄土から迎えに来る様子を描いた「山越阿弥陀図」、地獄の恐ろしさを分かりやすく説いた「六道・十王図」、どうすれば極楽に行けるか、極楽はどんなところかがビッシリ描き込まれた「当麻曼荼羅図」とどれも素晴らしい。後期には重文の「十王地獄図」が出品されます。
水墨画では、年紀の伴う屏風では最古のものという能阿弥の「四季花鳥図屏風」が秀逸。牧谿の作品をモチーフにしているということですが、竹や蓮など草木・花の描写もさることながら、自由を謳歌するかのような鳥の生き生きとした姿が実にいい。
やまと絵屏風では「日月四季花鳥図屏風」がいい。銀を使ったと思しきところが変色してしまっていますが、描写や構図が洗練されていて、状態が良ければどれだけ美しく豪華な屏風だっただろうと思わせます。
初期風俗画には見事な「江戸名所図屏風」が出ていてこれがまず見もの。右隻には浅草や上野、日本橋などの町の賑わいが、左隻には江戸城や木挽町の芝居小屋、築地の魚市場や芝増上寺一帯まで描かれ、江戸の賑わいや活気が描き出されています。
ほかにも、世界の民族が描かれていたり、クジラが海に泳いでたりとユニークな「世界地図・万国人物図屏風」、初期風俗画として興味深い「桜下弾弦図屏風」、豪華な「洛中洛外図屏風」など見応えのある作品が展示。後期には重文の「祇園祭礼図屏風」が出るので、これも観たいところです。
浮世絵も優品が出ています。歌麿の肉筆画「更衣美人図」は個人的には今回のイチオシ。着物の襟を押さえた仕草が色っぽく、絶品。春の風情に満ちた背景も美しい勝川春章の「桜花三美人図」、魔除けになりそうな北斎の「鍾馗騎獅図」、じゃらじゃらした雰囲気が面白い歌川豊春の「芸妓と嫖客図」、江戸の美少年愛好の一端を覗かせる「若衆図」なども良し。
文人画で目を引くのが田能村竹田の「梅花書屋図」。どこまでもつづく梅の老木、途中には四阿があって、その風情がいい。渡辺崋山の「猫図」は可愛らしさはないけれど、猫の本能的な鋭さが良く出ています。ほかに、現在の新宿・戸山公園や東宮御所付近を描いた谷文晁の図稿など。
琳派は前期2点、後期2点というのがちょっと寂しいですが、前期には抱一の「風神雷神図屏風」と宗達の「月に秋草図屏風」が出ています。
等伯は前期に「松に鴉・柳に白鷺図屏風」、後期に「波濤図屏風」が登場。ともに2011年の『長谷川等伯と狩野派展』に出品されていますが、等伯次世代の長谷川派絵師によるものとされていた「波濤図屏風」が今回は等伯筆として紹介。何か確証でも得られたのでしょうか? その「波濤図屏風」は前回片隻のみでしたが、今回は両隻揃って展示されるようです。「松に鴉・柳に白鷺図屏風」は何者かにより等伯の落款が消され「雪舟筆」という署名がされていたことがあり、その痕跡がパネルで紹介されています(狩野派による陰謀説という話もありますが)。
狩野派の作品では光信の「西王母・東方朔図屏風」が非常に丁寧な作りで見応えあり。狩野派の作品とされる「歌舞伎図〈表〉・花鳥図〈裏〉屏風」も色鮮やかで綺麗。
狩野派のコーナーには英一蝶も。「四季日待図巻」は一蝶が流刑地の三宅島で描いた、いわゆる“島一蝶”と呼ばれる作品とのこと。都を懐かしみながら描いたのでしょうか。遊興にふける人々の表情も豊かで、非常に丁寧に描かれているのが印象的です。
最後はお約束の仙崖。仙崖の展覧会は出光ではたびたび開かれていますが、何度観ても笑えるし、朗らかな気持ちになります。お年寄りたちが高齢化問題を愚痴る「老人六歌仙画賛」や桜の下の楽しげな様子を描いた「花見画賛」、なぜか梅毒が画題の「柳町画賛」など。
本展の入場料は1000円ですが、窓口でチケットを購入すると後期展示を500円で観られる割引券がもらえます。今回はミューぽんも使える(200円引き)ので、さらにお得になります。これだけの名品を観て、このお値段はかなりお得じゃないでしょうか?
