世田谷パブリックシアターで『サド侯爵夫人』を観てきました。
原作は三島由紀夫。演出は狂言師で、俳優としての舞台歴も多い野村萬斎。サド侯爵夫人ルネに蒼井優、その母モントルイユ夫人に白石加代子、サン・フォン伯爵夫人に麻実れい、ルネの妹アンヌに美波、シミアーヌ男爵夫人に神野三鈴、家政婦に町田マリーととても豪華。
舞台はパリのモントルイユ夫人邸。夫サド侯爵にどこまでも貞節を貫こうとする妻ルネと執拗に別れを迫る母モントルイユ夫人の二人の痛烈な対立を、1772年、1778年、1790年の歳月に分けて描きます。
女優陣は魅力的だし、演出が野村萬斎、それに三島の戯曲ということで、非常に楽しみにしていた舞台でした。ただ、先に観た人の感想や劇評を聞いたり読んだりする限り、評判があまり芳しくない様子。ちょっと不安な気持ちを抱えながら三軒茶屋へ向かいました。その日はちょうど千秋楽だったので、舞台は完成され、落日の緊張と興奮で、さぞや役者さんたちも素晴らしい演技を見せてくれるだろうと期待して。
舞台はシンプル。円形の木目の床があり、まわりを中世の城の丸い塔を思わせる石造りの壁が囲っています。
一幕目の前半は麻実れい演じるサン・フォン伯爵夫人と神野三鈴演じるシミアーヌ男爵夫人の二人のやり取りが続きますが、悪と善(偽善)を対照的にあぶり出し、芝居の導入部としては非常に面白く拝見しました。特に「サドとは私なのです」と自身をサド侯爵と重ね合わせ、悪徳を讃える麻実れいがさすがの貫禄で、とても様になっていて、ただただカッコいい。
そこに白石加代子演じるモントルイユ夫人、そして蒼井優演じるルネが登場します。期待を裏切らない怪演を見せる白石加代子、ベテラン女優の中で奮闘する蒼井優…。『サド侯爵夫人』の、その重厚で、流麗で、修辞的で、そして膨大な台詞は、考えるまでもなく役者さん泣かせだと思います。この饒舌な台詞と格闘し、言葉を乗りこなさなければならないのだから大変です。出演者たちはそんな困難な作業に立ち向かい、それぞれ自分の言葉として発し、努力したあとが伝わってくるような熱さを舞台からは感じました。
決して悪くはないのです。ただ、全体のトーンがまとまってない気がしてなりませんでした。カラーの違う役者さんの演技のぶつかり合いが舞台の魅力ですが、どうもそれがうまく噛み合っていない。それぞれ演じ手の持ち味はよく出ていたと思うのですが、それがアンサンブルを奏でるまでになっていないのです。役者のトーンがバラバラなので統一感に欠けた印象を受けました。
それを演出の問題というのは酷かもしれませんが、過剰な白石加代子の演技が生かされず、逆に一人だけ浮いてしまい、悪く言えば舞台を壊しているようにさえ感じました。ルネを演じるのに申し分ないと思われる蒼井優という存在も、彼女の中に秘めるエロスの部分というか、背徳的な部分を引き出せないため、実は夫の生贄にさえなっていたルネの告白が重みのあるものとして伝わってきませんでした。
また、白石加代子と麻美れいという個性的で圧倒的な女優の前で、若手の女優たちがその存在感をアピールできたかというと、それはNOに近かったように思います。折角美しい音色を奏でても、コントロールを失ったオーケストラの中ではインパクトのある楽器の響きに掻き消されてしまいます。
“言葉による緊縛”と野村が語るように、演じる者だけでなく観る者も、責め苦のように延々と続く饒舌な会話劇の中に身を投じ、圧倒的な台詞の虜となり、そこに身を委ねなければなりません。その緊縛を快楽と感じるか苦痛と感じるか。残念ながら今回の舞台は、快楽となるまでにはいかなかったような気がします。
サド侯爵夫人・わが友ヒットラー (新潮文庫)
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