2011/05/06

五百羅漢展

東日本大震災の影響で開幕が大幅に延期になっていた『五百羅漢展』がようやく先日から始まり、早速伺ってきました。

前評判が高かっただけに開幕延期は残念でしたが、震災の影響で中止になる展覧会も多い中、こうしてお目にかかれることは有難いと思わなければなりません。

その狩野一信の「五百羅漢図」には通称“増上寺本”と呼ばれる100幅のものと、“東博本”と呼ばれる50幅のものがあり、それぞれ芝・増上寺、東京国立博物館が保管しています。

数年前に“東博本”の全50幅が東京国立博物館で公開されたことがあり、なんと手の込んだ作品だろうと感動した覚えがありますが、今回展示されているのは“増上寺本”の方の全100幅。副題に「増上寺秘蔵」とあるだけあって、全幅がこうして公開されるのは戦後初なのだとか。“知る人ぞ知る”仏画の傑作です。参考展示として、その“東博本”の内10幅(前期5幅、後期5幅)も特別に陳列されています(東京国立博物館でも別の5幅が5/29まで展示されています)。

「第13幅 布薩」

狩野一信は江戸末期の絵師ですが、その名から狩野派直系の由緒正しき絵師なのかと思いきや、師匠にあたる狩野章信は一信が12歳のときにこの世を去り、そのあとはほとんど独学で絵を学んだそうです。そのためか、同時期の狩野芳崖が狩野派の流れを汲む絵師として紹介されるのに対し、一信は狩野派の中に数えられていないことも多いようですね。

さて、そんな狩野一信ですが、10年の歳月をかけてこの「五百羅漢図」を完成させたと言われています。一信は48歳で亡くなっていますから、37、38歳 ぐらいから「五百羅漢図」の100幅に取り掛かったのでしょう。今回比較展示されている“東博本”は“増上寺本”に先立って描かれたと言われ、またほかにも 「十六羅漢図」などを複数残していることからも、狩野一信という人の絵師人生は羅漢図とともにあったといっても過言ではないかもしれません。

「第22幅 六道 地獄」

一信の「五百羅漢図」は、羅漢たちの暮らしぶりを表す場面、自ら出家し、出家者や異教徒を教化する場面、地獄など六道から救済する場面、神通力を発揮する場面、竜宮に招かれ、供養を受ける場面、天才や人災からの救済を表す場面など、全部で10のパートに分かれていて、1幅につき3~6人の羅漢様が描かれています(全100幅で500人の羅漢様になっているはず)。

「第51幅 神通」

10年で100幅ということは、1年で10幅、約5週間で1幅のペース。伊藤若冲の「動植綵絵」と「釈迦三尊」はおよそ10年で33幅ですから(彼の場合、その間いろんなものを描いてるので単純比較できませんが)、相当はハイペースです。体力を相当消耗したのか、最後の4幅を残して残念ながら病没。残りの4幅は妻・妙安と弟子・一純らが補って完成させたそうです。しかし、その差は歴然。一信が描いた96幅の圧倒的で濃厚な五百羅漢図とは明らかに異なる出来映えは素人目にもはっきりと分ります。全100幅を描ききれなかった一信はどれだけ心残りだったことか…。

「第61幅 禽獣」

とはいえ、五百羅漢図が100幅もあれば、それはただただ圧巻。江戸末期の作品で、大切に保管されていただけあり、保存状態もよく、彩色豊かで色鮮やか。 掛け軸としても大振りのサイズで、物語性、表現性も高く、また裏彩色を施したり、西洋画の陰影法や遠近法を取り込んだりと非常に手が込んでいて、見応え十分。日常生活の場面を描いた人間的な味わいを感じさせるものもあれば、「六道」のような緊張感漂うおどろおどろしいものもあるし、安政の大地震のあとに描 かれたとされる「七難」では東日本大震災の記憶が再び呼び覚まされるし、どれ一つとってもその素晴らしさ、迫力に圧倒されること必至です。

「第82幅 七難 震」


【五百羅漢 −増上寺秘蔵の仏画」幕末の絵師 狩野一信】
江戸東京博物館にて
7/3(日)まで

狩野一信狩野一信

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