【日本の美・発見Ⅸ 日本絵画の魅惑】
前期 2014年4月5日(土)~5月6日(火・休)
後期 2014年5月9日(金)~6月8日(日)
出光美術館にて
もっと知りたい長谷川等伯―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
仙〔ガイ〕の○△□―無法の禅画を楽しむ法
出光美術館でときどき開催されている≪日本の美・発見≫シリーズの第9弾は、鎌倉時代から江戸時代までの名品を一堂に集めたコレクション展。こうした形で出光美術館所蔵の日本絵画コレクションを公開するのは実に8年ぶりだといいます。
いわば、『出光美術館日本絵画名品展』なわけで、過去の企画展で拝見している作品もいくつかありましたが、美術史に沿って体系的にまとめられていて、あらためて日本画の流れの中で作品の価値や位置づけを観ていくことができます。
作品は前後期合わせて83点。それとは別に古伊万里や古九谷、柿右衛門など館所蔵の工芸品約30点も出陳されていて、なかなか見応えるのある展覧会でした。
さて、会場は日本画の流れに沿って、いくつかのテーマに分けて構成されています。
1 絵巻 ―アニメ映画の源流
2 仏画 ―畏れと救いのかたち
3 室町時代水墨画 ―禅の精神の表現が芸術へ
4 室町時代やまと絵屏風 ―美麗なる屏風の世界
5 近世初期風俗画 ―日常に潜む人生の機微を描く
6 寛文美人図と初期浮世絵 ―洗練されゆく人間美
7 黄金期の浮世絵 ―妖艶な人間美
8 文人画 ―自娯という独特の美しさ
9 琳派 ―色とかたちの極致
10 狩野派と長谷川等伯 ―正統な美VS斬新な美
11 仙厓の画 ―未完了の表現
まずは絵巻から。“アニメ映画の源流”とか何かと現代のカルチャーを持ち出すのは安っぽくなるから止めた方がいいと思うのですが(親しみやすくという意味なんでしょうが)、それはともかく日本絵画の源流として絵巻の成り立ちから丁寧に解説しています。
重文の「橘直幹申文絵巻」は平安時代の貴族・橘直幹が天皇に申文を送った顛末を描いたもので、今回展示されていた場面では焼いた肴や食べ物を売っている萬屋など町や人々の様子も表現に富み、当時の風俗を探る上でも興味深い作品です。
「当麻曼荼羅図」
鎌倉時代末期~南北朝時代 出光美術館蔵 [展示は5/6まで]
鎌倉時代末期~南北朝時代 出光美術館蔵 [展示は5/6まで]
つづいて仏画。阿弥陀如来が極楽浄土から迎えに来る様子を描いた「山越阿弥陀図」、地獄の恐ろしさを分かりやすく説いた「六道・十王図」、どうすれば極楽に行けるか、極楽はどんなところかがビッシリ描き込まれた「当麻曼荼羅図」とどれも素晴らしい。後期には重文の「十王地獄図」が出品されます。
能阿弥 「四季花鳥図屏風」(重要文化財)
応仁3年(1469年) 出光美術館蔵 [展示は5/6まで]
応仁3年(1469年) 出光美術館蔵 [展示は5/6まで]
水墨画では、年紀の伴う屏風では最古のものという能阿弥の「四季花鳥図屏風」が秀逸。牧谿の作品をモチーフにしているということですが、竹や蓮など草木・花の描写もさることながら、自由を謳歌するかのような鳥の生き生きとした姿が実にいい。
「日月四季花鳥図屏風」(右隻)
室町時代 出光美術館蔵 [展示は5/6まで]
室町時代 出光美術館蔵 [展示は5/6まで]
やまと絵屏風では「日月四季花鳥図屏風」がいい。銀を使ったと思しきところが変色してしまっていますが、描写や構図が洗練されていて、状態が良ければどれだけ美しく豪華な屏風だっただろうと思わせます。
「江戸名所図屏風」(左隻)
鎌倉時代末期~南北朝時代 出光美術館蔵 [展示は5/6まで]
鎌倉時代末期~南北朝時代 出光美術館蔵 [展示は5/6まで]
初期風俗画には見事な「江戸名所図屏風」が出ていてこれがまず見もの。右隻には浅草や上野、日本橋などの町の賑わいが、左隻には江戸城や木挽町の芝居小屋、築地の魚市場や芝増上寺一帯まで描かれ、江戸の賑わいや活気が描き出されています。
ほかにも、世界の民族が描かれていたり、クジラが海に泳いでたりとユニークな「世界地図・万国人物図屏風」、初期風俗画として興味深い「桜下弾弦図屏風」、豪華な「洛中洛外図屏風」など見応えのある作品が展示。後期には重文の「祇園祭礼図屏風」が出るので、これも観たいところです。
喜多川歌麿 「更衣美人図」
江戸時代 出光美術館蔵 [展示は5/6まで]
江戸時代 出光美術館蔵 [展示は5/6まで]
浮世絵も優品が出ています。歌麿の肉筆画「更衣美人図」は個人的には今回のイチオシ。着物の襟を押さえた仕草が色っぽく、絶品。春の風情に満ちた背景も美しい勝川春章の「桜花三美人図」、魔除けになりそうな北斎の「鍾馗騎獅図」、じゃらじゃらした雰囲気が面白い歌川豊春の「芸妓と嫖客図」、江戸の美少年愛好の一端を覗かせる「若衆図」なども良し。
田能村竹田 「梅花書屋図」(重要文化財)
天保3年(1832年) 出光美術館蔵 [展示は5/6まで]
天保3年(1832年) 出光美術館蔵 [展示は5/6まで]
文人画で目を引くのが田能村竹田の「梅花書屋図」。どこまでもつづく梅の老木、途中には四阿があって、その風情がいい。渡辺崋山の「猫図」は可愛らしさはないけれど、猫の本能的な鋭さが良く出ています。ほかに、現在の新宿・戸山公園や東宮御所付近を描いた谷文晁の図稿など。
狩野光信 「西王母・東方朔図屏風」
桃山時代 出光美術館蔵 [展示は5/6まで]
桃山時代 出光美術館蔵 [展示は5/6まで]
琳派は前期2点、後期2点というのがちょっと寂しいですが、前期には抱一の「風神雷神図屏風」と宗達の「月に秋草図屏風」が出ています。
等伯は前期に「松に鴉・柳に白鷺図屏風」、後期に「波濤図屏風」が登場。ともに2011年の『長谷川等伯と狩野派展』に出品されていますが、等伯次世代の長谷川派絵師によるものとされていた「波濤図屏風」が今回は等伯筆として紹介。何か確証でも得られたのでしょうか? その「波濤図屏風」は前回片隻のみでしたが、今回は両隻揃って展示されるようです。「松に鴉・柳に白鷺図屏風」は何者かにより等伯の落款が消され「雪舟筆」という署名がされていたことがあり、その痕跡がパネルで紹介されています(狩野派による陰謀説という話もありますが)。
狩野派の作品では光信の「西王母・東方朔図屏風」が非常に丁寧な作りで見応えあり。狩野派の作品とされる「歌舞伎図〈表〉・花鳥図〈裏〉屏風」も色鮮やかで綺麗。
英一蝶 「四季日待図巻」
元禄11年~宝永6年(1698-1709年) 出光美術館蔵 [期間中場面替え]
元禄11年~宝永6年(1698-1709年) 出光美術館蔵 [期間中場面替え]
狩野派のコーナーには英一蝶も。「四季日待図巻」は一蝶が流刑地の三宅島で描いた、いわゆる“島一蝶”と呼ばれる作品とのこと。都を懐かしみながら描いたのでしょうか。遊興にふける人々の表情も豊かで、非常に丁寧に描かれているのが印象的です。
仙崖 「老人六歌仙画賛」
江戸時代 出光美術館蔵 [展示は5/6まで]
江戸時代 出光美術館蔵 [展示は5/6まで]
最後はお約束の仙崖。仙崖の展覧会は出光ではたびたび開かれていますが、何度観ても笑えるし、朗らかな気持ちになります。お年寄りたちが高齢化問題を愚痴る「老人六歌仙画賛」や桜の下の楽しげな様子を描いた「花見画賛」、なぜか梅毒が画題の「柳町画賛」など。
本展の入場料は1000円ですが、窓口でチケットを購入すると後期展示を500円で観られる割引券がもらえます。今回はミューぽんも使える(200円引き)ので、さらにお得になります。これだけの名品を観て、このお値段はかなりお得じゃないでしょうか?
【日本の美・発見Ⅸ 日本絵画の魅惑】
前期 2014年4月5日(土)~5月6日(火・休)
後期 2014年5月9日(金)~6月8日(日)
出光美術館にて
もっと知りたい長谷川等伯―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
仙〔ガイ〕の○△□―無法の禅画を楽しむ法
2014/04/05
栄西と建仁寺
東京国立博物館で開催中の特別展『栄西と建仁寺』展に行ってきました。
本展は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての禅僧で、日本に臨済宗を伝え、京都最古の禅寺・建仁寺を開創した栄西禅師の800回忌を記念した特別展。栄西にまつわる史料や建仁寺ゆかりの名品などが出品されています。
序章 禅院の茶
会場に入ると、まずは栄西の坐像がお出迎え。栄西は中国から茶種を持ち帰り、日本で廃れていたお茶を飲む習慣を普及させ、現在の茶道の基礎となる喫茶法(点茶法)を築いたということで、“茶祖”と呼ばれているのだそうです。建仁寺では毎年4月20日の栄西の降誕会に、初期の喫茶儀礼を今に伝える四頭茶会が行われていて、展示室の中には建仁寺の方丈が再現され、四頭茶会の様子が映像で流されていました。
再現された方丈の中に飾られていた秋月等観の2幅の「龍虎図」は出展リストに載っていないところを見ると複製でしょうか? ほかに四頭茶会の所用具や重要文化財の油滴茶碗なども展示されています。
第1章 栄西の足跡
建仁寺では“栄西”を“ヨウサイ”と読んでいるそうで、その根拠となる「興禅護国論和解」(栄西著の「興禅護国論和解」の注釈書)が展示されています。そこにはしっかりと“栄西”の文字の横に“イヤウサイ”と読み仮名が。
国宝の「誓願寺盂蘭盆一品経縁起」は栄西の代表的な遺墨で、平安末期の美しい料紙も見ものです。栄西の自筆の書状は他にも数点ありましたが、出だしは力強くしっかりとした筆跡なのに、だんだんと崩れていく傾向があるみたい。そのほか、栄西が著した「喫茶養生記」の最古写本や同じく栄西が男女の交わりの隠語(要はエッチな言葉)で仏教の教えを説いた「隠語集」(写本)なんていうのもありました。
第2章 建仁寺ゆかりの僧たち
ここでは建仁寺を代表する禅僧や遺品を紹介。京都五山の中でも学芸の拠点となった経緯などを探ります。
蘭渓は鎌倉・建長寺の初代住職で、後に建仁寺の住持になった鎌倉時代の高僧。像は江戸時代に彫像されたものですが、本展の事前調査で像内部から鎌倉時代に作られたと考えられる木製の頭部が見つかったということで、会場では像内部の様子がパネルで展示されています。
第3章 近世の建仁寺
応仁の乱や度重なる戦禍で荒廃した建仁寺が再興する16世紀末以降の建仁寺ゆかりの人物や美術品にスポットを当てています。
ここの見どころは狩野山楽と海北友松。現存作品がそんなに多くない山楽がなんと5点も出品されています(後期は3点のみ。内2点は通期展示)。織田有楽斎の像と一緒に展示されていた山楽の「蓮鷺図襖」は、蓮の葉の濃さや密度とどこか妖美な花が印象的な金碧障壁画。昨年の『狩野山楽・山雪展』にも出品されていた「狩猟図」は、京博では2幅のみでしたが、本展では4幅全てが展示されています。
1599年再建の本坊方丈の障壁画を担当したのが海北友松。残念ながら昭和9年の室戸台風で方丈が倒壊し、友松の襖絵はその後、掛軸に改装されています。本展ではその全50面(幅)の障壁画の内、41幅を前後期に分け展示。白眉は、涌き上がる黒雲から現れる龍の気迫が漲る「雲龍図」。ほかにも南宋の宮廷画家・梁楷の減筆体に倣ったという袋人物で描いた「竹林七賢図」や、濃墨の孔雀に美より強さを感じる「花鳥図」などどれも素晴らしい。ちなみに「雲龍図」は4/8~5/6のみ全幅公開されます。
第4章 建仁寺ゆかりの名宝
ここでは建仁寺や塔頭、また建仁寺派の寺院が所蔵する日本画や仏画、仏像、工芸品などを展示しています。
まずはタコの足を模した形がユニークな「鉄蛸足香炉」や、龍や獅子の繊細な表現が見事な蝋型鋳造の三具足が目を引きます。慶派仏師によるものという洗練された気品漂う「十一面観音菩薩坐像」や「伝観音菩薩坐像」など仏像も見もの。仏画では良全の水墨画「十六羅漢図」が見事。墨の濃淡で繊細に表現した狩野山雪の「唐人物図座屏」も傑作です。
等伯も2点。「松に童子図襖」は海北友松や狩野派の作品を観たあとだと岩皺の描写が少し見劣りしますが、「竹林七賢図屏風」は友松の「竹林七賢図」に刺激を受け描いた作品といい、極太の線描の力強さに等伯の負けん気と高い表現力を感じます。
並びには海北友松も4点。どれも素晴らしいのですが、友松が得意としたという「琴棋書画図屏風」や表現の豊かさを感じる「人物花鳥押絵貼屏風」がいい。友松の作品をまとめて観る機会というのも錚々ないので、ちょっと興奮しました。
曽我蕭白、伊藤若冲、長沢芦雪とつづく三連続は圧巻。濃淡の墨を駆使した蕭白の美しい「山水図」、動植綵絵の直前の作品という若冲の「雪梅雄鶏図」、芦雪らしい大胆な構図が目を引く「牧童吹笛図」、どれもそれぞれの特徴が前面に出ていて見飽きません。並びには臨済宗の禅僧・白隠の作品も。芦雪の「牧童吹笛図」は即興で指で描いたらしく、芦雪の名前の下には“指画”と書かれています。牛のキョトンとした目もかわいい。
ほかにも、吉祥のモチーフも登場するユニークな「涅槃図」や、夜な夜な地獄に降りては閻魔大王の副官を務めたという伝説の小野篁の実寸大(2m近い)といわれる「小野篁・冥官・獄卒立像」、江戸時代を代表する陶芸家・仁阿弥道八の作品の数々(山羊の手焙が面白い)など、なかなかの見ものが続きます。
最後には、建仁寺といえば忘れてはならない宗達の「風神雷神図屏風」が。「風神雷神図屏風」の公開は実に5年ぶり(東京では6年ぶり)とか。そんなに観ていなかったかなと思いますが、観るたびに新しい発見があります。今回の展示では右隻と左隻を少し離して展示していて、何かしらの意図があったのでしょうが、離れてしまうと一つの屏風というより、それぞれ独立した絵画作品のようにも見えなくもありません。
ちなみに、宗達の 「風神雷神図屏風」の公開に合わせるように、琳派を代表する絵師たちの「風神雷神図」が公開されます。
いろいろと興味深い作品が多く、じっくり観てたら2時間かかりました。閉館時間になってしまったので帰りましたが、時間が許せば、もう少し観ていたかったです。
【開山・栄西禅師 800年遠忌 特別展「栄西と建仁寺」】
2014年5月18日(日)まで
東京国立博物館にて
栄西と日本の美 (洋泉社MOOK)
栄西と禅の世界 (別冊宝島 2142)
栄西と臨済禅 (別冊太陽 日本のこころ 215)
栄西 喫茶養生記 (講談社学術文庫)
本展は、平安時代後期から鎌倉時代初期にかけての禅僧で、日本に臨済宗を伝え、京都最古の禅寺・建仁寺を開創した栄西禅師の800回忌を記念した特別展。栄西にまつわる史料や建仁寺ゆかりの名品などが出品されています。
序章 禅院の茶
会場に入ると、まずは栄西の坐像がお出迎え。栄西は中国から茶種を持ち帰り、日本で廃れていたお茶を飲む習慣を普及させ、現在の茶道の基礎となる喫茶法(点茶法)を築いたということで、“茶祖”と呼ばれているのだそうです。建仁寺では毎年4月20日の栄西の降誕会に、初期の喫茶儀礼を今に伝える四頭茶会が行われていて、展示室の中には建仁寺の方丈が再現され、四頭茶会の様子が映像で流されていました。
再現された方丈の中に飾られていた秋月等観の2幅の「龍虎図」は出展リストに載っていないところを見ると複製でしょうか? ほかに四頭茶会の所用具や重要文化財の油滴茶碗なども展示されています。
第1章 栄西の足跡
建仁寺では“栄西”を“ヨウサイ”と読んでいるそうで、その根拠となる「興禅護国論和解」(栄西著の「興禅護国論和解」の注釈書)が展示されています。そこにはしっかりと“栄西”の文字の横に“イヤウサイ”と読み仮名が。
栄西筆 「誓願寺盂蘭盆一品経縁起」(国宝)
平安時代・治承2年(1178年) 福岡・誓願寺蔵[展示は4/6まで]
平安時代・治承2年(1178年) 福岡・誓願寺蔵[展示は4/6まで]
国宝の「誓願寺盂蘭盆一品経縁起」は栄西の代表的な遺墨で、平安末期の美しい料紙も見ものです。栄西の自筆の書状は他にも数点ありましたが、出だしは力強くしっかりとした筆跡なのに、だんだんと崩れていく傾向があるみたい。そのほか、栄西が著した「喫茶養生記」の最古写本や同じく栄西が男女の交わりの隠語(要はエッチな言葉)で仏教の教えを説いた「隠語集」(写本)なんていうのもありました。
第2章 建仁寺ゆかりの僧たち
ここでは建仁寺を代表する禅僧や遺品を紹介。京都五山の中でも学芸の拠点となった経緯などを探ります。
康乗作 「蘭渓道隆坐像」(重要文化財)
江戸時代・延宝7年(1676年) 京都・西来院蔵
江戸時代・延宝7年(1676年) 京都・西来院蔵
蘭渓は鎌倉・建長寺の初代住職で、後に建仁寺の住持になった鎌倉時代の高僧。像は江戸時代に彫像されたものですが、本展の事前調査で像内部から鎌倉時代に作られたと考えられる木製の頭部が見つかったということで、会場では像内部の様子がパネルで展示されています。
第3章 近世の建仁寺
応仁の乱や度重なる戦禍で荒廃した建仁寺が再興する16世紀末以降の建仁寺ゆかりの人物や美術品にスポットを当てています。
狩野山楽 「蓮鷺図襖」(一部)
江戸時代・元和4年(1618年) 正伝永源院所蔵
江戸時代・元和4年(1618年) 正伝永源院所蔵
ここの見どころは狩野山楽と海北友松。現存作品がそんなに多くない山楽がなんと5点も出品されています(後期は3点のみ。内2点は通期展示)。織田有楽斎の像と一緒に展示されていた山楽の「蓮鷺図襖」は、蓮の葉の濃さや密度とどこか妖美な花が印象的な金碧障壁画。昨年の『狩野山楽・山雪展』にも出品されていた「狩猟図」は、京博では2幅のみでしたが、本展では4幅全てが展示されています。
海北友松 「雲龍図」(一部)(重要文化財)
安土桃山時代・慶長4年(1599年) 建仁寺蔵[期間中展示替えあり]
安土桃山時代・慶長4年(1599年) 建仁寺蔵[期間中展示替えあり]
1599年再建の本坊方丈の障壁画を担当したのが海北友松。残念ながら昭和9年の室戸台風で方丈が倒壊し、友松の襖絵はその後、掛軸に改装されています。本展ではその全50面(幅)の障壁画の内、41幅を前後期に分け展示。白眉は、涌き上がる黒雲から現れる龍の気迫が漲る「雲龍図」。ほかにも南宋の宮廷画家・梁楷の減筆体に倣ったという袋人物で描いた「竹林七賢図」や、濃墨の孔雀に美より強さを感じる「花鳥図」などどれも素晴らしい。ちなみに「雲龍図」は4/8~5/6のみ全幅公開されます。
海北友松 「竹林七賢図」(一部)(重要文化財)
安土桃山時代・慶長4年(1599年) 建仁寺蔵[前期6幅/後期4幅]
安土桃山時代・慶長4年(1599年) 建仁寺蔵[前期6幅/後期4幅]
第4章 建仁寺ゆかりの名宝
ここでは建仁寺や塔頭、また建仁寺派の寺院が所蔵する日本画や仏画、仏像、工芸品などを展示しています。
まずはタコの足を模した形がユニークな「鉄蛸足香炉」や、龍や獅子の繊細な表現が見事な蝋型鋳造の三具足が目を引きます。慶派仏師によるものという洗練された気品漂う「十一面観音菩薩坐像」や「伝観音菩薩坐像」など仏像も見もの。仏画では良全の水墨画「十六羅漢図」が見事。墨の濃淡で繊細に表現した狩野山雪の「唐人物図座屏」も傑作です。
長谷川等伯 「竹林七賢図屏風」
江戸時代・慶長12年(1607年) 両足院蔵
江戸時代・慶長12年(1607年) 両足院蔵
等伯も2点。「松に童子図襖」は海北友松や狩野派の作品を観たあとだと岩皺の描写が少し見劣りしますが、「竹林七賢図屏風」は友松の「竹林七賢図」に刺激を受け描いた作品といい、極太の線描の力強さに等伯の負けん気と高い表現力を感じます。
並びには海北友松も4点。どれも素晴らしいのですが、友松が得意としたという「琴棋書画図屏風」や表現の豊かさを感じる「人物花鳥押絵貼屏風」がいい。友松の作品をまとめて観る機会というのも錚々ないので、ちょっと興奮しました。
伊藤若冲 「雪梅雄鶏図」
江戸時代・18世紀 両足院蔵
江戸時代・18世紀 両足院蔵
曽我蕭白、伊藤若冲、長沢芦雪とつづく三連続は圧巻。濃淡の墨を駆使した蕭白の美しい「山水図」、動植綵絵の直前の作品という若冲の「雪梅雄鶏図」、芦雪らしい大胆な構図が目を引く「牧童吹笛図」、どれもそれぞれの特徴が前面に出ていて見飽きません。並びには臨済宗の禅僧・白隠の作品も。芦雪の「牧童吹笛図」は即興で指で描いたらしく、芦雪の名前の下には“指画”と書かれています。牛のキョトンとした目もかわいい。
長沢芦雪 「牧童吹笛図」
江戸時代・18世紀 久昌院蔵
江戸時代・18世紀 久昌院蔵
ほかにも、吉祥のモチーフも登場するユニークな「涅槃図」や、夜な夜な地獄に降りては閻魔大王の副官を務めたという伝説の小野篁の実寸大(2m近い)といわれる「小野篁・冥官・獄卒立像」、江戸時代を代表する陶芸家・仁阿弥道八の作品の数々(山羊の手焙が面白い)など、なかなかの見ものが続きます。
俵屋宗達 「風神雷神図屏風」(国宝)
江戸時代・17世紀 建仁寺蔵
江戸時代・17世紀 建仁寺蔵
最後には、建仁寺といえば忘れてはならない宗達の「風神雷神図屏風」が。「風神雷神図屏風」の公開は実に5年ぶり(東京では6年ぶり)とか。そんなに観ていなかったかなと思いますが、観るたびに新しい発見があります。今回の展示では右隻と左隻を少し離して展示していて、何かしらの意図があったのでしょうが、離れてしまうと一つの屏風というより、それぞれ独立した絵画作品のようにも見えなくもありません。
ちなみに、宗達の 「風神雷神図屏風」の公開に合わせるように、琳派を代表する絵師たちの「風神雷神図」が公開されます。
- 尾形光琳 「風神雷神図屏風」 4/8~5/18 東京国立博物館本館2F7室
- 酒井抱一 「風神雷神図屏風」 4/5~5/6 出光美術館
- 鈴木其一 「風神雷神図屏風」 4/8~6/29 東京富士美術館
いろいろと興味深い作品が多く、じっくり観てたら2時間かかりました。閉館時間になってしまったので帰りましたが、時間が許せば、もう少し観ていたかったです。
【開山・栄西禅師 800年遠忌 特別展「栄西と建仁寺」】
2014年5月18日(日)まで
東京国立博物館にて
栄西と日本の美 (洋泉社MOOK)
栄西と禅の世界 (別冊宝島 2142)
栄西と臨済禅 (別冊太陽 日本のこころ 215)
栄西 喫茶養生記 (講談社学術文庫)